に磁石



「政宗殿」
「何だ?」
「あれは何です」
「What? 幸村。お前、目が悪ィのか? あんなでけえもんが何かも分からないのかよ」
「いや……そういう意味ではなく……」
  その日はとても天気が良く、春の気候にしてはむしろ蒸し暑いくらいだったが、幸村にとっては絶好の「鍛錬日和」だった。だから敬愛する「お館様」こと武田信玄にいつもの喝を入れてもらった幸村は、「いつものように」猛烈な勢いで「走って」政宗のいる奥州にまで足を運んだのだ。
「………」
  けれどいつも2人が顔をあわせる小高い丘の上、大きな一本杉の下には政宗以外にも人がいた。否、人…と呼んでも良いものか。目の前の「それ」はしゅうしゅうと何やら白い煙を肩先から吹き出した状態で大木に寄りかかり、強烈な電撃を帯びた巨大な槍を従えたまま、じっと目を瞑り微動だにしなかった。この煙は全身を覆っている「鎧」から放出されているものなのか、それともこの者自身から発せられているものなのか…それも幸村には分かりかねたが、ただその尋常でない様子から、とにかくその者に何か異常が起きているだろう事はすぐ分かった。
  分かったのだが、しかし。
  先ほどから政宗がその者に施しているらしい「治療」が幸村には意味不明だった。
「調子に乗って飛んできたはいいが、この暑さでエンジンごとボディを焼かれたんだろうな。まあ、暫くこうして冷やしておきゃ、治まるだろうよ」
「はぁ…?」
  幸村の頭の上では現在たくさんの疑問符が飛んでいるというのに、政宗はそれに気がついていない。彼は先ほどからいやに楽しそうな様子で、相手の鎧の各部位をやたらと開けたり閉じたりして中を覗きこみながら、手にしていた水差しを時折その箇所に流し込んだりしているのだ。その度鎧の男…否、鎧である鉄の部分が苦しそうにふうふうと荒く息を継いでより一層の煙を出すものだから、幸村は思わずじりりと後ずさりしてしまった。
  依然として政宗の方はそんな幸村に背中を向けたままなのだが。
「……政宗殿」
  やっとの事で幸村が再び声を上げられたのは、政宗が作業を終えたような調子で背筋を伸ばし、パンパンと手を叩いているのを認めてからだった。
「政宗殿…っ」
「ん?」
  2度呼んでやっと振り返った。
「む…っ…」
  ちらちらと未だ背後の鎧男を気にしている政宗に幸村は眉をひそめた。いつもはここで会った時はすぐにこちらを真っ直ぐに見て「来たな、真田幸村」と言ってくれる。政宗の目が他の所へ向く事など1度だってなかったのに。
「それは何なのです」
  けれどそんな焦れた想いとは別に、気になるものは気になる。幸村は先ほどから解決しない疑問をもう一度口の端に乗せた。
「そのような…黒い鎧に無骨な槍…。政宗殿の配下にこのような方がいらしたとは」
「冗談言うなよ。こんな趣味悪ィもん、俺ンとこでは願い下げだな」
「では…?」
「お前マジで知らないのかよ。こいつは徳川ンとこの忠犬、本多忠勝ってバケモンだ。気に喰わねェ事に<戦国最強の武人>なんつー通り名でも呼ばれてるがな。最強っつったらこの独眼竜政宗様の事だろうがよ。なぁ?」
「何を、それなら某とて…! …っと、そ、そのような事は今はどうでも良いッ! 本多忠勝ですと!?」
「Yes!」
  妙に爽やかな返事を寄越す政宗はやはりどことなく嬉しそうだ。依然として傍でしゅうしゅうと煙を吐いている忠勝をまた振り返り見ながら、「見ろよ幸村」と子供のように声を弾ませる。
「俺も間近で見たのは初めてだな。ハンパねェ身体してんぜ。見るからに<鉄塊>だしな。俺の応龍がどんくらい通用するのか是が非でも試してみてえ。早く目、覚まさねえかなぁ」
「は、はあ? まさか、この者と手合わせしようと考えておられるのか!」
「Of course, I do!」
「異国の言葉は分かりませぬ!」
  ぎっと幸村は睨みをきかせ、ただただ笑顔の政宗に切羽詰まった声をあげた。
「何故この者がここにいるのです! ここは奥州ではありませぬか!」
「そうだが?」
  お前はさっきから何をカリカリしているのだと言わんばかりの顔で、政宗はようやく憮然として腕組をした。
  幸村の焦燥はそれにより一層増したのだが。
「空を飛んできたと仰られたな! もしや本多殿は奥州を偵察に来て、思いも掛けずにこのように怪我を負われたのではないだろうか?」
「怪我っつーか、エンジンが焼けただけだろ」
「訳の分からない事を仰らないで下さい! そ、それならば何故政宗殿はそのように呑気に構えておられるのです? 徳川が攻めてくるやもしれないのですよ!?」
「Ah〜? 何だよそんな事かよ」
  政宗は幸村の焦ったような物言いにようやく合点が言ったのか、途端目を細めて口の端を上げた。
  それから幸村に近づくと、おもむろにその首に腕を回す。
「わっ…」 
「お前、俺の事心配してたのかよ」
「ち、違います…っ」
「そうだろーが」
「そ、某との勝負をつける前に…! この、最強の武人率いる徳川軍に伊達軍が敗れては困ると、そ、そう思っただけで…っ」
「ハッ、なるほどねえ」
「ぐっ…ちょっ…苦し…!」
「ふ……」
  容赦なく腕を締めて幸村を羽交い絞めにしていた政宗は、その乱暴な行為とは裏腹に、己の懐でじたばたともがく相手を実に愛しそうに眺めやった。
  そうしてひとしきりの拘束で気が済んだのか、政宗はぱっといきなり幸村を放すと飄々とした調子で言った。
「今日はイイ天気だからな。こいつも、ちょっと調子に乗ってふらりと遠出しちまったんじゃねえのか。今うちの方は丁度春の芽がたくさん顔出してて長閑だしよ」
「政宗殿、そのような…」
「大体よ」
  政宗は依然納得しかねるような幸村に試すような目を向けて笑った。
「ンな事言ったらお前だってどうなるんだよ。ここは奥州なんだろ。何でお前はここにいるんだ?」
「そ、それは…」
「なあ。お前は暇さえありゃあ、ここに来るじゃねェか。それこそ敵国の大将であるこの俺と顔つき合わせて笑ってンだろ」
「………」
「どうだよ? お前はいないか、幸村? 俺の傍によ」
「い…います」
「な」
「……はい」
  矢継ぎ早にそう責め立てられ、幸村はぐうの音も出なかった。仕方なく神妙な面持ちで頷く。そう、自分は本来このような所にいてはいけない。この男とこうして共にいる事とて、到底許される事ではないのだ。主である信玄はいつだってそんな幸村に笑って「今日の奴との勝負はどうだった」などと訊いてくれるのだが。
  それに甘えていたのかもしれない。この男の、この甘い顔にもつい調子に乗って。
「はははっ!」
「!?」
  しかしすっかりしゅんとなって項垂れるそんな幸村に、突然政宗が軽快な笑声を立てた。それに幸村がぎょっとして思わず顔をあげると、当の政宗は大きくかぶりを振りながら腰に手を当て、「お前は本当にイイ!」と訳の分からない事を言って再びくっくと笑い始めた。
「はあ…今日もウケた」
  そうして政宗はひたすら唖然としている幸村には構わず、背後にいる鎧の男にちらとした視線を向けた後、「いいんだよ」と言った。
「政宗殿?」
  それに幸村が聞き咎めるような声をあげると、政宗はもう1度幸村を自分の元に引き寄せ顔を近づけた。
「あ…」
  そして。
「なあ幸村。お前、細かい事色々考えンな。大体俺は嬉しいんだぜ、やっと誰かにお前との事を見せ付けてやれるってな」
「は…?」
「俺は基本的にテメエの大事なモンはきっぱり堂々と自慢したい性質だ」
「何を…わっ…」
  問いかけの瞬間、また強引に引き寄せられて幸村は声を失った。政宗はその胸に幸村を抱きしめながら、未だ大木に寄りかかったままの敵国の武将に勝ち誇ったような目を向けた。相手はまだ目を開けた様子もないのに。
「お前もよ。戦ばっかりじゃ疲れちまうだろ。ここでせいぜい中てられていけ」
「………政宗殿、何を!」
「あ。けど俺らの熱いとこ見せ付けてたら、こいつちっともクールダウンできねえのか。へ…まあ、それはそれでいいかっ。徳川の奴らも今頃焦ってるだろうよ。ははは、面白ェ!」
「政宗殿、どうでも良いがいい加減放して下され! このような…!」

