猫か女



  宴も終わり、すっかり静寂の戻った闇夜の中。
  政宗が一人剣を携えて城の庭先に佇んでいると、いつからそこにいたのか、背後には最北の元気少女・いつきが粉雪のように白い衣装を着て立っていた。
「怖ェな。幽霊かと思ったぜ」
  多少酔いが回っていたとは言え、様々な「迷い」が消えた直後だ。逆に神経は澄み渡っていたはずで、政宗の中には一欠けらの油断もなかった。―にも関わらず、この小さな存在に気づけなかった、そんな己に政宗は皮肉な笑みを浮かべた。
「俺もヤキが回ったもんだ。それとも、“God bless you”…これもお前が神サンから授かった業ってやつか?」
「……オラにも分かんね。気づいたらここにいたでな」
「ん?」
  ダイアモンドのように光る氷のハンマーを置きながらいつきが心細そうにそう言うのを、政宗は「おや」とした想いで見つめやった。
  確かに、いつもならそれこそ城中に響き渡るような騒がしい足音と共にやってくるのに、今は深夜で、しかもここは政宗の居城でも最も深奥の部分にあたる。ただでさえ現在の奥州は国境を中心に警備を強化しているというのに、一体この童はどのようにしてここまで辿り着いたのか。そもそもこの子どもには「当分ここへは来るな」と厳しく釘を刺しているし、それに対しては当人も渋々とは言え「それなら戦が終わるまでは…」と納得したはずであった。
  だから、本来。
  こんな時間にこんな風にこの少女が現れるなど、ありえないはずなのだ。
「どうやって来たのか、記憶ねーのか」
  政宗が手にしていた刀を肩先で叩きながら訊くのを、いつきは眉をひそめたままコクリと頷いた。直後も、何か気味の悪いものを見るようにきょろきょろと辺りを見渡し、所在ない風だ。…ただ、さすがに「ただの少女」ではないだけに立ち直りも早いのか、いつきはがくりと項垂れはしたものの、やがて「まあな…」と呻くような声を出した。
「こういうのも初めてじゃねえ。オラにもよく分かんねーけど、時々、寝ていたはずなのにいきなしどっか遠くの国にいたり。かと思ったら村の畑のど真ん中さ寝ていたり。まあ…別に珍しくもね、事なんだけどな」
「大胆な夢遊病患者だな」
「は?……何かそれ、悪い病気だべか」
  いつきが表情を曇らせて不安そうにするのを、政宗は一笑に付して緩く首を振った。
「まあ、いいんじゃねえの? 突然魔王のオッサン家で寝てた、なんて事がねー限りはよ」
「それ、シャレになんねえべ」
「だな。だから良かったろ。―着いた先が俺の所で」
  政宗はそう軽く言い放ってからいつきへ向けていた視線を逸らし、再び集中するようにすうと目を閉じた。

  早朝、その魔王の妹「お市」と、ひょんな事から奥州の「賓(珍)客」となった前田慶次とを使者と共に国境から出す。それをきっかけに目まぐるしく動き出すであろう各地の情勢を、政宗は頭の中で何度となくシュミレートしては、次に動くべき手立てに想いを馳せていた。ただでさえその予想しうる事態は何十種類にも及ぶ。その全てに最適な策を考える為には、時間は幾らあっても足りなかった。
  不安はない。
  興奮して、昂揚して。
  楽しみで堪らない。

