しいわりにて



  真田幸村は強いと思ったが、この「オッサン」はそういう類のものではない。
「へっ…。えげつねェ真似しやがる…!」
  ゴテゴテに重そうな銃を派手に撃ちまくっていても、この男が己の敵をいたぶる「とっておき」にしているモノは間違いなく剣の方だ。けれどそれに意識を向け過ぎたせいだろうか、政宗は相手の大剣を己の応龍で受けとめたほんの一瞬の隙をつかれ、鉛玉を一発撃ち込まれた。
「……ちッ!」
  ただ、幸いにも咄嗟に体勢をずらしたお陰で当たった場所は左肩。しかも弾は貫通していた。
  これならまだ動ける。
「面白ェ! 今度はこっちから行くぜッ!」
「むぅっ…!?」
  ギンッと鈍い音が響き、政宗の振り下ろした剣を今度は相手が受けとめた。ただ、力自体は助走をつけて上から振り下ろした分、政宗の方が強かったようだ。大剣を持つ片手だけで政宗からの攻撃を受け止めた事も起因して、男はその力に耐え切れず、そのまま背中を逸らしてがくりと一歩後退した。
「こしゃくな…!」
  しかし男の声にはただ怒りだけがある。焦りや迷い、ましてや怯む様子など微塵もなかった。
「アンタも楽しいかッ!?」
  直接問いかけた政宗の声に男は答えない。
  しかし政宗同様この男…第六征天魔王と呼ばれる織田信長もまた、こんな命を掛けた戦いを心底愉しんでいる事は間違いなかった。眼光にはただどす黒い殺気だけがあったが、口元に微かに浮かぶ笑みがそれを如実に証明していた。





  2人が対面し、剣をあわせ始めたのは一刻ほど前だ。
  武田軍と織田軍が衝突したという報せが届いた時、政宗は真っ先に「早い」と思った。武田は先だって上杉の軍と衝突したばかりでまだ兵たちの傷も癒えておらず、反して織田軍の方は魔王率いる本軍だけでなく、腹心・明智光秀が率いる別働隊までが西から呼び寄せられ、東を攻める算段を整えていると聞いた。これに側面からの前田の勢力が加われば今の武田が織田に勝つ確率は万に一つもない。無論、それを見越しての織田の動きだろうが、それにしてもそこまでの行動に移す期間があまりに早過ぎた。
  武田は領地の一部を捨てた。
  それが最善の策だろう……だが、それをしてあの紅い男はどうしただろうと政宗はそれがどうにも気がかりだった。 
「酷ェな……」
  あちこちから燃え立つその火の手は確かに赤いもののはずだったが、その中心へ入り込んだ時は、全てが黒く闇色に近い焔に見えた。大軍に攻め立てられあっという間に荒地となった平原だけでなく、そこに隣接していた近隣の村々にまで火の粉は舞い散り、多くの躯を残している。家々が崩れ落ちる音とこれら破壊によって既に事切れたその数多の死者は、尚も血と皮膚を焼かれ苦悶しているように見えた。
「政宗様……」
「……あぁ。どうだった」
「この辺りで息のある者はもう殆ど…」
「だろうな」
  腕を組んだままただ静かに焔を眺めていた政宗にそう背後から報告してきたのは腹心の小十郎だった。もう無駄だろうと言った政宗の代わりに軍の編成を許して欲しいと懇願したその忠臣は、焼かれた村々から息のある者を拾いに行くと言って聞かなかったのだ。今の武田にその余力はない、なれば出来る我らがやりましょうぞ、と。どこの義軍だと哂いたかったが、政宗は小十郎の好きにさせた。どうせすぐに戻ってくるだろうと思ったから。
「政宗様……」
  案の定だ。小十郎は政宗の後ろで膝をつき、顔を俯けたまま堪えようのない怒りを湛えて唇を噛み締めていた。
  政宗はそんな忠臣に代わって口を開いた。ひどく喉が渇いていた。
「俺らも引き上げだ。小十郎、お前が先頭行け」
「政宗様!」
  けれど政宗があっさりとそう言った時だ。小十郎はぎっと顔を上げ、嗜めるような眼で声を荒げた。
「なりませぬッ! この所業…奴らはただの破壊者です! 真っ当な武士ではありませんぞ! いつもの方法が通じるなどとは、よもや思いませぬな!」
「思ってねェよ」
「なれば!」
「もう遅いって。……ほらよ。もうそこにいるからよ」
「な……」
  いつも冷静沈着な己の忠臣が絶句する様はさぞや見応えがあるだろうと思ったが、生憎政宗はもう一時も気が抜けなかった。ここへ来る道すがら、本当はこうなる事はもう分かっていたのだ。どんどん近づくこの魔の気配には気づくなという方が無理だった。あっちだ。あっちで俺を待つ魔王とやらがいる。それがどれほど分の悪い戦いであろうとも、政宗はそちらへ行きたくて行きたくて仕方がなかった。
  しかし恐らくは向こうも同じ事を考えていたに違いない。
「曲がりなりにも戦明けだ。しかも向こうのがジジイだしな。あっちの方が疲れてるって」
「織田……信長!」
  唸るようにその名を呼んだ小十郎に政宗はただ哂った。
「奴さん、ここらを燃やしただけじゃ欲求不満だってよ。そうだろうなぁ、肝心の武田のオッサンにも逃げられた。領地の隅を焼いたところで向こうには何も得るものはねェ。……だったら、もう一花咲かせたいって思うもんだろう? ――退け、小十郎」
「殿!!」
「さぁ、パーティの始まりだ!!」
  小十郎の言葉を聞かず、政宗は六爪を繰り出して前方の魔へと向かった。





