―2―



  浅見が葉山を「ただの元同級生」ではないと認めて、2人がめでたく恋人同士となったのは、去年のクリスマスだ。
  その夜、葉山は帰りは送っていくからと言っていた言葉を撤回し、「俺ん家来いよ」とさりり気なく浅見の手を握り、誘った。浅見は浅見でそれに対して「うん」と頷き、その手を強く握り返した。さすがの浅見も葉山が自分に何をするつもりで部屋に呼んだのかは察していた。それを承知で「行く」と答えたのだ。
  葉山になら、いいと思って。
「ご、ごめんっ」
  それなのに浅見は覆い被さってきた葉山を拒絶するように両手で顔を覆い、「無理だ」と情けない涙声を出した。外でもいい加減飲んでいて程良く酔っていたし、部屋に行ってからもとりとめのない話をしつつ杯を何度も空けていたから、気分も良かった。こんな心持ちなら葉山から求められてもきっと大丈夫だ、なんて思ってもいた。
「駄目…無理だ、ごめん。ごめん、葉山…っ」
  何度も謝る自分が嫌だったけれど、止められなかった。
「俺…どうしても…」
  そもそも「これなら大丈夫」などと思っている時点で、素面同然、意識しまくりなのは明瞭だ。そのくせ、いざその時がきたらまるで腰が引けてしまって、怖くて恐ろしくて仕方がない。まともに葉山を見る事も出来なかった。浅見はそんな自分を最低だと心内で罵りつつも、一方で性急に自分の衣服を脱がそうとした葉山を酷いと思ったし、正直股間に手を伸ばされた時にはそれだけでぞっとしてしまった。
  葉山と抱き合う事を身体は望んでいなかった。決して葉山を嫌いではないけれど、互いの愛情を確かめあう為に性行為をしたいとは思えなかった。
  あの時はただ自分の身を守る事に必死だった。
「うん。分かった」
  葉山はそんな浅見を前に、実にあっさり引き下がった。
  声を出すまでには暫しの時があったが、それでも発せられたその言葉に怒気はなかったし、逆に浅見を気遣って、「急だったよな。ごめんな」と謝りもした。自身で乱暴に剥ぎ取った浅見の衣服もすぐに元通りにして「ごめん」とまた謝った。
「俺が悪いんだよ。調子に乗って浅見のペースも考えないでがっついてさ。みっともねえのな」
  そう言って微かに笑んだ葉山の表情には、本当に浅見に申し訳ないという色しか見えなかった。顔を覆っていた腕を少しだけずらしてそんな葉山の様子を認めた浅見は、だからこそ心から安堵したし、葉山に対する信頼の念を強めた。
  1人トイレへ向かい暫し戻らなかった葉山には猛烈な自己嫌悪に駆られたけれど、その時は確かに葉山を愛しいと感じた。
  2人が身体を繋げたのは、それから暫く経ってからだ。
  浅見はその時にはもう自分の全てを任せても良いと思う程葉山を好きになっていたし、同性同士のそれに依然とした抵抗は抱いていても、身体が葉山を嫌悪する事はなかった。それどころか葉山の愛撫にもきちんと感じていた。
  だからこそ浅見にとってあのクリスマスの夜は「もう忘れてしまいたい」過去の出来事だ。今、あの頃のような躊躇いはない。葉山を本当に好きだと思っているのだから、葉山と抱き合う行為も好きだ。
  たまに……ごくたまに、「こういうの」は嫌だなと思うくらいで。





  葉山は浅見とセックスをする時、大抵行為を「見ていて」とねだる。
「んっ、ん…」
  浅見にしてみれば、正直それどころではない。付き合ってそろそろ1年、いい加減葉山との行為にも慣れそうなものなのに、毎回する度に酷く疲れ果ててしまうし、あまりに激しくされた翌日は体調も悪くなってしまう。
  それに何より、恥ずかしくて堪らない。
「浅見…、そうやって意地悪すると、いつまでも解放してあげないよ?」
「い…っ、は……」
  意地悪は葉山の方じゃないか。そう言いたいのに言葉が出ず、浅見は既に中へ深く捻じ込まれた葉山のモノを意識しながら、声にならない呻き声を上げた。
「あっ…あぅ…。はやっ…」
  その上葉山は、機嫌が良い時こそ浅見の呼吸が整うのを待って動くが、こういう「陰鬱」な時には大抵酷く乱暴なのだ。既に全裸に剥かれた状態で、胸をひくつかせ息も絶え絶えの浅見には、これ以上の葉山のどんな要求にも応えるのは難しいのに、激しく揺さぶられながらもっともっととねだられる。
