蓬莱寺君、良かったら皆で一緒に帰りましょう?
……そんな甘ったるい声が聞こえて振り返ると、校舎の方から息せき切って駆けてくる美里葵の姿が見えた。
思わず立ち止まると、美里の方は京一のその態度を自分の誘いに対する「肯定」と受け取ったのか、どことなくホッとした顔を見せて可愛らしい笑みを浮かべた。
「葵、何でこんな奴…!」
けれど美里の背後にはいつも煩い桜井小蒔の不満気な顔もあった。更にまたその後ろには、そう言う桜井を必死に追ってきた大男・醍醐の情けない媚びた顔も見えた。
鬱陶しい。
幾ら最近共に戦う事が増えているからといって、元々群れるのは好きではないのだ。
「俺は遠慮するわ。お前等だけで仲良く帰れや」
だから京一は吐き捨てるようにそう言うと踵を返し、握っていた木刀を改めて肩に掛けて歩き始めた。
「あ…蓬莱寺君」
「葵、ほっときなよあんな奴! 一人でいたいって言ってるんだからいいじゃん!」
「そうです、桜井さんの言う通り。あいつは何かと言うと勝手な事ばかり言って俺たちに迷惑を掛けるんですから」
「でも……私たち、同じ目的で戦っている仲間なんだし」
仲間?
背後から未だ聞こえるそんな悲しそうな声に京一は思わず唇の端を上げた……が、今度は足を止める事はなかった。
「けっ…バカバカしい…」
いつお前等の仲間になると言った。
確かに事件によっては「成り行き上」力を併せる事もあったが、それもその時々の状況が本当に已む無しだったから、或いはあの女がいつも余計にでしゃばってくるからではないか。自分はそれが心底嫌なのであって、だからこの先も正義漢ぶったあの連中と仲良しごっこをする気はないのだ。
イライラする。
「………ん」
けれど京一は何故自分がそこまで気分を悪くするのかはっきりとした理由も分からないまま、その思考をふとそこでストップさせた。いつの間にか駅近くまで進めていたその視線の先に、見慣れた男の姿があったのだ。
「龍麻」
迷わず近づき声を掛けると、その人物―龍麻―は何を考えていたのか高架下の出口付近からぼうと夕闇に染まる空を見つめていて、京一がすぐ傍に来てからようやく「あ」と何とも間の抜けた声を上げた。
「京一。どうしたの」
「どうしたのじゃねえよ。お前こそこんな所で何やってたんだ?」
相変わらずボケた奴だと思ったが、それでも京一の口許には何故か笑みが零れた。
龍麻が転校してきてから、京一はかったるくて仕方のなかった学校が少しだけ楽しくなっていた。東京を襲う異変に翻弄されながら、龍麻とは戦いを通して気が合い行動を共にするようになったが、それ以外でも龍麻は何というか、構いたくなるというか、京一にとってとても「放っておけない」存在だったのだ。
「今日、さっさと先帰ったろ。何か用でもあったんじゃねーのか」
「ううん。別に」
あっさりと答えた龍麻はまたふいと空を見上げ、「綺麗だね」と害のない声で呑気にそう言った。
「あ…?」
言われて京一は龍麻が見ていた方向を自分も何となく見やったが、生憎と龍麻が何を指してそう言っているのかはよく分からなかった。
「……帰んねえのか?」
「うん」
「……ラーメンでも食って帰るか?」
龍麻は本当に掴み所のない男だ。
それでもやはりそのまま「じゃあな」とやる気はしなくて、京一はぽんと龍麻の頭に自らの手を置いた。小さな子どもにやるような所作だったが、京一自身、それをあまり不自然なものとは考えていない。
「いいの?」
けれど不意に龍麻がそう口を開いたのにハッとして、京一は思わずその手を離し驚いたような顔を見せた。
「いい…って、何がだよ?」
「………」
「ラーメンの事か? 俺が誘ってんだから、いいに決まってんだろ? あー、それともお前! まさか俺が奢ってやると思ってんじゃ―」
「違うよ」
にっこり笑って龍麻は緩く首を振ると、また空を見上げて何気なく言った。
「皆と一緒にいなくて、いいの?」
「……は?」
一瞬何を言われているのか分からず、京一はぽかんとして口を開いたまま黙りこんだ。
それに龍麻は相変わらず涼しい口調で続ける。
「美里さんから誘われたんじゃない? 一緒に帰ろうって」
「……それが?」
反射的にくぐもった声になってしまうと龍麻はここで再び京一の顔を見やり、先刻見せた無害な瞳で穏やかに笑った。
その笑みに京一は無意識に吸い込まれるように魅入った。
「美里さん。ううん、醍醐君や桜井さんだって、本当は京一と仲良くなりたいって思ってるんだよ」
「はぁ? 何言ってんだ、お前…」
俺は別に―、そう続けようとしたのに、けれど龍麻が珍しくそれを制した。
「京一も、本当はそういう風に思ってると思うけど」
「ふ…ふっざけんなよ、誰が…ッ!」
いきなりとんでもない事をしらっと言う龍麻に単純に頭にきて、京一は目を吊り上げた。
俺があいつらと一緒にいたいと思っているって?
