以前にも京一は龍麻が違うクラスの女子からラブレターを手渡された所を見た事がある。
「おっ」
だからこの時も京一はまたその手のものだろうと思い、昇降口の所で封書を持ったまま立ち尽くす友人に気楽に声を掛けてみた。
「よう龍麻。相変わらずモテるねえ。今回はどんな奴から貰ったんだ?」
ふざけたように龍麻の肩に腕を回し、京一は茶化したようにそう言って手紙を覗き込んだ。しかしその封はまだ切られていない。下駄箱にでも入っていて今発見したばかりなのだろうか。俄然興味が沸いた。
「何て書いてあるんだ? 早く開けてみろよ」
これまで京一は他人の色恋沙汰に関心を持った事などないし、そもそも誰かに対しこんな風に気安く触れた事もなかった。けれどそんな自分自身の変化にも目を瞑って、京一は龍麻と過ごす今のこの時間を確かに好きだと感じていた。
「なーに固まってんだよ? 困るっつーなら俺が断ってきてやろうか?」
「えーと。困ってないよ。嬉しいよ。でも」
「ん?」
やっと声を出した龍麻が不思議そうに首をかしげるのを京一はここで初めて不審に思い、思わずふざけて絡めていた腕を離した。
「何なんだよ? それ、何かあるのか?」
「ううん。でも今さっき知らない女の子から、『これ、ラブレターだから』って渡されたんだけど」
「は? ハハ、やっぱラブレターかよ、この色男! どんな女だったんだ? ちっとは見れる顔してたのか?」
決して女子に対して冷たいわけではないのだけれど、京一は女子生徒に対していつもついこんな風にキツイ言い方をしてしまう。それの典型が最近煩く纏わりついてくるクラスメイトの美里葵なのだが、けれど今の問題はそんな京一の悪癖とは無関係だった。
龍麻はまたまた分からないと言う風に小首をかしげてからあっさりと答えた。
「その子は頼まれただけなんだって。だからこれを書いたのは別の人」
「はあん。それで?」
「あの、これ名前。男の人みたいだなって」
「………は?」
「ほら。“猪三”って書いてあるでしょ。佐久間猪三。こんな名前の女の子、いるかなあ? 珍しいよね?」
「な…………何、ボケてんだ、アホッ! そ、そりゃ、どっからどー聞いても、野郎の名前じゃねーかッ!」
いつもの事とは言え、龍麻のあまりのボケっぷりに京一は思わず唾を飛ばして恫喝した。それから奪い取るように龍麻から桃色の可愛らしい封書をひっ掴み、改めてその裏の名前を見る。
確かに男の名前が書いてある。学級名もある。3−C。違うクラスだ。
「知らねェな、こんな奴」
「僕の事が好きでずっと見てたんだって、これくれた女の子が言ってたんだ」
京一の驚きに反して龍麻は大してショックを受けた様子もなく淡々としていた。
「それで思い切って告白しようと思ったんだけど、やっぱり勇気がないから手紙にしたんだって。直接渡すのも勇気がなくて出来なかったけど、それも謝ってたって、さっきの女の子が」
「けっ…」
気持ち悪い野郎だ。京一はすぐさまそう思った。
同じクラスの女子にそんな事まで言付けて手紙を渡そうとするなんて。しかも同じ男に!
この緋勇龍麻に!
