一夜の幻2
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夕餉の前に、城の女たちから湯浴みと着替えをさせられて政宗の元へと戻ってきた幸村は酷く真っ赤な顔をして恥ずかしそうに俯いていた。 「おう、さっぱりしたじゃねえか。ここへ来た時、お前泥塗れだったからな」 「あ、あのような…」 「あ?」 ふるふると拳を握る幸村は実に不本意そうだ。不思議そうに聞き返す政宗に恨めしそうな目を向ける。 「あのようなたくさんの女御の手がなくとも…、こ、この幸村は一人で何でも出来るでござる!」 「は〜…? ハッ、まぁいいじゃねェか。お前が可愛いから、あいつらも手伝いがしたかったんだろうよ」 「は、破廉恥な…っ」 「は?」 「皆、破廉恥だっ。そ、某にたくさん、さ、さささ…」 「なーんだ、悪戯されちまったか?」 「なっ!」 「どこ触られちまったんだ? はは〜ん、さては…」 政宗のわざとらしいからかいの声に小さな幸村はいよいよ顔を茹蛸状態にさせてわなわなと肩を震わせた。それから居た堪れなくなったようにだっとその場から逃げ出そうとする。 「おいおい、これから飯だぜ。何処行くんだ?」 「煩いっ……あ!」 「おっと…」 しかしそんな幸村が出しぬけどすんとぶつかったのは、伊達軍の中でも屈強の男、ゲーム版の片倉小十郎であった。殆ど目を瞑りながら自分に突進してきた謎の子どもを、小十郎は「何だ?」と言いながらもがっしりとその両手で捕らえ、尚じたじたと動くそれを楽しそうに見やる。 「殿」 けれど、もう一方の胃痛持ち・小十郎はそう呑気でもないらしい。小さくも目一杯暴れている子どもの姿を認めると途端さっと眉をひそめた。 「……この童、どうされたのです」 「拾った」 「………」 あっさりと答えた政宗に胃痛持ち…コミックス版の小十郎は微かに唇の端をひくつかせた。 「あー…拾ったというのはどういう事でしょう」 「迷子なんだよ。家も親が誰かも分かんねえ。手がかりは俺だけだ」 「政宗様が?」 これに不審の声をあげたのは依然暴れる幸村を取り押さえているゲーム版の小十郎だ。今にも自分の腕に噛み付きそうな暴れ子馬を必死に宥めようとしながら口を挟む。 「政宗様が唯一の手掛かりとはどういう事ですかな。やはり知り合いで?」 「まあ、名前がな。知った奴なんだよな。本物はこんなガキじゃねえけど」 「某はっ! ガキではないっ!」 ばたばたと足をばたつかせる幸村は、それでも小十郎から逃れられない。終まいには「パス」と言って両手を挙げた政宗の方にぽいと投げられ、そのまま政宗の膝に乗ってしまったわけだが……物のように扱われたそれにも大層憤慨して、小さな幸村はまた「うがー」と悔しそうに顔を歪めた。 「おい、ちっと大人しくしろって」 「嫌だっ。放せ放せっ」 「っとに、じゃじゃ馬だな。やっぱこういうとこ、あいつにそっくりだぜ」 「……政宗様」 うーん、面白いと顎に手を当てたゲーム版小十郎をよそに、コミックス版の小十郎はざっと政宗の前に正座して詰め寄るような顔を見せた。またよくもこう面倒な事を次々と起こして下さいますなと目が言外に訴えている。 「あいつ、とは誰のことにございますか」 「見て分かんねェ? ま、俺も最初は分からなかったけど」 「……勿体ぶっていないでさっさと言って下さい」 「小十郎。お前、最近怖いぞ。なあ、そっちの小十郎?」 「そうですなあ」 ゲーム版小十郎は軽く肩を窄めて見せて、どちら側にもつかないというような中立の態度を示したが、コミックス版の小十郎に睨みをきかされて、やれやれと両手を挙げた。今回は「自分」の味方をする事に決めたらしい。 