神に愛された子どもが言うには
|
「おいガキ。お前まーた来たのか」 「来ただ」 政宗が呼びかけるとすぐにくるりと振り返った少女は、既に城の女たちからたくさんの甘い菓子を出されてご満悦だった。 「お前らな…コイツ甘やかすなよ。調子に乗るだろう」 領内の見回りから戻って来た時、中がどうにも騒然として落ち着きがなかったから何となく予想はしていた。していたのだが、政宗はこの北国に住む少女―いつき―が何を思ってこう頻繁に自分の所へやって来るのか少々量りかねた。 何せこの娘とは、つい先日当の娘が率いる一揆衆を鎮める為一戦やりあったばかりなのだ。娘が軍のリーダーと聞いて最初こそ驚いたが、実際に渡り合ってよく分かった。 この子どもにはどうにも神懸かり的なものを感じる。神など本来政宗はあまり信じる方ではないが、そうでも言わなければ説明のつかない何かを、このいつきという少女からは感じ取ってしまったのだ。 それは全くもって不本意な事だった。幸い一揆はすぐに鎮圧する事が出来て、ついでに北は全て掌中に収めたのだが。 「随分とうちのモンを手懐けてくれたもんだなぁ?」 もぐもぐと忙しなく口を動かしているいつきの傍にどっかと胡坐を掻き、政宗はせいぜい厭味たらしい口調で言ってやった。 しかしいつきの方はそんな政宗の言い方にはすっかり慣れてしまったのだろう、何でもないような顔をして呑気に茶まで飲んでしまってから満足したように腹を叩いた。 「ぷはーっ。ごちそうさまぁ! あぁ美味かったぁ。おめんとこ、ほんに贅沢なモンいっぱい置いてんだなぁ。ここにいる女たちも皆綺麗なべべさ着でるし。村の皆にも分けてやりてぇよ」 「どっちだ? 菓子か、着物か」 「んんー。綿だな!」 「あん?」 どっちでもねえじゃねえかと顔だけで訴える政宗に、いつきは至極真面目な顔をしてぴっと人差し指を出した。 「春が近いっつってもまだまだ寒いからな、オラんとこは。こっちの寒さよりずっとずーっと寒ィんだぞ? だからな、あっだがい綿の入ったちゃんこや布団あっだら、まぁ少しはええだろ」 「……ふうん」 ならうちにある物で使えそうなものを運ばせるか…などと言う事は、政宗は勿論口にしない。いつきとてそんな事を望んでここへ来ているわけではないだろう。娘の村ひとつをほんの気紛れで助けてやったところで、それは問題の根本的な解決には繋がらないのだ。 (けどあいつだったら……今すぐ助けてやれと言うんだろうな) ふと、ある人物の顔が脳裏を過ぎり政宗は苦笑した。 それをいつきに知られないようさっと視線を庭先へと向けたが、政宗はその時になって初めて庭先にどんと置いてある大きなハンマーの存在に気がついた。 がくりと身体を傾かせて政宗は「お前な…」と口篭った。 「ただでさえ遠いのに、あんなもん担いで来たのか」 「はふ」 いつきはまた新たな菓子に挑戦し始めている。ぱくぱくと干菓子を口に放り込みながら、政宗の指し示した方向を興味なさそうに見つめてただ頷いた。 「ったく。妙なところで振り回したりしなかったろうな。あれの被害、未だうちの軍でもバカになんねえんだぞ」 「んぐんぐ…。ぷはっ。あ〜…何言うだ。そんならうちはもっとだ。……けんどまあ、安心せろ。道中何もながったから。まだまだここらへんも物騒だしな、用心に越したこたぁねえべ?」 「………お前も感じたか」 「何をだ? 戦の臭いの事か? そんなもん、この世界の何処へ行ってもあるでな。戦、戦。侍はほんに戦が好きだで」 「厭味かこの野郎」 「後ろめたい事があっから、オラの言葉にそんな怖い顔するんだ。