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  それから数日が経ち、日曜日に陽一は葉山と連れ立って駅近くのショッピングモールへ買い物に出掛けた。葉山がバイクに使うオイルを買いたいというので何となく外へ出ただけだったが、天気が良かった事もあって、気づけばいつの間にか街中にまで足を運んでいたのだ。
「折角だから飯食ってこ。確かここらに美味い洋食屋あったから」
「うん」
  陽一は何処へ出かけるにも大抵葉山に言われるまま後をついて歩くだけだが、そういうのが楽だから不便を感じた事は一度もなかった。歩く事自体好きだし、こうして葉山とあまり見慣れない場所を行くのも楽しい。心密かにうきうきした気持ちを抱き、陽一は葉山が先んじて入って行った小洒落た感じのイタリアンレストランの外観を見上げた。
「外食久々だよな」
「うん」
  昼を大分過ぎていたが、休日という事もあって店内は大分混み合っていた。それでもタイミング良く空いた2人用の席にすぐ案内されて、陽一はそこへ落ち着いてから改めて周囲の装飾をぐるりと見渡した。
  評判が良いというだけの事はある。センスの良い照明に高い天井。窓も大きく、綺麗に磨かれていて開放感がある。壁には趣味の良い淡い水彩画が等間隔に飾られていて、木造りのテーブルの上には可愛い一輪挿しが特に主張するでもなく置かれていた。
「これ何て花?」
「ん? 俺、そういうのには詳しくないから」
  葉山は既にメニューを広げていたが、陽一があまりにきょろきょろとあちこちへ視線を向けているのに気づくと、やや苦笑したようになって顔を上げた。
「何だよ。別に初めてでもないだろ」
「そうだけど」
「それより何にする? フツーにランチセットとかもあるけど」
「葉山と一緒のでいいよ」
「お前なあ…。何かいつもそれだな」
「え?」
  きょとんとすると、葉山はそんな陽一にわざと眉間に皺を寄せて責めるような顔をすると、直後ニヤリと皮肉っぽい笑みを浮かべた。
「俺にあわせすぎ」
「そ、そんな事ないと思うけど」
「そうじゃん。いっつも俺と同じでいいって。家で食う時だって、俺が何食いたいって言っても俺が食いたいものでいいって言うし」
「………」
「出かける時も、俺が行きたいとこでいいって」
「お、俺……」
  それが楽だし、それで十分楽しいから何とも思わなかったのだが。
  葉山は嫌だったのだろうかと、途端不安な気持ちがして陽一はさっと表情を曇らせた。
  けれど、今度はそれに葉山が途端ハッとしたようになって、「ごめん」とすぐさま謝ってきた。
「別に…っ。俺も、それ、嫌ってわけじゃない。ごめん」
「あ…ううん…」
「本当悪い。白けさせた。俺、テンション変だとつい言っちまうんだ、こういう余計な事。調子乗ってた」
「い、いいって、別に」
「………」
「………」
  些細なやりとりだったが、一瞬妙な間が出来た。
  幸い、まるでそれを見計らったかのように店員が注文を聞きに来てくれた為、2人は同時にほっとして同じランチセットを頼み、それからまた普通に取りとめのない会話を再開させた。
  けれど陽一は一生懸命早口で話す葉山に不自然なものを感じていたし、それにあわせて笑う自分も、意識が別の所へいっている事に気づいていた。
  何だか最近、いつもと同じようでどこかおかしい。
  互いに変に気を遣っている事があって、それが本当に突然、意図しない時に出ると感じていたのだ。



  食事を済ませた後、会計をしている葉山の背後に何となく立っていた陽一は、ふと店内のあらゆる所からやってきている視線に気がついてぎくりとした。
  デザートメニューが充実している事もあるせいか、店内はカップルも多かったが、女性客同士という組み合わせもとても多かった。
  その彼女らが、ちらちらとではあるが明らかにこちら―葉山―に好奇の視線を向けている事に陽一は気がついたのだ。
