厳島奇襲戦3



「むっ!?」
  元就の短い声と政宗の攻撃音とで一瞬凪いでいた波が再び勢いを増した。鳥居の頭すら消し去る大波が周囲を竜巻のように吸い上げると、それは天にまで届かん程の勢いでまた地上へと降り注ぐ。
  しかし対峙している政宗と元就はそんな雑音にはものともせず、水飛沫も一太刀で払い除けた。
  そしてすぐさま、鋭い連続攻撃を相手に向ける。
「くっ…!」
「面白ェ…! マジでお前のその武器! そんなナリでスゲェ鋭いぜ!」
「消えよ!」
「悪いな!」
  元就の円刀から繰り出される正体不明の閃光を政宗は嬉々として受けとめると、相手の攻撃が止んだその一瞬の隙をつき素早く懐へ入り込んだ。
「何っ!?」
  同時に元就の周囲を防御していたその武器も空高くへ舞い、背後へ転がり落ちる。
「取ったぜ!」
  互いの動きが常人を超えていたからというのもあるだろう。
  勝負はほんの数分でついた。
「……くっ」
  喉元へ政宗の刀の先が向かい、元就は微かに眉をひそめた。
  負けを認めた風はない。死を畏れる風でもない。それでも元就は確かにほんの刹那顔を歪ませ、明らかにこの勝敗の行方に不満を抱いた顔を見せたのだ。
「……殺せ」
  もっとも、その直後に発せられたその声はあくまでも静かだった。
  応龍を構えたままじっと自分を見つめる政宗に元就は顔色を変えず繰り返した。
「どうした。止めを刺すが良い。……貴様のような名もなき一兵卒に討たれるとはな…我も堕ちたものよ」
「……へっ。そうだな。テメエは弱ェな…あいつとは違う」
「あいつ…?」
  政宗のふっと呟いたような笑みの含まれた言葉に元就がふと興味の色を抱いた。
  けれど政宗がそれに応えようと口を開きかけた時、その声はやってきた。


「政宗ェーッ!!」


  バシャリと海から上がった激しい水音と共に、二人の背後からいつきを抱えた元親が現れた。肩に担いだいつきをまず岸へと上げ、それから自分も急いでその場に上ってしっかと立つ。そうして元親は元就に剣を向ける政宗のことを怒りの篭もった眼光で睨みつけた。 
「テメエ、何してんだ!!」
「あ〜? 見りゃ分かるだろうが。毛利軍の大将に止めを刺すとこだ」
「やめろっ!! こいつは無事だった!!」
  恐らくは気絶しているのだろう、しんと静かに横たわっているいつきを指しながら元親はきっぱりとそう言い、やがてズンズンと政宗たちの元へと力強く歩み寄った。
  そして有無を言わせず、政宗の腕を掴む。
  政宗はそれでも元就から隙を作らなかったが、ぐっと掴まれたその力には思わず顔をしかめた。
「おい、痛ェよ」
「元就を放せ」
「あ? お前、バカか? 今俺がこいつから刀外したら、こいつ攻撃してくんぜ」
「いいから放せ」
  それでも元親は動じない。ぎっと政宗を見据え、怒りを押し殺したような低い声でただ繰り返す。
「放せ」
  そんな元親に政宗は思い切り嘆息した。
「……よく考えろ。こいつをここで殺っちまえば四国は安泰だ。お前の可愛い弟分たちも守ってやれる」
「煩ェッ! こいつとの決着をつけるのはこの俺だッ!!」
「うおっ!?」
  政宗は突拍子もない声をあげると、よろよろとニ、三歩後退した。元親の想像を絶する大声が鼓膜を響かせた事は勿論、掴まれた腕をもぎ取られるようにして払われた事によって、意図せず体勢を崩してしまったのだ。
「いってぇなあ…! てめえ、元親…!」
「いつきの奇襲には俺にも非がある! こんな不意打ちみたいな真似して、それでこいつの首を取ってお前は満足なのか!? あぁ!?」
「はぁ〜? あのなあ、戦に正しいもクソもねえだろうがよ! 何甘い事言ってんだ、ここで勝たなかったらお前、今度こそ―」
「俺は負けねえって言ってんだろ!!」
「………」
  元親は今度は足元に叫ぶように俯きながら、子どもの駄々のような仕草で声を荒げた。恐らくは政宗の言い分が「正しい」と分かっているのだ。ここで元就を仕留めておく事は確かに今現在疲弊している自分たちの国を救うのに最善である。この非道で、自分以外何とも思わない最低の男。いつきが憤るのももっともなのだ。こいつさえ、この毛利元就という男さえこの世から消してしまえば、今日のように宴で満足に酒を楽しむ事もできず、未だ銃から手を放せない弟分たちを安心させる事ができる。
  それが国を治める大将の義務だろう。
  政宗が正しい。きっと政宗の言う通りだ。
「こいつは……殺さねえ」
  それでも元親はもう一度そう言った。
「………」
  政宗は暫しじっとそんな元親の顔を見据えやった。
  元就は……動きがない。
  ただ両者の遣り取りを他人事のように見やり、そして政宗が自分を最早攻撃する気がないと悟った時、彼は唇を開いた。
「くだらぬ者どもよ」
  唖然とする二人に背を向け、元就は背後に落ちていた円刀を掬い上げた。
  そしてそのすぐ傍でぐったりと仰向けに倒れているいつきの顔を見下ろす。
「おい…!」
  呼びかけた政宗に元親が手で制した。
「おい。元就」
「……気安く呼ぶでない。鬼め」
「煩ェ。おい、いいか聞け。お前を狙ったそのガキの行動は、俺らの責任だ。特にこの保護者の責任だ」
「てめ…!」
  文句を言いかける政宗を再度止め、元親はひたすらに元就の背中に声をやった。
「だがな、どんな格好だろうと、不意打ちだろうと、お前はサシの勝負でこの政宗に負けた。お前の事だ、こんなやり方は卑怯だと見苦しい愚痴を吐く気はねェだろ?」
「何が言いたい」
「簡単な事だ。貸し借りゼロで今夜の話はナシって事だ。俺とお前の闘いにも、これは全く関係ねえ話って事だ」
「………」
「決着は、今度の戦で決めようぜ」
「おい、元親…」
  政宗が言いかけるのを元親はじろりと見やって黙らせた後、もう一度いつきの傍へ近寄り、彼女の小さな身体を抱き上げた。命に別状はないとはいえ、曲りなりにも元就の攻撃を受けた身だ。早々に手当てをする必要があるだろう。
「しょうがねえな…」
  それで政宗もこれ以上ここにいる必然性も、また自分の存在がえらく「お節介」だった事にも気づき、やれやれとかぶりを振った。
「……そこの」
「あ…?」
  しかし、そんな政宗を元就が止めた。元親はいつきを抱いて自分たちが停めていた船に向かって既に歩き出している。その様子をちらちらと気にしながら政宗は「何だよ」と迷惑そうに振り返った。
「あいつとは誰の事だ」
「は…?」
「先刻、貴様が口走っていた者の事だ」
  元就の問いに政宗は一瞬は首をかしげたものの、すぐに思い至ると途端ふっと唇を上げた。
「あぁ、幸村の事か。真田幸村。唯一俺とタメ張れる男だ」
「真田…幸村…」
「すっげえ強ェぜ? …お前な、あんな元親の四国なんて攻めてねえで、東を目指せよ。もっと強い、もっと広い世界がそっちにはあるんだからな」
「東…」
「そ。特に奥州とかどうよ? めちゃくちゃ強ェ奴いるからな。楽しいぜ?」
「貴様…貴様の名、先ほど元親から……」
「おっと、早く行かねえと置いていかれる! あいつ相当キレてたからな、勝手にお前と戦った俺に。嫉妬する男ってのはホント怖いもんだよなあ」
「……何を言っている」
  政宗の陽気な言い様に元就は明らかに気分を害した様子を見せたが、実際その台詞の意味までは理解が及ばなかったらしい。ふいと視線を再び海へと向けると、もはや政宗には興味を失したようになってじっと動かなくなった。
「へっ…。じゃあ、またな」
  政宗はそんな元就に軽く挨拶をすると、急いで元親の向かった先へと急いだ。





