君の熱に触れるために



  駅ビルの前に颯爽とそそり立つ煌びやかなクリスマスツリー。陽一はハァっと白い息を吐き出しながら何気なくそれに目をやっていた。巻いたマフラーにやや顔をうずめ、両手はコートのポケットにしまってしまう。街は今にも雪が降り出しそうな、そんな冷たさに覆われていた。
  待ち人はまだ来ない。
  暗くなるにつれて街灯にぽつぽつと灯りが差し始める。色取り取りのイルミネーションが夜の街に華やかな彩りを添える。辺りはクリスマスムード一色だった。賑やかな音楽もざわついた人込みも普段はただ埃臭いだけであるのに、こんな日に限って道行く人たちの顔が明るいのは何故だろうと陽一はぼんやりと思った。
  自分は、こういうのは苦手だけれど。
「浅見」
  けれど呼ばれた声にはっとして、途端陽一は弾かれたように俯いていた顔を上げた。声のした方へ目をやると、待ち合わせの相手―葉山がにっと笑って手を挙げたのが見えた。寒さの余りしつこいくらいの重ね着をしている陽一と比べ、葉山は薄手のコートにすっきりとしたラフな格好をしている。そんな葉山はこれほどの大人数がいる街中でも、やはり一際目立った存在だった。
「悪い。待った?」
  陽一のすぐ目の前に来てから葉山はそう言ってちらと腕時計に目をやった。陽一は慌てて首を振った。陽一の位置からは駅の改札付近に掲げられた時計がはっきりと見えるから分かる。
  待ち合わせ時刻にはまだまだ余裕があった。
「俺が早く来すぎたから」
「あー浅見、そんなに俺に早く会いたかったんだ?」
「な…っ」
  かっとして抗議の声をあげようと口を開きかけた陽一に、けれど葉山はくるりと踵を返してそれを遮ってしまった。嬉しそうな笑みはそのままだけれど。
「そういう事にしておいてもいいじゃん。せっかく久しぶりに会えたんだしさ」
「………」
  葉山がバイトバイトと、事あるごとに約束を反故にしてきたのではないか。
  心の中で密かにそう毒づいた陽一だったが、もう先を歩き始めている葉山にその声が届くはずもなかった。陽一は自分から誘っておいてもうさっさと行ってしまっている葉山に戸惑いながら、急いでその後を追った。
「何処…行くの?」
「んー…いいとこ」
  この寒さを何とも感じていないのか、葉山はやたらと上機嫌でさくさくと歩を進めて行っている。そんな葉山の歩調にあわせるだけで陽一は自然早足になってしまった。久しぶりといっておいてロクに話しもせずに先を急ぐ葉山に、陽一は少しだけ不満な気持ちがした。
  知らぬ間にずっと葉山を待っていた自分に気づく。会いたいと思っていた自分に。
「ちょ…いい所って…何処行くんだよ…っ」
「だからいい所」
「全然答えになってないよ!」
「煩いなあ、そうデカイ声で言うなって。メシ食いに行くだけ」
「だ…ったら、こんな急ぐ事もないだろ!」
「………」
  けれど葉山は何故かそんな陽一の言葉には応えず、それどころか更に足を速めた。陽一はいよいよカッとした。葉山に頭にきたというよりは、足の止まらない、そんな相手の背中にただついて行くだけの自分に、情けないものを感じてしまったのかもしれない。
「葉山!」
  陽一がぴたりと足を止めて葉山を呼んだ。雑踏の中で、自分の後ろについていた気配を失った葉山がようやく振り返る。寒空の下、頬を上気させた陽一の顔を葉山は黙って見つめ返してきた。
「どうした」
「ちゃ…ちゃんと説明しないと、俺これ以上一緒に行く気ないからな!」
「……何だよ、面倒臭ェなあ……」
「……ッ!」
  突然不機嫌な顔をしてイラついたような声を出した葉山に、陽一はさっきまで勇んでいた調子をたちまち崩してびくりと肩を震わせた。怒っているのは、怒りたいのはこちらの方であるのに、どうして葉山の方がそんな態度を取るのか。
「な…んだよ…」
「……何そんなにイラついてんの」
「は、葉山の方だろ、それ!」
「あーもう……」
