に惑う子ども2



  それでも最後の意地で蘭丸は男に悪態をついた。
「どのみち殺す気だろっ。殺るならさっさと殺れよ!」
「………」
「弓を捨ててもお前は殺すだろ! だったら……最後まで抵抗してやる! お前が俺を刺したその瞬間に俺は動く! この蒼雷神でお前の身体を貫いてやる!」
「……ハッ」
「何が可笑しいッ!」
  全身から声を振り絞って蘭丸は叫んだ。思えば何故このようにここが何処かも分からぬまま、走り続けてしまったのだろう。濃姫は大人しくしていろと言った。前田家とて信長に離反など考えるわけがない、つまりは証拠など出てこないのだから…慌てずともそのうち片がついたはずだ。自分が無駄に動き回ったところで意味などないのに。

  ただ、子ども扱いして欲しくなかった。

「ガキ」
  ぽろりと涙を零した蘭丸に、その時男が口を開いた。こいつも俺を子ども扱いだ…その事が悔しくて酷く憎くて、心の底からこの男を殺したいと思った。
  けれど男はそんな蘭丸に哂った。
「よく分かったな。俺はお前が赦しを請おうが何をしようが、どのみちお前を殺す気だ。ここから逃がす気はねえ」
「………」
  それはどこまでも冷たい、それこそ悪魔のような囁きだった。気づけば男は蘭丸のすぐ耳元にその唇を寄せ、からかうようにそう言っていたのだ。
  ゾクリと首筋に寒気が走った。
「どうしてか分かるか」
「な、何…」
「何故俺がお前を殺すか分かるか」
「そ、そんなの…!」
「それはここが俺の土地だからだ。俺の護るべき国だからだ」
「……?」
  男がすっと離れたのが分かった。一瞬だけほっとしたが、勿論気は許せない。蘭丸は耳だけに意識を集中し、どうにか隙が生じないかと男の動向に気を配った。
  そんな蘭丸に構わず男は淡々と喋り続ける。
「最近は何処も物騒だが、一番むかつくのはこんな夜中にウロウロと人んちの国に土足で入り込んでくる連中だ。他所の国の偵察隊ってならまだ可愛いもんだが、実際はそういう奴らばかりじゃねえ。戦に敗れて山賊に成り下がった敗軍の将が徒党を組んで里の人間に手を出す事もある。畑を焼き、女を攫う輩もいる。……お前みたいなガキでも何でも使ってな」
「お、俺は…違うッ」
  瞬時、先刻向こうの茂みから聞こえた大勢の断末魔を思い出し、蘭丸は改めて戦慄した。それでは先ほどのあれはこの男と夜盗との戦闘を表すものだったのか。
  しかし随分な人数だったようなのに、まさかこの男がたった一人で?
「お前はさっきの奴らの仲間じゃない…か?」
  男が探るような声色でそう訊いた。
  蘭丸はハッとして思わず焦ったように俯きかけていた顔を上げた。
「そ、そうだ、俺は…!」
「俺は?」
「……っ」
  言うべきか。瞬時に結論を出す事が出来ず、蘭丸は唇を噛み締めた。どのみち殺されるのならば堂々と名乗って殺られた方が断然カッコイイ。自分は織田軍の将、織田信長の家臣で森蘭丸だ、と。信長様の敵である伊達政宗を暗殺しようとしているところだ、と。或いはこの男が伊達軍と敵対している将ならば助かる可能性もないわけではない。
「………」
  けれど、その逆の場合は?
「………お前に名乗る名前なんかない」
  蘭丸はぐっと目を閉じて肩の力を抜いた。駄目だ、言えない。本当に暗殺を企てる気ならば己の正体など決して誰にも明かしてはならないのだ。それが出来ない未熟者ならば、ここで斬り殺されるしかない。信長の役に立つどころか、下手をすれば足を引っ張ってしまう可能性もある。
「殺せよ」
  怖い。死ぬのは怖い。そう思いながらも蘭丸は張りのある声で言った。
「さっさと殺せ!」
「……こっち向け」
「はっ!?」
「黙れ。何も言わず――振り返って俺を見ろ」
  逆らう事など許さない、そんな威厳のある声だった。
「……ッ」
  信長以来だと思った。こんな風に誰かに何かを言われて身体が言う事を利かなくなり、心の底から震える思いがしてしまうのは。
「………」
  蘭丸はゆっくりと振り返り、目の前の男をそっと見上げた。
「……――ッ!」
  そしてその男の顔を、全身を認めて蘭丸は改めて硬直した。
  男も黙って蘭丸を見据えている。刀を向けるその動作には少しの隙もなく、けれどもその全身は蒼い衣を纏っているはずなのに、ところどころが赤黒い血で染まっていた。よく見ればこちらに向かっている切っ先にも血が滴っている。
  男の顔にも…戦闘の際飛散したのだろう、何者かの血飛沫がこびりついていた。
「あ…あ……」
  そして何より蘭丸を慄かせたのは、こちらを睨み据える片方の眼が爛々と蒼い炎のように燃え盛っている事だった。
「だ……」
  間近で見たのは初めてだけれど間違うわけがない。伊達政宗だ…蘭丸はすぐさまそれを悟った――が、やはり動く事は出来なかった。
  代わりに政宗が感情の見えない様子で先ほどと同じ口調を発した。
「殺せって言ったな」
「………」
「簡単に言うんだな。……死にたいか?」
「………」
「今の今まで何十人と斬ってきた。だからな…抑えが利かねえ。一瞬で死ねるよう正確に首を刎ねるなんて親切も出来ねえ。……死にたいか?」
「しょ……」
「……何だ」
「勝負、しろ…!」
「勝負…?」
  政宗が無感動に返すのを蘭丸はムキになって悲鳴のような声を上げた。
「そうだ! お、俺と勝負しろ…! ここで…!」
「………」
「俺は! 俺は、お前を…!」
「……テメエに――」
  しかし政宗は蘭丸の申し出を良しとしなかった。
「ひっ…!」
  瞬間、ガツリと何かが折れる鈍い音がした。蘭丸が怯えて一瞬目を閉じてしまったその隙に、背後の大木には政宗の一刀によって無残に砕け散った蒼雷神の破片が突き刺さった。
「あ…あ…」

