蒼い炎
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「あれ、ダンナ。そんな所で何してんの、風邪引くよ?」 「佐助か……」 その夜の甲斐はここ数日中でも最も寒く、雪すら降ってきそうなその冷たい空気は土地の者を早々に家の中へと篭らせていた。 「ただでさえアンタ腹だの何だの出してんだから。んな縁側で大の字に寝っ転がるくらいなら中に入ればいいでしょうが」 「眠りたくはない」 「ん?」 「こうしていたい。月を眺めていたいのだ」 「はあ…。まあ、その格好なら随分と良い眺めでしょうね」 佐助はどうにも様子のおかしい主…真田家の次男坊に曖昧な反応を示した後、自らもその隣に腰をおろしてちらりと横目だけでその相手を見やった。 幸村は戦場以外ではとことん他人の動向に疎いところがあるから、ここでも当然佐助の視線には気づいていない。否、この時はそれ以上に何者の様子にも気づけない、という風だった。 「ダンナ。まだ酔いが醒めてないの?」 「……何を言っている。俺は酒なぞ飲んでいないぞ」 「いやそうじゃなくて…」 「此度の戦で祝い酒でもあるまい…。お館様は皆を労おうと随分振舞って下さったが、やはりご自分は杯をあげておられなかった」 「まあねえ…。痛み分けって言っても、こっちの方がちょっと被害も大きかったし」 「俺のせいだ」 「………」 きっぱりと言う幸村に佐助は何も言わなかった。そんな事はないと言えばこの主はムキになって怒るだろうし、そうだねと言ってみても、やはり同じように「ならお前ならあの状況でどう出来た」と突っかかってくる事は目に見えている。 今日までひどい重労働で疲れているのだ。出来れば面倒な問答は避けたいところだった。 「おい佐助。聞いているのか?」 「あー…はいはい」 「何だその言い方は」 むっとしてぎろりとした目だけを向けてくる主に佐助は肩を竦めて苦笑した。怒って見せているのだろうが、駄々をこねているようにしか見えない。これだからお館様も放っておけないのだなと佐助はやれやれと頭を掻いた後、「まあそれはこの俺サマもだけど」と心の中で嘆息した。 「いや、だってね。ダンナは俺に話を聞いて欲しいの? それとも何か言って欲しいわけ? そこんとこが判断つきかねましてね」 「俺は、別に…っ」 「今日の戦。確かにダンナが持ち場を離れてたった一人を相手にずーっとてこずってたから? こっちの陣形が乱れてみんなが途惑ったってのはあるけど」 「……っ」 起き上がりはしなかったが、ぐっと両の拳を握り締めた幸村は明らかに何かを言いた気だった。しかし佐助は片手を出して敢えてそれを制し、自分が続けた。 「けどさ、旦那の相手はあの独眼竜だったんだから。向こうにしたって総大将が本陣すっぽかしたもんだから大慌てよ。いや、大将な分だけ向こうの方が非常識だよな」 「その大将を俺が討っていれば勝敗は決したのだ!」 「……っと」 唾を飛ばして声を荒げる幸村に佐助は目をぱちくりとさせた。 やはり熱くなっている。いや、これは最早熱中症に近い。心なしか顔を上気させ悔しがるその主の姿は、ついぞ見る事のない実に珍しいものだった。 「……楽しかったんだからいいんじゃないの?」 「なっ…!?」 佐助のぼそりと呟いたその台詞に幸村は驚いたようになってここで初めて上体を起こした。 「た、楽しい…?」 「そ」 「誰がだ」 「ダンナが」 「な、何を言う…!!」 より一層真っ赤になって怒る主に佐助は「おやおや」と思いながら、つんと横を向いたまま飄々として答えた。 「自分で自分の顔は見られないからね。けど俺は見てたよ、ダンナのさ、それはそれは嬉々とした顔をね。あれは長らく恋焦がれていた相手にやっと巡り合えてもう感激〜! 幸せ〜!って顔だったよ」 「佐助!!」 「あの青い竜の方もさ。きっとそう思っているよ」 「………」 「そう思わない?」 佐助がちらりと目だけ向けてそう訊くと、幸村はたじろいだようになり、俯いた。ぎゅっと握られた拳はそのままだ。 「……分からん」 そして幸村はやがてそう言った。 「ただ俺は……あの男のあの鋭い眼光に触れた時…まるで炎のようだと思ったんだ。熱い紅い炎ではない…もっと激しい…蒼の炎だ」 「おっかないね」 「ああ…恐ろしかった……」 「ん?」 「恐ろしかったが……」 「………」 そう言ったきり黙りこくった幸村の横顔を佐助は黙って見つめた。 またあちらの世界へ行ってしまっている。あの片目の男と剣を交えた時を想い、熱に浮かされているのだろう。 (やれやれ…また厄介な仕事が増えそうだよ) 佐助は相手に気づかれないように小さなため息をつき、けれども放っておけばいつまでもここにいるだろうこの主の為に、とりあえずは寝床の準備をしなければと思うのだった。 |
<了> |