政宗の愛人
|
幸村が今日も今日とて奥州伊達軍の領地に「遊び」に来たのはある晴れた日の昼下がり。佐助には慣れたような呆れたような顔で見送られてしまったが、最近ではそんな従者の反応も気にならなくなるくらい、幸村は毎日が楽しかった。自分の中ではそれなりに弁えているつもりなのだが、その一方で腕を磨く為と称して政宗の所へ向かうのを止められない。もともと政宗が「あんな」性格だからという事もあるし、主である信玄が何故かこの状況を認めてくれているせいもあるが、何よりもやはり幸村自身が政宗に会いたい気持ちを抑えられないのだった。 その気持ちは政宗が四国から帰ってきてからより一層強くなっているような気がする。 「たのもーう!」 そんなこんなで幸村が意気揚々と政宗の居城の門を叩いた時、しかしいつもの門番たちはハッとして一斉に気まずそうな顔で黙りこんだ。 「……? どうしたのだ?」 「あ〜…い、いやあ。幸村殿、今日もイイお天気で…」 「は?」 「だから言っただろ、もうそろそろ来る頃だから、交替の奴さっさと呼んで来いってよ!」 「そりゃ俺が言ったんだろーがッ。くそ、俺だってこんな気まずい役嫌だっつーの! どうすんだよ、頭は今…」 「政宗殿がどうかしたのか?」 「…っ! い…いやいやいやっ!」 「別にっ。どうもしませんぜ! よ、ようこそ、いらっしゃいまし〜!」 「んん…?」 突然裏返った声で妙な歓迎の仕方をする門番たちに、幸村は眉をひそめて訳が分からないという風に首をかしげた。いつもはここへ来て顔を合わせる度、威勢良く出迎えてくれる気持ちの良い連中である。それがどこかオドオドしていて、幸村を中へ通す事を躊躇っているような節が見える。 「政宗殿は、何か今取り込み中なのだろうか」 「ま…まあ…。取り込み中っていやぁ、そうなのかな?」 「たとえて言やあ、新しい愛人の我がままに辟易して言い争いの最中とか?」 「バカ野郎ッ! それちっとも例えてねえじゃねえかっ。そのまんまだろ!」 「いてっ!!」 相棒の頭をばしりと叩いて叱る男に、痛みに悲鳴を上げるもう一人。 漫才でもしているのだろうか、ノリツッコミの応酬をかます2人をぽかんと眺めやった幸村は、未だ事態が飲み込めずにそのままその場で暫し立ち尽くしてしまった。 しかし、今この者たちが発した言葉。 何やら妙な言葉が混じっていたような……。 「……愛人?」 「びくっ」 幸村がぽつと呟いたその単語に、門番たちが思い切り反応して大袈裟に飛び退った。そして途端わたわたとし始めると、何故か後退しながら言い訳をするように幸村の目の前で両手をぶんぶんと振った。 「いやあ、まだそうと決まったわけじゃねえから! うん、単なる俺らの予想っつーか何つーか!」 「そうだよ、頭には幸村殿が断然似合ってるぜッ! そんでもって俺らは勿論幸村派だ!」 「城中の女どもの中じゃあ、あっちの美人系のが好みとか言ってた奴もいたが、 何の何の! 新たなライバルなんかいつもの闘魂でやっつけちまえ!」 「大体、お高く止まってて怖ェしな、今度の愛人は!」 「だから幸村殿の前で愛人とか言うんじゃねーって!」 「いてっ!!」 「……おぬしら、先ほどから一体何を喋っておるのだ?」 同じ日本語とは思えないほどの不可解発言の連発に、幸村はただただ困惑するばかりだった。しかも何故かどんどん自分から遠ざかっていく門番にどうして良いか分からない。じりじりと近づくが、向こうはそれに「ひゃあ」などと悲鳴を上げながら、更に距離を開けていく。 そんなものだから、結局彼らを何となく追いすがっているうちに、幸村はすっかりいつものように政宗の城中奥へと入り込んでしまっていた。 「むう…。しかも結局彼らと逸れてしまった。これでは俺が断りなくここまで来てしまったと思われるぞ」 実際その通りなのだが、幸村は先日政宗の不在時にここのあちこちを暴れて壊してしまった前科を抱えている為、自分なりに「行儀良くしなければ」という戒めを持って来訪していた。だから今日は門兵にもきちんと話を通して、それから政宗に会おうと思っていたのだ。 それなのに。 