の中で目を瞑る



「眠ィな……」
  珍しくボーッとした声で政宗がぽつりとそう言うものだから、隣にいた幸村は不思議そうな顔をして首をかしげた。
「ならば休まれれば良かろう。横になられるか?」
「んー…」
「あ!」
  こてりと倒れてきた政宗に幸村は思わず声をあげた。
  確かに横になれと言ったのは自分だが、まさかそのままこちらの膝の上に頭を乗せてくるとは。
「ま、政宗殿…」
「眠い……」
  幸村の呼びかけには応えず、政宗はもう一度そう言った。目を開ける気はないらしい。それどころか仰向けになった状態で死人のように両手を胸の上で組み、微動だにしない。
「政宗殿…」
  しかし、こうなってしまうと幸村も無理に政宗を跳ね除けるのは忍びなく、お人好しにもその格好に甘んじてしまう。手持ち無沙汰のように両手をだらりと地面につけ、幸村は自分に身体を預ける政宗の顔をじっと観察した。
  おかしなものだ。こんな所は決して誰にも見せられない。
「……戦場では…敵同士だというのに…」
「そうだな」
「! 起きておられたのか!」
  何ともなしに発した独り言を政宗に拾われ、幸村は驚いたように目を見開いた。その当人は依然として目を瞑ったままだったが、「ンなすぐに寝られるかよ」とはすぐに応えた。
「城に戻られてはどうですか」
「お前がいるからここでいい」
「……疲れておいでなのでは」
  政宗のあっさりとしたその返答にくすぐったさを覚えながらも、幸村は再度そう言ってみた。こうして早朝、どちらが言うでもなく示し合わせたように顔を突き合わせるようになってまだ間もない。何故こんな事をしているのか、また政宗が何を想っているのか。
  幸村には量りかねた。
「ただのな、寝不足だ」
「え…?」
  その時、不意に政宗がそう言った。
  先刻の幸村が発した問いかけへの返答だろう。すぐに声が返ってこなかったから無視されたのかと思っていたし、幸村自身、自分たちの事を考えて思考が別次元へ飛んでいたから反応するのが遅れてしまった。
「……寝不足、ですか」
「ああ。寝てねェんだ」
「やはり戻られては…」
「こういう時は、無駄だな。俺だって寝たい。酒浴びる程かっくらってよ。気分よく目を瞑った夜なんかはホント最高だぜ。けど、最高な時がありゃ最低の時もある。簡単な事だよな」
「は、はあ…」
  政宗の言いたい事がイマイチ分からず、幸村は返答に窮した。段々じんじんとし始める膝とそこから感じられる政宗の熱にも途惑いの気持ちが増していく。
  政宗はまだ瞳を閉じたまま。こちらを見ずに、ただ目を閉じている。
「眠れない夜は……某はいつも槍を振るいまする。疲れて息が乱れるまで。何も考えられなくなるまで、ひたすら動き続けるのです」 
「お前らしいな」
  口元だけで笑みを作りそう言う政宗に幸村は妙に嬉しい気持ちがした。
「政宗殿もそうされると良い」
「ああ…そうだな。お前、相手してくれるか?」
「そ、それは…。いつも、というわけにはいきますまいな」
  自分は武田の者なのだから。
「………」
  暗にそう言って口ごもると、政宗もそんな幸村の途惑いが分かったのだろう、すぐに「冗談だ」と言い足した。
「あのな、幸村。俺はこっちの目がいかれてるだろう。だから当然何も見えねェんだよ。けどな、その分…俺は他人より闇を見る事には長けてんだ。自慢でも何でもねェがな」
「闇?」
「ああ。目を瞑ればお前にも見えるだろう。だがな、お前のそれより、俺のは暗い」
「………暗いの、ですか」
「ああ。寝る時は開いてる方のこっちすら閉じるからな。闇はもっと深くなるぜ。それな…それに魅入ってすげえ興奮する時もあるが…最低だと思う時もある。そういう話だ」
「………」
「分かるか?」
「あ…そ、その…」