  そういえばこいつの家臣も姿が見えねェじゃねえか?
「オッサン……」
  どのくらい剣を交え続けていたか。
  ふと、政宗はその事に気がついてすうと目を細めた。魔王と適度な距離を保ちつつ、体勢を整えて隙なく辺りの気配を探る。
  やはりだ。
  自分はともかく、何故この男の方まで軍を率いていないのか。
「大将置いて先に家路へ向かうたあ、躾がなってねェな」
「フン……」
  己はどうなのだという顔を閃かせ、この時魔王が初めてまともな笑みを閃かせた。先刻から息を継ぐ間もなく激しい動きを見せていたのが嘘のようだ、相手も政宗の出方を探るように微動だにしない。
  政宗も肩を射抜かれているが、相手も相当のダメージを負っている。下手に動くのが得策ではないと、お互いが重々理解している故だろう。
「アンタみたいなクソ親父と長話する趣味はねェが」
  それでも政宗は向こうに付け入る隙がないかと仕方なく口を動かした。こうして対峙していても、相手の「魔」の気配とやらはどんどん濃厚になっていく。正直なところ驚いていた。ただのオッサンだ、その想いは今とて変わる事ないが、「人知を超えた奇怪なモノ」というものは、やはりこの世に存在しているものなのかもしれないとちらと思う。
  思わざるを得ないのだ。この男を見据えていると。
「武田ンとこの紅い侍は俺のもんなんだよな。オッサンに先に手を出されちゃあ、困るわけだ」
「紅い侍とな……」
「あぁそうだ。どうだ、凄かっただろ? あれは俺んだぜ」
  もしこのすぐ傍に小十郎がいたならば、「こんな時に惚気ている場合ですか!」と激しく叱咤してきたに違いない。しかし主の譲らない思いを推し量ってか、何処かには潜んでいるのだろうが、この場には姿が見当たらない。 
  すると、織田軍もそうなのだろうか。どちらかの手が緩まったら一気に攻勢を掛ける気か?
「は…まあ、いいや。考えるのも面倒臭ェ」
  くらくらする眩暈は興奮故だろうか、それとも出血し過ぎたせいか。政宗は依然としてぴくりとも動かない魔王に遂に焦れたようになり、一歩足を踏み出した。
  するとようやっと向こうも肩先を微かに揺らした。
  そして。
「ぬしに天下を取る器はないわ」
  ニヤリ、と。
「な…!?」
  一瞬唇が動いたと認識した瞬間、その魔王の放った剣の波動はそのまま真っ直ぐに政宗に向かって襲い掛かってきた。間合いは十分だったはずだ、それなのにその土を裂き空気をも斬り破るその切っ先は惑う事なく政宗をも切り裂こうと奮迅してくる。
「くっ…このクソジジイッ!」
  力任せに剣を振るって何とかその氣を跳ね返したが、ふっと顔を上げた瞬間、もう魔王は目の前にいた。
「な……」
「死ね」

