龍麻を見つめるのは楽しい。
京一は隣で焼きそばパンをかじる相棒を何度となくちらちらと盗み見た。別に元から「そういう趣味」があったわけではない。龍麻だからだ。龍麻と知り合ってからは、龍麻の色々な部分が知りたくなったし、もっともっと「近い」存在になりたいと思った。だから何処へ行くにも龍麻を強引に誘ったり、色々話しかけたりもした。自分自身が他人に立ち入られて色々されるのを好まないので、龍麻に対してもそういう風に接して煩いと思われるのは嫌だったのだが……どうにも、頭では分かっていても身体が、口が、言う事をきかなかった。
京一は知り合って間もないこの緋勇龍麻の事が好きで愛しくて仕方なかった。
「あ」
「は!?」
ふと声を出した龍麻に、京一は思わず素っ頓狂な声で返した。邪な気持ちで見つめていた事に気づかれたのかと焦る気持ち、けれど龍麻が声を掛けてくれたと嬉しく思う気持ち、その半々から生じたものだった。
けれど龍麻はそんな京一には構う事なく、前方に見える音楽室を指差してニコリと笑った。
「ほら、あそこ。美里さんがいる」
「はぁ…?」
自分でも驚くくらいテンションががっくりと下がり、京一は思い切り眉をひそめて思わず龍麻を睨みつけてしまった。その剣呑とした顔のまま促された方へ目を移すと、確かにその先にはあの「聖母」とあだ名される美里葵が校舎の裏庭で昼食を取る自分達に穏やかな微笑を向けてきていた。
「ほら京一。美里さん、手を振ってるよ」
「…お前が応えてるんだからそれでいいだろ」
本当は龍麻にとて無視してもらいたいくらいなのだが、そうもいかない。このお人好しに「超」がつくくらいの優しい龍麻は、誰に対しても親切で穏やかだ。京一としては「自分にだけ向けていればいい」と思うあの笑みも、惜しげもなく万人に振る舞ってしまう。特に最近、《力》や《異形》の事で共に行動する事が多くなった美里や、彼女の仲間である桜井小蒔、醍醐雄矢に対しては、龍麻は殊更気を遣う節が見られた。多分、京一が彼女達にぶすくれて悪態をつく分、「自分がフォローしなければ」とでも思っているのだろう。
「京一。手を振ってあげなよ」
龍麻が珍しくしつこく言った。京一がそれに「あぁ!?」と不機嫌全開な顔で「何でだよ!」と問い返すと、龍麻は困ったようになりつつ答えた。
「だって美里さんは京一に手を振ってるんだよ」
「はぁ…? 何言ってやがる。俺らに、だろ」
「違うよ。京一に、だよ」
龍麻は強調するように言い直しをして、「何故分からないんだ」という風に小首をかしげた。京一にしてみればそんな龍麻の仕草一つ一つが可愛らしくて愛しくて、最早美里葵どころではないのだが。
「……んだよ」
それでも龍麻の台詞が聞き捨てならない事もあり、京一はまずその件を片す事にした。
「龍麻。お前、何が言いたいんだよ」
「何が?」
「何でンな事いちいちこだわって言うんだよ!」
「だって、美里さんが可哀想だなあって思って」
「……何が、どこが可哀想なんだ」
「京一、それとぼけてるの? それとも天然?」
「はぁッ!? ―…ったく!」
ホンモノの天然であるお前にんな事言われたかねえ―…と、思わず口から出そうになるのを必死に堪え、京一は敢えて沈黙した。
龍麻は自分の事には鈍感なくせに、他人の事には敏感らしい。
確かにあの美里葵がどうやら自分に惚れてるらしいとは、さすがに京一自身気づくところではある。何かと言うとこちらに絡んできて、最初は優等生特有のお節介かと思って鬱陶しくて仕方がなかった。…ただ、それが日を重ねる毎に「どうやらそれだけではない」、女子特有の目線を強烈に感じ取ってしまった時。
京一は、至極申し訳ないと「一応」思いながらも、「勘弁しろ」と独りごちてしまった。
絶対嫌だ。冗談じゃない。勿論、女に恥をかかせる事は本意ではないが。
それで「コイツ」に誤解されるなら、本当にとんでもない事だ!
