家臣たちには呆れられたり慌てて止められたりするし、気の知れた友の中には「もう良い年なんだから」と苦笑しつつ諌める者もいるが、闘いの血が騒ぐとどうにもじっとしていられない。島津は己の内から沸き起こる衝動を止められず、いつでも青臭い十代の童のように全国各地を放浪し、強い者を探して歩く。

  しかしながら、今日ばかりはどうにも分が悪いらしい。

「むう…。オイの負けじゃ。やるのう…」
  愛用の雷神剣は背後に吹っ飛ばされ、島津自身、不覚にも尻を地につけてしまった。発した稲光の余波だけが未だ身体の周囲にビリビリと纏わりついている。島津はそれらを鬱陶しそうに一払いした後、自らの面前に佇む片目の男をゆっくりと見上げた。
  闘いが始まってからこの男は一言も声を発していない。否、元より島津がこの奥州を訪れ、この男の城を訪れ、一つ手合わせを願いたいと申し出るまでの間ですら、彼は口がないのかという程に無口だった。
  風の噂で聞いていたものとその印象は大分違う。
  武者修行で訪れた各地で、島津は多くの名のある武将たちから「なれば独眼竜・伊達政宗の所へ行くと良い」と勧められた。彼は乱世の最中には珍しく度量の広い男で、たとえ己の領土に無断で踏み入ってきた者に対しても、礼を払って名乗り「サシ」での勝負を挑むならばどこまでも寛大なのだと聞き及んでいた。「むしろアンタのような男なら奴は諸手を挙げて歓迎するさ」とは、四国の長曾我部元親から聞いた話だ。
  実際隻眼の竜、この伊達政宗はこうして島津との闘いを受け入れ、手入れの行き届いた広い道場へ自ら先頭を切って案内してくれた。漢同士の闘いに余計な会話は不要だろう。すぐさま剣を取り、鋭い切っ先を向けてきたあの態度とて、賞賛こそすれ不満に思う事はないはずだった。本来は。
  そのはずだったのだけれど。

「あんたも随分と間の悪い時に来ちまったなぁ」

  同情するようにそうぽつりと呟いた重臣の一人…確か伊達成実と言った…の言葉が島津の脳裏を過ぎった。殿もいつもはあんなんじゃないんだけどな、もし気分を悪くする事があったらすまない、と。道場の扉を閉める寸前、彼は島津にだけ聞こえる声でそう言って苦笑した。彼のそれはまるで年の近い兄弟が至らぬ事をしでかしたのを代わりに謝るといった態度だった。そんな成実の主に対する軽口から、確かに普段は政宗も周囲の武将たちが噂するような男なのだろうとも思ったが……。
  それでも、勝負がついた今この時、島津はどうにもすっきりしない。
  この男の不機嫌極まりない様子は一体どうしたというのだろう。
「オイとの勝負、おまはんには随分と退屈なもんだったらしい」
  重い腰を上げて背後の大剣をぐいと床から引き抜くと島津はため息交じりにそう言った。いつもは勝っても負けても(というか、負けたのは初めてだ)、こういった道場破りをした後というのは大抵清々しい気持ちで互いの健闘を称え合い、あまつさえ酒を酌み交わす事もあるというのに。
  恐らく今日はそれも出来ないだろうと、島津は刀を背に背負うとちらとだけ未だ動きのない政宗を見やった。
「おまはんは強い。いずれまた……戦場で会いもんそ」
  くるりと背を向けて出口へと向かったが、未だ政宗は何も発しようとしない。別段別れを惜しむ言葉が欲しいわけでもないが、やはり妙だ。どうにも晴れない想いを抱えながら、それでも島津は道場の扉にがつりと手を掛けた。
  まさしく鬼神の勢いで自分に向かってきた政宗の怪しげに閃く眼光を思い起こしながら。