京一は急激にむかむかとし始めた胸の悪さに吐き気を覚えていたが、対する龍麻はあくまでものんびりとしている。そしてこともなげに笑って言った。
「僕、男の人からラブレター貰ったの初めてだよ」
「〜ッ! バカ! こんなのからかってるだけに決まってんだろ!」
龍麻があまりに嬉しそうに笑うものだから京一は咄嗟にそう怒鳴りつけ、奪った封書をぐしゃりと握り潰した。
「あ」
「あ、じゃねえッ!!」
龍麻がそれに批難の声を上げたのも気に食わなかった。眉間に皺が寄る自分を感じつつ、京一は咎めるように龍麻を厳しく睨み据えた。
「お前な、もうちっと舐められないようにしろ! こんなん貰って喜ぶなんてどうかしてるぞ!? 向こうはお前のそういう顔見て、どっかから哂ってるんだよ! してやったりってな!」
「そう……なの?」
「そうだ! こんなもん読むな!」
俺が処分しておいてやると言って京一はその書簡を乱暴に制服のズボンのポケットに突っ込んだ。それから帰るぞと素っ気無く言い、背中を向ける。どうしようもなくイラ付いて仕方なかった。
「そんな風には見えなかったけど」
「あ?」
「嘘ついたりからかったりって言う風に…見えなかった」
「…龍麻。お前、まさか男からラブレター貰って嬉しいなんて言うんじゃねえだろうな」
先ほどまでの楽しい気分は京一の中ではもうすっかり消えていた。
龍麻がラブレターを貰っても安心してふざけたようにその中身を問えるのも、この龍麻がどうせそんな身も知らぬ女など相手にするわけがないという確信があるからだ。思うに龍麻は誰にでも優しいが、「それだけ」だ。ましてや、これまで色恋になど興味があるようにはとても見えなかったし、大体そんなもの「龍麻にはまだ早い」と、京一はごく自然に考えていた。本来なら同じ年の龍麻にそんな風に思うなど、おかしい事この上ないのに。
けれど今、その龍麻は女どころか自分たちと同じ男からの告白に想いを馳せている。
「龍麻…。嬉しい、わけはないよな?」
だからもう一度、京一はらしくもなく恐る恐る訊ねてしまったのだが、それに対して龍麻は実にさらりと「その言葉」を口にした。
「嬉しいよ」
「龍―…ッ」
聞き捨てならない事を言う龍麻に京一が声を出しかけると、しかし龍麻は「誰でも」と平坦な声で続けた。
「男とか女とか関係ないよ。嬉しいに決まってるでしょ。好きって言ってもらえるんだもん」
「……お前、何か間違ってないかそれ」
「でも…違ったんだね? 好きっていうの、違ったんだ」
「あ…? あ、ああ、そうだよ。これはラブレターなんかじゃねえ。お前は騙されてんだよ…」
「……うん。でも、分からなかったなあ…」
それでも尚何事か言いたそうな龍麻に京一が黙りこむと、当の龍麻はふにゃりとしたいつもの弱々しい笑みを浮かべながら言葉を継いだ。
「僕…そういうの、いつも気づけないんだ。駄目だね。僕のそういうところはイライラするって、前の学校でも言われてたのに」
「………誰だよそんな事言う奴」
「クラスの人とか」
僕、友達っていなかったから。
何でもない事のように龍麻はそう言い、それからようやく鞄を肩に掛け直し、自らも靴を履いて外へ出た。却って京一が遅れを取る形になってしまい慌てて後を追うと、龍麻は前を向いたままの格好でとても透き通った綺麗な声を出した。
「だから僕、初めてなんだよ。京一が」
「……あ? 何が…だよ?」
「友達」
振り返ってにこりと微笑んだ龍麻に、京一は黙りこくったまま何も言う事が出来なかった。
ただその瞬間に感じた胸の痛みが何を意味するのかと自身に問う事も忘れて、京一は整った龍麻の顔をじっと見つめやった。
「京一、ありがとう」
何も知らずに龍麻は素直にそう言い、それから少しだけ寂しそうに目を細めて俯いた。
「残念だけど…そうだよね。男の人から、ラブレターなんてくるわけないよね」
違う。これはきっと、ホンモノだ。
ズボンの中へ無理矢理押し込んだそれにずっしりとした重さを感じながら、京一は心の中ではすかさずそう答えていた。
けれど。
「……しょうがねえな。んじゃ、ダチもいねえで可哀想だった龍麻君に京一様がラーメンでも奢ってやるか」
「本当? ありがとう。京一」
「………ばあか。まともに礼なんか言うんじゃねえよ」
自分の汚さを知られるのが怖くて、京一はそれを誤魔化すように龍麻の髪の毛を荒っぽくまさぐった。それにくすぐったそうにして首を竦める「友人」の横顔をとても眩しいと感じながら瞳を翳らす。そうして衝動のまま力任せに抱きしめたくなるのを必死に堪え、京一は「自分はもうどうしようもない」と心の中で自分自身を嘲った。
龍麻のこの綺麗な顔も、心も全部。それを享受するのは自分一人であればいい。
「京一。僕、味噌ラーメン」
「おっ、気が合うねえ。俺もそう思ってたところよ!」
龍麻が自分だけを頼り、自分だけを信じて共に横に在るといい。
「んじゃ、特別に今日は餃子もつけてやるかな!」
「えー、本当? 大丈夫、京一?」
「何がだよ! 今日は懐もあったけえ、気にするな!」
おちゃらけた顔の裏でドロドロとした暗いものが自らの中に流れているのを京一は確かに感じ取っていた。
それでもそれをこの「友人」に知られるのが怖くて、京一はそれを誤魔化すように笑い、いつものように龍麻の首に自らの腕を絡めた。
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