釣り



  政宗が祭り好きだという事は幸村もとうに知っているので、「今度の大会はこれで決まりだな」と言って笑った“ソレ”には、正直「あれ?」と途惑った。


「政宗殿」
「ん?」
  だから訊こうと呼びかけたのだが、政宗の甚く上機嫌で応える声が清々しく、幸村は却って後に続ける言葉を躊躇ってしまった。
  政宗の涼やかな横顔は時々心臓に悪い。意図せず高鳴ってしまう鼓動に気づかれては堪らないと、こういう時の幸村はいつだってヒヤヒヤしてしまうのだ。
  実際政宗がゴキゲンなのは、昨日から信玄公認の「幸村逗留」が叶ったせいだったりするのだが。
「どうしたよ、幸村」
「あ」
  しかし、そんな事に想いを巡らせられる幸村ではない。
  自分から呼んだくせに、ついつい政宗の整った顔を見つめ過ぎてしまった後ろめたさで、幸村はすっかり焦ってしまった。再度「どうかしたか」と問われても、さっと頬を赤らめ、首を横に振る事しか出来ない。
  まったく情けないと思う。戦場ではありえない事だ。
「べ、別に…大した事ではないのですがっ」
「ん?」
「その…。その、此度の諸国大名を招聘しての“いべんと”について……」
「ん? ああ、これか?」
  政宗は幸村の妙に畏まった態度に多少首をかしげていたが、とりあえずはそれを流して、手にしていた竿を軽く振った。
  いつの間にか餌を取られている。竹を割いて簡単に作り上げた質素なその釣竿は、普段それをしない政宗には大した釣果を呼び込まない。
「ちっ。またやっちまったな」
  それでも政宗は別段悔しそうでもなく、釣り糸ごとそれを引き寄せてから、また傍にある餌を針に刺して、目の前の溜池へぽちゃんと放った。
「fishingってのもあれだな。難しいもんなんだな」
「はあ…」
「幸村。けど、アンタは割と得意なんだな?」
  政宗がちろと視線を向けた先には、幸村の釣った魚が入った桶があった。後で逃がしてやろうと思い水を溜めた先に放っているが、そこには3匹、然程大きな物ではないが、美しいヤマナが水色と相交わるようにその鱗を輝かせていた。
「俺はまだ1匹も連れてねーのにな」
「そ、某は、幼い頃からよくこういった池や川で釣りをしていたので」
「へえ。誰と?」
「父上や兄者。それに佐助と」
「ふうん」
  それを聞いた政宗は一瞬何事か言い掛けて、しかしふいと口を噤み、それから小さくくっと笑った。
「……?」
  勿論幸村はそれで怪訝な想いをして眉をしかめたのだが、政宗がそうやって一旦黙ってしまえば、その理由を訊こうとしても教えてもらえないだろうという事はもう分かっていた。
  政宗とこうして2人。
  肩を突き合わせて共にいる時間は、決して一度や二度ではないわけだから。
「それで」
  ふと釣り糸を眺めていた政宗が再び口を開いた。
「結局、さっきは何を訊こうとしてたんだ?」
「は?」
「今度ウチでやる“fishing party”について、何か言いたい事があったんだろ?」
「あ、ああ……。別に、」
  大した事ではない、と言おうとして、けれど幸村はふと釣り竿から目を離すと、先刻からしきりとしていた行為―政宗をチラ見する―をして言った。
「少し意外な気持ちがしたものですから」
「意外? 何が?」
「その……某は、釣りも嫌いではありませぬ。単純に見えて実は奥が深いものですし。竿や餌や、糸を放る位置も重要で、釣りにもそれなりの戦術が必要」
「だよな。素人にゃ、ちと敷居が高いスポーツだよな?」
「は? あ、ああ…まぁ、ともかく。その…その割に、こう、釣りというのは動きの少ないものではござらんか。じっと…こうして釣り糸を垂れるのが大部分なわけですから。その、つまり…政宗殿が催す“いべんと”にしては、その…」
「華がないって?」
「はい。あ! い、いや、そのっ!」
  ズバリと本心を突かれて幸村は慌てた。別段、政宗のやろうとしている事にケチをつけようと思ったわけではない。むしろ政宗の考える事はいちいち凄いと感嘆する事多々、なのだ。
  幸村自身は正真正銘の“戦バカ”なので、主である信玄の言われるままに槍を振るい、戦場を駆ける事しか芸がない。だからその戦場で出会い、惹かれた政宗の事も、同じ戦武者として対等に渡り合える力を持つ男だからと興味を持ったのであって、正直最初はこれほど自分と「差」があるなどとは思いもしなかった。
  政宗も自分と同じ、ただ剣を振るう事のみに想いを傾ける男と思っていたから。