  葉山は一瞬周囲の様子を気にしたのか、ちらりと辺りを見やったものの、心底参ったようになって俯いた…が、すぐに顔をあげるとつかつかと陽一の傍に歩みより、その手を取った。
「な…!」
「浅見って、ホント時々駄々ッ子だよな」
「離…っ」
「い・や・だ」
  言われて余計に面白くなったのか、葉山はわざとより強く陽一の手を握った。それから有無を言わせずその手を引っ張り、また先を歩き始める。通りを行く何人かが男同士の陽一たちが手を繋いでいるのを見咎め何か言っているのが聞こえた。陽一は途端に恥ずかしい気持ちでいっぱいになり、あれだけ寒かった身体が急に熱を帯びてきたのを感じた。
「は、葉山、手……!」
「何」
「何じゃないよ…! は、離せって…!」
「いいじゃん、別に。俺たち恋人同士なんだから」
「な……!」
  あっさりと言い放った葉山の台詞に陽一はますます赤面した。葉山がちらりと振り返ってきてそんな陽一の顔を見やり、鼻で笑った。
「何、違うの?」
「ち、違う!」
「ふん、はっきり言いやがって。ナマイキ」
「痛…っ」
  本気で怒ったのか、葉山がぎゅっと更に強い力で陽一の手を握りこんだ。思わず陽一が声をあげると、けれど葉山はもう涼しい顔をして「もうお前黙れ」とぴしゃりと言い放つのだった。
  それで陽一はまたいつもと同じ、葉山の言うなりになって黙ってその隣を歩くしかなくなってしまった。





  ざわついた人込みと賑やかな表通り・雑居ビルを通り越すと、やがて2人は落ち着いた景観を見せる街路樹のある遊歩道に出た。普段は夜の時間帯になるとしんと静かな佇まいを見せるだけのその場所も、今はクリスマス、恋人たちの散歩道として歓迎する為か、街路樹のどのプラタナスにもチカチカと光る青と赤、それに橙色などの電球が飾りつけされて夜の道を彩っていた。それでもやはり、待ち合わせをしていた場所よりはぐっと人の通りは減る。陽一たちの様子に気を配る者もそこにはいないようだった。
  急に葉山の歩調が緩やかになった。
「………お前、ここら辺ってよく来る?」
「…………え」
  その声は先刻のものとはまるで違う、いつもの葉山のようだった。陽一は恐る恐る顔を上げた。
「……こ、来ない」
  思わずどもると葉山は苦笑した。
「あのなあ。もう怒ってないから」
「べ、別に…!」
  考えている事を先読みされて陽一が再び焦って俯くと、葉山はそれをたしなめるように握っていた手を優しく握り返した。
「もう下ばっかり向かないでいいぞ。急かさないからさ」
「え?」
「俺はね、早くここに来たかったの」
  葉山の嘆息しがちな声に陽一は眉をひそめた。
  確かにここは静かで綺麗な場所だとは思うけれど。
「何で、って顔するなよな、バカ。お前って全然分かってないから」
「な、何が!」
  バカと言われてさすがにまたむっとした気持ちが上昇してくる。ムキになって顔を上げると、葉山は余計嘲笑したような顔を見せた。
「バカだからバカって言ってるんだよ。何回も言っているだろ、俺はお前のことが好きなの」
「………!」
  何度も繰り返される告白。けれど唐突なそれに陽一はぎょっとして目を見開いた。
「そ…! ……そ、そんなの…し、知っているけど」
「その相手がさ。無防備な顔してぼけーっと街中で突っ立っていてさ。色んな頭軽そうな奴らから妙な視線送られていたらイラつきもするだろ?」
「は、はあ…?」
  言われた事の意味が分からずに素っ頓狂な声をあげた陽一に、葉山はより一層不快な顔をして見せた。そしてすぐさま空いている片方の指でぴんと陽一の額を弾いた。
「い…ッ! な、何するんだよ!」
「鈍感」
「何だよ、もう! 俺が何したって言うんだよ!」
「浅見はどんな怪しげなキャッチとかにも断れず連れ去られるタイプなんだから。用心しろって言いたいんだよ。変な奴らに声かけられて『いいじゃんいいじゃん』って背中押されて、そのまま車に乗せられて強引にヤられたりとかしたらどうする気なわけ。男といえどその傷は深いだろ」
  べらべらとそんな事を言う葉山に、陽一は一瞬絶句した。