  そうして仕舞いには「ちゃんと見ていて」だから、浅見としても恨めしい気持ちになってしまう。
「う、う、はや…! あっ、も…離…っ」
「嫌だよ。俺の…っ、言う、事…、無視、してるだろ…っ」
「あ、やっ、そ、そん…っ、あっ、あっ!」
  そんな事ないと唇を開きかけたものの、更に覆い被さるよう腰を進め攻め立ててきた葉山に、浅見は息が止まる思いだった。葉山は元々浅見を前から抱くのが好きだから、その体位故、余計に呼吸を縛られてしまう。身動きも取れない。身体は柔らかい浅見だけれど、両足を抱え上げられ赤子のように尻を剥き出しに奥を突かれると、快楽よりも理性が先に立って情けなくなる事もある。
  特に今日のように葉山を好きと感じる間もなく、ただ強引に事を進められると。
「あ、あっ、あっ…」
「陽…陽一、好きだよ…」
「あっ…も、もう…!」
「…何? イきたい?」
「やあぁっ…や、やめ…!」
  葉山の声が酷薄に思えた。熱っぽく求め、既に自分ではもう何度も浅見の中に精を吐き出しているのに、浅見にはそれを許さない。浅見が「お願い」と頼んでも、葉山は「駄目」と言ってそれを許さない。そもそも行為の前に「苛めてやりたい」と言われていたから、今日はきっと酷くされるとは浅見も覚悟していたところではあるが、本当はその「苛められる理由」をちゃんと突き詰めて話し合って、お互いに妙なわだかまりは払ってから抱き合いたかったから、やっぱり「こんなのは嫌」だった。
  ただ身体だけのセックスは虚しいだけだ。
「んっ…あ…」
  カーペットの上での行為とは言え、しきりと背中を擦られて何度も中に射精されているから、浅見の体力ももう限界に近い。おまけに葉山とは違って浅見の方は一度もイかせてもらっていないのだから堪らない。
「う、う…あ…」

  葉山を責めたい。
  無理矢理にでも身体を押し退けて、この状況を打破したい。
  「バカ!」と罵って、どうしてこんな真似をするんだと怒ってやりたい。

「葉山…あ、あっ、葉や…」
  ―…浅見の頭の奥の奥では、葉山を罵倒したい気持ちがある。こういう乱暴なセックスが初めてというわけではないから、葉山の仕打ちに衝撃を受けるといった事はないけれど、それでも浅見にとて葉山に対しマイナスの感情を抱く時はある。
「やあっ…葉山ぁ…」
  しきりと太股にキスをされるのも、いやらしい水音を立てながら自分を攻め続ける葉山の性器にも。泣きそうな声で「陽一」と呼ぶ葉山にも。全部。
  「煩い」と言って、「もう嫌いだ」と言ってやりたくなる。
「葉山…っ。葉山、好、あっ…好き…」
  それでも。
「……陽」
「好きだよ、好き…っ。や、あぁッ!」
  それでも浅見は、気づけばいつでも葉山に「好き」と繰り返していた。それに我知らず、葉山との結合を深めようと自らも腰を振ってしまうし、葉山と手を握りたくて腕を伸ばしたりもしてしまう。顔は涙でぐしゃぐしゃだけれど、葉山が「見ろ」と言うのならと、苦しい中で何度も努めて瞳を開くようにもする。
「あ…あ、ああ…」
「んっ…陽、一…ッ!」
「ひ―…んぅ…!」
  そうして浅見がそう従順に葉山に尽くせば尽くすほど、葉山の欲望が滾り続けて止まらない。一体いつ萎えるんだろうと不思議で仕方がないのだけれど、葉山の雄は何度も浅見の中で熱をぶり返し、内を抉り取るように貪欲に蠢きながら、最後には大量の白濁を遠慮もなく放出してくる。
「は…葉山…」
「なぁ……。名前……」
「え…?」
「名前……呼んで。俺の……」
「あ……」
  中出しをされ半ば放心状態の浅見は、それでもそう言う葉山をぼんやりとしつつも潤んだ瞳で見つめ返した。「名前呼び」は葉山が行為の最中によく要求してくる事の1つだ。今日は言い出すのがいつもより遅かったなと何となく思った。
「葉山……」
「違うだろ…。無視するならまた苛めるよ…?」
「い…もう嫌だよ…」
「じゃあ呼んでよ」
「うん…」
