けちゃだめ



  佐助は「基本的に」主である真田幸村の事は尊敬しているし、下手に気を遣わずに済む相手を雇い主と出来た自分は「割と」ラッキーな方なんではないかと思っている。
「あのさぁ……」
  しかし、それとこれとはまた別だ。
「はぁ…。頭痛いわ」
「何だ佐助、具合が悪いのか? ならば状況が落ち着いている今のうちに少しでも休んでおけ。またいつ戦になるやも知れぬのだからな」
「はあ…。そりゃあ、そうしたいのは山々なんですがねぇ」
「そうだぞ武田の忍。折角幸村がこう言ってんだ、ありがたく休んでこい。つーか、さっさとどっか行け」
「………だから。何でアンタがここにいるんですかッ!!」
  飄々として幸村の隣に座り、茶を飲んでいる男。
  その人物―政宗から「どっか行け」と言われた事で、佐助は酷い頭痛に続いてキリキリと胃の辺りまで痛くなってくるのを感じていた。





  ここは真田幸村の屋敷。
  先だって佐助が所属する武田軍は西の魔王・織田軍と一戦交えたばかりだった。今までの相手とは幾分…否、大分勝手の違う相手との壮絶な戦いにより、武田軍はこれまでにない打撃を受け、不本意な後退を余儀なくされた。
  しかし結果的にこの戦は双方の痛み分けをもって一応の決着を見た。戦況は明らかに魔王軍が優勢で、今までの彼らならば敵方が少しでも戦いの手を緩めればすかさずそこを突き、更なる追い討ちを掛けてくるは必定だったのに、だ。……それが武田が軍を退いたのを見計らうかのようにして、魔王も自らの軍を早々に引き上げさせたものだから、これには大勢が首をかしげ、また安堵したものだった。実際佐助の主である幸村にも魔王の意図は量りきれなかったようだが――。
  しかし幸村が去った後、彼の主であり師でもある信玄が呟くように放った言葉は、それを一人聞いていた佐助に嘆息と僅かな苦味をもたらした。

『奴の目的は我らを潰すことではない、天下を取る事よ。……先を見たのだろう。我らの背後に竜の小倅を見ていたからな」

  たとえ武田を倒せても、さしもの織田軍も無傷では終われない。そこを現在既に奥州・関東を束ねている伊達軍に襲われては元も子もない…。武田の背後に控えていた伊達軍を見て魔王はそう考えたのだろうと信玄は読んだわけだ。あの魔王が果たしてそんな慎重論を頭に浮かべたのかどうかは実際分かりかねたが、少なくとも現在のこの平穏や信玄が無事だった事、そして何より主である幸村がこうして笑って茶を飲めているのは喜ばしい事だ。だからその幸運に関してだけは、佐助もとりあえずは素直に喜ぼうと思った。
  そう、だからたとえ「この男」が突然幸村の前に現れたとしても。
  その幸福にこの男が少しでも関わっているのならばあまり煩い事も言ってはいけない。そう、言っては……。
  だが。だがしかし!!
「幸村、お前ちっと見ない間に痩せたんじゃねェの? ちょっと腰触らせろ」
「わわ…っ!? ま、政宗殿、いきなり何をなさるのです!?」
「おー、やっぱ一回り細くなってる。あんまり細いと抱き心地悪ィんだぞ?」
「え……って、だ、だったらそのように触…っ!」
「………あのう」
  幸村の屋敷の庭先で、2人は先刻からこの調子である。
  政宗はとにかく幸村を触りたくて仕方がないらしく、実際今佐助が立ち尽くしている目の前で「幸村が痩せた」などと言ってぎゅうぎゅうと抱きしめたりしている。それでもって幸村は幸村で、やめて欲しいと訴えている割には心底ではその所作を受け入れてしまっているし、焦っている顔も照れまくっている乙女よろしく、恥ずかしいくらいに真っ赤である。
「あのね。あの。ちょっと、そこーっ!!」
「……うっせえなあ」
  佐助の抗議に最初に反応したのは政宗だった。佐助が手裏剣でも投げてくると思ったのか、嫌そうにしつつも視線を向ける。幸村の腰に回した両手は意地でも外していないが。
「お前、具合悪いんだろ? さっさと寝てこいって言われたろーが」
「はあはあ、そうしたいですよ、俺だってねぇ。是非に! でも、一応これも仕事なんで!」
「さ、佐助…?」
  やれやれとかぶりを振る佐助にようやく幸村も声を返す。
  佐助はそんな主に向け、子どもを相手にするような目を向けた。
「あのねダンナ。俺としては、独眼竜のダンナが真田のダンナを心配してここまで来ちゃった事には、とやかく言う気ないのよ。だって独眼竜のダンナは己の欲求に大層正直な暴走大将だからね。どんな高い崖からも平気で飛び降りちゃうし」
「それ関係ねえだろ。…っていうか、おい幸村。お前の家臣は礼がなってねェな。どういう言い草だよ、暴走大将だの何だの、人を暴れ馬みてぇに」
「事実でしょ? アンタ、まさか否定する気じゃないでしょうね!?」
「テメエも今言ったろうが。俺は幸村が心配だった。顔が見たかったんでね。大体、西の魔王とは俺がやりあおうと思ってたんだから先に手を出すんじゃねェよ。幸村、武田のオッサンにも言っておけ、今度は俺がやるからフライングすんなって」
「何を仰る。戦に先も後もあろうはずがなかろう。それに政宗殿、あの魔王はこの幸村が今度こそ必ず仕留める! 政宗殿の出番はありませぬぞ!」
「はっ、言うねえ。ま、そんだけの口がきければ……本当に大丈夫そうだな」
「わっ…ま、政宗殿、また…っ」
  戦の話で瞬時真面目な顔になった幸村に政宗はまた「オイタ」を再開し始めた。ただでさえ抱きしめていたところを、今度は片方の手をその幸村の頭にもっていって「よしよし」とばかりに撫でまくるものだから、傍で見ている佐助としてはもうどうにも堪らなかった。
  ちなみに、慌てる幸村はまたしても本気で逆らおうとしていないし。

