招かれざる



「おい、小十郎」
「はい」
「……そこにいるそれは何だ?」
「政宗様。お気持ちは分からなくもないのですが、さすがに《それ》と仰るのは…」
「それはそれだろうが」
  言いにくそうにちらちらと背後に目をやる小十郎に、政宗はここで初めて眉を吊り上げた。
「何でこの野郎がここにいんだよ!」
「おじゃ?」

  ――――それは麗らかな春の午後の事だった。





  遠慮も何もなく出された食事に手をつけまくっている男の名は、今川義元。東海地方を支配する名家・今川の大名で、「海道一の弓取り」とも呼ばれている。…しかしその実態は間違った京風文化に傾倒し、おかしな白粉に金の衣装を「ド派手」に着飾った、政宗にしてみれば「いけ好かないただの貴族被れ」であった。
「おい。テメエ」
「おじゃ〜。お茶が温いでおじゃるよお茶が〜。これ、そこの女。もっと熱いのをもって参れ。麿は熱い茶が好きでおじゃる〜。客人の好みくらい事前に調べておくでおじゃるよ〜」
「何でテメエが客人なんだッ!」
「ひいっ!?」
  どんと拳を畳に叩きつけた政宗に、義元は今初めてその城主の存在に気づいたという風にびくりと身体を震わせた。しかも余程政宗の凄んだ顔が恐ろしかったのか、手にしていた箸をぽろりと落とすと、「おじゃおじゃ」と何やら怪しげな言動で慌て始めた。
「……あのな」
  しかし、政宗の方はそれで却って冷静になれた。
  怒鳴りつけるのもバカバカしくなり、片手で額を抑えながら傍に座していた忠臣に声を投げる。
「小十郎」
「は…」
「だから。何でコイツがここにいる? しかもお前は、何で飯まで出してやってんだ」
「はい。それが、この先の河川沿いで今川殿が倒れているのを近隣の農民が見つけまして…。格好が格好だったので城の者に知らせに来たらしいのですが、聞けば三日前から何も食されていないとのこと」
「そそそそうなんでおじゃる〜。麿はもうずっとずっと森の中を彷徨っていたのでおじゃるよおおお。お〜いおいおい…」
「わざとらしい泣き真似やめろ。ぶっ飛ばすぞ」
「びくっ!」
  ドスの利いた政宗の声におじゃる義元はあからさまにびくつき、さささと小十郎の背後に隠れた。ぶるぶると震えて隙間からちらりと覗く顔は怯えきっているが、すかさず小十郎という安全な場所に逃げ込む所はちゃっかりしている。政宗はハアと大きくため息をついた後、一体何の冗談かと頭を抱えた。
  確かに彷徨っていたのだろう、義元のキラキラ衣装は見事にあちこち汚れていた。この異様ないでたち、異様な「メイク」の義元が倒れていたら、付近の民はさぞ驚き慌てたに違いない。
「しかし、だったら何だ? テメエがそこらで野たれ死んでるからって、何で俺らが助けてやんなきゃなんねーんだよ。ここは伊達の領地だぜ? 迷って入り込んだテメエが間抜けなんだ」
「ひいい…。迷える子羊に冷たい言葉…じゃじゃじゃ、伊達の当主は冷血漢かああああ」
「……小十郎、そいつ殴れ」
「お待ち下さい政宗様」
  ぴくぴくと怒筋を浮かべる政宗に、しかし小十郎は多少困った顔ながらも冷静な意見を述べた。
「仮にも今川家の現当主殿です。どのような理由で我が領内に入られていたのか、まずはその理由をお聞き下さいませ。無闇に礼を失するような事があっては、伊達は度量の狭い者だと後々陰口を叩かれる事にもなりかねませぬ」
「へーへー正論だ」
「殿」
「Ah〜、Ok, Ok! 分かったよ。ただどうも、コイツの事は前っから気色悪くてなあ」
  ぐしゃりと頭髪をかき混ぜて政宗は苦笑したが、これには小十郎も別段責める言葉は吐かなかった。内心では政宗と同じ気持ちなのだろう。
  しかし、そんな2人の様子には全く無頓着なのが当の義元である。政宗の空気が柔らかくなった事を察すると(そういうところだけ敏感)、実に偉そうに胸を張った。