(当然…だよな)
  葉山がどこへ行っても目立つ事は今さらである。高校の時から葉山はとてもモテていた。モデルのように長い足、均整の取れた身体。何かをしている時の横顔なんて、何度見ても見飽きる事がないと、誰にも言えないけれど、陽一はいつも心の中で自慢気に思ったりしている。
  だから店内の女性たちが葉山を見つめるのも分かるのだ。
  そしてもしこの中の誰かが葉山の恋人だっとしたら―……葉山は別段何に気を遣う事もなく、自分の両親に「これが俺の恋人」と言って紹介出来るんだろうなと何となく思った。
「どうした。出ようぜ」
「あ…」
  はっと我に返ると、葉山が不思議そうな顔をして陽一を見ていた。慌てて頷き、共に店を出たが、去り際ちらりと振り返った時もまだ女性客の何人かは葉山の背中を追っていた。
  誇らしい気持ちよりも、何だか落ち込んだ。
「……どうかした?」
  分かりやすかったのだろうか、何十メートルか歩いた後、葉山が口を開いた。何処へ行くとも言っていないが、明らかに足取りは自分の住むアパートへ向かっている。人ごみをすいすい抜けていく葉山の歩調に早足でついていきながら、陽一は「え」と間の抜けた声を出した。
「店で。何か考え事してただろ」
「あ……うん」
「何? 何か暗いし」
「ああ…うん」
「うん、うんって。何だよ全然分かんねえ」
  はっと鼻で笑って葉山は少しだけ不機嫌な態度を取ったが、どちらかというと気持ちは弱っているような感じだった。陽一はそんな葉山の顔を斜め後ろからじっと見やりながら、「うん」とまた意味もない言葉を発してしまった。
  けれど早々、隠してもおれない。大通りを抜けていよいよ人の通りが少なくなってきたところで、陽一はドキドキしながら口を開いた。
「葉山…。俺、俺もそのうち、葉山の親に会う」
「……え?」
「……え?」
  葉山が驚いたように振り返って立ち止まったのと同時、陽一も自身が発した台詞にぎょっとして同じように聞き返すような声を上げてしまった。
  別に言おうと思って言った台詞ではなかった。
「あ、俺……?」
  先刻店で考えていた事とは微妙に違う。
  陽一は可愛くて綺麗な女性たちに羨望の瞳を向けられる葉山を、「凄い」と思うと同時に「嫌だ」とも思っていた。くだらないヤキモチだと分かってはいるけれど、ああいう時は葉山がそのうち自分を捨てて何処かへ行ってしまうのじゃないかと思う事もあるから心配になる。
  でもそれを口にするつもりはこの時はなくて、ただ単に「皆が葉山を見てた」という既成事実だけを言おうと思っていたのだ。
  けれど出て来た言葉は「葉山の親に会う」。
「何それ?」
  葉山が聞き返すのももっともだった。陽一は自分でも訳が分からないという風に困惑した顔を向けたが、やや唇を震わせながらも葉山を凝視しつつ続けた。続けてしまった。
「よく分からないけど…。咄嗟に、出た」
「出たって」
「今の台詞」
「はっ…。だから、何だよそれ」
  葉山はますます分からないという風に笑い、直後気分を害したように剣呑な表情を見せた。
「前言ったろ。そんな事一生ないって」
「でも」
「俺が会わせたくないの。あんなの会う価値ないし」
「何で…だって、葉山は俺の両親には会うって」
「浅見は親と仲いいだろ。だったら……そりゃ、いつかはちゃんと挨拶した方がいいだろうなって思っただけだよ。けど、別に今すぐってつもり、なかったし」
「………」
「浅見がすぐ会って欲しいってなら会うけど」
「そ、そんな事言ってないよ」
「………」
「………」
  また沈黙。
  けれどすぐに葉山がそれを破った。
「どうしたの浅見」
「何が……」
「変じゃん。突然そんな事言うなんてさ」
「………」
「こんな話してさ。微妙に気まずくなるの嫌なんだけど」
「お、俺も嫌だよ…」
「じゃあやめようよ」
「うん……」
「………」