「政宗」
  しかし勿論、「突然、奥州へ来てしまったらしい」いつきとしては、そんな政宗を思い遣る心の余裕はない。自分からすっかり興味をなくしている相手に不満いっぱいの顔を見せ、いつきは背後の「惨状」に目をやりつつ頬を膨らませた。
「なあ、奥州はもう祭り事や他所モンを入れるの止めたって言ってたじゃねえか」
「あ? そうだな」
「オラの事も、もう遊びに来ちゃなんねって言っでおいで。何だこの酒の匂いは? 宴をやってただか? 皆、ぶっ倒れてるじゃねーか」
「だな。悪酔いし過ぎだろ、こいつら」
  無礼講にも程があるだろう。
  通常なら考えられない程の体たらくだ。独り庭先に佇んでいる主をよそに、文字通り「爆睡」している伊達家家臣たち。酒瓶を抱えたまま仰向けになっていびきをかく者、 膳の上に突っ伏してむにゃむにゃと未だ夢の中で宴会を続けている者、肩を寄せ合って気絶したように寝入っている者達など、とにかくその姿は様々だが、その場にいる全員が全員、幸せそうに寝こけている。侍女達は一体何をしているのか、その惨状を片す者も1人として存在しない。
  城の中は鎮まり返っていた。
「戦は終わっただか」
  いつきがそう訊くのももっともだった。先日会った時は酷く怖い顔をして、「もうお前とは遊んでやれない」と言った政宗である。それなのに。
  いつきとしてはそれが酷く寂しくて悔しくて、村にいる間も落ち着かない毎日が続いていたのに、いつの間にやら自分抜きでこんな楽しそうな「祭り」を開いている。どういう事なのかと問い詰めたくなるのも無理はなかった。
  けれどそんないつきに、政宗はただ「悪い悪い」と笑うだけだ。
  そしてその直後にはその穏やかな笑みすら消して。
「まだ終わってねえ。むしろこれからが本番だ」
  そう言ってヒュンと一振り、持っていた剣を振り下ろした。
「……そうなんか?」
  その風圧におさげ髪が上に吹き飛ぶように舞い上がり、いつきはそれを意識しつつもやはり不思議そうに眉をひそめた。
  ならば何故こんな風に誰が入り込んでもおかしくない隙を作っているのか―そう、問いたかったのだろう。
  しかし政宗がそれに答えてやろうかほんの一時迷っていると、不意に聞き慣れた低い声がやってきた。
「政宗様」
「―小十郎か」
  現れたのは畑仕事とは縁が遠い方の、胃痛持ちの小十郎だった。しかしあちらの「片倉」と同様、こちらも根っこでは戦に関しては驚く程に対応が早い。文字通り政宗のその右眼は、今すぐにでも戦場へ向かえるような戦装束を身に纏い、腰にも愛用の長刀を2本しっかりと差して現れた。
「明日の準備は仰せの通り万事整えました……ん。お前は」
「どうもだ」
  視線を向けられたいつきはすぐさまぺこりと頭を下げた。いつきはいかつい小十郎の方には割と懐いているようなのに、不思議とこちらの優男風小十郎には警戒する仕草を見せる。その容姿とは裏腹に、実際どちらが「よく叱ってくるか」が分かっているのだろう。
  そんな少女の態度の違いに、政宗はどちらにも悟られぬようこっそりと笑みを浮かべた。
「政宗様」
  だから当の小十郎は勿論気づかない。いつきを見てあからさま唇をへの字に曲げると嗜めるような顔を見せた。
「この非常時に、いつの間に呼び寄せていたのです。まさか政宗様…この童に今回の大任を…というわけでは、ないでしょうね」
「こんなガキに任せるか。こいつは勝手に降ってきたんだ。こっからな」
  政宗は何でもない事のように空を指差し笑ったが、勿論いつきは2人の言い様にカチンときたのであろう。ぷくりと頬を膨らませ、2人の男を交互に睨み据えた。
「童ってなぁ、何だ! ガキって言うな! ったく、オメさんらは、何度言ってもオラの事子ども扱いするのをやめねえだな!」
「だって子どもだろ」
「子どもでしょう、実際」
  ほぼ同時に2人がそう答えたのでいつきとしても堪らない。キーッと癇癪を起こしたように地団太を踏み、「違う違う!」と意地になって声を荒げる。
「オラ子どもじゃねえだよ! オラは自分で自分の事さ何でも出来るし! 村の仕事もきっちりやってる! 戦しか能がねえオメさんらより頭もいいんだぞ! 侍の方がよっぽど子どもじゃねえか! バカの一つ覚えみてえに人を斬る事しか出来ねえべ!」
「…童。政宗様の御前で、それ以上の無礼はこの小十郎が許しませんよ」
「あ! 何するだ、放せ!」
  小十郎がまるで猫の子を放り出すような仕草でひょいといつきの首根っこを掴んだ。体格の割にバカ力である。いつきがじたばたと幾ら暴れても、その小さな足は地を離れたまま着地する事が出来ない。
「放せ〜何するだぁ〜セクハラ男〜」
「……その言葉。政宗様に教わったのですか」
「成実だぁ!」
「……後で仕置きしておきましょう」
  小十郎は小さく溜息をつくと、その状況にバカウケしている政宗に責めるような目線をやった。
「政宗様。それで、どうされるのです、この仔猫」
「誰が仔猫だ! オラ猫じゃねえだ!」
「猫でなければ鼠でしょう。家主に気づかれずに城の中に入り込めるのですからね」
「失礼な事言うなぁ! だからアンタ嫌いなんだ! あっちの野菜のおっちゃんの方が、オラ好きだべ!」
「嫌われてるなあ、お前。女には例えガキでも好かれてた方が得だぞ」
「大きなお世話です。それより、本当にどうするのです。成実にでも送らせますか」
「そうだなぁ。まぁ、普通のレディなら、そうやって送り届けるのが筋だろうが」
  くっくと笑いながら政宗は身体を屈め、小十郎に掴まれたままぐったりと両腕を下げてしまったいつきを見つめた。もう暴れ疲れたらしい。思えばこんな時間だし、子どもは眠る時間だ。いつきが何故ここへやって来たのかは神のみぞ知るだが、実際この「突然の訪問」は今後の戦局に影響を与えるものではないだろう。
「おい、今日は泊まっていっていいぞ。明日の朝イチで独りで帰んな」
  鼻を摘んでやりながら政宗はいじけたように下を向いているいつきに言った。
「俺らは忙しいんだ。お前なら、独りで帰れるだろ」
「オメさ……」
  しかし、その直後ぼそりと言ったいつきの言葉に政宗は思わず息を呑んだ。