  ヤバイ。

「こっの……!」
  確実に心臓に焦点を当てられた銃口を政宗は殆ど脊髄反射で避けた。
「むうっ!?」
  これには魔王も意表をつかれたのか、猛烈な怒りを顔に滲ませて更に二度、三度と砲撃を繰り返す。
「当たるかバーカ!」
  本当はギリギリ、いつ死んでもおかしくないがと思っていたが、ここまで来ると政宗も自棄だった。こいつは本当にクレイジーなオッサンだ。こんな奴にやられてあの世行きでは、それこそ「あいつ」にあわす顔がないではないか。面白半分で喧嘩仕掛けたら返り討ちにあっただなんて。
  そう、あの男に笑われる。
「喰らえッ!」
  魔王の攻撃を避けながら剣を振るうのは骨が折れた。
  それでも政宗は身体を回転させながら相手の死角に入れていた左の剣を横から鋭く叩き付けた。
「ぬう……貴様ッ!!」
  メキキと肋骨の砕けた音が確かに響き、政宗は着地したところを更に下から、今度は素早く出した六爪で相手の心臓目掛けて突き出した。
「くっ……」
  けれど魔王の憎悪に見開いた目が一瞬こちらを向いたと思った瞬間。
「何っ!?」
  それはあっという間に視界から消え、代わりに巨大な鎌の刃と大降りの矢とが雨のように目の前に降り注いだ。
「チィ…ッ!!」
「政宗様!!」
  背後から小十郎の声が聞こえた。咄嗟にそれに誘われるように後退すると、続けて激しい銃声とどこか底冷えのする女の怒声が耳にまとわりついた。
  魔王の手の奴ら、か。
「政宗様、お退き下さい!!」
  どんどん近くなる小十郎の声を受けとめながら、政宗は相手方の攻撃によって立てられた土煙と火矢によって燃え立った辺りから何とかあの男の姿を見ようと目を凝らした。
  向こうも想いは同じだったようだ。
  ぬうと黒い影がゆっくりと立ち上がり、惑う事なく政宗を睨み据えているのが遠目にも分かった。
「へっ…しぶてェな……。助けなんざいらねーじゃねーかよ……」
  にやりと口の端をあげる政宗に魔王はただじっと立ち尽くし、そしてやがてさっと片手を挙げた。後ろに控えて更に政宗のいる方向へ攻撃を仕掛けようとした臣下たちを制止する、それは彼らに対する憤怒に満ち溢れた合図だった。
「政宗様!!」
  それでも、尚小十郎の切羽詰った声は政宗をこれでもかという程せっついた。

  ああ、分かってる。もう行くから少し黙ってろ。

「……クソジジイが……」
  それでも政宗はその忠臣にそう言う事すら億劫で、ただ暫くはその場に佇み、すうっと消えていく邪悪な気配を見送った。





  数日後、「武田のご使者が参られました」と白々しい口調で発した小十郎に政宗が不審な顔で後をついて行くと、そこには珍しく正装した真田幸村の姿があった。
「何だよ、お前かよ。小十郎、お前は何畏まって……」
「我らは下がっております故」
「は?」
  しかし文句を言おうとした政宗に小十郎は素っ気無くそう言い放つと、後は知らぬフリで他の者まで下がらせて、その場には政宗たちしか残らなかった。
「んだよあいつ…。戻ってからこっち、いやに機嫌悪ィんだよ」
「………」
  ぶつぶつと言いながら幸村の前に胡坐をかいた政宗は、ふと相手の方も頭を下げたきり一向にこちらを見ていない事に気づいて眉をひそめた。
「何してんだ? 幸村、顔上げろよ」
「……此度は我が武田領が戦場となった折、伊達軍においては取り残された領民たちの救援に当たって頂いたとお聞き致しました。これは我が主から託された御礼の品々にございます。どうぞお納め下さい」
「………は?」
  きょとんとする政宗に、しかし幸村は答えない。
  確かにそう言う幸村の隣には山と積まれた「何か良さそうな物」がごっそりと置かれていた。ああ、あの時小十郎が勝手にやろうとしたあれかとはすぐに思い至ったが、どうにも他人行儀な幸村が気になって、政宗はつまらなそうに唇を尖らせた。
「あれは俺の意思じゃねえよ。あいつらが勝手にやってただけだしな、まぁ成り行きってやつだ。俺はただ西の魔王ってのがどんなだったか見てみたかっただけだし」
「どのような理由であろうと、我が領民を助けて頂いた事に変わりはありませぬ。どうぞお受け取り下さい」
「まあくれるってなら貰うよ。サンキューな。武田のオッサンにも宜しく言っといてくれや」
「は」
「………んじゃ、これで使いは終わりだろ?」
  いい加減その話し方はやめろとばかりに政宗が促すと、ここでようやく幸村はそろりと下げていた顔を上げた。
「……怪我、してんだな」
  もともと首に巻きつけられたような白い布の存在にも気がついていたが、自分と違って腕を吊っているわけでもなさそうだしと安心していたのに。
「目の端か。けど、良かったな、俺みたいに潰れなくて」
  わざと茶化して言ってみたが幸村はぴくりとも笑わなかった。それどころか一瞬苦痛に歪んだ顔を見せ、躊躇うように視線を逸らした。
「どうしたよ?」
「……何故、あそこへ行ったのです」
「は?」
「あれは、我らと織田軍との戦だったのですぞ」
「あ…ああ。だから、言っただろ? あの魔王って奴があんまり勝手に早く動くからよ。どんなもんかと思って見に行ったんだよ。別にお前らの横槍入れたわけでもねーし、文句はねえだろ?」
「怪我をされている」
「あ? ああ、これか? あのオッサン汚ねーの。剣をエサにしてショットガンでズドンだぜ? こう至近距離で撃ってくるからびびるよな、実際。お前も相対して分かっただろ?」
  何とか明るく言ってみているのだが、そんな政宗の調子に幸村はちっとも乗ってこない。それどころかますます唇を噛み締め、そしてぽつりと言った。
「某は……織田信長の剣の影すら見てはおりませぬ」
「は?」
  でも怪我してるじゃねえかと言いかけて、ふと政宗は動きを止めた。
  ひどく悔しそうな、今にも泣き出してしまいそうな幸村のその瞳に心密かにうろたえたのだ。
「お、おい、幸村…?」
「あのような…! 嘲笑っていた…某らを…!」