「…俺は本気だった」

  その時、不意に押し殺したような声が聞こえてきて島津はぴたりと足を止めた。ゆっくりと振り返ると、政宗がじっとした視線を向け、どこか焦燥したような様子で乾いた唇を震わせていた。
  それはどこか……小さな子どものようにも見えた。
  おかしな話だ。彼は既に一国一城の主で、その剣太刀はこの示現流を極めた島津義弘をも負かした一流のもの。そんな才ある男をただの小さな子どもに見えたなどと。
「………」
  けれどその想いに途惑い島津が口を開かず黙っていると、政宗は先ほど一瞬見せた感情を消し去り、再び先刻までの無の状態に戻ると言った。
「俺はアンタを殺す気だった。手合わせなんて生温いもんをしてたつもりはねえ…。命を懸けて、俺はアンタを斬るつもりだったんだ」
「…オイが欲したのは真剣勝負じゃ。そげんこつ、当たり前の事じゃろが」
「違う…」
「何が違うね?」
  どこか苛立たしそうに緩く首を振る政宗に島津はいよいよ身体ごと向き直って問い質した。そう、こんなに虚ろで、こんなに覇気のない男に何故負けてしまったのか。
  その理由を曖昧にしたままここを去ろうとしていたから気分が悪いのだ、きっと。
「おまはん、何ば抱えよる?」
  島津が簡潔に訊くと、政宗はぴくりと肩先を揺らした後、不意に殺気立った眼を向けた。元親は、政宗はいつでも能天気な奴でへらへらと笑ってばかりだと言っていた。腕は立つけれど、それをいつでも剥き出しにして相手に向けてくるような事はしないと。
  それが、どうだ。この独眼竜政宗は、まさしく竜の如き人には持ち得ない空気を纏って自分を見ている。
  それでいて、どこか余裕が見えない。だから島津も動じる事なく言葉を返せた。
「オイに勝ったおまはんが。ないごてそげん弱か顔ばするね?」
「俺はッ! どんな卑怯な手を使ってでもアンタを殺す気だったんだッ!」
「………」
  その初めて露骨な怒りを見せたような言に島津が思わず言い淀むと、政宗はふと口許に酷薄な笑みを浮かべ、視線を逸らした。
「だがアンタは強い。剣の腕もそうだが……他の面でもな。そんなアンタを殺れなかったのは俺が弱いからだ。……情けねェな」
「……オイを殺せんかったのが不満か」
「ああ。俺はもう、どうしようもねえ」
「………」
「むかつくぜ…」
  自嘲するその笑みは先ほどから自身に向けられるものであったのか。
「………」
  島津はじいっと細い目を更に細くし、政宗を見つめやった。
  一体何が不満だと言うのだろうか。この男は自分を殺せなかった事を情けないと言うが、ならば実力差のはっきりした今ここでその無念を果たせば良い。それこそ「どんな手を使っても」と言うのであれば、このような話をする事自体無駄だ。さっさと向かって来ればいい。あの、何をも切り裂くだろう威力を持つその刀剣をこちらに放てば良いだけだ。
  矛盾している。
「まあ…おまはんは若い。色々と悩みがあってよか」
  政宗に発してやる気の利いた言葉が見つからず、島津はつまらないと思いながらそれだけを言った。
「何だよそれは…」
  案の定政宗は不満たらたらの顔をしてちっと軽く舌を打った。
  ただし、島津のその間の抜けは発言にすっかり毒気を抜かれたのか、「やめた」と言って剣を置くと、ふっとかぶりを振って嘆息した。
「アンタ、年食ってる分だけ俺より人生経験は豊富だろ? 悩める後輩に対して他に言う事ないのかよ?」
「甘えんでなか。おまはんは既に一国の主。先を見据えて歩くのも、何かを選ぶのもおまはん自身の仕事じゃろが。オイはただ、おまはんと剣を交えに来たただの武士よ」
「……まったく、島津の家も大変だ。こんなオッサンがリーダーじゃ」
  ようやく饒舌になってきた政宗に島津もふっと双眸を緩めた。「オイはこの男のこげん顔ば見たかったんじゃ」と思いながら。
「おまはんとこは大丈夫だと言えるんね? 何も訳分からん、うじうじと悩んだ風の主で」
「ハッ…言うね…」
  島津のすっとぼけた厭味に政宗は苦い笑いを浮かべた後、再度軽く肩で息をした。
  そして何処か遠くを眺めるように、側面の小窓へ目を向ける。今日は晴れた空で気持ちの良い風も吹いている。2人が黙るとそこから小さな鳥たちのさえずりまでもが聞こえてきて、とても長閑だ。
  政宗はそちらにじっと耳をそばだてているようだった。
  島津はそんな政宗の横顔を黙って見やった。
「俺はな…。この国の奴らが好きだ」
「ん…?」
  島津が訊くと政宗はくるりと顔を向けて笑った。そこに先刻まであった闇は微か消えている。
「俺の国だ。だから俺はここにいる奴らを守らなきゃならねえ。……遊びはもう、終わりだな」
  政宗のその言葉に島津はハタと息を呑み、そして得心した。
「………おいで最後だったか」
「ああ」
  政宗はすぐに頷いた後、「もうあいつとは…」と呟いたきり、後は何も言わなかった。
  そして勿論、島津にも別れの言葉を吐かなかった。





「なあ頭、どうしちゃったんだろうな? 今日、幸村様を追い返したらしいぜ? 『もうお前とは手合わせしねえ』って」
「えー、マジかよ! やっぱり、この間の事気にしてるんかなあ」
「たぶんな。最近じゃ、国境に警備の兵も増やしたらしいし」
「うーん、まあ警備を重要にするのは当然だけどよお…あ! 島津殿! お帰りですかい?」
  島津が門兵の2人の会話を黙って聞いていた事に気づいたらしい、彼らは途端びしっと背筋を正してから気の良い笑顔を見せてきた。島津はそんな彼らに自分も気さくに笑って見せた。
「おまはんら、独眼竜どんが好きか?」
「勿論ッ」
「当然でしょう? 俺らの頭ですぜ!」
「そうか……うむ」
  島津は満足そうに頷いた後、片手を挙げてゆっくりとその場を去って行った。
  比較的他の国との交流も寛容な奥州に、近年侵入者が国の民を荒らすという事件が増えているというのは島津もここに来る前から耳にして知っていた。
  上に立つ者はいずれ己の理想と現実との狭間に立たされて一度や二度は苦しむ事になる。
  気ままな闘いや戦だけが好きで、こうして放浪を止めない自分と、あの年にして既に自分の生き方を抑えようとしている若者。
「ふんとにまあ…生きにくい世ん中になったもんじゃ」 
  島津は大きく鼻を鳴らした後、少々乱暴な足取りで己の国へと向かって急ぎ歩き始めた。

  そろそろ、大きな戦の気配が近くなってきたと感じた。



<了>




うちサイトのSSは大体上から時系列順に話が進んでいるのですが、これも例に漏れず前作の流れに沿っています。賊の侵入を阻止出来ず民に被害を出してしまった政宗はこれまでの自分の施政方針を悔やみ、幸村も含めた全ての他国武将を遠ざけようと考え始めているのです。島津のおいちゃんの事も、手合わせを了承したというよりは、ここであわよくば首を取ろうと思って申し出を受けた…けど、おいちゃんが強かった事と、こんな気持ちの良い武将をやっぱり殺す事は出来ないという殿の葛藤があったと…いうわけです。
……説明がないと分からないSSはもう一体何作目なんだろうなあ…(遠い眼)。

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