「オメさ……誰だ?」

「…何だって?」
  驚きを隠せない政宗が静かに訊くと、不思議な力を持つ最北少女はさっと顔を上げ、自身も途惑っているような、どうしたら良いか分からないような困惑した顔を見せて言った。
「この間見た、怖い政宗さじゃねえだ」
「ん…」
「けど」
  ぶるぶると首を振っていつきは続けた。ここへ来た時から感じていた不安を全て吐き出すようにして。
「昔の優しい政宗さとも違う。ほら、前みでえに…団子大会とかやってた、あの政宗さ。誰にでも、敵味方関係なく笑ってたあの政宗さとも違うだ! オラの知らない……違う人間の匂いがするだよ!」
「……なるほど」
「おめさは、オラの知ってる政宗さじゃ、ねえだ!」
「こ、こら…」
  次に困ったような声を出したのはいつきを捕まえていた小十郎だった。いつきの台詞に小十郎自身、驚いたのだろう。その相手のふとした隙をつき―…、いつきは素早く小十郎の拘束から逃れて駆け出すと、実に素早い動きで傍にあったハンマーを政宗目掛けて振り上げた。
「政宗様!」
  それにすかさず己の剣を抜こうとした小十郎を、政宗は一瞥だけで制した。
「ハッ…」
  そうして直後自分に向かって降り下ろされてきた氷のハンマーを―……政宗は己の刀であっさりと受けとめた。
「うわぁっ…!」
  飛びかかった勢いのまま攻撃を仕掛けたいつきは、政宗のその防御に逆に弾き返され、ひっくり返った。力が跳ね返された反動でゴロゴロと何回も身体が後ろへでんぐり返る。
「ひゃあ!」
  やがて転がりまくった先に立つ松にぶつかる事で、いつきはようやくその動きを止められた。
「いってぇ……」
「Are you OK? 相変わらずバカだな」
「うぅっ…」
  頭をしこたまぶつけた涙目のいつきに、政宗は呆れたようになりながらも歩み寄って声を掛けた。

  手合わせをする相手には不足過ぎるが、逆に「それ」が良かった。
  無駄に昂揚していく熱がすうと冷えていくようで、政宗は表情には出さなかったが、「助かった」と心の中で嘆息していた。

「……お前が現れなかったら、俺はこのテンションのままpartyを始めるとこだった」
「ん…?」
「やっぱお前は天使かもしれねえな。いや、戦の女神か? だとすると、時の流れは俺の方にツキを寄越してるのかもしれねえ」
「何の…話だ?」
  痛みと意味不明の言葉を投げかけられているのとで、いつきはいよいよ不審な顔をして唇を尖らせた。しかも前方からは小十郎がしきりと「政宗」を心配する声を掛けるものだから、それが1番面白くなかったらしい。「やられたのはオラだぞ」とか、「何を言っている、この無礼者!」とか、やや不毛な言い争いが繰り広げられ、政宗がふと我に返るまで、暫しその場は騒然とした空気に包まれた。
「なあ、ガキ」
  その時が一体どのくらい続いたのだろうか。
  殆ど蚊屋の外だった政宗が、ふいと今にも小十郎に飛び掛りそうになっているいつきに言った。
「お前の眼は本当に呆れる程良い」
「ん…?」
「確かに…今の俺は、お前が今まで見てきた俺じゃねえ」

  そう、俺は生まれ変わった。
  「本当」の天下人となる為に。

「けどお前やお前の国の奴らに約束した事は覚えてる。……見ていろ。もうすぐ天下を獲ってやるから」
「………そう言ってる武将はたくさんいるだぞ」
  政宗のいやに自信たっぷりな言い様に却って不安を煽られたのか、いつきは憮然とした様子でそう言い返した。その声に力はなかったのだけれど。
「だが、それを本当にするのは俺だけだ」
  だからこそ、か。
  ニヤリと笑って政宗はいつきに手を差し出した。それに対しほぼ無意識にだろう、幼い小さな手は反射的に政宗の伸ばしたその手を掴んだ。
「ふ…」
  だから政宗はそんないつきの手をそのままぐいと引っ張り上げ、その勢いのまま自身の肩にその少女の身体を担ぎ上げた。子どもが出来たらこんな風に抱き上げてやる事もあるのだろうが、今はそんな未来は微塵も感じられないなと自嘲しながら。
「見てろ、いつき」
  いつきが政宗の方を見る。そこにはもう知らない人間を見る畏れのようなものはなかったけれど、どことなく不安な色はまだ見て取る事が出来た。
  それでも政宗はただ笑った。

「もうすぐ獲ってやる。そしたら俺が作る国をお前にも見せてやるからな」



<了>




政宗がいつきを抱っこするシーンを書きたいが為にここまでだらだらといってしまいました。政宗様は怖いけど、優しい感じなのです。いつきに懐かれてる殿が好きです。

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