かすてーら



  幸村は先ほどからうろうろウロウロと実に落ち着かない様子だ。
  佐助はそれも「見ている分にはまあまあ面白いかも?」と思ったので最初は黙っていたのだが、渡り廊下を行く女たちがクスクスと忍び笑いをしているところを見てしまったので、これはまずいと声を掛けた。
「ちょっとダンナ。いつまでイタチみたいな事してんのよ」
「何っ!?」
  佐助の従者らしからぬ暴言に幸村はようやくぴたりと足を止め、ぎっとした視線を向けてきた。また、その時になって初めて佐助が縁側で1人優雅に茶を啜っている事にも気づいたらしい。何をするでもなく庭に出ていた幸村はツカツカとそんな従者に近寄って責めるような声をあげた。
「いつからいたのだ」
「さっきから」
「さっきからというのは……」
「ダンナがお館様の呼び出しから帰ってきて、貰ったモンここに置きっぱでウロウロし始めた時から」
「!」
  決まり悪そうにぐっと言葉を飲み込む幸村に、佐助はしらばっくれた顔でもう一口と湯飲みを傾けた。
  横にある塗物には敢えて目をやらないでおく。
「珍しいねえ、ダンナがお茶の時間をスルーするとは」
「スルー?」
「あっ、これ今俺らン中で流行ってんの。異国の言葉みたいよ? こーゆーのをむやみやたらに多用して遊んでる伊達軍からさ、うちの忍が習ってきて」
「敵から物を教わるな!」
「直接教わったわけじゃないって〜」
「異国の言葉など俺は興味ない!」
「あらら。何古い事言っちゃってんのよこの人は」
  仕方ないねえと眉をひそめたりしながら、しかし佐助は幸村が本心からそう言ったわけではないと分かっていたので、それこそその発言を「スルー」した。
  そうして本題は別の事だろうという風に敢えて口調を変えて言った。
「で。お館様の用、何だったの?」
「………」
「これ、何?」
「………」
「開けたらお爺さんになっちゃう玉手箱かい? 警戒しまくりで紐に手も触れてないみたいだけど」
「………別に」
「俺が開けようか?」
「駄目だ!!」
「うわっ」
  突然大声をあげた幸村に佐助は意表をつかれて思い切り仰け反ったが、叫んだ当人はそれこそ佐助の発言に驚いたようだった。
「俺が開ける!」
  箱に手を出しかけた佐助に心底焦った風になった幸村は、そう叫びながら慌てて両の手にその大振りの漆器を抱きしめた。
(あらまあ…大事そうに胸に抱えちゃって…)
  佐助はそんな主に「分かりやす過ぎ」と言ってしまいそうになったが、そこは何とか堪えてとぼけた風に訊いてみた。
「それ。何なの?」
「こ、これは……俺のだ」
「いや…はい。それは分かりましたけどね。何が入ってるんですかって事。あと、それの贈り主」
「そ……それは……」
「見たところ、ただの漆器じゃないよねえ。俺が見ても分かるもん、凄く上等なやつだよそれ。入れ物だけでも相当の値打ちもんでしょ。……つーまり、お金持ってる人からのプレゼントだ」
「そ、そうなのか…?」
  佐助に言われて幸村は初めてその「中身」以外の面にも気を取られたようだ。しげしげと胸に抱えた塗物を眺め、「そう言われれば」と今更感心したように装飾の金細工に目を細めた。

  まったく、どうしようもないね。

「そ・れ・で」
  この人のペースで事を進めていたら一向に箱の中身が見られない。……まあ大体予想はつくが……と思いつつ、佐助は多少焦れた顔をして顎をしゃくった。
「早く開けてみてよ、それ。いつまでも蓋したままでも仕方ないでしょーが」
「お、お前も見るのか?」
「ええ〜駄目なの? いいでしょ減るもんじゃなし」
「………」
「中の物はダンナが1人で食べていいって」
「なっ…!? 何故これが食べ物だと分かる!?」
  佐助の言いように幸村は再びぎょっとしたようになったが、すぐにかあっと顔を赤くし、ぼそぼそと先ほどの出来事を話し始めた。
「お館様が仰るには…その、使者の方はあまり保たないものだからと早馬でわざわざ参られたそうなのだ。そんな…こんな事の為にご自分の家臣を顎で使うとは、全くあの方は一国の長として…っ!」
「でもお館様はご機嫌だったんじゃないの」
「何故分かる!?」
  その時の様子を軽く見越した佐助に幸村はまたまたぎょっとしたが、「お前さては見ていたな!?」と勘繰った後はすぐさま慌てたように視線をあちこちへ彷徨わせた。見られていたら見られていたで、少々気まずいと感じるらしい。
「お館様…何故あのように楽しそうな顔をされていたのだ。あ、あの伊達政宗が…敵の使者が白昼堂々我が領内へやってきたのだぞ。しかも、事もあろうに、か、か、か………」
「お菓子を贈ってくれた」
「しかも何故俺個人になのだ!?」
  がばりと顔をあげて幸村はまるで縋るように佐助を見やった。その切羽詰った表情に佐助は思わず噴き出しそうになったが、そこは普段よりの鍛錬の賜物、何とか咳き込んで誤魔化した。
「それは、それこそ分かるでしょ。独眼竜のダンナは真田のダンナ、あんたを気に入ってる。そんなあんたの大好物は何よ? 甘いモンでしょ。だから」
「だから何だ」
「だから……まあつまりは、そういう事」
「分からぬ!」
「………」
  唾を飛ばす幸村に佐助は思わず口を閉じた。

  そんな風に顔を赤くして「分からない」と言われても、逆に「分かってくれ」と言われているようでこそばゆい。

  信玄とて幸村の想いを知っていたからこそ、向こうのアプローチを容認したのではないか。
「ねえ。ところでそれ。開けるの開けないの?」
「あ、開ける……」
「ならさっさとそうして。それ、異国で食べられている物を作り方聞いて奥州でも作らせたらしいよ? 凄いよねえ、進んでるって感じ」
「佐助…。お前、やっぱり知ってたんじゃないか…」
「だってあっという間にお城中の噂ですから。ダンナがあの独眼竜から異国の菓子<かすてーら>を贈られた!って」
「な………」
  これ以上赤くなりようがないという程の赤さで頬を染め、幸村は棒立ちのまま目の前で飄々としている佐助をただ見つめていた。
  佐助はそんな主に知らぬフリを貫き通し、けれどもう1回くらいと、わざと慎重な面持ちで言ってみた。
  バカな事かもしれないが。
「ね。一応毒見してあげようか? 何か入ってたら大変だし」
「バカな! 政宗殿がそのような卑怯な真似をされるか!」
「……なら早く食べみてよ」

  やっぱり、予想通りのリアクション。

「はあもう。別に横から取って食べようなんて思ってないんだからさぁ。早く見せてよ<かすてーら>」
「わ、分かっていると言っているだろう。お館様からも言われているのだ、どんな味だったか食べたらすぐに報告に来いと…」
「……つか、あの男は本当にダンナにしか贈ってないのか」
  向こうは向こうで重症だと思いながら、しかし佐助は今度こそ堪え切れそうにない笑いをぶはっと口元に出してしまった後、未だ大事そうにその宝箱を抱えている主にも「まったく恥ずかしいくらいの相思相愛だよ」と毒づいてみせた。
「本当は1人の時に開けたかったんだがな…」
  ただ当の幸村はその箱の中身に意識を奪われていたせいで、そんな佐助の厭味にも完全「スルー」状態だった。

  佐助がそんな主に大きなため息をついてみせた事は、最早言うまでもない。



<了>



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