戯れがましたち



  佐助が幸村の元に「あの謙信公と独眼竜が何やら密談の約束を取り交わしたらしい」という情報を持ってきたのは、武田軍が上杉軍との決着を着けられずに兵を退いたばかりの時だった。
「まさか双方で同盟の密約を…?」
  さっと顔色を変えた幸村に佐助は「どうかね」と素っ気無く答えた。
「あの上杉謙信が他の奴の手を借りてお館様を討とうと思っているとは…ちっと考えにくいよ」
「ならば伊達の方から上杉に近づいたか」
「それこそ違うと思う」
  佐助は大きくかぶりを振り、軽く肩を竦めて見せた。
「あの唯我独尊な独眼竜サマが他人と組むなんてサ。そっちの方が想像できないよ。何か気持ち悪いじゃない?」
「戦は気持ち良い、悪いでするものではないだろう」
  佐助の言いたい事は分かるものの、幸村はさっと眉をひそめた。
  あの伊達政宗が天下を強く望んでいる事は間違いない。あの男は一見自分と同じ「戦バカ」だが、しかしそれ以上に一国の長としての自覚も強いように見える。戦略上必要とあらば、時にはそういった事をしてきてもおかしくないのではないか…そう思ったのだ。
「しかし実際に伊達と上杉が組んだとなれば…我らにとっては脅威だな」
「まあねえ」
  およそ危機感を持っているとは思えない口調で佐助も頷いた。
「ただ、お館様も俺とおんなじであんまり深刻には捉えていないみたいよ? 引き続き偵察は命じられたけどね。まったく忍び使いの荒いこって。帰ってきたばかりだってのにさー」
「佐助」
「はい?」
「俺も行く」
「………は?」
  幸村の揺ぎ無い瞳と決意の込められた声に佐助は一瞬きょとんとした。
「行くって何処へ?」
「決まっているだろう! 偵察だ!」
「偵……って、ええ?」
「何をしている佐助! ほら行くぞ!」
「い、行くってアンタ、ちょっとっ! こういう事は俺たち忍の仕事で…!」
  しかし佐助の慌てた声にも幸村は一向に耳を貸さなかった。
  何故か妙に心が急いていた。とてもじっとしていられなかったのだ。
  武田の為にこの事態が心配というのも勿論ある。しかしそれ以上に説明のつかない、何か胸の奥がひりひりするような熱い感情が身体全身を苛んでいてどうしようもなかった。
  伊達政宗。
  あの誰にも媚びない孤高の男が戦場で剣を振るう姿を思い出し、幸村は知らず己の唇を噛んだ。







「ここで間違いないんだな?」
「そうだけど…。ホントに帰んないの?」
「何を言っている、ここまで来て!」
  乗り気でない様子の佐助を叱咤しながらやってきたのは上杉領内。春日山城とは随分離れた場所にあるひっそりとした奥深い森の中……人目を忍ぶようにしてその屋敷は在った。
  佐助はさんざ「お館様に怒られるんじゃない」と苦言を呈したものの、幸村は頑として引き返そうとはしなかった。どうしても自分の目で確かめたかったのだ。主の宿敵である謙信公とあの政宗が本当に手を組もうなどと話し合っているのか。
  だとしたらそれは一体どちらが持ちかけたものなのか。
  それがもし政宗の方だったら―…。
(……俺は一体何を考えているのだ……)
  幸村自身、この焦燥が何なのか分からなかった。全く説明できないのだ、己の事だというのに。
「しっかし隠れ家もお洒落なカンジだね、謙信公は」
  ぐるぐると色々な考えを巡らせていた幸村に佐助がさり気なく声を掛けてきた。
「あ、ああ…」
  幸村はそれにあからさま動揺しつつ慌てて頷いたが、佐助にしてみれば己の主が「現場」を前に緊張しきっているのは目に見えて明らかだったので、ただただ苦笑せずにはいられなかった。佐助はあの2人が同盟を組むという線はまずないだろうと思っているので、幸村の落ち着かない様子とは対称的に呑気だ。勿論、上杉と伊達の大将が何故この時期にこんな非公式な場で仲良く顔突き合わせるのかという点では、確かに不思議だし一大事かもと思うのだが。
「やっぱりねえ、ありえないっしょ。お互い、想い人とはサシで勝負したいと思うはずだもん」 
  誰に言うでもなく呟いて、佐助は気配を消す事なく―むしろギンギンとした目で―木の陰から上杉邸の様子を窺っている幸村の背を見つめた。

