今まで幸村幸村と、それこそ犬猫を呼ぶような気安さで主に接近していたのは、紛れもなくあの独眼竜政宗だ。 「それなのにいきなりつれなくしちゃうんだからね。そーゆーのにうちのダンナはホント免疫ないんだから」 竜のダンナも罪作りだなと、佐助はただ単純にそう思う。 事情は分かっているつもりだ。 先だって奥州境界付近の村が落ち武者の集団(要は賊だ)に襲われ、幾人かの死者が出た。 戦国乱世でなくとも、力の無い者が有る者から理不尽に虐げられる事は別段珍しい事ではない。確かに奥州は他国より多少警備の緩いところはあったが、それが政宗の施政方針の不備故とは、佐助自身は思っていなかった。 けれど明らかに、あの時を境に政宗は変わった。 「農民の1人2人死んだだけでああも豹変するとはね。竜のダンナも真田のダンナみたいに甘いトコがあったってわけだ」 西の魔王とまではいかずとも、正直あの男は己の天下統一の為ならば誰が死のうが構わない性格なのかと思っていた。そういう不敵さがあの男には見え隠れしていた。佐助はそれを非難するつもりはないし、実際そういう武将は全国に五万といる。代表すべきは勿論西国の織田信長だが、瀬戸内の毛利も相当冷酷で通っているらしいし、あの仁義厚い四国の長曾我部でさえ、カッとなって前が見えなくなり、失敗する事は多々ある。 結局のところ、己の部下を一人も殺さず天下を獲るなど不可能だし、その周辺の土地が荒れてしまうのも当たり前の事なのだ。 何故なら、それが戦だから。 「それはうちの大将だって例外じゃないんだよ…ダンナ」 ぽつりと呟いた佐助だったが、勿論それを聞いている者はいない。 |
佐助の災難2
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向かった先は奥州・独眼竜が住む居城。 「お、おかしいな…。竜のダンナは警備を強化したって言ってたのに」 全く苦もなく入り込めてしまった城の中。 そもそも国境付近からして、どのように潜り込もうかと散々思案していたのに、殆ど何の苦もなく侵入成功に至ったのだ。これを「罠だ」と思わない方がどうかしていた。 「やっぱり…罠、なんだよねぇ? これ?」 元々不幸体質の佐助だ。こうもノーマークで入り込めてしまうと、逆に空恐ろしくて今すぐにでも回れ右をしたくなる。まさかそれが向こうの意図でもないだろうが、それでも佐助は一端は入り込んだ城から本気で撤退しようかと考えた。 けれど、運が良いのか悪いのか。 「お、お前…ッ。こんな所で何をしているッ!?」 「ありゃ、アンタも来てたの? 奇遇〜」 この女に遭ってしまったら、もう引き下がる事は出来ない。 「かすが」 「気安く呼ぶなッ」 いつでも主である上杉謙信以外の者には総毛立つ猫のように敵意を剥きだしにする忍・かすが。元は佐助の同郷だが、謙信の魅力に囚われた彼女は実にあっさりと里を裏切り、今では神速の懐刀だ。 ただ、佐助としてはそれを「裏切り」だとか「忍の風上にも置けない」とかで非難する気は毛頭ないわけで、どちらかというとこの忍の事は好きだったりする。 「ひょっとしてそちらサンも独眼竜の偵察? お疲れ〜」 だから仲良く一緒に偵察―…というノリの佐助に、しかし勿論かすがの方はついてこない。フンと鼻を鳴らしてそっぽを向くと、後はまた警戒したように城内の様子に気を配り始め、佐助の事など知らぬフリだ。 「……これはあのお方の」 ただ、ずっと沈黙を護り続ける事が出来ないのもこのかすがの忍として不適格なところである。 「あのお方の知るところではない。これは私の独断だ」 「へ?」 「謙信様は私たち下の者の事をいつも考えて下さる。決して危ない橋を渡らせようとはなさらない、お優しいお方だ。だが、このところの独眼竜の動き、注意しないわけにはいかないだろう…」 「なーるほど」 「貴様の所とて同じだ!」 あくまでもお前は、甲斐の者は自分の憎っくき敵なのだとかすがは念を押す。 しかし佐助にしてみれば以前よりは随分と気を許して結構何でも話して来るかすがはやっぱり可愛いと思う。何だかんだと自分の行動が不安なのだ。だから「偶々」とは言え、傍にいる佐助にこんな事まで話してしまうし、それで自分の立ち位置を確認しようとする。 けれど今回ばかりは、信玄から預かってきた「これ」を持つ自分はともかく、謙信公の命もなく伊達の居城に侵入しているかすがは早く撤退させた方が良い。 余計な仕事を一つ増やして内心佐助は冷や汗ものだった。 「でもさ、まずいんじゃない。謙信公も今頃あんたの事心配してるんじゃないかな。帰った方がいいと思うよ」 最初は控え目に。 「フン、何を偉そうに…。貴様に言われる筋合いではない」 手土産もなしに帰れるかとかすがは言う。 