  この人たち、日々<バカっぷる>になってる気がする……。

  ごほんごほんとわざとらしく咳をしてから、佐助はわざとキッとした声をあげた。
「ちょっと話ずれてんですけど!? 真田のダンナ、聞いてる!? だから俺サマが言いたいのはね、ダンナの屋敷に独眼竜のダンナを入れちゃうのは、そりゃあさすがにマズイんじゃないの!?って事!!」
「堅い事言うなよ。幸村はしょっちゅう俺んとこ来るぜ?」
  未だ幸村の髪の毛をまさぐりながら政宗は飄々として言った。
  佐助はともすれば今度は政宗にまで「めっ!」とでも言い出しかねない様相で首を大きく横に振った。
「アンタん所はアンタが法律だからいいんですよっ。でも、こっちは別なの! 分かります!?」
「あ〜…なるほど?」
「どう、真田のダンナ!? ダンナも分かった!?」
「む……。し、しかし政宗殿はわざわざ俺を見舞いに来てくれたのだから…」
  佐助に叱られシュンとはなったものの、幸村はちらちらと政宗を見上げながらぽつりとそんな風に答えた。辛く長い戦いだったからこそだろう、故郷に戻ってきて気を抜いたところに政宗が現れたものだから、幸村もその喜びを抑えられなかったに違いない。
  しかし佐助に言わせれば、そんな政宗の行動は「これ」の一言に尽きる。
「下心ミエミエ」
「聞こえてんだよ」
「痛っ!」
  それは見事なコントロールだった。
  ぼそりと毒づいた佐助の頭目掛けて、政宗は間髪入れず傍にあった小さな箱を投げつけたのだ。迂闊にもそれをもろに喰らってしまった佐助は、小さな悲鳴を漏らしながらぶつけられたそこに両手をやった。
  同時に、自分の頭からそのままごとりと地に落ちた「箱」に目を落とす。
「ん……?」
「さ、佐助大丈夫か!? 政宗殿、何を投げられたのです!」
「あ? 知らねェ。そこらへんにあったもん」
「まさか某が先刻出した茶請けを!?」
「んな事するかよ。お前が出してくれたもんはきっちり食う」
「ま、政宗殿……」
「……あのう。何でそこで頬を赤らめるんですかい……もう」
  こちらの心配は3秒で終わりか!というツッコミを心の中でしつつも、佐助はいい加減疲れてきた事もあり、それはもうそのまま放っておく事にした。ただ最後の抵抗とばかりに、政宗に投げつけられた箱をおもむろに拾いながら大きなため息はついてみせる。
「もうね、それじゃ俺は帰りますよ? 独眼竜のダンナ、間違っても泊まって行くとかはナシですからね!? 暗くなる前に帰って下さいよ!?」
「わーってるよ」
  早く行けとばかりに片手をひらひらする政宗は全く悪びれた様子がない。それにまたまたため息が出てしまったが、佐助はふとこちらに物凄い視線を向けてきている主の顔に気づき、「おや」と首を捻った。
「……何よ、ダンナ。んな怖い顔しちゃって」
「さ、佐助……その箱……」
「はい?」
  指し示されて、何気なく手にした小さな小振りの箱を見やった。自分の頭を直撃したそれは大きさこそ片手に納まる程度の物だが、それなりに重みはある。
  はて、何が入っていた箱だろうか?
「はい。ダンナのでしょ、これ」
「………」
「んな、客人に簡単に放り投げられるような所にほっぽってちゃ駄目でしょー? いつも整理整頓はしておいて下さいってあれほど……」
「………」
「? ダンナ??」
  箱を受け取った幸村がいやに真剣な顔で黙りこくっているので、佐助はあれれと再度首をかしげた。横に座る政宗も異変に気づいたのだろう、「どうかしたか」とすかさず訊いてくる。
  それに対し幸村は力なく首を横に振った。
「分からぬ…。佐助…これは何だったろうか?」
「は? 何…というと?」
「見覚えはある。……そう、先だっての戦に出る前か……? いや、その前…? とにかくこの箱に何かとても大切な物を入れたような…」
「はあ? 何ですかい、それ?」
「宝物を入れるにしちゃあ、質素な箱だな。もっと豪華なもんに入れろよ」
  佐助と政宗の気のない返事に幸村はしかし殆ど無反応だ。
  じいっと両手で箱を包み込むように持ったままそれを開けようともしない。
「何で開けないんだ?」
  当然の質問を政宗がした。
「別に鍵が掛かってるわけでもあるまいし。さっさと開けて何が入ってたか確認してみればいいだろ?」
「は……確かに…そうなのですが……」