  浅見はぐったりとしながら分かったと返答した。それから瞳を閉じてハアと息を吐く。葉山はまだ中にいたまま出て行ってくれないけれど、一応峠は越えたみたいだ。―そんな事を思いながら、けれど浅見はあまりの疲れにそのまま意識を失いそうになって、葉山を名前で呼んでやる事もせず、ただじっと目を瞑り続けてしまった。
「陽…酷いよ…」
  すると葉山が覆い被さってきてそう愚痴めいた。
「ん…」
  迫ってきた影が腹を撫で、その手が上に辿ってきたところで浅見は再び目を開いた。葉山がすぐ近くにいる。その姿を認めた瞬間、胸の突起にキスをされて浅見は少しだけ声を漏らした。体勢的にもまだ間に葉山を挟んだままだからとても苦しいし、これ以上は本当に駄目だからと浅見は掠れ声で懇願した。
「葉山……もう、放して」
「俺を無視する浅見じゃ嫌だ」
「無視なんて……」
「俺はまだまだ苛められるよ? ……浅見のはもう萎えちゃったけど」
「うん…」
  最初こそ精を出す事を欲して昂ぶっていた浅見の性は、けれど度重なる葉山の酷い拘束によって自然熱を失って大人しくなっていた。こんな事も偶にはある。生来のものか浅見は葉山よりも性欲が劣るし、ましてや最初は男同士のそれに抵抗を示していたくらいだから、葉山に不当な扱いを受けると、こんな風になってしまう日もないわけではないのだ。
  それを浅見は葉山に「申し訳ない」と思うけれど。
「怜」
  だからというわけではないが、浅見はようやっと葉山を呼んだ。普段は気恥ずかしくてなかなか呼び名を変える事は出来ない。葉山の方も大抵は「浅見」と苗字で呼んでいるし、名前で呼んでくるのはこういう時か、互いにいつもより密接だと感じる時だけだ。
「怜……一回、離れて。お願いだから」
  夕刻も過ぎていよいよ辺りが暗くなってきた事もあり、部屋も随分と温度が下がって寒くなっていた。一気に肌寒さを感じて浅見が震えると、葉山はそれに眉をひそめながらも未だいじけたように目を窄めた。
「そんなに俺が嫌?」
「そうじゃなくて…。身体…苦しいよ…」
「知ってるよ」
「………」
「知っててやってる。浅見を苛めてやるって言ったろ」
「もう…十分、苛められた…」
「俺はまだ足りない」
  きっぱりと言って葉山はわざと腰を揺らしてきた。その震動で浅見はまた「ひっ」と小さく悲鳴を上げたが、さすがにむっとして自分から身体をずらそうと両腕に力を込めた。
「今日…どうして、そんな、怒って…」
「…別に怒ってないよ」
「嘘…あっ、ちょっ…もう、動…!」
「強いて言うなら…ここまでやっても俺を怒らない浅見の性格にむかついてる。―…逃げんなよ」
「やっ…。は、葉山、いい加減に…あっ!」
「浅見」
  いよいよ本気で逃げようとする浅見に、葉山がようやく身体を放した。ずるりと中にあったものが引き抜かれる感覚に浅見は思わず声を上げた。途端、両足が自由になり、身体の中がぽっかりとがらんどうになったような感覚に苛まれ、浅見は逆に両足を下ろした後はそのままぴくりとも動く事が出来なくなってしまった。
「満足?」
  そんな浅見には構わず、葉山が上から見下ろすようにしてそう訊いてきた。浅見は胸を上下させながら息を整えるのに必死だったが、何とか応えなくてはと心では必死だった。無視をするつもりなんてないのだ、むしろ葉山とは沢山の事を話したい。だから早く早くと思うのだけれど、気持ちだけが急いてなかなか声を出す事が叶わなかった。
「浅見」
  すると葉山が先に動いた。
  さらりと浅見の裸体を撫でてから胸に自身の手を当てつつ首筋にキスを仕掛け、同じように横になって抱きしめてくる。今さらながらようやく葉山の均整の良い体躯に目がいって、浅見はカッと頬が熱くなった。実際にセックスしている時よりも、こういう時の方が余計に恥ずかしかった。
「……今日こそ愛想が尽きた?」
  葉山の声がいつもの穏やかなものになっていた。
  ほっとして浅見は目を瞑った。
「それ、葉山の方じゃないの?」
  やはり指先1本動かすのもかったるい。それでも胸を何度も擦り甘えてくる葉山に、浅見は未だガラと掠れた声をさせながら「ごめん」と謝った。
「…何で浅見が謝んの」