それはそうだと頷きながら、それでも佐助は頑張って続ける。 「けどさ、この頃の竜のダンナは今までのダンナと違うみたいだし。勝手に侵入してるの見つかったら何されるか分かんないよ?」 「はっ、それはお前も同じ事だろう。何を馬鹿な事を…」 確かにそれもそうだ。何の説得力もない。 佐助はハアと深いため息をつきつつ、それでもめげずに続けようとした……が、その時、だ。 「小十郎。分かっていると、俺は言ったぞ」 不意に威厳のある声が下から聞こえてきて、二人はぎくりと動きを止め、気配を消した。 通りの渡り廊下からやってきたのは、紛れもなく独眼竜・伊達政宗だ。その背後につき従っているのは―…政宗の右眼、片倉小十郎である。 「……ぅわ」 久しぶりに見た竜のその姿に佐助は思わず息を呑んだ。恐らくは隣のかすがも同じような感想を抱いたに違いない、ひやりと汗を流し身体を硬くしている。 それも道理。 何てこった、竜のこの研ぎ澄まされた殺気は。 (闇だ…俺たちと同じ……) あの明智と対峙していた時もそれは感じていた。けれどあの時は尋常でない状況だったし、明智という存在自体が異常だったから、政宗の闇オーラも当然と思っていた。 けれど今は自らの陣地にいて、周囲には己の信頼する片倉しかいないのに。 「政宗様」 そしてその「竜の変化」は多分、この右目も十二分に感じている事なのだろう。 ふと足を止めた政宗に対し、重臣である小十郎は難しい顔をして首を振った。 「お分かりならば…ならば少しは、お休み下さい。もう幾日も寝所でお休みになられていない。……皆、心配しております」 「心配、掛けてるか」 他人事のように応える政宗。その声も佐助には何故だか恐ろしかった。 やばい、本当にやばい。本当にここにいて平気なのだろうかと、忍としての本能が真っ赤な危険信号を発し始めている。 「当然です。政宗様とてお分かりでしょう」 そんな佐助をよそに、淡々と会話を続ける双竜。 「政宗様」 「分かる」 「ならば―」 「だから、分かっていると言ったんだ」 怒鳴るでも不快な声を出すでもない、政宗は静かにそう返事をし、やがて外の庭木へ目を向けた。尚も何事か言いたげな小十郎にはちらとも視線を向けようとしない。庭木の事などどうでも良いくせに、恐らく政宗はそうする事で暗に小十郎に「もう黙れ」と告げていたのかもしれない。 けれどその妙な沈黙の中、先に声を発したのは政宗だった。 「心配すんな、小十郎」 「……政宗様」 「明日の朝議に掛ける例の案件を片したら寝る」 「…ッ、政宗様! そう仰っても、ちっとも―」 「まっさむねー!」 その時、不意にその緊迫した空気を思い切りぶち破る能天気な声が辺りに響き渡った。 「よっとー。へへへ、到着〜!」 どこから突進してきたのか、あの大きな木槌のハンマーを背中に背負い、最北の農民・いつきが竜の庭へ押し入ってきたのだ。 「はぁ〜、疲れただ。今日は途中で雨が降ったでな。ここへ来るまでの時間、新記録を目指してただのに、駄目だっただ!」 「いつき」 政宗の娘を呼ぶ声が柔らかくて、佐助は心なしかほっとした。どうやら侍でない事が少女の命を永らえさせているらしい。 しかしその唇から発せられた内容は酷く冷たいものだった。 「お前は、暫くここには来るなと言っただろ」 「何でだ? そったら事おめさん、言ってただか」 「言った」 「なら忘れてただ!」 悪びれもせずいつきはそう言い、それから当然のように政宗たちがいる廊下の一端にどっかと腰をおろした。ハンマーは庭先に無造作に置いてしまう。 「腹減っただー、腹減っただー。遠くからわざわざ遊びに来てやったんだべさ、何か食わせてけろー!」 「こら娘! 政宗様はお疲れなんだ、飯なら他で食わせてやるから、こっちへ来い!」 見かねた小十郎がいつきにそう声を掛ける。 けれどそれを「いい」と制したのは他でもない政宗だった。 「いつき」 自らもいつきの横に腰をおろすと、政宗は同じように庭先に身体を向けた。小十郎には「何か持ってこいよ」と声を掛けて。 「は…わ、分かりました」 「オラ甘いお団子がええだよ! あの赤いお侍が好きな!」 いつきのその声にぴくんと反応したのは佐助。 そして、いつきの隣に座る政宗だった。 「ここは甘いもんがいっぱいあるからええだなあ。それもこれもあれだべ? あの赤いお侍の為に用意してるんだべ。いつでもご馳走してやれるようにっ」 「もう来ねェよ」 からかうように言ったいつきに政宗は素っ気無く答え、そして続けた。 「いつき。冗談じゃねーんだ。食ったらすぐ帰れ。もうお前とは遊んでやれねえ」 「………」 「分かってて来るんじゃねえよ」 「……戦があるだか」 急にしょんぼりとして項垂れるいつきに、佐助はまるで自分が叱られたかのように妙に沈んだ気持ちがした。