「ほほ。何でも訊くが良いぞ。麿の魅力か? 麿のこの着物についてか? おじゃ〜、しかしこのような田舎では麿のファッションセンスは進み過ぎてて理解できぬかもしれぬのう。哀れ哀れ」
「……理由訊いたら斬っていいよな」
「それは政宗様のお好きなように」
「ひいっ! 家臣も実は恐ろしい〜〜おじゃあああ」
  今の発言は小十郎の声色の方が政宗よりも殺気立っていたらしい。義元は途端恐怖で飛び上がると、今度は傍に控えていた女たちの後ろに走り寄り、その背中に隠れた。これが女たちにはとんだ災難で、ここはやはり客人として扱うべきなのか、それとも本能の赴くままに振り払っても良いのだろうかと困惑している。
  堪らず政宗はガバリと立ち上がった。
「お前ら、もう下がっていいぞ。セクハラオヤジから離れてな!」
「せせせくはらとは何でおじゃる〜。それに茶…麿は先ほどから酒ではなく茶を〜」
「ンなもん後だ!」
「ひっ!」
  ちりじりに去っていった女たちを惜しむように見ている義元に、政宗はつかつかと歩み寄ってその目の前にどっかと座り直した。そうして挑みかかるような眼でおたおたとしている相手を容赦なく睨みつける。
「義元さんよ、正直に答えな。アンタ、うちの領内に入って何してやがった?」
「ままま麿は…麿は、海道一の弓取り、今川義元なるぞ〜。そそそう簡単にお国の事情を漏らせると、おおお思うておるかああ〜?」
「あっそ。じゃ、ここで死ぬんだな」
「実はの、麿は武田の紅い侍を是が非でも欲しいと思っておったのじゃ」
「!」
  たった一言の脅しであっさりとお国の…否、単なる個人的な事情を暴露した義元は、驚く政宗には気づかず尚も早口で喋りまくった。
「麿はあの武田の二槍使いが是非とも欲しいのでおじゃる〜。何度も文を書いて《すかうと》してるのでおじゃるが、その誠意がどうも相手には通じておらぬようでの。いつもすげなく文を返されるのじゃ。失礼なことでおじゃるよ〜。でも諦めきれないのでおじゃるよ〜う」
「武田の紅い侍で…ニ槍使いだと?」
  政宗の呟きに小十郎がすっと眉をひそめた。
  ただ義元はそんな2人の様子には全く気づいた風もない。一旦箍が外れたらもう後はヤケなのか、それとも元から話したがりなのか、しまいには身振り手振りまで交えて説明し始めた。
「おじゃ? そちは紅い侍を知らぬのかえ? 真田幸村と申してのう、それはそれは華麗なる舞い…いやいや戦いぶりでおじゃって、戦場の紅い華と称されておるのよ〜おじゃ〜。あれがいれば天下なぞ造作もないぞよ。ほほ。麿はあれを手に入れて天下を手にしたいのじゃ」
「……天下ねえ」
「はっ! ししししかし、そちは麿をこうして助けてくれた故、麿が天下を取った暁もここのお城は残してやっても良いぞ? ほほほv」
「………」
「殿。短気はおやめ下さい」
「まだ何もやってねえだろ」
  先んじてきた小十郎にウンザリした顔を寄越し、政宗は再度ため息をついた。そうして改めて義元を見やる。きょとんとしてこちらを見つめるその顔はおよそ己の発言の重要性が分かっていない。危機感がまるでない。これは本当の本当に真性のアホか、それとも成熟できなかったただの「大人子ども」かどちらかだ。
  そんなのを相手にムキになるのも間違っているのだが……。
  あの男が関わっているとなれば、勿論放ってはおけない。
「真田幸村が欲しくてウチでのたれ死んでた理由は?」
「文では埒があかなかったからの。直接幸村に声を掛けようと供の者たちと出かけたのじゃ。ほほ、幸村は村の下賎の者たちにも気を配っておってのう。これがまあよく笑う、よく食べる。ほほ、可愛いものでおじゃるよ。知っておるか、あれは甘い物が特に好きなんでおじゃるよ。それを食べてる時の顔がまた…ほほほ。萌えじゃ萌え」
「なるほど。テメエはスカウトも忘れて奴のストーカーに成り下がってたわけか」
「おじゃ? すとーかーとは何でおじゃるか?」
  またまた不思議そうに首をかしげる義元に、政宗は軽く片手を振った。