「なあ龍麻…」
「あっ」
「〜〜〜! 今度は何だよ!」
人の言葉を端折るように声を出した龍麻にいよいよイライラとした声を上げ、京一は思い切り抗議の声を上げた。
「わあ、嬉しいなあ」
「は?」
けれどやっぱり龍麻は京一の葛藤には知らぬフリで、いつの間にか昼食の代わりに手にしていた一枚の紙きれを前に仄か頬を赤らめ、ニコニコしていた。
それで京一も怪訝に思い、「何だよ」と思わず問うた。
「あのね、さっき授業の終わりに桜井さんからメモ回ってきてたんだ」
「メモ?」
「うん、これ」
龍麻はその小さな正方形のメモ用紙を京一に誇示するように掲げながら頷いた。
「今日ね、駅前のフルーツパーラーで《苺フェア》が開催されるんだって。苺のおっきいパフェとか苺のクレープとか苺のケーキとか…っ。凄くたくさん! 苺だらけの!」
「……へえ」
段々と目をキラキラさせてくる龍麻は素直に可愛くて、京一も思わず生返事のままその顔に見惚れてしまった。何にしろ龍麻の苺好きは尋常ではない。それはそんなフェアがあるのなら、龍麻には堪らないだろうなと思う。
「皆で行こうって」
龍麻は嬉々として京一に言った。
「放課後、皆で。桜井さんと美里さんと醍醐君と、あと新聞部の遠野さん!」
「げ…あいつもかよ」
「うんっ。皆で食べたら余計もっと美味しいよ!」
「俺はパス」
京一は龍麻からの誘いを無碍にするなど悪いと心の片隅で思いつつも、即、殆ど迷わず断った。
元々群れるのは嫌いである。しかも別段好きでもない、というかどちらかというと嫌いな部類に入るあの連中と、何を好き好んで甘い苺の菓子など食さねばならないのか。傍に龍麻がいるという事を差し引いたとしても、やっぱり絶対に憂鬱な気持ちの方が勝る。
「お前だけ行ってこいよ。俺は遠慮するわ」
「何で?」
案の定龍麻は悲しそうな、「京一も行かないと嫌だ」というオーラでしょんぼりとした声を出した。それに途端「ぐっ」となり、思わず「分かった、行ってやる」と言いそうになった京一だが、それでもぶるぶると慌てて首を振ると、わざと荒っぽい声を上げた。
「分かるだろ? 俺が好き好んで『行く行くー♪』って言う方が不思議だろーが!」
「京一も行こうよ」
「しつこいぞ。俺は嫌だ。ぜってぇ行かねー」
「……じゃあ僕も行かない」
「はあぁ!?」
何でそうなると思いながら京一はぎょっとした。しかし刹那、もしかすると龍麻は自分が隣にいないと嫌なのか、そんなに自分を必要としていたのか―という嬉し過ぎる結論に思い至って不謹慎ながら頬が緩む。龍麻は元より人見知りなところがあるし、実際いつもにこやかに彼らと接してはいるものの、彼ら自身が龍麻に対してあまり親身なところがないせいか、今一つ「仲良し」という感じではない。
それなら……ちょっとくらいは、付き合ってやってもいいかもしれない。
「行かないというより、行けないよ」
けれど早々に「妥協してやるか」と決心が揺るぎかけていた京一に、龍麻が俯きながらぽつりとそう言った。
「あのね、京一も絶対連れてきてって書いてあるから。京一が行かないなら僕も行けないよ」
「……何だって?」
「ほら。“絶対!!!”ってピンクの太字で書いてあるでしょ。これを付け足したのは遠野さんみたいだけど。京一行けないなら、僕も悪いもん。行けない」
「……別にいいだろ。お前だけ行ったって」
何か嫌なものを感じながら京一が途惑いがちにそう答えると、龍麻はふるふると首を横に振って小さく笑った。
「やっぱり京一は駄目だな。皆が僕を誘ってるのは、僕が来れば京一が来るかもしれないって思ってるからだよ。京一が来ないのに僕だけ行ったって、皆ガッカリするよ」
