のはじまり2



「どうしたよ。んなコソコソしてねえで、堂々と入ればいいじゃねえか。茶くらい出すぜ?」
「………」
  気さくにそう言う政宗に幸村は言葉がない。
  向こうはそんな幸村の様子に気づいた風もないが。
「おう、そうそう。丁度美味い茶があるんだよな。どこぞの誰かさんが置いてったものらしいんだが…ハッ。それ出してやるよ。んん? そういやァ、そのどこぞの誰かさんが置いていった美味い団子とやらもあるらしいぜー?」
「……いや。結構でござる」
  政宗の言い様が明らかに自分をからかったものだと分かり、幸村はさっと厳しい顔になった。久しぶりに会えたという胸の高まりはあっという間に萎んでしまう。
「某、たまたまこちらを通りがかっただけ故。これにて失礼させて頂く」
「たまたま通りがかったんなら、尚更これも何かの縁だろ? たまたま俺も昨日帰ってきたばっかだしよ。四国の土産もあるんだ。持ってけよ」
「結構…」
「そう言うなって」
  踵を返してその場を通り過ぎようとする幸村の腕を政宗が掴んだ。
「触るなッ!」
  それに幸村は思い切りぎっとした睨みをきかし、その手を振り払った。
「おいおい…。折角久しぶりだってのに…」
「某は…知らぬ!」
「あ?」
「政宗殿のことなど、知らぬ!」
「あ、おい…っ」
「くっ…!」
  会ったら嘘つきと罵ろうとか、一戦交えるのだとか、全て消えていた。
  幸村はだっとの如く駆け出すと、背後から必死に呼び止める政宗の声にも目を瞑ってそのままの勢いで走り続けた。逃げ出した、と言っても良い。一度立ち止まって振り返ってしまえばこの男に捕まる。それが癪で、今はそうしてはいけない気がして、幸村はただ走り続けた。

  何故突然現れるのだ。

  心配で心配で、まさか自分と相対する前に違う誰かに倒されたのか、そんな事を考えているだけで胸が塞がれる思いだったのに。今の今までどれほど眠れない思いで深い夜をまんじりともせず過ごしたと思っているのか。
  それなのに向こうはいつものあの余裕の笑みで、大した感慨もなく「久しぶり」だと言い……、ただ「待っていた」自分を見て哂っているのだ。
  バカにされたと思うだけで幸村の頭の中は燃え上がるほど熱くなった。
  来なければ良かった、そればかり思ってしまった。
「うお…っ!?」
  その時、突然視界が傾いた。
  殆ど目を瞑ってがむしゃらに進んでいたせいだろう、山中に差し掛かった所で幸村は大木の根に足を取られ、そのままもんどり打って倒れてしまった。
「はあはあ…っ」
  顔面をもろに地面に叩きつけ派手に転んだ幸村は、うつ伏せの状態のまま暫し己の荒い呼吸音だけを聞いた。
「はあ……」
  そうして徐々に静かになっていくその音と共に、幸村は不意にはっきり「自覚」した。
  してしまった。
「……っ」
  その事実に驚愕する。否定したくて堪らず、けれど心はそうなのだと訴えていて、どうして良いか分からない。