「まあ、良い。後で謝れば良かろう。ところで政宗殿は――」 しかし幸村がそう独りごちながら改めてきょろきょろと周囲に目をやった時だ。 「だから、お前の好みなんぞ俺が知るかよっ!」 現在の立ち位置からちょうど真正面、襖を隔てた部屋の向こうから何やら政宗の怒鳴り声が聞こえてきて、幸村ははっとし足を止めた。 「政宗殿…?」 それは怒りを含めつつも、何だかんだで相手の全てを許容しているような、そんな優しさが感じ取れる声色で。 「……?」 それに誘われるまま幸村がそろそろと歩み寄り襖に手を掛けると、果たしてその直後、政宗のものではない別の人間の声が耳に入ってきた。 「知らぬなら今覚えろ。我はこのようなものは好かぬ」 ピンと1本線の通った、笛のように美しく澄んだ音色。それはとても気高くて、姿は見えないのに幸村が立つ位置からも光のような眩しさが感じられた。 「貴様の所の女どもはあくまでも我を見世物の道化にしたいようだ」 「だから違うって。お前、あんだけちやほやされてて気づかねーのか? あいつらはお前に似合うだろうと思ってわざわざそいつを見繕ってきたんだ。見りゃ分かんだろうが、かなり上等の着物だろ。俺だって滅多に着ねえよ、そんなもん」 「貴様には余計似合わぬ。このような柄」 「悪かったな! ……ったく、お前のその口、よくもそう次々と毒が出てくるもんだ。ある意味感心するぜ」 「フン…それは誉め言葉か?」 「ハッ…。まあな」 まったくなあと政宗のため息交じりの、けれどやはりどこか笑みを含んだような声に幸村はドキリとして息を呑んだ。 一体誰だ? 知っている声ではない。奥州の人間ではない。政宗に対するあの話しぶりから察するに、それ相応に名のある者である事も間違いない。政宗の所にはよく客が来るし、この声の主も新しい知人かもしれない。 「……愛人」 けれど幸村は咄嗟に先ほどの門兵らの言葉を蘇らせてハッとした。そして不可解だった言葉の数々が驚きのスピードで1本の糸に全て綺麗に繋がるのを感じた。 如何に鈍感な幸村とて分かる。愛人。政宗の愛人! そう、この襖の向こうで政宗と「楽しそうに」会話している人物はただの知り合いなのではないのだ! 政宗が招き入れた政宗の…… 特別な相手なのだ。 「…………」 一瞬全ての思考がストップし、幸村はその場から去る事も出来なくなった。すぐに再び脳の動きをフル回転させて、落ち着け何も動揺する事などないと言い聞かせるのだが、やはり動く事は出来ない。政宗がいずれ妻を娶る、或いは側室を取るなどという事は当たり前の事である。政宗は一国の主であるし、世継ぎを作る事は当然の義務。むしろ遅いくらいだ。いつも戦だ天下だとそちらの方にばかり目がいっているところを見てきたから実感がなかったが、政宗は自分とは明らかに立場が違う。 ……ちなみに幸村はこの向こうにいる政宗の「愛人」とやらが男の声だと認識しているくせに、世継ぎうんぬんの矛盾についてはまるで考えが及んでいない。 「あ……」 とりあえずここから逃げなくては。 また数秒他所へトリップしていた幸村は、ようやく再びそう思って一歩後ずさりした。 「逃げる」という感覚そのものがそもそもおかしいのだが、幸村はそんな己の感情にも気づいていなかった。ともかくはこの場から立ち去りたい。ここにいたくはなかった。2人の仲睦まじい声を聞いているだけで何だか訳が分からない程に胸が苦しい。それをもし目になどしてしまったら、一体何を口走るか想像もつかなかった。一刻も早くここから消えなければ。 けれど幸村のその希望が叶えられる事はなかった。 「おい、さっきからそこにいるの誰だよ?」 「フン…どうせまた野次馬の一人であろう…」 「!!」 不意にこちらに声が掛けられ、幸村は先刻以上にフリーズした。気配を断ち、息を潜めていたつもりだったが当たり前のようにバレていたらしい。すぐ近くにいるのに声をかけるでもなく、いつまでもその場に留まっていただけの幸村を不審に思ったのだろう。どこか呆れたような政宗のその声は幸村の胸をより一層強く抉った。 「……ッ」 「おい、出て来いよ。