(しかし……違うのだ。政宗殿は、ずるい……)

  時々「凄い」と「狡い」が共存する幸村の感情。
  政宗は力のみを頼りに天下を獲ろうとしている一介の戦国武将ではない。政治的にも優れた国主であり、また文化人でもあった。暫しの休戦の折には、必ずと言って良いほど近隣の諸大名を集めて変わった大会を催し、交友関係を広めていく。中には当然、政宗の人徳とは関係なく様々な思惑を持ってやってくる狸もいるのに、政宗はそれらの事全てを承知で、いずれは敵になるだろう者達を自国に招き入れてしまう。そして最後には、気づけばその狸も己のペースに引きずり込んでしまうのだ。
(しかし何故…今回はこの釣りなのだろう…)
「なるほど」
「!」
  不意に政宗が得心したように呟いたので、幸村はハッとして顔を上げた。
  政宗は依然として釣り糸に視線を落とし幸村を見てはいなかったが、その唇の端に浮かべた笑みは明らかに幸村の想いを汲み取ってのものに見えた。
「な、何です…」
  だから途惑いがちに問いかけたのだが、政宗はすぐには答えを寄越さず、ただじっとして片手で竿を持ったまま、立てた膝に肘を乗せて頬杖をついていた。
「政宗殿」
  政宗がこちらを向いてくれないのが嫌だった。
  焦れたように呼ぶと、政宗は「ん」と鼻先でくぐもったような音だけを漏らし、それからようやく竿を上げると「駄目だなこりゃ」と笑った。
「どうやら俺には釣りの才能はないらしい」
「……何を笑っておられたのです」
「ん」
「先ほど」
  誤魔化されては嫌だと不満の顔を全面に押し出すと、政宗はそんな幸村を子どもを見るような目をして笑い、緩く首を振った。
「……アンタのこと、考えてたらな」
「え」
  幸村がびくりとして肩を揺らすと、政宗は再びくっと笑ってから、「アンタって」と、別段何でもない事のように淡々と言った。
「考えてないようで、実は色々考えてんだな」
「何をです……?」
「んー? 俺の事を、だよ」
「な…」
  突然の言葉に幸村は思い切り面食らって絶句した。確かに政宗の事を考えてはいたが、それを当人から指摘されては面白くない。
「う…!」
「幸村」
  けれどそれを否定する間もなく、政宗は不意に幸村の方へ身体を近づけ、互いの吐息が掛かるくらいの位置にまで接近すると、再度形の良い唇を動かした。
「アンタは始終俺を目で追ってるくせに、大事な事は何も言わねェからな。けど、俺のやる事に、アンタ、いちいち意味を探すだろう。何で俺はこう言ったのか、何でこんな態度を取るのか、とかよ」
「そ、それは―」
  政宗がいつも突飛な行動を取るからだ…。
  戦場に出る度、政宗を探すようになったのはいつからだろう。いつでも驚かせてくれる、あの蒼い姿に猛烈に憧れていた。そうして、こうやって戦のない時に合い間見え、言葉を交わす毎に、これまで感じた事のないような感情に襲われて、幸村はいつだってそんな自分に困惑し、時には恐怖すら覚えた。
  それなのにいつでも静かに笑っている、余裕の体の政宗には恨めしさすら覚えたし、また「何故」と、いつでも相手の気持ちを知りたいと思った。
  だから、見ていただけなのに。
「ん…っ!?」
  ただ、幸村のそれらの想いは全て政宗によって封じられた。
「―……ッ」