「……何言ってんだよ」
「僕、皆のがっかりする顔見たくないよ」
「………」
「でも、京一が嫌なのを無理に連れて行くのもやっぱり嫌だしね。しょうがないか」
龍麻は京一が神妙になってしまった事に素早く気づいたのだろう。最初に無理に行こうと誘った事すらどこか後悔するような顔を見せて、律儀に「ごめん」と謝りさえした。
「………」
京一はそんな龍麻に僅かな怒りを感じながらも、それでも猛烈に居た堪れない気持ちがして口を開く事が出来なかった。
龍麻は桜井らの「策略」を当然のように察して、それでもそれを嬉しいと思いながら協力しようとしている。そしてそれを固辞する「相棒」の自分にも気を遣う。彼女達の望みを叶えてやりたいが、京一が嫌がる事もしたくない、何故ならそういうゴリ押しをして嫌われたくないから。
折角出来た友達なのに―…そう思っているのがバレバレだった。
「………京一?」
黙り続ける京一に龍麻がいよいよ困惑したような顔を向けてきた。龍麻は時々は「美里さんと仲良くしなよ」とか、「もうちょっと皆に優しくしたら」とか偉そうに言う事があるが、基本的には「京一寄り」である。京一がこうと決めた事に素直に従うし、時には京一が口に出す前にそれを察してさり気なくそれをしてしまう事もある。
非常に「デキタ友達」なんである。
でも、そんなのは。
「面白くねェ……」
「え?」
龍麻は京一のその呟きに敏感に反応し、ぴくりと肩先を揺らした。京一が怒ったのかと不安なのだろう。バカバカしい、いつでも不安でどぎまぎしているのは自分なのだと思いながら、京一はそんな龍麻に思い切り恨めしそうな顔を向け、それからその柔らかい髪の毛をぐしゃぐしゃとかき混ぜてやった。
「わっ…何するの、京一」
「煩い。なぁ、その苺フェアってやつは今日だけなのか?」
「え? ううん、今月いっぱいまでだって」
「なら違う日に行こうぜ」
「え?」
龍麻が乱れた髪の毛を両手で押さえつけながらぱちくりと瞬きした目を向けてきた。
京一はそれにふっと思わず綻んだ笑顔を見せながら、もう一度龍麻の手を払って龍麻の髪の毛を更にぐしゃぐしゃにした。
「も、もう、京一! 何するんだよーっ」
「行くのか、行かないのか。どっちなんだよ」
「ち、違う日って…。だって」
「煩ェ。お前と2人だけで行くっつーんなら、付き合ってやるって言ってんだよ。あいつらが入るならこの話はなしだ。忘れろ」
「………」
「どーすんだ?」
「う、うん……」
「何が『うん』だよ?」
わざと意地悪く聞き返すと、龍麻はやはり少しだけ落ち込んだ風になりながらも、苺の誘惑には勝てないのか、さっと顔を上げ、はっきりと言った。
「皆には悪いけど…京一と2人で行く」
「よし」
「わっ…。だから、もう、それやだってば!」
何度も髪の毛をまさぐられて龍麻はすっかり参っている。それでも京一にはそんな龍麻の顔や声何もかもが可愛くて、どうしてもその悪戯を止めてやる事が出来なかった。
「―……」
そしてふと、音楽室の方へ目をやる。
そこには窓際に立ち尽くした聖女の姿があり、こんなじゃれあいをする自分達にどこか複雑で物憂げな視線を向けてきているのが見えた。
「ふ……」
けれど京一は。
ばぁか。テメエなんざ、趣味じゃねーよ。
京一はそんな美里に唇の動きだけでそう言い切り、再度龍麻に慈しみの視線を落とした。
もう龍麻しか見えない。他のものに目をやろうとは一切思わなかった。
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