「それで? その子どもの名前は何と仰るのですかな」 「それがなぁ」 「真田幸村だ!」 政宗が答える前に幸村がそう言った。抑えつけられ政宗の膝の上に乗ったままだが、くるりと振り返ると開き直ったようにどすんとその場に座り、偉そうに胸を張る。 「某、真田幸村でござる! 貴殿たちは何者だ!」 「真田幸村?」 「真田? そういえば…」 「くっく……」 唖然とする二人の小十郎と幸村のぎっとした物言いに政宗は思わず笑みを零した。不思議な事に時間が経てば経つほど、この「幸村」は「あいつ」に近づいていくようだ。最初前田夫妻に伴われてここへやって来た時はどこか怯えていたし、自分がこんなガキ知らないと言ったら泣きそうですらあったのに。 今はどんどん。 どんどんどんどん熱い炎を滾らせ始めているように見える。 「なあ、どう思うよ」 政宗は二人の忠臣に向かって言った。その間もしっかと幸村を抱きしめる力は弱めない。 「こいつ、あの幸村にくりそつだよなあ? しかも落ちてた先も甲斐の外れだとよ。何だと思うよ? 突然背が縮んだのか?」 「まさか」 コミックス版小十郎がさっと嫌そうな顔をして首を振った。そういった類の話は基本的に好きではないらしい。 「ほう」 反してゲーム版の小十郎の方はそうでもないのか。楽しそうに瞳を閃かせる。 「それでは、この真田の事ですから、どこぞの道に落ちていた悪い物でも食べたのでしょう」 「おっ、お前もそう思うか? 実は俺もその線が濃厚だと思って――」 「何の話だぁっ」 少なくとも自分がバカにされたという事はすぐに分かったのだろう。政宗の膝の上で再度じたじたと暴れながら、幸村はあらん限りの声を張り上げた。それがあまりにも大きなものだったので一番近くにいた政宗は勿論、二人の小十郎も、夕餉の準備が整った事を知らせに来た者までも、目をチカチカさせてあんぐりと口を開けてしまう。 「っせえなあ……!」 ようやっと政宗が不平を言うと、幸村はぎっと後ろを振り返って唇を尖らせた。 「某はっ! 帰る! 帰らせて頂く!」 「帰るって何処に帰るんだよ? お前の家は何処だ?」 「それは…っ。だ、だがここでない事は確かだっ。某は…っ」 ぐうぅぅ……。 「はっ!」 「腹も減ってるみたいじゃねえか」 突然辺りに鳴り響いた幸村の腹の虫に政宗が呆れたような声を出すと、幸村は途端ぼっと顔を赤くさせて更にもう一度その場から抜け出そうともがき始めた。 それでも意地悪な政宗は幸村を解放しない。それどころかさらにぎゅうっと背後から強く抱きしめると、「まあまあ」と子どもに(実際子どもだが)言い含めるような声ですぐ耳元で囁いた。 「お前の家は俺がきっちり見つけてやるから。とりあえず飯にしようぜ? 腹が減っちゃ戦はできねェだろ」 「……戦があるのか?」 「ああ、あるぜ」 真剣な顔つきになって見上げてきた幸村に政宗は適当過ぎる答えをきっぱりと言い放ち、軽快に笑った。そして、一体全体事情はさっぱり分からないけれど、「ああやっぱりこいつはあの真田幸村なのだ」と、政宗はその時はっきり確信した。 「戦」という言葉を聞いた途端、この子どもの瞳の色が強くなったから。 また一つ、本物に近づいているではないかと感じたのだ。 「政宗殿」 その夜、城の奥に眠る大量の蔵書をごそごそと漁っていた政宗の所に、寝巻き姿のちび幸村が心細そうな顔と共にやって来た。 「おう、どうした。ガキはさっさと寝ないと明日起きられないぜ?」 政宗は自分の傍に置いてあった明り一つを取り出した本の傍に寄せながら、そんな幸村の方は見ずに続けた。 「一人で戻れるか? よくここまでやって来られたな」 少なくとも初めてこの城に来た者ならばこうやすやすとはやって来れまい。