  己の口を不意に覆ってきたものは政宗の唇。先刻からじっと見つめていた、綺麗だと思って見惚れていたもの、だ。それが不敵な笑みと共に寄ってきて、あっという間に重なってきた。初めてではない、けれど幸村の中で政宗のこういった行為は未だ慣れなかった。立ち合いの時は対等であると信じているのに、こんな時は全てを奪われたような気分に囚われ、悔しくなる。
  それでも、動けない。
「……隙だらけだな、こういう時は」
「ま、政宗殿が…っ」
  唇を離された瞬間そう言われて、幸村はぼっと顔全部を燃やす程に赤面した。
  ただ誤魔化すように唇を擦ろうとすれば、政宗に手を掴まれ、それを遮られる。
「政宗殿…!」
「そう照れるな。いい加減慣れろよ」
「そ、そのような事…!」
  痛い程にぎゅっと手首を掴まれて、幸村はどちらへ視線をやって良いかも分からずあわあわとなった後、仕方なく俯いた。駄目だ、胸が破れる。そう思うのだがどうしようも出来ない。政宗に引き寄せられ見つめられているというだけで、幸村の身体全部は「心臓」になった。
  だから政宗はずるいのだ。
「釣りに大した意味なんかないぜ」
  政宗が幸村の耳元に唇をつけ、囁くような声を発した。
「単に、そうだな……。こういう遊びは、そいつの性格がもろに出るだろ。だから、面白そうだと思っただけだ」
「ま…政宗殿…少し…離れ…!」
「真田幸村って男の事も少しは分かるか、とかな? 今日のはちっとも参考にならねェけど。俺の思惑を探るのに必死で、アンタ全然集中してなかっただろ?」
「そ、そのような事…っ。それより、どうでも良いですが手を―」
「それに」
  相手の言葉などまるで聞こえないかのように、政宗は拘束していた手首を更にぐいと引っ張ると、体勢を崩した幸村をそのまま自らの懐に抱えこんだ。
  そして心底可笑しそうに言った。
「それに、でっかい祭りを開けば、アンタを呼ぶ口実が出来るだろ?」
「な…」
「信玄のオッサンも今回みたいに堂々と俺らの逢引を公認してくれるだろうしな?」
「そ、そのような…公私混同ではござらんかッ! 一国の主が、そのような事…!」
  その実に不謹慎な台詞に幸村がようやくじたばたと暴れ始めると、当の政宗は何でもない事のように、そして何を今さらという風な顔をして目を細めた。
「俺は出来た人間じゃねェからな。魚の奴も分かってるぜ。……だから本当に欲しいと思った時には―…俺はこの池に入っていって、無理矢理にでもこの手で直接捕らえるんだろうぜ。……アンタを捕まえた時のようにな」
「……!」
  政宗の言葉に幸村はドキリとして瞑っていた目を開いた。
  本当に一瞬の事だったが、政宗の想いを直接肌に感じたような気分だったから。
「それは……」
「ん?」
「………」
  けれどそれは違う、と。
  幸村は心内でこっそり呟いた。

  捕まったのではありませぬ。この幸村自らが、竜の懐に入ったのです。

「…政宗殿」
「ん? 何だ、手、痛いか?」
「……いえ。ですが―…」
  ただ、それを素直に言うのは癪に障る。
「いえ。何でもありませぬ」
  幸村はその想いを胸に秘めたまま、ゆっくりとかぶりを振った。
  そうして、そうか政宗が「幸村は大事な事は言わない」と思うのはこういう時かと、妙に納得したりもした。
  結局、「それ」を言う気はないのだけれど。



<了>




照れるから、好きとか惚れたとかは言わないのです、お互い。

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