  案の定それで葉山はまたむっとしたようだったが、浅見はそれを予測しつつもやっぱりそれしか出てこないと思って諦めたように続けた。
「ごめんだから、ごめんなんだよ…。葉山がそれで俺の事むかつくの知ってるけど…。そう思うの、止められない」
「だから何で俺に悪いと思うの。何で俺を責めないの」
「……責めたいところもある、けど」
「けど?」
「絶対、色々あわせたら、俺の方が悪いもん…」
「………」
「だから」
「……訳分かんねえよ」
  葉山は言って上体を起こし、溜息をついた。浅見がそれで「あ」となって目を開けた時にはもう立ち上がり、脱いだ服を拾って浴室へ消えて行く。あーあ、また怒らせたままだと思ったものの、身体が動かないからどうしようもなく、浅見は放っておかれたままの状態でようやくごろりと寝返りを打った。臀部にズキリとした痛みを感じてちらと下方を見やると、腿を赤い線が辿っていて、カーペットを少しだけ汚していた。





  葉山と入れ替わりでシャワーを浴び終えた浅見は、家に「今日は葉山の家に泊まるから帰らない」と電話をした。葉山に断りを入れずにそんな事を決めたのは初めてで、台所で食事の支度をしていた葉山も案の定驚いた顔で振り返ってきた。特には何も言わなかったけれど。
「結局酒買ってきてないな。ビールもすぐなくなりそう」
  食卓に料理を運び、テレビのリモコンを操作して1番賑やかしいバラエティ番組を選んだ葉山は、腰を落ち着けてからぼそりとそう言った。
「俺、後で買ってくるよ」
  浅見がガラガラ声でそう言うと、葉山はさっと眉を潜めてから「俺が行くからいいよ」と答えた。
「……何で。さっきは一緒に行こうって言ったのに」
  浅見もややむっとしてそう返すと、葉山は暫し何も答えず箸を動かして白米を口に入れていたものの、やがて「だって」と不貞腐れたような顔をした。
「浅見が行けるわけないじゃん。部屋の中でだってヨロヨロのくせに」
「誰のせいでこうなったと思ってるんだよ」
「浅見のせいだろ」
「………」
「浅見が俺を怒らせるからいけないんだよ」
「……やっぱり怒ってたんだ」
  今ではすっかり「通常モード」になっていると思っていた葉山がそう切り出した事で、却って浅見はほっとした思いを抱いて箸を置いた。未だ濡れた髪の毛が頭を冷やして身体全身も寒かったのだけれど、今やっと話が出来るような気がした。
「今日怒ってたから、あんな…したんでしょ。最初会った時はそうでもなかったけど」
「色々」
「え?」
  浅見が意を汲めずに首をかしげると、葉山は一層むっとしたようになって声に剣を含ませた。
「だから、色々だよ。浅見と喋ってたら、何か無性にイラついてきてさ」
「………」
「それでも我慢出来るって思ってた。俺はいつもみたいに出来るって。いつもみたいに、浅見が安心出来る俺でいて、優しくしてやって、それで浅見がちゃんと安心して大丈夫って信号出してからゆっくりやろうって。ゆっくり浅見の事抱こうって。途中まではちゃんと言い聞かせられてたんだ。だからお湯だって沸かした」
「お湯?」
「あんなの、最低だろ。火を止める為に1回途中で立っただろ。ああいうのって最低」
  確かに行為の最中で火にかけていたヤカンが激しく喚き立てて、葉山は舌を打ちながら一度浅見から離れた時があった。浅見はあれで一呼吸置けると密かに安堵していたのだけれど、結局戻ってきた葉山は最初に襲いかかってきた時とあまり変わらなかった。
「俺、浅見と会う前は本当色々考えてる。自分に言い聞かせてるよ」
  葉山が言った。
「浅見が何か言って、それに猛烈むかついても笑ってようって。大丈夫、ちゃんと笑えるって何回も言い聞かせてる。じゃないとマジでキレそうになる時あるから」
「……俺、そんなに酷いんだ?」
「かなり酷いね」
  再びエスカレートしてきたように葉山は言ったが、しかし浅見が合いの手を入れる前にそのテンションはジェットコースターのように急降下。いきなりしょぼくれたかと思うと、今度はガンとテーブルを叩き、葉山はそのままそこに突っ伏した。
「は、葉山…!?」
