今夜はとことん!
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「おじゃああああ…まだ…まだまだ麿は飲めるぞよ…おじゃあぁ…」 「往生際悪ィぞ。テメエはリタイアだ、さっさと寝ろ!」 「嫌じゃああああ……」 「フン!」 鬼衛門…否、四国の鬼・長曾我部元親は、伊達の家臣たちによってずるずると引きずられるようにその場を去る今川義元に勝ち誇った笑いを浮かべ、残った杯をぐいと空けた。 ここは伊達政宗の城。元親はそこの「賓客」であった。 「いやはや、元親殿の飲みっぷりは全く素晴らしいですな。あれ程の団子を食い尽くし、更に今宵こうまで飲めるとは。我らの方が先に果ててしまいそうです」 「ハッ、これっくらい水を飲んでるのと変わらねェよ! 俺とこじゃあ、こういった宴は毎晩やってるからな。飲めねェ奴は俺の軍団にはいらねえっ。で、当然大将の俺が一番の飲み手ってとこだ!」 「素晴らしい。では、もう一杯」 「おう!」 先ほどから元親の相手をしているのは政宗の腹心、片倉小十郎である。恰幅の良いその体形と厳しい面そのままに、どうしてどうしてこの男も酒には相当強いようだ。元親と同じかそれ以上杯を上げて、まだまだ潰れる気配がない。面白い、今夜はこいつと飲み勝負と洒落込むかと、元親も俄然やる気が湧いていた。 何の流れか、気づいたら参加してしまった政宗のところの団子大会。 今宵は泊まっていけと政宗は言ったが、その本人は武田のところの幸村と「健全デート」とやらに出かけたまま未だ帰ってきていない。その間にこの腹心である片倉には自分が四国の長曾我部であること、繋いできた船の停留場所も素直に明かしたが、政宗同様この男もあまりそういった事に煩く騒ぎ立てる気持ちはないのか、「遠路はるばるようこそ」などと言って今川と共に丁重な客人として迎えてくれた。おかしな奴らだとは思ったものの、元親とて不必要に警戒されたり侵略者扱いされるのは不本意だったので、甘んじて賓客の身に甘んじふんぞりかえったというわけだ。 「奥州の酒もなかなかだな。今度来る時は四国の酒を土産に持ってきてやるぜ」 「今度…も、客として参って下さるので?」 「おっ。ギリギリの発言。言うねえ、へへっ…。ま、先がどうなるかなんざ、誰にも分からねェさ」 「ははは。それはそうでございますな。我が殿もよくそのように仰ります」 片倉は細い目をすっと細め、また豪快に笑った。やはりまるで酔った様子がない。なるほど探りを入れてきたかとはちらと思ったが、元親もそれを追及するのはやめた。 「ん…」 そしてふと、元親は同じく傍に控えて大人しくしている男の存在に眉をひそめ手を止めた。 「おいお前。さっきから全然飲んでねえじゃねえかよ。もう限界か?」 「……どうぞ私のことはお気になさらず、お2人でいつまでも好きに飲んでいて下さりませ」 「ああん?」 たかが一介の武将が仮にも客人に対して酷い扱いもあったもんだ。元親が露骨に顔をしかめると、目の前にいた片倉が困ったように苦い笑いを浮かべた。 「これはとんだご無礼を。ですが、どうぞこの者の言う通り放っておいてやって下され。これは殿の事が心配で仕方ないのです」 「あ? 政宗が…って、何でだ? あいつは健全デートだろ?」 「健全でもデートですぞ!!」 「うおっ」 突然がばりと身を乗り出してきた優男に元親はらしくもなく面食らって仰け反った。綺麗な顔が真剣に怒ると、それはそれで迫力があるものだ。しかしまた一方でこの男は怒っているくせに今にも泣き出しそうで、それがまた元親に強く出る事を躊躇わせた。 「ところでお前、誰だっけ」 「は?」 「名前」 「申し送れました。私、政宗様の傅役、片倉小十郎と申します」 「…あ? いや、お前。それは…」 それはこの俺と飲み明かしてるコイツだろう?と言おうとして、しかし元親はその「片倉」に片手で制され先の言葉を止められた。 