「いてっ! 政宗、痛ェじゃねえかあっ!」
「バカ野郎! お前のせいでこっちはとんだ迷惑だ! 徹夜だろうがっ!」
「ひどいだ…オラは…オラは、悪い奴をやっつけようと思って…」
「そういうのは余計なお世話だっつーんだよ! なあ、元親!」
「お前もな」
「うっ…」
  そろそろ日が昇ろうという時刻。
  うっすらと空が白んでいる中を元親の船が颯爽と進んでいる。その途中で意識を取り戻したいつきは早速政宗によって説教を喰らいかけたところだったのだが……不機嫌きわまりない元親のその言葉で状況は不意に一変した。
「おい、そんな怒る事ねえだろ? 俺はお前の為を思ってだな…」
「余計な世話だ」
「ちっ…」
「あいつとの決着は誰にも邪魔させねえ。いいか、俺があいつに勝つんだ。そしてあいつの目を覚まさせる!」
「分かった分かった」
「分かってねえ! 何だその投げ遣りな返事は!」
「っせえなあ…。もう二度とやらねえよ、こんなお節介」
「そうだ! いつきも分かったか! …って、おい。いつき、聞いてんのか!?」
「ふわあ! 見てみろ、政宗! 元親! お天道様が綺麗だどー!」
「ん…」
  いつきの歓声と共に二人も一声に神々しく上る朝日に目を向けた。
  ゆっくりと、しかし確実な色を放ち、それは広大な海一体をオレンジ色に染めていく。夕暮れ時のそれとはまた違うその赤の美しさは、騒がしかった三人の唇を暫し閉じさせた。
「……こんな」
  やがて元親が声をあげた。
「こんなよ。綺麗なもんを好きだって言ってんだな。あいつ」
「ん」
  政宗が何気なく返答すると元親は視線を寄越さず続けた。
「ちゃんと好きなもんがあるんだな。あいつにも」
「……そうだな」
「あいつだって血の通った人間だぜ」
  元親はふっと安心したようにそう呟いた後、訳が分からずにきょとんとして自分を見上げているいつきの頭を優しく撫でた。そうして政宗の方にも目をやると、元親は「さあ」と急に威勢の良い声をあげて言った。
「野郎ども! 四国はこのすぐ先だ! 飛ばすぜえ!」
「おうっ!! 行くだ行くだー!!」
「……俺らも海賊かよ」
  政宗はそんなどこか吹っ切ったような元親と、ただそんな海賊に調子をあげて嬉しそうに手を振り上げるいつきを呆れたように見やった。
  それからふわあと大きな欠伸をして、岸へ着いたらそろそろ国へ戻る準備でもするか…と、思うのだった。



<了>



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