別に叱ったりなんかしねえから」 「………」 政宗の優しく言い含めるような声すら今の幸村には「不愉快そう」に聞こえる。やはり足は動かなかった。 また、まさか武田軍の真田幸村がそこにいるとは想像もしない2人は、その襖の向こうにいる誰かの存在について相も変わらぬ無駄な舌戦を繰り広げ始めた。 「叱るだけとは生半可な…。我ならばこのような無礼者、一閃のうちに終わりにしてやるが」 「だからお前はやめろって! お前がそんなんだから出てこれねーんだろ! つか、俺は叱るとは言ってねえ!」 「……政宗。ほとほと分からぬ男だな、貴様。主の命に従わぬ者を庇う必要が何処にある?」 「こんな事でいちいち殺ってたらキリねーだろが! 元就、いいからテメエ、その殺気しまえ!」 「しまってやっても良いが、新しい着物はいつ用意できる」 「あー、はいはい、今用意させるから待ってろ、この我がままお姫さん!」 「なっ…。誰が姫だ、誰が! 貴様、許さんぞ!」 「姫じゃなかったら何だ、この我がままお嬢!」 「政宗ッ!」 「……ッ! や、やめて下され!」 スパーンッ!!……と。 「……は?」 政宗と元就―何故か先日突然政宗の居城に遊びに来た―が言い争いをますますヒートアップさせようとした、まさにその瞬間だ。 「喧嘩は……よくありませんぞ……」 「ゆ、幸村!?」 勢い良く襖を押し開いてその場に現れたのは、殆ど石化状態でその場に留まっていた幸村であった。動けない、早くここを立ち去らねばと心を逸らせていたはずだったが、政宗と元就の「やっぱり仲睦まじそうな」言い合いを聞いていたら、何やら猛烈に堪らなくなってしまい、反射的に2人の前へ飛び出してしまったのだ。 当然の事ながら、予期せぬその相手の出現に政宗と元就は唖然としていたのだが。 「お、お前…幸村。一体いつからそこにいたんだよ?」 最初に立ち直ったのは政宗である。てっきり自分の家臣が控えているものだと思っていただけに、その突然の幸村登場には面食らったようだ。勿論、政宗としては幸村がいつここへ現れようが常時歓迎の姿勢なのだが、それでも何やらただならぬ空気がその相手から発せられている事はすぐに分かった。 「いるならいるって声くらい掛けろよ。いきなり驚くじゃねえか」 「………」 「どうした? 腹でも痛いのか?」 「フン…貴様が真田幸村か」 「!」 幸村は政宗の声には反応を返さなかったが、元就のそれには弾かれたように顔を上げた。その不敵なまでにこちらを見下ろす不遜な眼差しは、高邁で気に入らないと思うのに、一方で一瞬にして射竦められるかのような迫力も感じられて息を呑む。 タダ者でない事は直感で分かった。 「き、貴殿は…?」 幸村が訊くと、その元就は不快そうな表情をより一層濃くして政宗を見やった。 「政宗。貴様のところも含め、東は本当に礼のない奴が多い。我を知らぬとは、天下を狙う武人としてその気概を疑う」 「仕方ねえだろ、こっちはまだ東治めるだけでも忙しいんだ。西の奴らの事なんて、俺だって最近ようやく元親を知ったってくらいだしよ。お前らだって東の事情はよく知らないだろ」 「……しかし面白くない」 「だから我がまま言うなっての」 「! 頭を叩くなッ! この無礼者が!」 ぽんぽんと気軽に触れてきた政宗に元就が猫のようにフーッと牙を剥く。政宗はそれが面白くて最近ではそんなからかいをよくやってしまうのだが、それにしてもタイミングが悪過ぎた。 「………」 ますます無口になった幸村はぐっと俯き拳を作ると、そのままくるりと回れ右をしてその場を去ろうとした。衝動で出てきてしまったが、やはり胸が苦しい。病気なのだろうかと思うほど、苦しくて痛くてどうしようもなかった。 2人を見ていたくなかった。 「おい…? 幸村、どうした?」 政宗がようやく気づいた。傍に近寄り、肩を叩こうとする。 「……っ!」 けれど幸村はそれを全身で拒み、激しくその手を払った。 「さ、触るな!」 「……幸村?」 「政宗殿は不潔だッ!!」 「……はぁ?」 間の抜けた顔でぽかんとする政宗に、幸村は途端カーッと赤面して唾を飛ばした。 