  本多殿が見ている前で……!

「……あ」
  しかし幸村がそう言おうとしたその瞬間、目の前の鎧の男が兜の下から不意にギラリとした赤い瞳を光らせこちらを向いた。途端ガシャンと鉄の擦れる音も聞こえ、幸村は焦ったように声を上げた。
「ま、政宗殿!」
「ん…? おー、気づいたか。見てる見てる」
「み、見てるじゃ、ありませぬ! 放して…っ」
「いーやーだ。どうだ本多忠勝。テメエ、これは俺んだぞ? 羨ましいか?」
「政宗殿!」
「…………………」
  忠勝は何も発しない。
  ただ赤い瞳はそのままで、ひたすらじっと抱き合う(というか政宗が一方的に幸村を抱きしめているだけだが)2人を見つめていた。それは奇異な人間の姿を観察しているようにも、単純に呆れているようにもどちらにも見て取れた。
  彼の肩から噴き出している煙は、まだ治まってはいない。その間にも政宗は俄然楽しくなってきたように赤面する幸村の髪に頬にと自らの唇を落とし続ける。幸村は何度となくそんな子供じみた真似をする政宗を跳ね除けようとしたが、却って目の前の忠勝に気を取られて力が入らず、結局相手の良いように口付けられてしまった。
「こ、これでは…」

  本多殿より熱くなってしまう。この身体が。

「もう……どうしようもない……」
「ん? 何か言ったか? それにしてもこいつ、全然動じねぇなあ。つまんねえ!」
「……某が動じております」
  不満気な政宗に幸村はハアと息を吐いた後、毒づくようにそう呟いた。もっともその声は誰の耳にも届く事はなく、幸村を強く抱きしめる政宗の胸の中に吸い込まれて消えていった。
「……っ」
  それは無機的にこちらを眺め続ける忠勝の視線から逃れたいばかりに、幸村自身が政宗の胸に強く顔を押し付けていたからだった。



<了>



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