「政宗様!」

  しかしその時、声をあげた蘭丸のそれと重なるようにして、暗闇の向こうから焦ったように駆けて来る大男の姿が浮かび上がった。男はハアハアと荒く息を継ぎながら、「お怪我は!?」と切羽詰ったような声を出した。政宗がちらとそちらへ目をやり、「…小十郎」と小さく呟いたのが蘭丸の耳にも入った。
  その「小十郎」は、政宗のすぐ傍にまで走り寄ると安堵したようになりながらも「政宗様!」と再度嗜めるような口調を発した。
「お1人で…! このような真似、もう二度となさらないで下さいッ!」
「俺が殺られるわけねえだろうが…」
「それは…そうですが、政宗様…!」
「ちくしょう!!」
  突然地面に叩きつけるような怒鳴り声をあげた政宗に、蘭丸は勿論、小十郎と呼ばれた男も驚いたように目を見開いた。
「政宗様…」
  それでも先に立ち直ったのはその臣下らしき男だ。労わるような目を向けて、「後の事は我らにお任せ下さい」と告げ、暗に政宗に退くようにと訴える。
「……命乞いした農民まで殺しておいて、あいつら俺と勝負しろとか言いやがった。この国を貰うだと…?」
「政宗様。お話は後で城へ戻った後にお聞きしますから」
「勝てないと知ると今度はこぞって助けてくれと泣き叫んだ。…俺はいつからあんな奴らをのさばらせるような能無しになっちまったんだ」
「政宗様!」
「……帰る」
  小十郎とやらの恫喝は辺りの木々すら揺らめかす程の迫力があった。それのせいかは分からないが、政宗はその直後しんと静かになると一言だけそういい置いてそのまま山を下って行った。先ほどの不穏な殺気は未だ仕舞われる事はない。けれども政宗の覇気は明らかに鈍り、どこか憔悴して弱っているようにも見えた。最早蘭丸の方に彼は一瞥もくれなかった。
  そしてその政宗の姿が完全に見えなくなった後。
「……魔王の子…森蘭丸だな」
「…っ!」
  小十郎の声に蘭丸がびくりとして顔を上げると、政宗の忠臣である男は幾らか感情のある目を向けて静かに言った。
「命があった事、ありがたく思ってこのまま立ち去るがいい。今宵の政宗様はまさしく鬼神。近づかぬが上策」
「な、何で俺の事を…」
  掠れた声で問う蘭丸に小十郎はすぐさま答えた。
「つい先だって早馬で前田殿の使いの者が文を寄越してきた。お前は良い味方を得ているな。本来ならば許可なく奥州の地に立ち入った事、許されはしないが…前田夫妻の顔に免じて不問に付すとは政宗様のお言葉だ」
「な…! それじゃ、やっぱり…!」
  利家とまつは伊達軍と繋がっていたのか!?
  蘭丸の驚愕に満ちた目に小十郎は何かを感じ取ったようだが、特には何も言わなかった。
  その代わりさっと大木に突き刺さっていた蒼雷神の欠片を片手で抜き取ると、それをそのまま蘭丸に返した。
「政宗様の機嫌が悪い時に来てこれだけで済むとは、お前は運の強い子どもだ。だが忘れるな…ここが戦場ではなかったから貴様は生かされた。ただそれだけのことだ」
「………」
「戦場ではお前はもう子どもではない。そこで出会う事あらば、今度は1人の敵兵として、政宗様もそして俺も…お前とは対等に対峙する事となるだろう」
「……1人の敵兵として」
「それは前田家の者とて同じこと」
「!」
「それじゃあな」
  素っ気無く挨拶をし、小十郎は無防備にも蘭丸に背を向けて、政宗の去って行った方へと自らも下りて行った。如何に主要武器を失っていると言っても、蘭丸が他にも武器を隠していないとはいえない。その姿は明らかに相手を力ない子どもとみなし甘く見ている証拠のようで、蘭丸は再びぐっと歯を食いしばった。
  助かったと知ると恐怖はすぐに消え去り、ただ激しい怒りだけが身の内に残る。
「くそう…!」
  ただ、その怒りは政宗や小十郎に向けられたものではない。弱い己、情けなくも恐怖で涙ぐんでしまった自身に対して向けられたものだ。
「もっと…もっと、強くなる…!」
  蘭丸はだっと踵を返すと暗闇の森の中、訳も分からないままにがむしゃらに走り出した。歩いてなどいられない。立ち止まりたくはなかった。ただ夢中で走り、そして今夜の愚かな自分を全て捨て去ってしまいたかった。
「くっそー!!」
  そうして蘭丸はまだ夜明けまでは遠いその道を、ひたすらに独りで走り続けた。
  あの蒼い炎を纏った片目の男の姿を思い浮かべながら。



<了>



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