ぼんぼんやり



  政宗が頬杖をついて政務の間から外の景色を眺めていると、「政宗様」と半ばため息まじりの声と共に忠実な家臣が現れた。
「何だ」
  機嫌は最高に悪く、本当は誰とも会いたくなかった。
  けれど一方で「だから出て行け」と言う気もしなくて、政宗はとりあえず生返事をするだけで相手の反応を伺った。みっともないとは思いつつ、結局政宗はそれでこの男に甘えているのだ。
  すると政宗の片目であるその忠臣―コミックス版の小十郎―は、一瞬だけ眉を吊り上げたものの、すぐに呆れたような声を出した。
「その小猿はどうしたのです」
  小十郎が開口一番そう訊くのは当然だった。政宗の腕には茶色の毛をした小さな手乗り猿が、恐れを知らぬ仔猫のように纏わり付いていた。
「知らねェよ。どっかから入ってきた」
「首輪をしております」
「そうだな。誰かのだろうな。後で探させろよ」
「……承知致しました」
  小猿は特別暴れるでもなく、ただ無邪気な様子で政宗の衣服を引っ張ったり噛んだりしている。何が面白いのかそれが妙に熱心で、小十郎は思わずその小猿の所作に見入ったのだが、対する政宗は別段意に介した風もなく、依然として外の景色へ目をやっていた。
  だから小十郎もはたと我に返ると気を取り直し、改めて口を開いた。
「政宗様。いじけるのも大概になさいませ」
「……あぁ?」
「いじけるのも大概になさいませ、と申したのです」
「Ha…。分かってンなら、尚更その顔止めろよ」
  政宗は小十郎を一瞥した後、自らも唇を尖らせて不快な表情を浮かべた。
  因みに、小十郎の台詞が一国の主に対して放つものではない、などという事は、互いに重々承知している。それでも政宗はそれを言った小十郎にふてくされた態度だけで接し、小十郎は小十郎で、まるで小さな弟へ対するような表情で大きくかぶりを振った。
「私とてこのような役目は御免被りたいです。ですが他の者が背中を押すんです。私ばっかり!」
「あっちの小十郎は?」
「当分出番はないだろうと畑に出ております」
「ちっ、冷てェの。テメエの分身に苛められてる俺を放置かよ」
「政宗様」
「煩い。んじゃ、成実は?」
  ぴしゃりと言った政宗に小十郎は一瞬だけ黙ったものの、すぐに答えた。変わらず政宗にじゃれている小猿に目をやりながら。
「政宗様が遊んで下さらないからと、また奥の間へ引きこもってしまいました。今この様子を見たら、きっと妬くでしょうね」
「あん…?」
「自分とは遊ばないのに、猿とは遊ぶのかと」
「コイツは…客人だろ?」
「猿ですよ」
  戯れ、小猿に長い指先を向けてやる政宗に、小十郎はここで少々腹を立てたように返した。
  小猿は自分の事が話題になっているのも知らず、政宗が出してくれた指に興味津々で、ちょいちょいと自らの小さな手を差し出し返している。
  小十郎がその光景を何ともなしに見やっていると、同じように黙っていた政宗が口を開いた。
「成実は、そういやぁ何か煩く喚いてたな。『メカザビー・改を見てくれ』とか何とか。一体何の話だ?」
「それは……まぁ、知らなくても良い事と存じます」
「は…? まあいいや。それじゃ…綱元はどうした」
「『殿が仕事をされないなら私も見習う』と称して、どこぞへ出掛けて行きました。何とか言ってやって下さい」
「俺の言えた義理じゃねェしな」
「では働いて下さい!」
  だらだらと意味のないような押し問答の後、小十郎は遂に堪忍袋の緒が切れたというように声を荒げた。主に対しこんな風に怒ってみせても効果がない事は分かりきっている。あちらの片倉とは違い、「お前はヒステリーだからな」と慣れたように言われて早数百回。
  それでも小十郎はどうしても二言三言ついつい口が出てしまう。感情的になってしまうのだ。
「おい、猿が逃げたじゃねーか」
「は?」
  しかし今回の「怒声」は思わぬところで効いていた。
  見ると、先刻まで政宗にじゃれついていた小猿がぶるぶると震えたようになって小窓の外から小十郎を見つめていたのだ。
「出てけよ、小十郎」
  こんなに怯えて可哀想じゃねえかと政宗は言った。
「……あのですね。そうは参りませんッ!」
  おいおい猿の方が大事なのかと、勿論小十郎は心の中で激しいツッコミを入れる。