  ありゃりゃ。こんなじゃあ、いつ見つかっても不思議じゃないよ。

「そもそもダンナは偵察とか諜報に一番向いてないタイプなんだよね」
「佐助、ここからだと中の事がちっとも分からないぞ。姿も見えない。もうちょっと近づいた方がいいんじゃないか?」
「……聞いてないし」
  はーあともう何度目かわからないため息をつき、佐助はもうなるようになれとばかりに両手を頭の後ろに組んでそっぽを向いた。つまり、すっかり仕事放棄した。
  だからすぐ背後の気配にも気づいていたのにわざと無視をした。
「おい」
  向こうがそれに酷く気分を害するという事も分かっているのに。
「おい!」
「佐助、煩いぞ。何を……はっ!? お、お前は…!?」
  そうして佐助が完全に傍観者を決め込んでいる間に、「その使者」の存在に幸村が気付いた。くるりと振り返った先、佐助のすぐ後ろに控えていた見覚えのあるクノ一に思い切り仰け反り飛び退る。
「謙信公の…!」
「……謙信様が屋敷までお招きせよと」
「え…?」
「あれ、やっぱそうなの?」
「……ッ。しかし…何故武田の者まで…!」
  ギロリと睨む謙信公の忠実な忍―かすが―は、幸村には「一応」礼を払おうとしている節があるが、同郷の好である佐助には容赦ない。「いつもいつも探りに来るな。殺すぞ」というオーラ全開。慣れているとはいえ、佐助は肩を竦めるよりなかった。
「まあ良かったね、ダンナ。これで堂々と中の様子が見られる」
「なっ…、さ、佐助!!」
  かすがの手前、幸村は途端オロオロとし始めたが、今更にも程がある。それはかすがもそう感じたようで、慌てる幸村にさり気なく侮蔑の視線を向けた後は黙って先を歩き始めた。
「さ、行っておいで」
「む……」
  それで幸村もようやく覚悟を決めたようになり、背中を押す佐助に頷いてからかすがの後を追った。







「な………」
  すぐに謙信たちがいる広間に通されて、幸村はその瞬間ボー然とその場に立ち尽くした。
「よう、真田幸村」
  そんな幸村に問題の男…伊達政宗は実に軽い調子で片手を挙げてきた。また、その政宗の前には軍神こと上杉謙信がいたが、彼は幸村には目もくれず、実に難しい顔でじっとある一点を見つめていた。
  一点のみ……そう、その目線の下には、2人にどんと挟まれるようにして立派な碁盤が置いてあった。
「い…囲碁…?」
「お前もやりに来たのかよ? 碁に興味があったとはな、初耳だ」
「い、いや…某は……」
「何だあ?」
  もごもごと口を動かすだけの幸村に政宗はわざとらしく片眉だけを上げた後、ニヤリと全てを理解したような笑みを浮かべた。そう、政宗は幸村が囲碁に興味があるなどとは勿論ハナから思っていない。幸村がここへ来た理由など、政宗には本人に訊かずともよくよく分かっているのだ。
  分かっていてわざと言っている。それで幸村がうろたえるところを見たいのだ。
「……ここにいたしましょう」
  その時、先ほどからずっと黙っていた謙信がやっと口を開いた。
「さあ、つぎはそなたのばんです」
「ん? ああ、ようやく打ったか。お前、長考し過ぎ」
「りゅうよ、おまえはすこしえげつないてをとりますね。わたくしはこういうさくはあまりすきではありません」
「お前の好き嫌いなんざ知るかよ。むしろこれは真剣勝負なんだからな、嫌いっつーならもっとむかつく策を取ってやるぜ?」
「ふう。やれやれこまったものですね。……ん」
  謙信は別段困った風もなくそんな事を呟いてから、ふと今頃気がついたような顔をして立ち尽くしたままの幸村に目をやった。
「しんげんのところの。なにをそんなところにいつまでもいるのです、さあこちらへいらっしゃい。そなたのかわいらしいかおをもっとちかくでよくみせてください」
「は? い、いや…しかし…某は……」
「そうだぞ真田幸村。こっち来て座れ。派手に飲み明かそうぜ」
  盤上に視線を落としながら政宗もそう言ってこいこいと片手を振る。
  それに誘われるように、幸村はようやくふらふらと2人の傍に歩み寄った。
「……うっし。打ったぜ謙信。お前の番だ」
「なんです。いやにはやいですね」
「ああ。コイツの相手してやんないといけねェからな」
「えっ…」
  またニヤリと笑われ不遜な視線も向けられて、幸村はたちまちカッと顔を赤くし俯いた。怒りなのか別の感情なのか分からない。とにかく熱くなる己の身体を止められなかいのだ。
「まあ一杯やれよ、真田幸村」
  しかし政宗はそんな幸村には構う事なく、女中に持って来させた杯を差し出すと「やれ」とぞんざいに酒を勧めた。
「そ、某は、酒は…」
「なあに言っていやがる。お前、俺の酒が飲めないってのか? それにこの上杉謙信とこの酒はな、マジで美味い。飲んでおかないと損ってもんだ。なあ、謙信?」
「………しずかにしていなさい。だいたい、たいきょくちゅうのおしゃべりはまなあいはんというものです。わかりますか、うつくしきりゅうよ」
「気色悪ィな、その言い方よせって言ってんだろ。それに、碁を打つ上でのマナーってやつを最初に教えたのは俺だ。その俺が喋ってんだからいいんだよ」
「あの……!」
  2人のやりとりを聞きながら、幸村は気づくともう口を挟んでいた。何故だか分からないが、ここへ来る前までに感じていた堪えようのない「おかしな感情」が、この時はもっとひどく己の胸を揺さぶったのだ。
「ん? どうした? 真田幸村」
  けれども政宗はそんな幸村の居た堪れなさというものに頓着がない。相変わらず唇には不敵な笑みを浮かべたまま、柔らかな眼差しを向けてくるだけだ。
「……っ」
  幸村はそんな政宗の事は見ずに、下を向いたままぎゅっと拳を握りこんだ。
「その…お、お2人は、ただこうして囲碁の為だけに会われているのか」
「まあ……そうだな。酒付きでな」
「そっ…そうなの…か」
「What? 何だ、それがどうした。何か不味い事でもあるか?」
「ま、不味い事だらけだろうっ」
  あまりに平然としている政宗に幸村はぷつんと何かが切れる音を確かに聞いた。
「かっ、仮にもお2人は一国を治める武将なれば…っ。このような場所で密かに会われて、こ、こんなっ。遊びに興じるなどっ」
「んん?」
「ふ、不謹慎ではないかっ」
「…………ほう」
  最初こそ首をかしげていた政宗はただただ真っ赤になってそんな事を叫ぶ幸村に対し、みるみる嬉しそうな笑顔になっていった。本当は可笑しくて噴き出してしまいたいのだろうが、しかし何故かそれは必死に堪えようとしている。堪えようとしているが、顔はもう十分にやけていて、緩みっぱなしの頬はそのままだった。
「不謹慎か。そうかそうか」
「そ、そうだっ。敵同士がこのようにしていては、家臣たちにも示しがつかないのではないかっ!?」
「なるほどねえ。……で、お前はそんな俺たちを説教しに来てくれたってわけだ。わざわざ」
「……っ」
  ぐっとなり何も言えず身体を仰け反らした幸村に、政宗はずずいと自分が近寄って互いの距離を先刻より縮めた。
「なっ…」
  それがあまりに近くて、政宗の顔が本当にすぐ間近に来た事で、幸村はますます何も言えなくなった。
「なあ」
  けれどそんな相手にも政宗はやはり構わない。むしろより一層顔を近づけ、互いの吐息が感じられる程のところまでいってから己の唇を意地悪くにっと上げた。
「お前。自分が無茶苦茶な事言ってるって自覚あるか」
「う……」
「俺らが遊びでここにいなかったら、お前こそ終わりだ。のこのこと分かりやすい所から覗き見なんぞしやがって、面白過ぎて笑っちまったじゃねえか。なあ? 真田幸村。お前は、お前こそ何しに来た。何をそんなに腹を立ててる?」
「そ、それは……」