おかしいと思いながらそれでも咄嗟に―…、この破天荒な娘の背中に、佐助は主である幸村の陽気な笑顔を思い出してしまった。 「安心しろ。お前がいる方ではやらねェから」 政宗の静かな言葉にいつきがカッとして顔を上げた。そんな仕草も幸村を見るようだと佐助は思った。 「そういう問題じゃねえだ! 戦があれば土地が荒れる! 人が死ぬ! 何より、オラたちみだいな何も出来ねえ農民が先に殺されるんだ…ッ! 土地を…追われるんだ!」 「……そうはさせねえ」 「無理だ、そんなの!」 「いつき」 まるで駄々っ子をあやすように、政宗はいつきの小さな頭をぽんぽんと二度叩いた。その優しい仕草は、以前のものと同じ。佐助は目を見張った。 「お前は俺の作る国が見たいと言っただろ。―…今の状況で戦を避けるのは無理だ。殺らなきゃ殺られる。今はそういう時代なんだよ」 「政宗…」 「俺には背負っている命がある。…そいつらだけでも護らねえとな。それしか出来ない今の自分が……全く恨めしいが」 これは愚痴だと政宗は言い、それから背後をちろと眺めた。 「!」 とうに気づかれている、そう思った。 「家康の奴は同盟だ何だで小賢しい動きをちょこまかしてきてるが、俺にそんな気はねえよ。独自に情報も入る。―…豊臣の事は承知しているぜ」 「政宗…?」 いつきがぽかんとした顔を見せたが、佐助にはすぐに分かった。 アンタ、それ俺に向かって言ってるんだね。 「武田がどこよりも豊臣を警戒しているのも知ってる。あのオッサン、あれでいて堅実な戦略家だからな。……織田もいる中、確かに四方八方に気を配るよりは、うちと組んだが楽だろうよ」 「……全部お見通し、ですか」 「お、お前…!」 かすがの慌てる声にも構わず、佐助は素早く政宗の前に下り立った。いつきはそれに驚いて「ひゃっ」と小さな声を漏らしていたが、隣の政宗が全く動じていない為かすぐに静かになった。 「久しぶりだな」 「そうだね」 「どうだよ、うちの警備は。温いだろ」 何の感慨もなくそう言う政宗に、佐助は嘲るような笑みを浮かべ肩を竦めた。 「何言ってんの。俺サマ達の事、招待してくれる為に空けてたんでしょ」 敢えてかすがの存在を匂わせて佐助はそう言い、ハアと小さくため息をついた。 「―で。つまりは、この書簡。受け取ってくれないんですか」 「甲斐がうちに下るって内容なら読むぜ」 「んなわけないでしょ」 「………」 「いいの? 本当に?」 らしくもなくそう食い下がる自分は忍としての範疇をとっくに越えていた。 それでも言わずにはおれなかった。 竜の静かな殺気が恐ろしくないと言えば嘘にはなったが、それ以上にあの主の気落ちした顔をもう拝みたくはなかったから。 「あいつ」 その時、不意に政宗が口を開いた。 何の感情も読めない顔で。 「怒ってるか。俺のこと」 佐助は政宗のその台詞に突然むかっとし、らしくもなく顔を赤くさせた。勿論すぐにそれは仕舞ったが、感情を表に出してはならぬ忍として何と不甲斐ない、何をやっていると、心の内で激しく自らを罵倒するのは止められなかった。 それでもこの竜にも文句を言わずにはおれない。 「真田のダンナが今どうなってるかなんて、ホントにアンタが気にしてる事? ホントに心配? なら自分で確かめれば?」 「……無理だろ」 「悪いけど、俺に教える義理はないんで」 「お前。やっぱり性格悪いな」 「お互い様でしょ!」 何故こんな男がいいのだろう。佐助がむかむかとした頭の中で今度は政宗への悪口をしきりに並べ始めると、当の政宗はまるでそれが聞こえたかのように突然据わった眼を向けた。 お前と戯れ合いなどする気はないという風に。 「消えろ。今すぐ消えたら殺さねェでいてやる。……上の忍もだ」 「………」 「俺も大概、甘さが抜けねえな」 政宗の何をも受け付けない声に佐助は思わず開きかけていた口を閉ざした。 ただ、隣でハラハラと事の成り行きを心配そうに見つめているいつきという少女には精一杯少しだけ笑って見せた。 恐らく自分たちの命が助かったのは、この少女のお陰だ。この子どもの前だから政宗は刀を抜くのを止めたに違いない。敢えて片目も遠ざけたに違いない。 「甘い」領主を見せない為に。 しょうがないよね……ダンナ。 「……勿論、俺サマはこんな所で死ぬ気はないんで。お言葉に甘えて、失礼しますよ」 寿命だけはかなり縮んだと思いながら、佐助は素早く政宗の前から飛び退った。後からかすがが慌てて追ってきて何やら言ってきていたようだけれど、佐助の耳には入らなかった。何てとんでもない日だ、何て酷い日だと、やはり頭の中では仕切りと意味もなく言葉を並べていたけれど。 信玄が豊臣の情報を餌に持ちかけようとした甲斐と奥州による和睦への道は。 竜がそれを蹴った事で、永遠にその機を逸してしまった。 |
<了> |