  大体にして、このところの主は変なのだ。
  あの事件から主・政宗は突然冷たい眼をするようになり、自分たち重鎮にも何の相談もしなくなった。政事を完璧にこなすだけに文句も言えなかったが、明らかに変わったその他を寄せ付けない空気に誰もが息を呑み、緊張した。いつでも気安く、誰に対しても穏やかに陽気に話す政宗の姿は見る陰もない。それが小十郎には堪らなかった。
  また極めつけは一昨日。突然姿を眩ませて一晩帰ってこなかった。丁度その夜は酷い雷雨で、捜索隊を出しても政宗は一向に見つからない。結局は政宗自らが早朝「客人」と共に帰って来たわけだが、一体胃痛持ちの自分がその事でどれほど寿命を縮めたのか、少しは分かってくれているのだろうか。
  そう思わずにはいられない。

  すまない、と。
  顔を見た途端謝られたから、戻って来たばかりのあの朝は何も言えなかったけれど。

「俺は仕事してるぜ」
  考えこむ小十郎にそう声を切り、政宗が不意に沈黙を破った。政宗は政宗で結局小十郎の想いなど百も承知で、だからこそこの重苦しい間が嫌なのだろう。
「誰かさんのせいで謹慎処分なんぞ喰らってるからな。城から一歩も出られねェから城外の視察には行けねーが、それ以外の事なら全部手を回してる。これに関しちゃ、あっちの小十郎が証人だ」
「……そんな事は分かっております」
「じゃー、お前はこれ以上俺に何を求めるってんだ」
「………」
「俺はちゃんとやっていただろう」
  そう、ちゃんと。ちゃんとやっていた。
  眉間に深い皺を寄せる忠臣を眺めながら、政宗は己に言い聞かせるようにそう言った。心の中でも繰り返した。

  間違いは犯していない。あの時、もう間違わないと決めたのだ。

「……ったく」
  けれど、つまり。
  「それ」がこの不機嫌の最大の理由なのだと、政宗は自身でもう嫌という程分かっていた。ここでずっとぼんやりと、猿を相手に外を見ていて気がついた。何もせず、ただ遠くを見て、小十郎や皆の顔を思い浮かべる事で。
  そして。
  あの紅い男と戦う自分を思いだす事で、政宗は、実はもうとっくに「気づいてしまった」のだ。

  独眼竜……助けて。皆を、助けて。

  あの雷雨の夜、自分とは全く立場を異にする女が悲鳴のように発した言葉。それが未だに政宗の中で喩えようもない苛立ちを生んでいる。
  虎哉も太鼓判を押した「序盤の数手」を仕掛ける日は、刻一刻と近づいていた。
  それなのに今、政宗はその為の行動を何も起こしていない。
「小十郎」
「はい」
  何気なく呼んだそれに家臣はすぐに応えてきた。
  政宗はそれに多少意表をつかれたようになったものの、すぐに気を取り直すと唇の端だけに笑みを浮かべた。
「言えよ。今、お前が思っている事」
「………」
「お前の考えを聞かせろ」
「政宗様はどうされたいのですか。この奥州を」
「分かりきった事だな、それは」
  そのあまりに月並な台詞に政宗は単純に笑った。
  けれど小十郎も引かなかった。
「では、この日の本を…いえ、この地に住む全ての人々の事をどうお考えなのです」
「それもお前にはもうとっくの昔に話した事だろ」
「今一度お伺いしたいのです」
「何故」
「政宗様が揺らいでおられるからです」
「………」