「気にすんな。で? 奴を追っかけてきたらこっちへ来ちまったってわけか?」
  政宗がすっかり事情を理解したようにそう言うと、義元はうんうんと激しく頷きながら「おじゃおじゃ」と意味不明に喚き立てた。
「そうなんでおじゃるよ! 早朝何やらそわそわしておっての。供の者もつけずに、むしろ隠れるように一人で何処かへ行こうとするのでおじゃる。これはもしやもしやも〜し〜や〜! 悲しい事でおじゃるが良い女がいて、朝から会いに行こうとしているのかと、ドキドキしながら後を追ったのでおじゃるよ」
「……女、ね」
「政宗様」
  何かを咎めるように小十郎が声を出しかけたが、政宗はそれを片手だけで制した。
  義元はまだ止まらない。
「向こうもお馬、麿もお馬じゃ。なのに幸村の馬はとてつもなく速くてのう。いつしか引き離されて供の者ともはぐれて、森の中で彷徨っていたというわけでおじゃる。分かって頂けたでおじゃるか」
「ああ、分かった。じゃあテメエは幸村が密会してた奴の顔は見てないってわけだな?」
「見てないでおじゃる〜。それが残念でのう…よよよ」
「……いいや、命拾いしたんじゃねえの?」
  政宗ははっと鼻で哂った後、もうふいとそっぽを向きすっかり興味をなくしたような顔になった。それでも小十郎が心配そうな顔をするので、仕方なく言ってやる。
「…まあ今川に貸しを作っとくのもいいだろうよ。せいぜいうちの《田舎》の着物でもやって、飯でも酒でも茶でも、とにかく何でもつけて返してやれ」
「……畏まりました」
「おおっ。すまぬのう、伊達殿。おじゃおじゃ! この恩は忘れぬぞ。天下を取ったらこの城は残す故な。おじゃ!」
  義元の偉そうな発言に政宗はもう別段怒りもせず、悠々と頷いた。
「そうか、悪ぃな。ついでにもう1つ頼まれろよ」
「おじゃ? 2つも頼みがあるんでおじゃるか? 仕方がないのう、何でおじゃる?」
「俺が天下を取ったら、見ろよ―…」
「おじゃ? 誰が天下を取ると申した?」
「俺だよ。オッサン」
  政宗はにやりと笑った後、軽快に言い放った。
「俺が天下を取ったら、必ず見ろよ。あいつの…幸村のイイ相手って奴をな。そりゃもう、目の前で見ろ。見せてやる、おおっぴらに」
「おじゃ?」
「俺だって元々、隠れて逢うのは趣味じゃねえんだよ。お前みたいなどうしようもねえ虫までつくんじゃ、尚更だ。俺はさっさとこの地を鎮めなきゃなんねえな。この辺りを早々平和にして、堂々とあいつは俺のもんだって言ってやらなきゃな」
「???」
(……やれやれ)
  政宗は笑っているが、もしかすると不機嫌なのかもしれない。小十郎は珍しく饒舌になって義元の前でムキになる主にこっそりとため息をついた。政宗の気持ちは分かりきっているし、ああやってほぼ毎日こちらへ来る幸村とて気持ちは同じだろう。好きあっている者同士だと小十郎も目を瞑ってはきたが、主があの幸村の事に関してだけいやに熱くなるのはどうにも困った事だと思う。
  まあ、こんな男に幸村が目をつけられたとあっては面白くないのも分かるが…。
「おじゃ? 何だかよく分からん話だのう〜」
  それでも、害意を向けられている義元の方はさっぱり状況が分かっていないらしい。それどころか今やすっかりリラックスして、手にした扇をパタパタやりつつ呑気に回想など始めている。
「おじゃ〜。それにしても幸村は確かにこちらの方に来たと思ったでおじゃるが…。見たかったのう、相手の女を」
「はっ。まあ焦るな」
  小十郎の心配をよそに、政宗は依然として不敵な笑みを浮かべたまま義元に向き直った。その表情は天下取りを宣言して高揚しているというよりは、恋しい者を手に入れる事に対して昂ぶっているように見えた。
  政宗は言った。
「近いうちだ。見せてやるからな、楽しみに待ってろ」



<了>



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