  お前らなど相手にするのもバカバカしいと。
  そう言われたような気がして堪らなかった。

「……それなのに何故…! 何故、政宗殿はあの男と剣を交えられたのです…っ」
「し、知るかよ」
  ここに来てようやく政宗も幸村の不機嫌な意味を知った。小十郎らは体よくとばっちりを喰らわないように避難したというわけか。
  汚い奴らめ。
「偶々会ったんだって。あっち行ったら会えそうだなって思って行ったら本当にいやがってよ。……ってか、そりゃ魔王を見たいっつー好奇心もあったが、そもそも俺はお前の事が心配だったから行ったんだぜ? お前があの魔王にやられちまってんじゃないかと―」
「某は負けぬ!!」
「わ、分かった分かった。んなむかつくなよー。獲物取られてへそ曲げたんだな?」
「!! 違う!!」
  政宗の言いように幸村ががばりと立ち上がって目を向いた。わなわなと震える拳に顔いっぱいに悔しさと憤りを表して。
  どうして政宗ばかりがあの男と戦い、そして怪我を負い。
  また同じように怪我をしている自分は何も出来ていないのか、と。
「………己の力量のなさをこれほど情けなく思った事はない」
  幸村は立ち尽くしたまま、搾り出すようそう言った。
  政宗は黙ってそんな幸村の事を見上げた。
「何も出来ず…何をも負かせず……。情けないのです……」
「俺だってむかついたぜ。あのオッサンに止めをさせなかったからな」
「政宗殿!!」
「なっ!?」
  突然怒鳴り、がばりと目の前に膝をついて顔を寄せてきた幸村に政宗は不覚にも間の抜けた声を出してしまった。ぱちくりと片方の眼でそんな相手を見つめると、幸村はカッと赤面した様子ながらぐっと意を決したような顔をして言った。
「今はまだ敵わなくとも……! 某は、必ず政宗殿に追いついてみせる!」
「はぁ?」
「御館様も武田の皆も守れる…! 政宗殿にも負けぬ…あの魔王をも凌ぐ武人になってみせます故!!」
「お、おう…。頑張れよ、な…?」
「政宗殿も早く怪我を治して下され! そして、某の相手をして下さい!」
  叩きつけるようにそう叫んだ幸村は、言うことだけ言えてとりあえずはすっとしたのだろう。ようやく一息ついたようになり、すっと姿勢を正すとへこりと改まって礼をした。
  そうして、今日はあくまでも武田の使者として来たのだからと、政宗に髪の一筋すら触らせる事なく、そのまま帰って行ってしまった。
  その間、政宗はただボー然としている他なかった。

  俺を心配しているのか単に「ズルイ」と妬いているのか、一体どっちだ?

「ま……後者みてえだな……」
  よほど魔王に相手にされなかった事が悔しかったのだろう。俺はお前に相手にされない事が悔しいぜと、政宗は心の中で苦虫を噛み潰した思いを抱きながら、「やれやれ」と言う風に頬杖をついた。
  あれだけボロボロになって戦ったのに、何だかただのやられ損かと虚しい気持ちがしてしまう。
  いや……空しい、か?
「はぁ…ったく」
  所詮あいつは戦の中でどれほど己を生かせるのか、それしか頭にないのかもしれない。それはあの黒い闇の中で戦っていた自分も、そしてあの魔王もきっと同じようなものなのかもしれないが。
「けどこういう場でくらい…もうちっと色っぽくいけよなぁ…」
  今はもうこの場にいない相手にそう毒づきながら、政宗は再度大きな大きなため息をついた。


  所詮、戦人か。そんな詰まらない想いを頭に思い浮かべながら、政宗は吊っていた腕の包帯を忌々しげに取り去った。



<了>



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