  震動で傍の皿が一瞬浮きかけたが、中身が零れる事はなかった。ただ、俯いたままの葉山がなかなか顔を上げないのが気になって、浅見はオロオロとしながら葉山の肩に触れようと腕を伸ばした。

「浅見。凄く好きなんだ。お前のこと」

  するとその手が達する前に葉山が言った。
「本当だよ、嘘じゃない。俺、お前がいなくなったら駄目だ、死ぬと思う。そのくらい俺は―…心底、お前にやられてるよ」
「何で……そこまで」
「知るかよ。俺だって訊きたいよ」
  くっと笑ってから葉山は顔を上げた。恨めしそうな、けれど本当に可笑しそうに口許を歪めて、目を細める。
「でもさ…いや、だから…好きだから、なのかもな。お前が俺と全然同じじゃないって思う度に、何か…。何か、どうしようもなくなるんだ」
「同じじゃないって…?」
「俺が想ってるほど、浅見は俺のこと好きじゃないだろ」
「そんな事…っ」
  驚いて否定しようとする浅見に葉山は「待って」と制して先を続けた。
「分かってる、ちゃんと好きでいてくれてるって分かってる。ノーマルなのに俺に抱かせてくれてるんだ、好きじゃなきゃ出来ないって分かってる。……でも俺とは違うって思う気持ちも止められない。……俺って我がままだよな?」
「……葉山」
「本当、いつ逃げられるんだろうって毎日びくびくしてる。そのくせ、お前にこんな酷い事して偉そうに文句言って……俺って矛盾の塊だ。元々頭おかしい奴とは思ってたけど」
「葉山はおかしくなんかないって…」
「じゃあ、やっぱり浅見が俺を狂わせてるんだよ」
  確かに浅見と会う前まではこんなんじゃなかったと葉山は恨み事を言ってまた自嘲した。
  それから誤魔化すようにテレビの音量を上げ、また自分が作った料理にがっつき始める。多分それほど食べたくもないだろうに、無理矢理口にそれらを詰める葉山はどこか痛々しくて、浅見はどうしたら良いか分からないまでも「何か言わなくちゃ」と気だけを急かして全身を痺れさせた。
「……あの」
  だからだろうか、考えるより先に口が動いた。
「葉山に嘘はつきたくない」
  だから本当に思った事だけを言おうと決めた。
「本当はこう言ったら葉山は嫌なんじゃないか、また機嫌が悪くなるんじゃないかって…予測出来てる事もあるんだ。あ、俺、基本的に鈍いから出来てない事の方が多いんだけど。でも今日は…葉山に家で待っててって言われても入らなかったら気分悪くするだろうなって思ったのに入らなかったし…。それ、言わなくてもいい事なのに言っちゃったし。…嘘つきたくなかったから」
「……別に鍵の事であそこまでキレちゃいないぜ」
「分かってる。あれだけでこんな怒ったと思ってない」
  慌てて頷き、それでも浅見は急くように後を続けた。
「クリスマスプレゼントもさ、別に欲しくなかったけど、何か言った方がいいかなって思って言ったら裏目に出ただろ。じゃあやっぱり別にいいって本当の事言ったけど、葉山は困っただろ」
「分かってる。浅見が困ってるのも分かってた。逆に俺が困らせたよな」
「そんな事ないよ」
「いいよ、もう。別に、それだって些細な事だ」
「音楽の事だって、葉山が嫌いって言った時、俺きっと嫌な顔しただろ?」
「……あんな場面であんな事言う俺の方が性格悪いって」
  つまりはさ、と葉山は声を荒げて、浅見が喋ろうとしているのを無理矢理止めた。
「そうなんだ。俺がイラついてるのは、全部自分勝手な事なんだ。全部。1個1個の事なんか挙げたら全然大した事ないだろ。そんなん、付き合ってたら幾らでもあるだろ? 全部が全部自分に合致する相手なんているわけない。ましてや、俺が好きになったのは浅見陽一だし」
「な、何それ…」
「鍵使って欲しいし、ねだって欲しい、動物なんて飼って俺以外の生きてるヤツに興味注がれたら嫉妬で狂いそうだし。音楽だって、好きな歌手なんて浅見に作って欲しくねえよ。俺だけ見てて欲しいんだ。俺だけ見て、俺の事だけ考えてヤキモキしてて欲しいんだ」
「大体俺、そんな感じだけど…」
「浅見の全部が欲しいんだ」
  葉山は浅見を真っ直ぐに見つめてそう言った。