「このようなっ、このような、まだ日も明るいうちに、愛人とちち、ちちくりあうなど、仮にも天下を狙う一武人としてあまりに不謹慎だと思わぬのかッ!」 「………はい?」 「政宗」 しかし政宗が事態を飲み込めずに未だ口を開けたままにしていると、背後からゆらりとそれは物凄い殺気を漂わせている男が接近してきた。 「はっ!?」 政宗がぎょっとして殆ど無意識のうちに幸村を庇うようにして前に立ちはだかると、その殺気の男・元就はぎらついた眼光をより一層凶悪なものにしてカッと目を見開いた。 「そこを退け! その愚か者を一撃のうちに葬ってくれる!」 「ちょっと待て! 落ち着け!」 「これが落ち着けると思うか…! 貴様、貴様、今何を口にした…!? 我を、この我を政宗の……ええいっ。口にするのもおぞましい…!」 しかしそんな元就に対し幸村は何を思ったのか急に活気を取り戻し…、否、単なる自棄だろうが、自分を抑え付けようとしている政宗の腕を掴みながら、精一杯キッとした目を向けて口を尖らせた。 「あ、愛人だから愛人だと申したまでだっ。何を激昂する事がある…!?」 「……ふ…ふふふふふふ…ははははは!!」 「やべえ、幸村、テメエ逃げろ!」 「何を…うわっ!」 政宗が幸村を抱えて横っ飛びで隣の間へ転がりこんだのと同時、先ほどまで2人が立っていた場所に激しい閃光と蒼い炎が燃え上がった。 「な…何…?」 「こら元就! テメエ、人んちの城に何すんだよ!?」 「黙れ、貴様も同罪だ。そこの愚か者と共に滅びよ!」 「だから落ち着けってー! おい小十郎ー! 何処だー!」 「助けを呼んでも無駄よっ! はぁッ!」 「おわあっ!?」 「ま、政宗殿…くっ!?」 再度第二陣の攻撃が元就の身体から発せられ、次いで一体何処から出したのか丸い円刀が姿を現す。 幸村はそんな戦闘モード全開の元就を半ばボー然として見やりながら、続いて自分を抱きしめたまま相手との距離を測ろうと息を詰める政宗をじっと見つめた。 そしてこんな時なのに訊いてしまった。 「政宗殿…。何故、愛人の方ではなく、某の方を庇うのだ?」 「はあッ? もう、いいからお前黙ってろ…! 今はそれどこじゃねえんだよ…!」 「だが気になる。政宗殿はあの者の事が好きなのだろう? 愛人なのだろう?」 「愛人作るならまずお前を選ぶっ! おわっ!」 「うわあっ!?」 元就の攻撃は容赦がない。2人がまともに会話をする隙などどこにもなかった。広間一つは全焼、炎が柱に飛び移り、眩い光が全てを一瞬のうちに消し去ろうとする。 とんだ大惨事だ。………だがしかし。 「あっ! 頭、何してるんですかい!?」 「うお、何だこれは!?」 この惨状に、ようやく物音を聞きつけた伊達家臣たちがわらわらと集まり始めた……が、皆一様にぎょっとし逃げ腰になりつつも、大して驚いているようではなかった。しかもこうなるまでの一連の流れを見てもいなかったのに、何故か政宗よりもこの事態をよく理解しているようで、「恐れていた事が遂に!」とか、「修羅場が!修羅場が!」とか、むしろ異様にはしゃいでいるのだ。 ところで、こんな時に限ってまたまた小十郎は畑に出ていて留守だった。 「お前ら何呑気に見学してんだ! いいからあいつを止めろ!」 そして忠実なはずの伊達軍猛者たちは、一人焦っている政宗に力なく首を振った。 「無茶言うなよ、頭〜。俺らが元就様を止められるわけねーだろう?」 「これも頭が蒔いた種だ。何とかしてくれよ」 「政宗様、くれぐれも被害は三分の一程度に済ませて下さいよー」 「お前らおかしい! ぜってーおかしいー!」 政宗の絶叫が城中に響き渡る中、それでも収まらぬ元就の怒りと、未だ逃げ惑う政宗に抱きしめられたまま自分も何となく逃げる幸村との攻防はその後も暫くの間続けられた。 そうして。 「なっ。あ、愛人を作るなら某などと…! 政宗殿は何を言っておられるのだ!?」 小十郎が帰還し、幸村が政宗の口走った事に今さら赤面しておたおたとし始めた頃には、伊達軍の居城は誰かが予想した通り、その三分の一ほどが崩壊してしまったのだった。 |
<了> |