  惹かれている。どうしようもなく、あの男に惹かれている自分がいる。

「嘘だっ!!」
  ガンと拳を地面に叩きつけ、幸村は焦って声を荒げた。頭の中が燃え滾る。ドクドクと心臓の音が早鐘を打ち、あの片目の男の不敵な笑みばかりが脳裏を過ぎる。許せないと、バカにされたと憤っているはずなのに、一方の心が「好きだ」と叫んでどうしようもないのだ。
「駄目だ……そのよう、な……」
「何が?」
「俺は……違う…ッ」
「だから、何が?」
「!!」
  ぎくりとして幸村は素早く身体を回転させ、上体を起こした。
「あ……」
  声のする方へ視線を上げてみれば、あれからずっと自分を追ってきていたのか、まさにその男―独眼竜―が自らも息を切らせて佇んでいた。
「ったくよ……」
  そうして政宗は唖然として動かなくなった幸村に心底参ったという風に片手で髪の毛をぐしゃりとかきむしると、その腕で隠された隙間からじっとした視線を向けてきた。
「何で行っちまうんだよ」
「………」
「折角久々に会えたってのに」
「あ……」
  じりと後ずさろうとしたものの、動いたのは地面についた手のひらだけだった。未だ顔面にこびりついてる土の匂いが鼻先を掠め、転んだ拍子に切ったのか血の苦味が口の中に広がっていた。
  それらに集中しながら、けれど幸村は目の前の政宗を見上げていた。
「あのよ」
  そんな幸村に政宗の方も一瞬らしくもなく迷ったような顔をした後、ぽつりと言った。
「船に、な」
「……え」
「お前を船に乗せるって言ったのは本当だぜ? 出来たら絶対お前を最初に乗せようって思ってた。けど、さすがにいきなりはまずいだろ? 試しで造らせた新しい型の大船だ、突然沈むかもしんねェ」
「………」
「んなもんに、いきなりお前乗せられるわけないだろうが」
「そ、そのような危険な船で四国へ行ったのは誰だ……」
「そりゃ……俺だな」
  あー…と気まずそうに再度髪をかきむしった政宗は、けれどずいと更に近寄ると遂には幸村の傍に屈み込み、真剣な顔をしてみせた。
「確かに思いつきで実行するにゃ、ちと無謀な試運転だった。けど、いいじゃねえか、こうして無事帰って来られたんだしよ。大体、この俺がお前を置いて先に死んだりすると思うかよ?」
「べ……別に、某は政宗殿の事など、心配しておらぬ…!」
「………」
  不満気な顔をする政宗に幸村は再度カッとする思いがして目を逸らした。
「政宗殿がどうなろうが、某には関係がない…! 船の事も…別に、期待などしていなかった! そもそも我らは敵同士、そのような事…!」
「ただの敵が何で手土産片手に人んち周回してんだよ」
「……っ」
「それともあれか? 何か随分あっちこっち壊されてたけど、お前、あいつらに取り入るフリして、実は奥州を攻めてたのか?」
「何を、バカな!!」
  佐助とまるっきり同じバカ気た発言をする政宗に、幸村はいよいよぎっとしてようやく顔を向けた。向こうは依然として真面目な顔をしていたが、それがより一層幸村の焦燥を誘った。
「某は! そのような卑怯な真似はしない! そのような…! た、ただ!」
「ただ、何だよ?」
「……ッ」
「俺の事は心配してねえ。奥州は攻めてねえ。じゃあ、お前のその行動は何だっていうんだよ。訳分かんねェじゃねえか」
「煩い…ッ!」
「煩ェだぁ? ああ、そうかよ。まあ俺だって別にお前の気持ちなんざどっちでもいいがな」
「な…ッ…」
「どっちでもいいって言ったんだ」
  それは。
「な……んっ!?」
  政宗のどこか投げ遣りな口調に幸村がむっとして言い返そうとした、その時だ。
「……っ…」
  口に触れてきたそれが政宗の唇だと理解するのには数秒の時が要った。
  逆らわなければ、幸村は暫くしてからようやっとそう思ったが身体は言う事をきかなかった。一つしかない政宗の眼光にらしくもなく射竦められ、幸村は心臓を鷲掴みされたような心地でただじっと石のように固まってしまった。
「ん…ふっ」
  それでも徐々に伝わってくる。唇へ注がれる政宗からの熱。
「幸村」
「政……んッ」
  そうこうしているうちに政宗は一旦は唇を離したものの、至近距離で幸村の名を一度呼ぶと、再度解放した口を今度はより深く吸ってきた。片手は優しく幸村の頬を撫で、もう一方の手も慈しむような所作で幸村の乱れた髪の毛を優しく梳いてくる。
「んぅ…んっ」

  気持ちが良い。何だ、これは?