  葉山はすぐに頷いた陽一に何も言わなかったけれど、思い直したようになって再び歩き始めた。だから陽一も何となくそれに続いた。数歩続いて。
  けれどやっぱり。
「………」
  陽一はぴたりと足を止めて俯いた。
「………何」
  葉山もすぐに分かったようだ。振り返らないまま足を止めて嘆息する。ややイラ立ったような空気が伝わってきて、陽一はこんな葉山が怖いから苦手なのだけれど、それでもぐっと息を呑むと思い切って言った。
「俺だって葉山に何かしたい」
「……浅見?」
  途惑う葉山に構わず陽一はまくしたてるように言った。
「葉山は俺が葉山にあわせてばっかりって言ったけど。……違う。いつも俺を気遣って、無理してくれてるの葉山だと思う。それなのに…葉山にだけ俺の親に会わせて、俺が何もしないのは……嫌だ」
「何言ってんだよ」
  そんなんじゃねえよと、呟くように小さな声で葉山は言った。
  ただ陽一の揺ぎ無い瞳に珍しく押されたようで後の言葉が出てこない。葉山は怖いところもあるけれど、こういうところは可愛いんだよなと陽一は心の中で密かに思う。そしてこんな時なのにそんな風に冷静に分析出来る自分に心なしか驚いた。
  何にしろ、ここ数日の鬱屈を口に出来て思った以上に心が軽くなったというのもあるかもしれない。陽一はじりと葉山に一歩近づいてから言った。
「だから葉山も…俺にして欲しい事、言って」
「……少なくとも俺は親に会って欲しいなんて事は思ってないぜ」
「でも……」
「ああ煩い。全く、時々暴走するんだよな。浅見陽一って」
  突然フルネームでそう言った葉山は「負けた」と呟いてから思い切り苦笑した。
  そうして頭にはてなマークを浮かべる陽一の手をおもむろに掴むと、「じゃあさ」とようやく声を明るくして言った。
「こっから手、繋いで帰ってくれる?」
「えっ」
「嫌だろ?」
「だ……だってそれは……」
  誰かに見られたら。
  そう言おうとして、けれど陽一は自分の手を握る葉山の手を無碍にも払えなくて困ったように視線を泳がせた。気遣いをさせずに自分の要求を言ってくれというのは、「こういう事」ではないんだけれど。
  勿論、葉山は分かっていてわざとやっているのだろうけれど。
「ははっ。ホント飽きないな、浅見」
「な、何だよ…っ。俺、色々…考えてたのにっ」
「うん。ごめん」
  葉山はぱっと手を離すといきなり謝り、それから清々とした笑顔を向けながら「俺も」と言った。
「俺も、ここ数日ちょっと。悶々としてたかも」
「え……」
「でもさ。そういうのも、幸せなんだよな」
「幸せ…?」
「うん。だって浅見の事で悩んでるんだからさ。浅見、俺とずっと一緒にいてくれよな。で、俺を悩ませて?」
「そ、それって……」
  葉山を悩ませ続けるなんて、自分は諸悪の根源じゃないんだろうか…?
  見事マイナスな方に受け取ってガンとショックを受けた陽一だが、葉山の方は逆に宣言したら気分が晴れたのか、この時はもう不愉快な表情も不安な様子も見せてはいなかった。
「帰ろ。浅見」
「あ…うん」
「手は繋がなくていいからさ。帰ったらHな事いっぱいしようぜ」
「なっ…」
「あー、俺今日はしつこくなりそう。うざかったらごめん」
「ちょっ……」
  どこをどう取ったら今の会話からそんな展開になるのか。
  陽一には全く意味が分からなかったけれど、葉山の方は「そういう結論」らしい。結局親の事も、気遣いされ過ぎるという陽一の指摘も。うやむやに流されてしまったような気がして仕方がなかったのだけれど、陽一としてももう先を行く葉山には何も言えなかった。
「はあ…。俺が姉さんの半分も口がうまければな…」
  きっともっとうまく自分の思いを言えるのに。
  そんな事を思いながら、陽一は葉山に追いつこうとようやく足を動かした。何だかんだと言いながら、結局この事も姉に相談してしまいそうな自分がいると思いながら。




 






結局どっちも気遣い屋さんなんです。