ましてや子ども、ましてやこの暗闇だ。慣れていなければ、それも政宗がよく来る場所を把握していなければここまで来られるわけもない。 「……眠れぬ」 そんな事をつらつらと考えていた政宗に幸村はぐずったように言った。ぎゅっと着物の裾を手で掴み、何事か言いたげだがそれきり口を開こうとはしない。 政宗はようやく顔をあげてそんな幸村の方へと視線をやった。 「やっぱ敵のテリトリーは落ち着かねェか」 「敵?」 「ああ」 「誰がでござる?」 「俺が」 「政宗殿が、誰の敵でござる?」 「お前の」 「……っ」 ぎょっと息を呑むチビ幸村に政宗は苦笑した。 「お前だって飯ン時さんざん俺に逆らってたろうが。それはあれだな、本能が俺を拒否ってたんだな。俺はお前の敵だから、俺に抱かれて我慢ならなかったんだろうぜ。その証拠に……」 「はっ…!」 政宗がさっと傍にあった刀を掴んで幸村の方へ差し向けると、幸村は咄嗟に飛び退ってきょろきょろと何かを探る所作をした。 「お前の槍はねえよ。来た時持ってなかった」 「……っ!」 「ま、今のは冗談だ」 ガキとやり合う気はねえからなと政宗は言い、掴んだ刀をガチャリと置いた。 「………」 幸村は突然自分に刃を向けた政宗に警戒した目を向け続けたが、やはり子どもは子どもなのか、それとも元来がそういう性格なのか、張っていた気を徐々に弱めるとゆっくりと口を開いた。 「政宗殿は、某の敵なのか」 「言っただろ。そうだ」 「ならば……何故某を斬らぬ?」 「それも言っただろ。ガキと本気で殺り合う気はねえ」 政宗は書物に目を落としながら「もう寝ろよ」と面倒臭そうに答えた。 「……っ。眠れぬ!」 けれど幸村はその場から立ち去ろうとはせず、自分を見ようともしない政宗に焦れたように地団太を踏んだ。そうしてやがてそわそわとし始めるとそろそろと傍に歩み寄り、目の前にまで来るとぺたんとその場に座り込んだ。 「何をしているのでござる」 「ん……。お前が何でチビになったのか調べてんだよ」 「某のことを…?」 「そ」 政宗は片方の眼を依然として書物にだけ注いでいる。 幸村はその政宗を不思議そうに眺めやった。 「お前が元に戻らなきゃ、俺もつまんなくてしょうがねえ。俺はガキには興味がねえからなぁ」 「……某はガキではないっ」 むうっとして頬を膨らませる幸村に、政宗は「ガキだろ」と初めて可笑しそうに笑った。それでますます幸村がカッとするのが分かっているくせに、どうにもからかわずにはおれないらしい。 「ガキじゃないっ」 幸村は幸村でくっくと笑う政宗にまんまと激昂してみせてしまう。ムキになったように声を荒げると、政宗の着物の裾を掴んで声を荒げた。 「子どもではないっ。父上も兄上も、いつも幸村を立派になったと誉めて下さる!」 「……何?」 「あ…?」 驚いて目を見張る政宗に、幸村もたった今紡いだ自分の言葉にぽかんとして口を閉ざした。 「お前…思い出したのか?」 「あ…分か…分かりませぬ」 「でもお前、今オヤジとアニキの事口にしたぜ?」 「そうでござる…。某には、父上と兄上が…」 「……やっぱ時間が経つにつれて戻ってるみてぇだな」 パタンと書物を閉じて政宗はまじまじと幸村を見やった。思えば最初に見た頃より既に少しだけ背も伸びているような気がする。結局書物を見ても、取り立ててめぼしい情報があったわけではなく、道に落ちていた悪い物を拾い食いしたらこうなるとも分かってはいないが、どちらにしろ放っておけばそのうち元の幸村には戻りそうだ。 「明日にはもっと色々思い出してるかもしんねえぞ?」 「本当でござるか?」 「ああ、絶対そうだ。