冗談じゃない!
「素直じゃないね」
「……ッ」
けれど龍麻は別段からかう風でもなくそう言ってまた空を見上げた。その仕草にまたむかっ腹が立ってしまう。何を分かった風に一人だけそうして静かに立っているのか。そう、「掴めない」と思うのは大抵こんな時で、それ以外はいつだって大人しくて従順な龍麻なのに、ふとした時にこんな風に近寄り難い、それでいて儚い雰囲気を漂わせてこちらと距離を取ろうとするのだ。
「おい龍麻! お前、一体―」
「僕は皆と仲良くしたいな」
「はぁ…ッ!? だ、だったら、お前が行きゃ、いいだろうがよ…ッ!」
「………」
すぐに答えない龍麻に京一はますますカッとした思いに囚われ、より一層声を荒げた。通り行く人々がちらちらとこちらを見たが、気にならなかった。
「なあ? そうしたいならそうすりゃいいだろ!? お前なら連中も諸手を挙げて迎えるだろうよ! あんな足手まとい連中、何で買ってっか知らねーけど…! けど、お前が奴らとつるみてェと思ってんなら―」
「ううん。僕はいいよ」
「は、はあ? けどお前、今……!」
「僕は、京一と一緒にいるよ」
「な……」
「ここにいる間は」
「……!」
どういう意味だとすぐに訊けなかった。
龍麻は再び空を見上げてもう何も言う気はないという風に京一から視線を外してしまった。穏やかな横顔だ。何も考えていないように見える、呑気なボケた男にしか思えないのに、けれどやっぱり―。
「何処…行くってんだ、お前…」
「ん」
「何、考えてる……」
「綺麗だなあって」
「何…」
「この街」
いいね、と龍麻は言ってまた俯き、そっと笑んだ。その瞬間、京一の胸はどきりと激しく跳ね上がり、自らの心臓を痛いくらいに締め付けた。
目が離せない。何故だろう、そう、この龍麻が気になって仕方がないと思った。
つるみたいと思っているのは―…俺だ。
こいつから離れられないと感じている俺は、結局あいつらと同じじゃないか。
「……参るな…おい……」
ハッと息を吐き、京一はぼそりと呟いた。それに龍麻がさっと顔を上げてまた困ったように笑った気がしたけれど、これには京一の方が知らないフリをしてやり過ごした。今顔を上げたら龍麻に何を言い出すか自分自身でも分からなかったから。そんな自分が歯痒く、そして情けなかったから。
「ラーメン行く…? 京一…」
その時間を居た堪れないと思ったのか、それともこちらを気遣って言ってきたのか。
やがてそんな言い方をしてきた龍麻に京一は「バカ野郎」と言いたかったのに―、なのに、何故かただ黙って怒ったように歩き出す事しか出来なかった。それに龍麻が慌てて「京一、待ってよ」と言って後をついてくる気配が聞こえたが、それも無視してやった。
(どうかしてるぜ…!)
龍麻がいるだろう背後がむず痒い。
京一は後ろであの顔がまた困ったように笑っているのを感じながら、今だけは振り返ってやれないと思った。ただ足を前へ動かし、龍麻といつもの調子でいられる馴染みの店へと歩を速めた。
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