  何だか開けてはいけないもののような気がするのです……。

「ダンナ…?」
  いつになく気弱な声でそう言う幸村に佐助はいよいよ驚きで目を見開いた。幸村のこんな表情は滅多に見ない。爆弾やら何やら物騒な物が入っているわけもなかろうし、たかだか小さな箱一つに何をそんなに怯える必要があるのか。
  大体、その箱にその何かを入れたのは幸村自身ではないのか?
「面白ェ。パンドラの箱ってわけか」
  すると突然政宗がそんな事を言い出した。
「ぱんどらの…とは、何でございますか」
  幸村が怪訝な顔で政宗を見やる。政宗は軽く肩を竦めた後、「海の向こうの昔話だ」と説明した。
  何でもそれは「決して開けてはいけない箱」で、それを一度開くや否や、中からはありとあらゆる人間の負の感情が湧き出し、それ以外の良くないものも噴き出し、世界中に多くの災厄をばら撒いてしまうというのだ。
「パンドラはその箱の中身が良くないもんだと、箱を開ける前から感じ取っていた。けど、開けちまった。人間、開けちゃいけねえと言われた物は、ますます開けてみたくなるってもんだ」
「でもこれは元々真田のダンナが持ってた箱…」
「そう思っているだけで、実は違うかもしれねぇぜ? この箱が幸村にテメエのもんだって勝手に思わせてるだけ…自分の事を開けさせる為にな。禁断の箱ってのは、大体そういう力があるもんなんだ。パンドラも開けちゃいけねえと分かっていたのに開けちまった……それは人間の性とされてるが、箱の力が作用していたと考えられなくもない。幸村はその不穏な空気を何となく察して警戒してるってわけだ」
「独眼竜のダンナって結構そういう不思議系な話信じるんだ?」
  佐助が意外だという顔をして腕を組むと、政宗はしらっとした顔でそっぽを向いた。
「べぇつに。だが、面白ェ話は好きだぜ?」
「世界中に災厄が飛び散る話のどこが面白いんですか」
  つくずくいらんトラブルの好きなお方だと佐助はまるで理解できないという風に今度は両手を腰に当てた。
  けれどちらと主を見やると、案の定幸村の顔は蒼白である。佐助は思わず苦笑してしまった。

  あーあ、こんな話を真に受けちゃって。独眼竜のダンナをその顔で喜ばせちゃってるのが分からないのかねえ?