「浅見の全部が欲しい。身体だけじゃない、心も全部。俺の事で一生懸命になってくれる浅見が好きだ。だから、今の浅見は本当に大好き。俺、おかしいだろ? どこのガキだよ、我がまま坊ちゃんで困るよな? けど…これが俺の本心。浅見の事が好きになってから、どんどん異常になってる、俺の本心」
「……クリスマスに欲しいものって……俺?」
「あまりにベタで笑っちゃうだろ?」
  けど身体だけが欲しいってわけじゃないからなと葉山は言って、また不貞腐れたように傍にあったビールを煽った。
「………」
  浅見はそんな葉山をじっと見やりながら、ああだから結局葉山の酷いところも責めたいところも全部許して「好き」と言ってしまう自分がいるんだと改めて分かってしまった。結局浅見は自分の事が未だに大嫌いだし、そんな自分をここまで好きだと言ってくれる葉山の事が愛しい反面、本当は恐ろしくて仕方がないのだ。色々な意味で恐ろしい。だから迷って逡巡して立ち止まったりするのだけれど、葉山が「自分もそうだ」と示してくれるだけで全てザッと心が洗われた気持ちになる。
  それもまた、1日1日違う汚れがつくから、結局は毎日洗濯しなくてはいけないのだけれど。
「……“付き合う”って大変なんだな」
「え?」
  ぼそりと呟いた浅見に、葉山が怪訝な顔をした。
  その葉山に弱々しくも微笑みかけて、浅見は肩を竦めた。
「でも葉山と付き合うのは楽な方だと思うよ。だって俺の事考えてくれてるから」
「……お前、それ真剣に言ってるわけ?」
「俺は女の子とはきっと付き合えなかったと思う」
  それは心から出た気持ちだったからあっさりと言い放ったのだが、葉山はそれを聞いてぴたりと動きを止めた。
  浅見はそんな葉山に今度はしっかと笑いかけて言った。
「葉山だから、こんな俺に合わせられる。合わせてくれるんだよな」
「……浅見。お前はやっぱり、ちょっとバカだな」
  葉山はハアと溜息をついてから、「だからむかつくんだけど、凄く好きなんだ」と零した。
「俺も」
  だから浅見もすぐに答えた。
「あのさ、誤解のないように言っておくけど、楽だから付き合ってるわけじゃないから。葉山と付き合うのは、葉山が好きだからだよ?」
「……分かってるよ。つか、絶対楽じゃないって。俺と付き合うのは」
「でも全然、こうしてても窮屈じゃないし」
「………」
「素でいられるよ、俺」
「……それは、俺も」
  葉山がそう言って少しだけ笑った。浅見はそれに途端嬉しくなって自らも笑うと、傍にあったビールの缶を葉山のグラスに注いだ。
「やっぱりなくなったら一緒に買いに行こうよ」
「…身体大丈夫?」
「うん。愛の痛みだから我慢するよ」
「……おい、それきつい。でも…、ごめん」
「何だ、結局葉山も謝った」
「うん。……ごめん」
  葉山は言ってから、今度は浅見のグラスにビールを注ぎ返した。浅見はそれを受け取りながら、「じゃあさ」と敢えて軽快な口調で言った。
「今度のクリスマス、ちゃんと葉山の満足する俺でいられるように頑張ってみるよ。…1日限定で、だけど」
「限定?」
「うん。だって、絶対ボロが出ちゃうよ。ずっとは難しい、ずっと葉山を怒らせないでいられる自信はないからさ」
「……そんなの。当たり前だよ」
  葉山は浅見の台詞に何か詰まったように一瞬言葉を遅らせた。けれどすぐにまた笑顔になって、「なら俺も」と悪戯っぽい口調で言った。
「俺も浅見に優しく出来るように頑張る。頑張るから」
「頑張らなくても葉山は優しいけど」
「優しくないよ。俺は欲張りだし性悪だし……でも、浅見が好きなんだ」
「……うん」
「好きだよ。……大好き」
  真摯に見つめられそう言われて、浅見は自然顔が熱くなったが、急いで頷いた。葉山が泣いてしまうのじゃないかと、それが心配だったから。葉山が欲しいと言うならいつだってあげられるのに、「葉山の満足いく浅見陽一」をあげられないのが申し訳なかったから。
「俺もだよ。葉山が好きだよ」
  だから少しでも。
  早く早く、葉山の理想の自分に近づきたいと浅見は願った。




 






何なんだこいつらはーっ。単なるラブラブじゃねえか!
……と、呆れても、笑って許してやって下さい。