雅とは縁の遠い者なれば
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幸村は敬愛して止まない「お館様」こと信玄の為ならば自らの命も惜しくはないし、出来うる限りの武勲を挙げて、主を天下人にするべく尽力したいと考えている。 だから普段より信玄の命は絶対だし、そもそもわざわざ命など下されなくとも、主の願いくらい自分で迅速に読み量って実行したいと思う。 何でもしたい。お館様の為ならば何でも。 「……って。そう思ってたんじゃないのー?」 「それとこれとは別だッ!」 からかうように茶々を入れてきた佐助に思わず怒鳴り声をあげてしまい、幸村ははっとなってあわあわと辺りを見回した。 幸い周囲に幸村たち以外人影はない……が、それもそのはず、ここは小高い丘陵の一角で、あるのはその場にそびえ立つ大木1本のみ。「ある場所」にどうにも息詰まりを感じた幸村はこの人気のない場所へ隙を見つけて「逃げ出して」きたのだ。 よって今発せられた幸村の怒鳴り声を見咎めるような人間は、ここには元々誰1人いないのだった。 「一体お館様は何を考えておられるのだ…。この俺に茶会などと…」 「お館様、ダンナにいつも『武士には教養も必要だぞ』って言ってるじゃない。いい機会だと思ったんじゃないの」 「俺とて普段より努力はしているぞ! しかし今回の場合は…! 適材適所というやつがあるだろう。もっと他にふさわしい者が幾らでもいたはずだ。もし粗相でもしたら…」 「ここに逃げてきちゃってるだけでも随分不味いと思うけど?」 「うっ……」 二の句が告げられずに黙り込む幸村を佐助は「あーあ」とした想いで眺めた。 事の起こりは一通の書状から。 先日、僧籍に入る為と称し都から帝の血筋を引くという者が東の国境沿いにある名寺に身を寄せてきた。激しさを増す乱世のさ中、家が傾いたりお家争いから京を追い出されたりといった貴族や武家の類は珍しくない……が、その者が帝の血を引いているとなれば、話はどうしてもややこしくなった。当人は「戦だの天下取りだのに利用されたくはない」と跡目も早々に譲り渡し、自らは田舎に引っ込めたと思って安心しているようだが、東とて騒然としている点では西と何ら変わりないのだ。それなのに甲斐に寄越した書状―「お近づきのしるしにお茶会を開きます。来てね♪」という趣旨の内容は、あまりに年齢に見合わぬ世間知らずを露呈していて、受け取る者の失笑を買わずにはおれなかった。 それでも相手が相手だ。これをただのお茶会などと見なして呑気に構えるわけにはやはりいかない。そのまま無視するのもまずいだろう。 「でもさ。そんなメンドクサイ状況のはずなのに、何故かお館様…妙〜に楽しそうな顔してたんだよね」 「佐助、お前もそう思ったか」 ハアとため息をつき、幸村は自分が立つ丘陵から見下ろせる件の寺に目をやり、あからさまに肩を落とした。 信玄から「お前も茶会に参加しろ」と言われた時、幸村は己の仕事は「お館様の護衛役」だと信じて疑わなかった。茶会と言っても何があるか分からないし、諸国の名のある武将や貴族も大勢招かれていると聞いていたから、気を引き締めて主に同伴しなければ、と。そんな風に思っていたのだ。 それなのに。 「本当に真っ当な、凄く神聖な感じの茶会なんだぞ? 俺以外…皆、そりゃあ立派なものなんだ。……正直居た堪れない」 「情けない声出しなさんな。良かったじゃない、暗殺だの謀殺だの物騒な事ないならないで。平和が一番」 「それはそうだが…」 「それに一緒に出たお菓子は美味しかったでしょ」 「煩い! あのような場で呑気に食える程図々しくないぞ!」 「はいはい、俺に八つ当たりしない」 「うっ…」 図星を差されてぐっと黙る幸村に、佐助はぶらんと木の枝に吊る下がりながら、確かこの後は歌会もあるのではなかったろうかと、興味ないながら頭に入っていた予定を思い浮かべた。 「ダンナ、何か詠む歌考えてあんの」 「あるわけないだろう…」 ああもう、いっそ走って甲斐に帰りたい!! ……とまでは叫ばなかったが今にもそんな風に口走りそうな様子で、幸村はそのいつもの剛毅さも何処吹く風、すっかり困り果てた顔で頭を抱えていた。 「まーったく。戦場以外ではホント情けないんだから……って、ん?」 しかし佐助がこれからそんな幸村をどうやって戻らせようかと考え始めた時、だ。 「……あらあら。迎えに来てくれた?」 つかつかとやや早足でこちらへ上ってくる相手の姿を認め、佐助は自然に浮かぶ笑みをぐっと堪えた。幸村はまだ気づいていない。実際主がここまで憔悴しているのは、実は茶の作法うんぬんよりもこの男が原因なのではないか…と佐助は密かに思っていたから。 「ダンナ」 だから、これはちょっと面白い。 「ダンナって」 「煩い。俺に話しかけるな」 「でもダンナ。来てるんだけど」 「何がだ。とにかく俺はこれからどうやってあの場を抜けるかをだな……」 「あ。もうすぐそこ。ほらほら」 「だから煩いというのが――……!!」 「よう」 「………!!」 がばりと顔を上げた先、木の上にいる佐助を見上げるはずだった幸村は、突然目の前に現れた相手にそのままフリーズ状態となってしまった。突然。そう、まるで気がつかないうちに。 