「まあこれにはちょっとした訳がありましてな。この者の申している事は本当です。当方には片倉小十郎なる男は2人いるのです。ははははは!」 「……いや、ははは、じゃねえよ。じゃ、どっちかがあれか? 影武者って奴か? 政宗に作るなら分かるが傅役に影武者ってのがよく分からんが…。しかもお前ら、全然似てねえ!」 「そうでございますか? 同じようなものだと思うのですが」 「元親殿!」 「うおっと、びびったあ。テメエは、いきなり話しかけるなよ…!」 強面の方の片倉に意識を向けていたら、突然優男の方の小十郎に声を掛けられたもので元親は混乱し目をチカチカさせた。 しかし優男の小十郎はそんな元親には構っていられないらしい。ぎりぎりと唇を噛むと、胃でも痛むのだろうか、腹の辺りを押さえて押し殺したような声を漏らす。 「ただでさえこのような突拍子もない宴を開き、諸国武将に伊達家がどのように捉えられたのか気が気ではありませんのに…! 宴の後もこうして武田の幸村殿とこーんな時間まで逢瀬を重ねるなど! 殿は殿としての自覚があまりに、あまりに足りないと思うわけですっ。どうです元親殿!」 「あ、ま、まあな。そりゃあ、そうだな、うん」 普通に考えれば、確かにあの団子大会は非常識だしな。 元親はうんうんと小十郎にあわせて頷いてみせた。今頃気づいたが、実はこの小十郎も先ほどから既に十分飲んでいたらしい。確実に出来上がっている。 「殿はいつも私の苦労などお構いなしで、ご自分の良いようにされてしまうのです! 勿論、そんな殿の意向には黙ってつき従い、生涯忠義を尽くすのが我が使命と心得てはおりますが! もし、このような軽率な行動で殿の身に何かあったらと思うと! この小十郎めは、それだけで生きた心地が致しませぬ! どうです元親殿!」 「いや…いちいち俺に同意を求めるなよ…」 「どうぞ適当にうんうん頷いていて下され」 強面の方の片倉がはっはっはと呑気に笑いながら口を挟む。テメエは、「はっはっは」じゃねえよとは思ったが、しかしそれに対するツッコミをする余裕もない。既に着物の袖を捕まれる勢いで、元親は優男の方の小十郎にがっつりと絡まれて身動きが取れずにいた。 「政宗様が幸村殿に一方ならぬ想いを抱いておられる事も、幸村殿が政宗様にそうであろう事も、それは重々承知しております。しかしっ。我ら伊達家の本懐とはっ!? 何だ、片倉っ。申してみろっ!?」 「おう。我ら伊達家の目的は天下統一を果たし、後の世に平和な国を作る事だな」 「そうでしょうっ!? その通りだ! どうです元親殿!」 「お前なあ。仮にも長曾我部の俺にそういう話を振るなよ。つーか、幸村って奴との事もそんなあからさまにばらしていいのか?」 「ふん、どうせ信玄公も、周辺の諸大名にも既に知れ渡っている事ですよ」 「そうなのか?」 「そうですよっ。先日とて、武田と織田の戦に乱入して、どうしたと思います!? 何とうちの政宗様は、魔王信長と一騎打ちをした挙句、幸村殿のことを『あれは俺のだから手を出すな』まで言ってきたらしいんですよ! どうです元親殿!」 「ま、まじか…。そりゃあ…やばいかもな」 「そうでしょう!? それで今回の事ですよ! もう明々白々ですよ、2人の関係は!」 「まあなぁ」 あの団子大会でも割と堂々と幸村だけ贔屓してたしな。 元親は隙を見ながらちょびちょびと尚も杯を空けつつ、「やっぱりあんな大将を持つと家臣は苦労するもんだな」と、奔放な自分の事はもろに棚上げしてしみじみとした。 一見すると伊達軍というのは今大会での張り切り具合を見ても分かるが、戦の時などにも大漁旗なぞを掲げるそうだし、大将だけでなく部下達もみんなふざけて見える。だが、当然の事ながらそういった事を先導しているのは大将の政宗なのであり、それに苦々しい想いをしている部下とているに決まっているのだ。 