「あのねダンナ、こんな与太話…」
「やはりこれを開けるのはやめておこう」
  幸村は真っ青になったままきっぱりと言った。
「開けねえの? 俺はすげえ気になるんだけど?」
  にやりと笑う政宗に幸村はぶんぶんと首を横に振った。
「某、こう見えて勘は鋭い方ですので…! 確かに、これには何やらよくないものの空気を感じるのです。開けてはならぬ、某の本能全てがそう訴えております!」
「でも気になるんだろう?」
「そ、それは…っ」
「おい忍〜。お前、幸村の代わりに開けてみろよ」
「何で俺が!?」

  いつか言い出すだろうと思ったら速攻で言いやがった。

  佐助は露骨に迷惑そうな顔をして「嫌です」ときっぱり言い切った。
「俺は災厄どうのって話はまるで信じちゃいませんが、その中身がロクでもないもんだろうってダンナの意見には賛成なんで。絶対に御免です」
「守りの堅い忍びだな」
「当たり前でしょ。俺のポリシー、長生きの秘訣です!」
「んじゃ、俺が開けるか」
「あ!」
  2人のやりとりをオロオロとした風に聞いていた幸村から、政宗はひょいと唐突にその箱を奪った。
  幸村は途端慌てたようになり、がばりと立ち上がった。
「ま、政宗殿! やめて下され!」
「まあまあ。開けるのはこの俺だ。災厄は全部俺が引き受けてやるから、お前は見てなって」
「そっ…! そのような! 駄目です、政宗殿にそのような…! もともと、これは某の所にあったもの! それを、政宗殿に…!」
「幸村。お前の不幸は全部俺が持ってってやるよ」
「な……」
  さらりと気障な事を言い切った政宗に佐助は砂を吐いていたが、幸村にはその台詞はピンポンストライクで感動的だったらしい。
「ま、政宗殿…」
  ふるふると肩を震わせ赤面する幸村に、佐助は何故か自分の方が気恥ずかしくなってその場から今すぐ逃げ出したい気持ちでいっぱいになった(箱の中身も見たくなかったし)。
 
  大体、ダンナ騙されてるよ。
  見てみな、あんたのその反応でこの独眼竜の嬉しそうな顔をさ。

「独眼竜のダンナは忍の素質があるのかもね。人の心を操るのが巧い」
  厭味たっぷりに言ってやったが、相手は依然涼しい顔だ。
「バカいえ、こんな目立つ男が忍びなんか出来るかよ。…ま、後者の意見は貰っておいてやるがな。俺は天下を取る男だから」
「はいはい」
「んじゃ、開けるか」
「政宗殿! 駄目です!!」
「おわっ!?」
  しかし政宗がそれに手を掛け蓋を開こうとした瞬間。
  幸村ががばりと飛び掛かり、その勢いのまま政宗の身体を後ろに思い切り押し倒した。
「お、おいおい……」
  いやに積極的だなと未だ茶化している政宗に、しかし幸村は必死だった。ぎゅっと政宗の首に縋りつき、顔をその胸に押し付けたまま実に切羽詰まった声を上げる。
「駄目です政宗殿! どうしてもと仰るのなら! やはり、やはり某がけじめとして己で開けまする! 政宗殿に余計な危険を与えるわけには絶対に参りません!」
「俺がいいって言ってんだろうが」
「某は良くない!!」
「……どうでもいいけど、いつまで抱き合ってんのよ」

  結局、この2人は単にいちゃいちゃしたいだけなんだな?

「はああ。やれやれ……って、あれ?」
  佐助は2人が抱き合っている先、政宗の手から離れて転がっていった箱に目をやりぱちぱちと瞬きをした。
  何と今の拍子で箱の蓋は勝手に開いてしまったらしい。乱暴に投げられ地面に落ちた時すら開かなかったのに、こんなにもあっさりと。やはりこれは何か特別な…。
「………おえ」
  ……訂正。確かに特別な物に変化しているけれど、これは……
  佐助は未だ箱の中身に気づいていない2人に代わって、ぱしりと片手で顔を隠しながら口元を歪めた。

  やっぱり開けなきゃ良かったね。

「政宗殿…! もうもう、勝手な真似は絶対にやめて下され!」
「分かった分かった。おいそろそろどけよ。どうせなら俺は押し倒す方が好きなんだがなあ?」
「ふざけないで下され!!」
「ふざけてねえって。……ってか、何だこの臭い?」

  先に気づいたのは政宗のようだが、それでも幸村がどかないのでまだその正体を目にする事は出来ていない。
  まあ目にしなくても良いけどねと佐助は毒づく。


  だって、大事に大事に仕舞っていた主の<おやつ>の成れの果てなんて、別に敵方の大将に見せなくても良いものだと思うから。



<了>




キリリク進呈作品です〜。しょ、しょうもない内容になってしまいましたが、少しでも楽しんで頂ければ幸いです。ちなみにパンドラの箱は最後に「希望」が出てくるんですよね?この3人の場合、いちゃつきを見せ付けられた佐助が災厄を1人で被って、箱をきっかけにいちゃつけた2人がラッキーってとこでしょうかー。

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