「真田幸村」 「独……ま、政宗、殿」 たどたどしく言葉を紡ぐ幸村を佐助は(見てらんないね)と片手で顔を隠したが、今更何処かへ行くのも不自然で事の成り行きを見守る事にした。 この敵方の大将はこの間から佐助の主である幸村と何かと因縁があり、戦場でも何度か剣を交えている。というよりも、2人が好んで互いを探しやりあうものだから、一見すると国を巡っての大戦も単にこの2人の決闘という錯覚すら覚えてしまう。「お館様」こと信玄と、「軍神」こと謙信のような長きに渡る繋がりが2人にあるわけではないが、説明のつかないもっと違う方向での結びつきが、彼らには確かに存在しているように思えた。 「突然消えてるからよ。何処行ったのかと思ったぜ」 「う……」 「お前って戦ン時も突然現れて突然消える感じがしてたけどなぁ。こういう席でも同じだな」 「………」 「ん? おい、どうした?」 何も言わずに固まっているような幸村に政宗もようやく怪訝な顔をした。ただそれもほんの一瞬で、すぐに涼しそうな顔になると辺りを見渡し口元を綻ばせる。 「Good! いい眺めだな。この景色を見たくてここへ来たのか?」 (逃げてきただけでーす) その返答は佐助が心の中でしたが、勿論それが相手の耳に届く事はなかった。 「政宗殿は……」 しかしようやく落ち着いてきたのだろう、最初こそ政宗の登場で思い切り動揺していた幸村も、ぐっと喉を鳴らした後くぐもった声を出した。 「剣だけでなく……あのように茶の嗜みもあったのだな…」 「ん?」 きょとんとしたような顔を向け、政宗は幸村の台詞に一瞬反応を遅らせた。 「………は」 けれどすぐにその意を読み取ったのだろう、途端意地の悪い顔になって面白そうに目を光らせた。 「そりゃあ当然だ。これからの武士はな、ただ強いってだけじゃ駄目だぜ。腕っぷしだけの男なんざカッコ悪ィもいいところだからな。Coolじゃねえ。筋肉バカはよ」 「そ、それは某の事を言っておられるのか!?」 「Ah〜? 別にそんなつもりはねえがな」 「いいやっ、そう聞こえた! 聞こえたぞ! 腕っぷしだけの男はき、筋肉バカだと…! その言いようは、あまりに…!」 「ダンナ、ダンナ」 「止めるな佐助! 俺は、俺とて、俺なりに努力しているというのに…!」 「いや止めてないって。前見て前」 「前…?」 激昂するままに前が見えなくなっていた幸村は、佐助に言われてようやくまともに目の前に立っているであろう政宗を見やった。 「………あ」 すると目の前の政宗は心底可笑しそうに腹を抱えて笑っていた。幸村がまんまと思い通りにカッカときたものだから、その単純さに喜んでいるのだ。 「政…っ!」 からかわれたと、幸村は瞬時に赤面して抗議の声を上げかけた。しかしあまりの恥ずかしさに却って何も言えず、ただぱくぱくと口を動かしていると、ようやく笑いを引っ込めた政宗が「待て待て」と言って片手を差し出してきた。 「あ…」 政宗は幸村の肩を軽く2、3度叩いた。 「Sorry、幸村。お前があんまり真面目くさった顔してるもんだからよ。試しに言ってみただけだ。んな可愛く怒るなよ。笑っちまってしょうがねえ」 「な…っ! そ、そのような…っ」 「それによ、何もお前の事をCoolじゃねえって言ったわけじゃねえって。確かにお前、いつも暑苦しいけどな。けど、別にさっきの席でだって特別でかい粗相したってわけでもねえだろ?」 「む……」 「まあ軽く挙動不審だったけどな」 「!!」 更にかっと赤面する幸村に政宗はいよいよ面白いものを見るような顔をして、再度幸村の肩を叩いた。 それから実にさり気なく。 「あ……?」 さらりと、政宗は幸村の頬を撫ぜた。 それは実に自然な所作で、幸村も避けるタイミングを完全に失った。 あのいつも不遜で、血塗れた男の手が……あまりに優しく触れていくから。 「………」 「幸村」 それと同じくらい柔らかい声で政宗は言った。 「茶なんてもんはよ。美味いって思って飲めればそれでいいんだぜ。それだけで十分、相手に対する礼になる」 「そ、そうだろうか…?」 「ああ。その点お前はあんまり物欲しそうな目をしてたもんで、あの都落ち野郎に俺らの倍、茶請けを出されてたろう」 「え……!?」 「何だ。気づいてなかったのか? 美味そうにぺろりと食ってたじゃねーか」 「だっ……! そ、それは出された物だから全部頂かねば失礼にあたると思って…!」 「ははッ! お前、ホントに笑えるな」 今度、俺んとこで茶会やったらお前来いよ。面白ェから。 政宗は悠々とした顔でそう言うと、後は木の上にいる佐助には1度だけちらっとした視線を寄越し踵を返した。 佐助はその視線を何とか交わし、下でまたまた石のようになっている幸村にまた「あーあ」とため息をついた。 戦場では互角でも、こういう所では負けっぱなしだな。 「幸村、早く来い。お前をテーマにいーい歌を思いついた。聞かせてやるからよ」 政宗が丘を降りながらそんな事を言っている。まだからかっているのだ。 けれど佐助が何度声を掛けても、幸村はそんな政宗の姿が見えなくなるまでそこを動こうとはしなかった。 動けなかったのかもしれない。 「こりゃ本気で本気かもねえ」 真っ赤になった耳朶を目にしながら、佐助は何処の誰とも分からぬ帝の血筋を気に掛けるよりも、やはり今度の戦の心配をした方が良さそうだなと思うのだった。 |
<了> |