  どうでもいいが近過ぎる。離れてくれ。

  追い詰められてそれどころではないのに、幸村がまず思ったのはそんな事だった。一向に退く気配のない政宗に幸村はずりずりと腰をずらして下がってみるのだが、それをするとまた政宗も這う格好で近づいてくる。
  しかもずっと目線を逸らさず真っ直ぐこちらを見てくるから腹立たしい。
「まさむね」
  すると依然として盤上を睨み据えていた謙信がふと口を開き、そんな2人の妙な間を切り取った。
「おまえもいじがわるい」
  そして一言、そう言った。
「何がだよ」
  政宗は唇に笑いを残したままそう聞き返したが、謙信のその諭した物言いには意外にも大人しく引き下がり、すっと幸村から離れた。
「俺のどこが意地悪だ」
「いじわるはいじわるです。かれはしんげんのふところがたな。しつれいがあってはいけない」
「信玄の、ねえ。お前はいつもそうだな」
「おまえこそ、いつもこのもののことばかりではないか」
「えっ…」
  謙信の言葉に幸村がぎくりとしたように肩を揺らすと、政宗はふっと鼻で笑った後、ため息をついた。
「底意地が悪ィのはいつだってテメエの方だな」
「わたくしはしんじつをいったまでです。そして、このものがここにいるりゆうもめいはく。そうでしょう?」
  そこまで言ってから、謙信は初めてちらりと幸村へその流麗な眼差しを向けてきた。
  何もかも見通したような瞳で。
  幸村は何も返す事ができなかった。
「さて、おまえのばんですようつくしきりゅう。おまえがひっしにかためていたいしはわたくしがもらいました。しょうぶはわたくしのものです」
「Ha…俺が負けるわけねェだろ? ……こいつの前でよ」
「……!」
「見てろ幸村。俺は強い」
「……政宗殿」
  唇がカサカサに乾いてしまってうまく声が出ない。こちらを見つめてそう言った政宗にも、だから幸村はまともな言葉を返す事ができなかった。
  ただ自分がここにいる理由…謙信は「明白」だと言ったが、それは何だろうかと考えた。

  それに何故こうも政宗の言葉を嬉しく感じてしまうのかという事も。

「これをさっさと片付けたら本格的に飲むからな。ちょっと待ってろよ幸村」
  勝負の最中も絶えずそんな事を言って目を向けてくる政宗に、幸村のざわついた心はいつしかゆっくりと鎮まっていった。
  だから言われた通りただ大人しくそこに座り直し、幸村は謙信からも酒を注がれながら2人の「遊び」に暫し自分も加わった。
  この事を知ったら己の主はきっと笑うだろうと思いながら。



<了>



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