  ちっとも分からない。
「某は…っ」
  しかしそれを言うのは何となく悔しくて、幸村はしどろもどろになりながら口元でもごもごと呟いた。政宗はいつも幸村にとっては意味不明な異国の言葉を発するし、こうして時々謎掛けみたいな事も言う。政宗ばかり知った風な口をきいてずるいと思うし、それを理解できない自分はとても歯痒いと思う。
  けれど分からないものは分からない。幸村は多少むっとした想いがして、言い訳するのも忘れて唇を尖らせた。
「……あまり難しい話をされても某には分かりかねます」
「難しいか?」
「はい…。それは政宗殿が昨夜眠れなかった事と何か関係があるのですか」
「昨夜は最低だったって話だよ」
「……闇が深くて、ですか」
「そうだな。俺は夢の中ですらこいつが潰れてる。真っ暗だ。それに堪ンなくて目を瞑ると余計落ちていくし、な」
「落ちる……」
「だったら眠らねェ方がマシだ」
「身体に良くありませぬ」
  政宗の言いたい事は理解不能だが、それだけはハッキリと言える。
  幸村はきっぱりと言い、依然として自分の膝の上で死人をしている政宗を睨みつけた。勿論、政宗はそんな幸村を見ていないが。
「先ほどから政宗殿らしくありませぬ。悪い夢ならば、そんなもの斬り捨ててしまえば良かろう。全て吹き払ってしまわれれば良い」
「過激だな」
「いつもの政宗殿ならばそうされるはず。夢に惑われて眠りを取らないなど絶対にやめて下され」
「そうだな」
  幸村の言いように政宗はにっと笑い、ようやくゆっくりと目を開いた。そうして「あ」と幸村が思った時には、政宗はもうその腕を伸ばし―…。
  幸村に向けてその手を差し出していた。
「政宗殿…? あ…!」
  咄嗟にそれを握ってしまった幸村は、しかし途端はっとしてそれを振り払おうとした。何を誘われるままに政宗の手など握っているのだ。自分たちは敵同士だ、相容れない間柄だというのに。
「幸村」
  けれど政宗はうろたえる幸村の名を呼び、自分から離れる事を許さなかった。
「つ…」
  ぎゅっと強く握られたその力に幸村はさっと眉をひそめた。それでも政宗はその手を放さない。そうして開いている片方の目で幸村を熱く見据え、ひどく真面目な顔つきで呟いた。
「そうだな。くだらねェ過去の思い出なんざ…血のしがらみなんざ、捨てちまえばいいな」
「血…?」
「完全に捨てきっちまえれば最高だな」
「血というのは…」
「俺のこいつを疎んだ女、さ」
  政宗は伸びた前髪に隠れる潰れた片目を指し示し、ふっと笑った。それは心からの笑みではなかったが、思い詰めたものでもなかった。
  ただ静かで。
「何もかも捨てちまえればいい。……そうすれば俺はもっと強くなれる」
「………」
「幸村。お前に諭されるようじゃ、俺はおしまいだ」
「なっ…何を…!」
  その「暴言」に反射的に声を荒げたものの、幸村はしかし徐々にいつもの調子で悪態をつき始めた政宗にほっと胸をなでおろした。こんなのは政宗らしくない。悪夢を見るから眠れないなどと、まるで子どもと一緒ではないか。
  けれど夢の中でまで目を瞑ろうとする政宗には、一体どんな闇があるというのだろうか。
「……今日の政宗殿はヘンな事ばかり仰られる」
「ああ。らしくねえな」
「そうです」
「気をつける」

  だからもう少しこうして眠らせろ。

  政宗はハッと軽く笑った後、そう言って再び目を閉じた。
  幸村はそんな政宗を見つめながら、握られたままの手を自分もそっと握り直した。今この時、どうしてもそうしたかった。そうせずにはいられなかったのだ。
「政宗殿」
  けれどそんな自分を誤魔化したくて、幸村はごほんと1つわざとらしい咳き払いをして呟いた。
「……少しの間だけ、ですぞ」



<了>



戻る