「バ…は、は、葉山こそ、バカじゃないのか!?」
「俺、結構本気なんだけど」
「あるわけないだろ、そんな事! だ、大体何で、それこそ何で男の俺が、そ、そんな変な奴らに連れ去られて、く、車になんか乗せられて…そ、そんな事されるんだよ!」
「………あんな所、待ち合わせ場所にしなきゃ良かった」
「聞いているのかよ!」
「煩い。現にさっきは今にもお前に声かけてきそうな男がいっぱいいた。周りに」
「バカ! そんなの嘘だ! 絶対気のせいだ! みんながみんな葉山みたいなホモじゃないんだからな!」
「………」
「……!」
  不意に真剣な顔をして黙り込む葉山に、陽一もさすがにはっとなって黙りこんだ。
  言い合いがひとしきり済んでお互いが黙ると、後は街路樹に飾られている色電球のちかちかする音と風の音だけが聞こえる。久しぶりに会えて、折角会えて、どうしてこんな事になっているのかと陽一は思う。
  けれど自分の方が言い過ぎたと陽一が思い始めた時、葉山が不意に顔を近づけてきて口を開いた。
「じゃあさ……」
「は、葉山…?」
  近すぎる距離に押されて陽一は一歩後退したが、逆に葉山に傍の街路樹まで身体を押されてそれ以上の逃げ道を塞がれてしまった。そして葉山自身もすぐに幹に背中をつけている陽一に覆い被さるようにしてその場に接近してきた。陽一は互いの距離を何とか作ろうと思わず顔を背けたが、それでも葉山の吐息はすぐ傍で感じた。
  再び、身体が熱くなった。
「……嫌なわけ? 俺の顔見るの」
  葉山がむっとしたような声でそう言った。陽一がえっとなって慌てて視線を向けると、やはり葉山の顔はもろにそのすぐ目の前にあった。
「逃げたそ〜うな顔しやがって」
「だ…だって……」
「じゃあ何で浅見は今日俺と会う事承知したわけ? お前みたいな仏教徒にはまるで関係ないかもしれないけどな、今日はクリスマスイブなの!」
「し、知っているよ…」
「OKされたら期待もするだろうが。こんだけ! 会う度お前のこと好きだって言っている俺が声かけてんだぜ! お前もいつまでもオトモダチごっこでもないだろうが!」
「………」
  葉山の心底むかむかしたような声に、いよいよ怖くなって陽一は言葉を失った。普段は優しい葉山が時々垣間見せる「怖い」面。それがすぐ近くで、真っ直ぐ自分に向けられてくる。そして自分の声を待っている。
「………葉、山」
  どうして誘いに乗ったかなんて、決まっている。
「お、俺……」
「何」
  すぐさまぴしゃりとした厳しい口調が返ってきて陽一は再びびくんと身体を震わせた。じわりと目が潤む。妙に哀しい気持ちになってきてしまった。葉山に捕まれ幹に括りつけらたかのようになっている手首がじんと痛んだ。いよいよ涙が出そうになった。
「………そんな」
  するとため息交じりの声が先に発せられた。
「そんなさ……泣きそうな顔されても困る」
「あ……」
「キスするからな」
「葉…」
  言われたと認識した瞬間、その唇はすぐさま陽一の元に下りてきた。確実に捉えられて何度も何度も重ねられる。ぎゅっと目をつむってそれを受け入れると、葉山からのその口づけはより一層激しくなった。
「ふ……」
  酸素を取り込もうと唇を軽く開いた瞬間、葉山の舌が素早く入ってきて、陽一のそれを絡め取った。
「ん…んぅ…ッ」
  ついていくのが精一杯で陽一は目をつむったまま、葉山の肩をぎゅっと掴んだ。いつの間にか拘束は解かれている。葉山の手は陽一の頬と腰へそれぞれ回されていた。
「………っ」
  葉山に与えられる熱でどんどん自分がおかしくなるのを陽一は感じた。ここが何処で何をしているのか。もうそれすら、分からなくなった。
「………」
  ようやくその長い口付けが終わった時には、もう陽一は葉山に身体を支えてもらっていなければ立てないほどになっていた。
「……浅見」
  甘い声で呼ばれてようやく涙で滲んだ目を薄っすらと開くと、やはりすぐ傍に葉山の顔はあった。静かな瞳を湛えたとても綺麗な顔だと思った。