「まったく、お前の苦労はよく分かるぜ。それに気づかない政宗は駄目な奴だな!」 だから限りない同情を込めて元親はそう言ってやった。大変だな、と肩に優しく手なんかも置きながら。 「駄目な奴!?」 しかし、どうした事だろう。小十郎はがばりと顔を上げるとそう言った元親にキッとした目を向け、責めるような口調でいきなり唾を飛ばした。 「何を仰られるのです! 政宗様は駄目な奴などではありませぬ!」 「は?」 「政宗様は素晴らしいお方です! その剣の腕もさる事ながら! 知略に優れ、政事も滞りなく務めていらっしゃいます! 文学や芸術にも幅広く精通しておられる、まさにオールマイティな我らがパーフェクト・ボスです!!」 「……………」 「ぶはっ」 傍で強面の片倉の方は噴き出していたが、元親は目が点になって動きを止めていた為、折角口に含んだ酒を外に出すという勿体無い事はしないで済んだ。 「思えば政宗様は幼少のみぎりより、とても御苦労され、数々のお辛い目にも遭ってこられたというのに…。そりゃあ、多少はあんな風におかしな事になってしまいもしましたけどね? 根は本当にお優しくてお強くて、この小十郎めの自慢なのでございます! どうです元親殿!」 「……やっぱり俺に振るのか」 最早無礼講なのは分かる。分かるが、やたらと人の背中をバンバン叩きながら尚も問い詰めてくる小十郎に、元親はいよいよ呆れたようにため息をついた。 「………」 けれど一方でこっそりと思った。 ああ、政宗。お前はいいな。 テメエのガキの頃の事なんざ知らないが、いいじゃねえかよ。 何故って、こんな奴らが傍にいるんだ。 「……どうかなさいましたかな」 元親の様子を窺い見るようにして強面の片倉が言った。元親はなるべく視線をあわせないようにしながら、フンと鼻を鳴らして呟いた。 「何でもねえよ。ただ…明日は朝イチで国に帰る。そう思っただけだ」 「ホームシックというやつですかな」 「何だそりゃ」 「元親殿! そう仰られず、もう数日はここにおられれば宜しいではございませぬか! 私の話を聞いて下され!」 「聞いてんだろーがっ」 「小十郎がこれほど心を開くとは珍しい。元親殿には、政宗様のような気安さがおありだからかな」 「……アイツと似てるって言われても、別に俺は嬉しかねーんだけどなあ。つか、俺、あいつのことよく知らねーし」 「ですが」 片倉は元親に落ちついた笑みを向けると言った。 「我らを見て頂ければ…多少はお分かりかと思います。我が殿の人となりが」 「ん…」 「どうですかな」 片倉の問いに元親は少しだけ笑って見せてから頷いた。 「はっ…まあな。…悪くは、ねえかもな」 「元親殿ー! 手が止まっておりますぞ、もっと飲みましょう! 今夜は、とことん!」 「分かった分かった。いこうぜ、とことん!」 「ですな! 私もお供致しますぞ!」 ……そうして。 3人はそれこそ水のように浴びる程に酒をかっくらい、語り明かし―。 「お前ら…一体何があったんだよ…?」 いつ戻ってきたのか、呆れたようにその場に立ち尽くす政宗を前に、既に3人中2人は夢の中だったわけで。 「これは政宗様。お早いお帰りで」 「いや…俺は、お前らに説教されんの覚悟して帰ってきたんだがな」 未だたった一人で杯を空けている、けれどどこか陽気な片倉の言い様に、政宗はらしくもなく困惑した笑顔を見せた。 「しっかし…」 「ぐおーごおー」 「元親殿〜。…むにゃ…まだまだ…飲み明かしましょう…ぞ…」 「こいつら、いやに楽しそうだなあ」 折り重なるようにして豪快ないびきをかいている元親と、思う存分愚痴り倒してすっかり満足したような小十郎の寝顔に、政宗もいよいよ面白そうに目を細めた。 もうすぐ夜が明ける。しかし未だ去りきらぬ月明りの下、その仄かに光り輝く場所で元親と小十郎は未だ夢の彼方にて宴の続きを楽しんでいるようだった。 |
<了> |