「………幸村」
「はぁっ…?」
  しかし囁かれるような呼びかけに幸村がハッとすると、いつの間にかその口づけも終わっていた。
「あ……」
「………」
「な、何を…!」
  唇の端から零れ落ちた唾液を慌てて手の甲で拭い、幸村は赤面しながら精一杯強がって見せた。
  自分は今一体何を考えていたのだ? 気持ちが良いなどと、そんな事あるわけがない。大体ただでさえ混乱しているところにいきなりこんな真似をして、何と酷い男なのだ。
  それにやっぱり平然としていて落ち着いていて。
  ずるい。
「お前が逃げるからだ」
  頭の中で必死に文句を並べる幸村に、しかし政宗は素っ気無くそう答えた。
「からかったのは悪かった。約束破った事も謝る。けど逃げるな。そういうのは、むかつく」
「な、何を、それは…!」
  こちらの台詞だ――…けれど幸村がそう言おうと唇を開きかけた時だ。
「俺はお前が好きだ、幸村」
「……!」
「お前が俺をどう思おうが、そんなのはどっちでもいい。ただ、俺はお前が好きだ。そういう話だ」
「………」
「……おい。聞いてんのかよ?」
「あ……」
「ちっ…」
  何を呆けていやがる、と政宗はどこか決まり悪そうに呟いた。らしくもなく少し困ったような顔が可笑しい。幸村はそんな政宗の顔をただじっと眺め続けた。自分でも訳が分からないくらい、ただこうしてずっと見ていたい、そう思っていた。
「……? おい、幸村」
  すると暫くして政宗がそんな幸村の様子に気づき、みるみる途惑ったような顔をして尖った声を上げた。
「おい…。お前、それはやめろ…。言ったろうが、これは俺が勝手に想ってる事だ。だからお前は……そういう顔するな。しなくていいんだよ!」
「………顔?」
  政宗に言われた事の意味が分からず、幸村は眉をひそめ沈黙した。
  あれほど堂々としていた政宗が、何故か今は狼狽している。先ほどの冷静な表情が見る影もない、しかもそんな政宗の顔自体がよく見えない。何故だ?
「あ……」
  ああ、これは。そう見えるのは自分の視界が「ブレて」いるからだ。
「な、何故……」
  幸村は放心したように呟いた。政宗がそっとそんな自分の頬に触れるのも構わずに訊いた。
「何故…某は泣いている…?」
「俺が訊きてえよ」
  政宗はほろほろと涙を零し始める幸村をあやすように、やはり困惑したように、ただ乱暴な所作でその水滴を拭っていた。土と一緒に塗れたそれで幸村の顔はぐちゃぐちゃだった。それでも幸村自身、流れるそれを止める術を知らず、ひたすらに胸までせり上がる何かの感情に押し潰されながら「何故」と再び問いかけた。
「このような……武士たるもの、このような事、情けない…」
「いいだろ。今、見てんの俺だけだし」
「政宗殿は敵だ」
「………」
「政宗殿は某の…」
「ああ、そうだな」
  政宗は幸村の言いかけた言葉をつまらなそうに遮断した。そうしてもう何も言うなと言わんばかりに、政宗は幸村の身体を引き寄せると力いっぱい抱きしめた。
「政宗殿…?」
  幸村は何故かそれに抗えなかった。ぎゅうと締め付けてくるその腕の力が嫌ではなかった。
「政――…」
  そうして、ああ、こんな所を佐助に見られたらまた怒られる、と。
  幸村はその事が少しだけ気になった。