オラ、別におめさの事はもう怒っちゃいね。それより早いとご天下さ取ってここらを静かな平和な土地にしてくれろ。したら美味い米、いっぱい作ってやるでな!」 「あ? あ、ああ……。任せとけ」 妙に殊勝な事を言いやがる。 多少拍子抜けして政宗は口を閉ざしたが、もうこちらには目もくれずにまた食べる事に専念し始めたいつきの事は「やはり普通のガキとは違うな」と改めて思った。 まあ、屈強の大男ですらよろける程の大きなハンマーを背負い、最北からこの国まで「走って」「半日」でやってくるような娘だ。普通も何もないのだが。 「あのな。色々歩き回ってると今まで知らんかった事がやたらと見えるだで」 「ん?」 どれくらいの沈黙があったのだろうか。 いつきは政宗に突然話しかけてきた。視線はこちらを向いてはいない。 いつきは続けた。 「オラたち、本気で天下取る気だったでよ。おめさんとこだけでなくて、越後の上杉や甲斐の武田…北条だって調べに行った事あるだぞ」 「マジかよ。偵察ってやつか」 ただの村人たちが随分と手のこんだ事をしたものだ。勿論、偵察係はこの「神懸かった」いつき1人がやっていたのだろうが。 「そんでな。オラ、最初何処を攻めようかと考えた時、上杉か伊達かって考えて、おめさんとこがいいって皆に言っただ」 「……言ってくれるな。俺たちの方が落としやすいと思ったか」 子どもの言う事とは言え面白くないと政宗が分かりやすくむっとした顔を見せると、いつきは自らも苦い顔をして見せた。 「おめさん、オラよりうんと年上のくせにこんくらいの事で拗ねんじゃねえ。<落としやすい所>なんかあるわけねえべ。戦になったら何処だって大変だ。ただ、上杉を選ばなかったのは……援軍を畏れたからだ」 「援軍?」 いつきの真剣な口調に政宗もぴたりと動きを止めてその台詞に聞き入った。 そうして上杉は現在何処とも同盟など組んでいないはずだがと頭を巡らせる。 「上杉軍を加勢する国ってなぁ、何処だ?」 「分かるべ。武田軍だ」 「ああん?」 まあそう言うかもしれないと思いつつ、実際いつきの口からその言葉を聞くと実に白々しいなと政宗は思った。 他国に攻め入られた上杉軍を加勢する武田軍。絵的にありえない図ではないだろうが、どうにも釈然としない。 「まああのオッサンたちの場合、敵って言うよりは好敵手って感じだからな……」 「おめさんも感じたべ。そうだ! あいつらは、互いに睨みあってはいるだども、そんだけでねえ…。何かあったかいもんを感じるんだよ」 「あったかいもん?」 「友情」 「ぶはっ」 即答されて政宗は思わず噴き出したが、いつきは大真面目だった。あからさまにむうっと頬を膨らませ、バンバンと畳を叩いた。 「な・に・が、可笑しいだ!? だからな、オラは先におめんとこの方を攻める事にしたんだ。おめさんには、そういう友達はいそうになかったでな」 「ひでえな」 今度こそけらけらと笑い出した政宗に、これには傍にいた家臣や女たちがそれぞれ複雑な表情を見せた。いつきが政宗も認める客人だとは重々承知しているし、皆この奔放な少女の事が大好きだが、今の言いようはあまりに主に対して無礼なように感じられたのだ。 しかし、当の主は心底可笑しいという風に笑っている。 「あー…ウケた。funny-ha-ha! そうか、俺には友達がいないか! うちがピンチになってもさっとやって来て助けてくれるような友はいねえと踏んだわけだな」 「いるだか?」 「いねえ!」 