良かったな」 ぐりぐりと頭を撫でてやると幸村はほっと嬉しそうな顔をしたが、しかしその直後、何を思ったのか突然沈んだような表情にもなった。 「……? どうした?」 政宗が不審に思いその手を放すと、幸村は困った風に視線をちらちらと向けながら言った。 「全部思い出すと…政宗殿の事も思い出すのだろうか」 「あ? 俺? ……まあ、そうだろうな。思い出さなかったら逆にキレるぞ?」 つまりは幸村にとって自分はその程度の人間という事になってしまうのだから。 それはまず確実に思い出して欲しい。そして勝負の決着をつけねば。 「………」 けれど幸村は政宗のその答えにいよいよ悲しそうな顔になるとぐっと俯き、拳を握りしめた。何かを我慢する時に見せる、それは幸村の決まりきった仕草だった。 幸村は言った。 「政宗殿が某の敵だという事も…思い出してしまうのでござるか?」 「………」 「それは…嫌でござる」 「お前、俺のこと嫌いだろ?」 ガキガキとからかってばかりいたのだから。先刻までとてさんざん怒った顔を見せていたではないか。 けれどそう思う政宗に幸村はふるふると首を横に振ると「嫌いではありませぬ」とはっきり答えた。 「政宗殿は良いお方です。正体の知れぬ某をこうして城に招き入れ…某のことをこのように調べていて下さった。嫌いなわけがありませぬ」 「………」 「だから…敵同士なら、記憶など…」 「駄目だ」 「わっ…」 出しぬけチビ幸村を引き寄せ抱きしめてやると、政宗は相手が言う前にそう遮断して先に自分が口を開いた。 「お前はちゃんと元に戻れ」 「……嫌でござる」 「嫌だじゃねえ。俺との約束はどうした」 「約束?」 「そうだ。決着つけるんだ。俺とお前は宿命のライバルだからな」 「………ライバル」 「そうだ」 訳が分かっていないという風な小さな身体をぎゅっと抱きしめたまま、政宗は言い聞かせるようにそう言った。子どもなど苦手だ、そう思っていたはずなのに、素直に縋りつく小さな手が可愛いと思うし、自分を思いだしたくないと言う怯えたような声が愛しいと思った。 それでも、お前は元に戻れ。 ゆらゆらとあやすように身体を揺らしてやりながら、政宗はらしくもなく優しい声色で言ってやった。 「敵同士だけどよ…。俺たちは他の誰も手の届かない所にいる。二人だけでだ。それってすげえ事なんだぜ…? 分かるか? ――真田幸村」 「分かり…ま、せ…ぬ……」 「でかくなったら分かるぜ」 「分かり……」 やがてスースーと穏やかな寝息を立て始めた小さな幸村に政宗はハアと小さく息を吐いた。子どものお守をしている自分も、そんな子どもになっている幸村も。今夜は、いや今日は本当におかしい。一夜が見せる幻だろうか。 そんなことを思いながら、政宗は暫くの間そのゆらゆらと明りの揺らめく静かな場所で幸村を抱きしめていた。 翌朝。 隣で眠っていたはずのチビ幸村の姿は何処にもなかった。 ただ、朝方門の見張りをしていた者が、城から出て来た人物が武田軍の真田幸村によく似ていたと交代の見張りに話したという。 勿論その事を信じた者は番兵の中には一人としていなかったが、政宗は黙って出て行った幸村を思い、一人密かに苦笑した。 |
<了> |
一度やってみたかった幸村子どもネタです!前田夫婦の友情出演は浅生さんのリクにお応えしたものなのですが、あんなんで良かったでしょうか(ただ騒いでっただけであの2人…笑)。…本当は子宝に恵まれるとされる神社で前田夫妻がチビ幸村を拾うという話を書いてたのですが、殿の出番があまりになさそうな気配だったので書き直したのです(笑)。でも殿はショタ幸には興味なかったようで…手を出させれば良かったか〜。 |