  それから数日間、伊達の領地では幸村によって破壊された城の大改修工事が盛大に執り行われた。その際には当の幸村をはじめ、監督不行き届きとして佐助をはじめとした真田忍隊もほぼ全員、無理矢理に駆り出されていた。
「何やら生き生きしておりますな」
  せっせと元気良く木材を運ぶ幸村を眺めながらゲーム版小十郎が感心したように言った。コミックス版の小十郎も政宗の帰還で徐々に回復の兆しを見せていたのだが、「頭が真田と山中でちゅーしてた!」という何者かの報告によって、再び胃痛で倒れてしまったのである。その為、残念ながら完全復活にはまだ時間がかかりそうだ。
「ま。両想いな上に奴のお館様公認だからな」
  そんな可哀想な忠臣をよそに、一方の政宗も実は大層ゴキゲンである。ゲーム版小十郎は「公認というわけではないでしょう」と苦笑しながらも、とりあえずは再び黙認を貫こうと決めているのか、それ以上は特に何も言わなかった。

  幸村をなだめすかせて何とか元の鞘に納まった直後。

  政宗は、「留守中、そちらの真田に多大な贈り物を貰ったから」と、彼の主である信玄公の方へとその倍返しの心づけを贈った。そうする事によって、同時に幸村が奥州でしでかした「傍迷惑の数々」も自然主の耳には入ってしまったわけなのだが……、言ってみればそのお陰で今幸村は「堂々と」この改修作業に携われているのである。幸村の奥州での所業―伊達の城内をちょこっと破壊―に激怒した義の漢・信玄公は、いつもの愛の鉄槌と大説教をかました後、幸村(と佐助)に「責任を取って来るように」と伊達への詫び状を携えさせて奥州の改修作業に参加させたというわけである。
「しかし結局、真田から政宗様へは一言もなかったのですかな」
「煩ェな」
  小十郎の思い出したような台詞に政宗はフンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「いいんだよ。あいつの気持ちなんか聞かなくてもバレバレだっての。問題は、あの意地っ張りをどうやって素直にするかだ」
「十分素直だと思いますが」
「そう、あの追っかけて行って泣いた時は可愛かったんだがなあ、吹っ切ったらもう元に戻ってやんの。つまんねえ」
  不服そうに口を尖らせる主が可笑しくて小十郎は思わず破顔した。政宗が荒れた幸村をどう宥めすかすのか少々心配だったが、何の事はない、自分の主は思った以上にオープンでざっくばらんな性格だった。政宗への気持ちに自覚ない幸村にただ自分の気持ちだけを告げ、相手には同じものを求めなかった。幸村にはさぞ楽だった事だろう。おまけに彼の主公認の今回の手伝いである。まさか政宗が信玄公に直接話を持っていくとは小十郎も考えなかったが。
「まあ、とりあえずは真田の怒りが収まって何よりです」
  小十郎は気を取り直したようになってからそう言い、やがてふと思い出したような顔でニヤリと笑った。
「次はうちの小十郎の怒りを何とかして頂きたいですな」
「……あー」
  すると政宗は途端がっくりと肩を落とし、恨めしそうな顔で毒づいた。
「ったく、誰だよ! 俺らがキスしてんのあいつにチクッたの。絶対誰もいねえと思ったんだがなあ」
「さあ?」
  小十郎は苦く笑った後、その犯人探しには関わりたくないとばかりに自分も改修作業へと戻って行った。政宗としてはそれだけで自分の忠臣が誰かを庇っているのではないかと訝しんだのだが、結局どう勘繰っても真相は闇の中、真実は分かりようもないのだった。
「ま、いいか」
  そうして政宗は朝からずっと働き尽くしの幸村の元へ自分もゆっくりと歩いて行った。
  休憩も兼ねて今度こそ自分の船にあいつを乗せてやろうと思いながら。



<了>




犯人は今回のとばっちりを受けた忍のあの人だと思います。「もう、アンタらの痴話喧嘩に俺サマ達を巻き込まないでくれる!?」みたいな。

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