「………そんなはっきり言われると返す言葉が見つからねえだよ」 「お前が気にすんな」 またくっくと喉だけで笑い、政宗は両手を床につけ体重を背後に掛けると、こちらの意を読めず不思議そうな顔をしているいつきに今度は優しく笑って見せた。 「友達か。いい言葉だな。けどよ、そんなもん天下取りには邪魔なだけだぜ。今は実の親も兄弟だって殺す時代だ。余計な情はない方がいい。そうでなきゃお前…もっと西にいるバケモン共にこっちが喰われる」 「西……第六天魔王とか言う奴か?」 「まあ…そういうオッサンもいるわな」 「……む」 ううんと腕組をして何事か考え始めたいつきは、しかし納得はできないのだろう、ぶるぶると首を振ってぽつりと言った。 「けど…っ。けどな、やっぱりそういう強い奴らとこれから戦うには、味方は多い方がええだよ。オラ、上杉や武田を見て思っただ。戦は嫌いだし、あいつらだって所詮は侍だ。オラは好きじゃねえ。けど…たぶん、あいつらはいざとなったらきっと手を組む」 「そうかねえ? 俺は逆だと思うがな」 「それに武田はな、あの幸村ってお侍がええだ」 「ん?」 突然思いも寄らぬ名前が出た事で政宗は驚いて目を見開いた。 いつきはそれに気づかずに言う。 「あのお侍だけはオラ好きだ。弱いもんには手を貸してくれる。強いもんには真っ向向かってく。すんげえカッコえがった。遠目だけだけど……あれはええ侍だ」 「俺は?」 「政宗、おめさんはオラたちの命を取らなかった。けど…やっぱり、おめさんはあの幸村って侍とは正反対だな」 「……何故そう思う?」 「オラには天の神様がついてるだで。色々な事が分かんだ。あれをもってな、色々な事を見て歩いているから」 いつきがちらと見た方向には大きなハンマーが偉そうに庭先を占領していた。 政宗は自分もそれを見やった後、やはりふっと自嘲の笑みを唇に浮かべ、納得したように頷いた。 「そうだな。俺はあの男とは真逆だな。俺はあの男のように……真っ直ぐじゃねえからな」 「んだ」 「ちょっとは否定しろよ」 「けど、もしいつか…」 いつきは一旦言い淀むようにして唇を閉じたが、すぐに顔を上げ続けた。 「もしいつか、おめさんがいつも心に想ってるあの男への気持ちを、戦い以外の方にも向けたら……」 「何……?」 「オラも余計な心配しねえで畑仕事出来る。悲しい戦は、もう見たくないでな」 「ガキ……」 「毎回思うけんど、オラの名前はいつきだって何べん言えば分かるんだ?」 名前くらい覚えろ。 いつきはふんと鼻を鳴らした後、ぴょこりと立ち上がって開け広げられていた場所から庭へ勢いよく飛び移った。 そうして振り返るとにかりと笑って。 「敵の名前なんかいちいち覚えないおめさんが…幸村の名前はいっぺんで覚えたんだってな」 「………」 「天下取ったらあの男も貰えるな」 「おい。どういう飛躍だよそりゃあ…」 「知るか! 早く気づけ! オラ、おめさんの唯一の友達だから、こうやってわざわざ忠告しに来てやっただぞ。もうヘンな啓示さ夢で見させるな!」 「おい待て……」 「じゃあな! 帰って皆を手伝わなきゃ!」 「おい!」 けれどいつきはもう振り返る事なく、風のように去って行ってしまった。あの大きなハンマーをいとも簡単に肩に担いで。 「やっぱあいつこそバケモンだ」 政宗は妙に悔しい想いがしてそう独りごち、それからがっつりと頬杖をつくと憮然とした顔で小さく舌打ちした。 「どんな啓示だってんだよ」 しかしその質問に答えられる神の子はもういない。 疾風のようにいなくなったその名残を部屋の片隅に感じながら、政宗は誰にも気づかれないように「バカが」と毒づいたのだった。それしかしようがなかったから。 |
<了> |