「お前のこと、すごい好き」
  じっと見つめているとそんな声が返ってきて、瞬間、葉山はまたちゅっと音のする軽いキスを陽一の唇に降らせた。意識のはっきりしてきた陽一がそれでまたかっと赤面すると、葉山は落ち着けと言わんばかりに実にゆっくりとした所作で前髪をかきわけ、額を撫でてきた。
  陽一がすっかりおとなしくされるがままになると葉山は再び口を開いた。
「会う度キスしているだろ、俺たち」
  その言葉にぐっとなりながらも、陽一は一拍空けた後こくんと頷いた。
「お前、逆らわないだろ」
  その問いにも、陽一はこくんと頷いた。葉山はたて続けに訊いた。
「俺、いいよホモでも何でも。お前のこと好きだって言っているだろ」
「………うん」
  今度は声に出すと、葉山の問いかけはいよいよ早くなった。
「お前、そんな俺と会っているだろ。今日だってあんな時間から待っていてくれただろ」
「……うん」
「なあ、そんな俺らって友達? 昔の同級生?」
  葉山のその台詞に、陽一はようやくここで顔を上げた。真摯な目線が揺らぐ事なくこちらに向けられてきているのが見えた。陽一はそんな葉山を見つめ、途惑いながらもやがてふるふると首を左右に振った。
「……ちがう」

  そう言ってしまう事は、実は案外とても簡単な事だった。

  相手の、葉山の口から控えめに吐息が漏れるのを陽一は聞いた。
「葉山……」
「はあ、もう」
  呼ぶと、今度はあからさまなため息が葉山から漏れた。そしてふっと身体から力が抜かれるのが目に見えて分かった。
「本当はこんな誘導尋問みたいな真似するつもりなかったのに。ちゃんとさ、前から予約してたうまい日本料理の店行って。プレゼント渡して。ちょっと酔っ払ったお前家まで送って。いい感じになってきた時に改めてまた告白しようって。すげえ色々考えてたんだからな」
「ご、ごめん……」
「本当反省してんの?」
  偉そうに葉山は言い、それからすぐにくっくと笑っておどけたように言った。
「しょうがないから許してやるよ」
「な…っ。ぜ、全部俺のせい?」
「当たり前だろ」
  葉山はわざと悪びれもせずそう言って、慌てた様子の陽一ににやりと笑いかけた。
  そうしてもう一度陽一の手を優しく握りなおすと。
「じゃあ、もう仲直りな。お前と喧嘩したって弱い者イジメみたいだから嫌なんだよな」
「は、葉山がすぐ不機嫌になるんじゃないか」
「はいはい、ごめんね。行こ。予約時間、もう迫ってる」
「………うまい日本料理の店なの?」
「くっ、現金な奴―」
  陽一の興味深気な口調に葉山は心底楽しそうな顔をして笑った。それからふっと顔を上げ、街路樹の灯りに目をやる。誘われるように陽一もそれに視線を送った。
  不意に、握り直された手に新たな熱を感じた。
「葉山?」
「今日帰り、家まで送らなくていい?」
  葉山の視線は宙にやられたままだった。陽一が葉山の事を見やっても、葉山は依然キラキラと輝く電球に目を向け視線を寄越してはこなかった。そして言った。
「俺ン家来いよ」
「あ……」
  それは命令とも、控えめな誘いとも違う口調だった。陽一は瞬時にどきんとした胸の鼓動を意識して、慌ててそんな葉山から視線を逸らせた。
  けれど。
「………」
  けれど陽一は初めて自分の方から葉山に握られた手に力を込めた。
「行、く……」
  そうしてやっとそれだけを言って頷く。と、隣にいた葉山はすっと横にいる陽一に顔を向け、心底ほっとしたような表情をして見せた。
 
 本当は臆病な男なんだからな。
 
  以前、ぽつりとそうつぶやいた葉山の台詞を陽一はこの時急に思い出した。
「………葉山」
  だから陽一は葉山の安心したような顔が余計に嬉しくなった。自然気が緩んで笑顔になった。何かが明るい色でぽっと燈る音が聞こえたような気すらした。
「……寒いだろ。もう行こう」
「うん」
  葉山の改めてそう言った言葉に陽一はすぐさま頷いた。そして未だ始まったばかりの聖夜の道を、陽一は葉山と肩を並べて歩き出すのだった。