  ああ、やっぱりコイツは俺の片目だな。

  政宗はそう思いつつも素直に誉めてやるのが癪で何も言葉をやらなかった。
  代わりに、先刻「気づいてしまった」自分と全く同じ答えをもうとうに見つけて毅然としている忠臣に多少恨めしい顔を見せ、小さく哂った。
「………全く無礼な奴だよ、お前は」
  声に力がない事は自覚していた。それでも、己の弱かった部分をただヒステリックに弁護してみせても仕方がない、その事も分かっていた。
  だから政宗はようやっと観念したようになり、息を吐いた。
「小十郎」
  それに自分が弱っていたそれ以上に、目の前の忠臣が何やら泣きそうな顔になっているのを正視してしまったから。
  だから政宗は息を吐いた後、「お前も老けたな」とおどけて見せた。
「らしくねーぞ、小十郎。んな顔すんじゃねえよ」
「……政宗様が心配を掛けるからです」
「悪かったよ」
「偉そうな進言は向こうの片倉に任せたかったですよ。それに、私が老けたのは政宗様のせいです。完全に」
  僻みめいたように言う小十郎が可笑しくて、政宗はいよいよ破顔した。何だか久しぶりに笑った気分だった。
「悪かったって言ってンだろ。それによ、あっちの小十郎はホントにいざって時まで放任主義だからな。お前が適任だ」
  部屋に篭もる主に声を掛けにいけと皆がこの小十郎を押しやったところを想像して、政宗はまた笑いたくなった。
  同時に、ああやっぱり自分はまだまだどうしようもないガキだと思った。
「なあ小十郎」
  だから政宗は言った。
「俺は幸せモンだな。いい部下を持ってる」
「……突然どうされたのです」
「それにうちの民も。皆イイ奴だ、俺はアイツら皆が好きだぜ」
「……はい」
「だから―」
  そう、だから彼らを護りたいと思った。もう二度と同じ過ちは繰り返さない、誰もが安心して暮らせる土地を。豊かな土地を、暮らしを、彼らに保証してやりたいと。
  その想いだけだった。
  それだけだった。

「けど……先走り過ぎて、俺はどっかでボタンを掛け間違えていたらしい」

  小十郎の反応を期待せず、政宗は再び窓の外へと視線をやって笑った。
「どう動くにしろ、こんな湿っぽいのは俺の柄じゃねえ。何十手先の駒の行方を考えて、うだうだ動くのもな。……そんな俺じゃあ、奴らも安心してついてきてくれねえってもんだ」
「あんまり暴走されるのも、それはそれで不安ですけれどね」
  小十郎が急にぱっと顔を明るくしたのを見やりながら政宗は頷いた。
「そう。要は、お前がそうやって俺のストッパー役をやってくれてりゃいいんだ。俺が……全部をやる必要はねえんだよな」
「そのようなこと。今さら気づかれたのですか」
「そうさ。俺はな、いっぱいいっぱいだったんだ」
  だがな……と政宗は呟き、それからすっくと立ち上がった。

  ぼんやりと過ごしたこの数日を無駄なものとは思わないけれど、立ち止まってばかりなのは愚かな事だとも気づいた。

  これ以上考えても無駄だ、何故なら。
「なあ小十郎。ここずっとよ。俺は自分が気持ち悪くて仕方なかったぜ」
「……政宗様」
  小十郎は政宗のすっかり開き直ったような顔を見て、自らもようやく安堵したように微笑んだ。そして頷いた。
「政宗様。私もです」
「はっ…。とりあえず…今夜は宴だ。用意させろ」
「承知致しました」
「お。一発オーケーかよ」
  驚いたように目を見開く政宗に、小十郎も悪戯っぽい笑みを浮かべると豪快に「当然です」と返答した。
「今宵は派手に―…派手に、皆で騒ぎましょう」
「よっしゃ! そうこなくちゃな!」
  政宗はニッと笑ってから足元で何やら妙にキャッキャッと騒ぎ出した小猿を見下ろして驚いたように目を見開いた……が、すぐに可笑しそうに目を細める。いつの間にまた中へ入り込んだのか、その小猿は、しかしそんな政宗の笑みを受けてまた余計にはしゃいだようになり、暫くはずっと政宗の足元をぐるぐると意味もなく回りまわって踊るように走っていた。



<了>




えーと何で夢吉がいるんだとか、市はどうしたのかとかは…またそのうち分かると思います。常に尻切れですみません〜。

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