その夢の先



  葉山は自分が「しつこい」ことを自覚している。
  これ以上やると嫌がられるだろうな、そうはならないまでも悲しまれるだろうな、と。…ただ、それが分かっていても止められない。一度浅見を抱いてしまうと、つい意地悪をしてしまう。もうダメだと言われても聞かないし、むしろもっと激しくして泣かせることもある。「泣かせたい」と思ってしまう。
  ただ、それに対して浅見も、「男なのに」、「男のくせに、涙を見せるなど恥だ」とかいう、かなりどうでもいいことにこだわりがあって、仮に酷く抱かれて思わず泣いてしまったとしても、「葉山が悪い」と恨むのではなく、自分自身を「情けない」と考えるところがある。結果、葉山の罪悪感は表向きには軽減される。
  だからそんな浅見を葉山はまた苛めたくなる。そういう浅見にはイライラするし、それ以上に自分のことが嫌になる。
  けれど、どうしようもできない。





「ふっ…う…」
  この日も葉山は浅見を執拗に攻め、浅見はそれに耐え切れず「不覚にも」涙を零したのだが―…浅見に葉山を責める様子はなかった。何度しつこいキスを仕掛けても浅見はそれを拒絶せず、ただ従順に葉山の唇を受けとめた。
「…葉山」
  そうして不安そうな瞳ながら、優しい声音で名を呼んだ。何故こんな風にされているのに、おとなしくさせるのか。葉山は胸の中でチリとくすぶる火種に蓋をしつつ、無言で涙のつく頬をざっと撫でた。それも乱暴な所作だったが、それにも浅見は嫌がらなかった。
「はっ…」
  もっとも、今の浅見は、仮に逆らいたいと思ってもまともに手を動かすことができないのだが。
「いっ…」
  何故ってこの日、葉山は浅見の両腕を頭の上で縛り上げ、両手の自由を奪っていたから。どういうきっかけでそうなったのか、葉山自身ももう思い出せない。別段怒っていたとかではない。ただ、抱き合うことになった時、居てもたってもいられないような焦燥があったことだけは確かだ。無我夢中でもあった。「あの夜、あのホテル」で浅見の首を締めて腕を縛り上げ、無理やり事に及んだ時も、「こんなことは異常だ」と分かっていたはずなのに止められなかった。
「あっ…はやっ…」
  浅見の呼びかけを掻き消すように、葉山は浅見の性器を再度乱暴に扱いた。あの時と違うことがあるとしたら、こうして浅見のモノを弄る余裕が今はまだあることだ。それも偏に、浅見がおとなしいお陰だ。そう、今日の浅見は最初からまるで逆らわない。ただ葉山が与えてくる熱を必死に受け取ろうとしている。そうしてくれている。
「はっ、あ、あっ…」
  浅見はか細い声を上げ続けている。こんなにも弱々しく、そして素直な恋人を何故自分は拘束するのか。葉山は自身に何度か問うたが、やはり答えは出なかった。むしろ今は浅見が何故抵抗しないのかが知りたい。不思議で仕方ない。いつものように部屋に連れ込んだ後はすぐさまベッドへ押し倒し、浅見だけを早々と裸にした。脱がせたシャツで腕を縛り、良いようにその身体を撫で回す酷く勝手な、最低の男だ。
「浅見」
  そして今はその最低っぷりをさらに極めんとしている。より恥辱を感じるように、葉山はわざとゆっくりとした動作で浅見の膝を折り曲げ、これみよがしに両足を開脚させた。それにより浅見の秘所は葉山の目前に露骨に晒され、浅見は暗い室内でも分かるほどに赤面し、ぎゅっと目を瞑った。
  あけすけになったそこは前戯で丹念に解されてはいたが、本来は葉山の滾った雄を受け入れられるだけの器ではない。それでも目を瞑るだけで何も言わない浅見は、不可解ではあるが、やはり自分を受け入れるつもりでいる、自分を待っているのだと葉山は感じた。
「…この格好、凄く可愛いよ浅見」
  だから自身ももういい加減限界なのに、葉山はわざと焦らすようにしてそう声をかけた。すると目を瞑っていた浅見が呼応するように葉山を見て、またより恥ずかしそうに目元を赤らめた。可愛いと思ったのは本当だ。葉山は心底から確信した。本当に可愛い。奇跡だ。こんな浅見を抱けるだなんて。浅見がこんな俺を許してくれるだなんて。でもだからこそ、この従順な浅見を全て飲み込んでしまいたい――葉山はそんな不埒な思考に思い切り浸る。
「浅見のここ、俺が入ってくること意識して、ひくひくしてる。ホント可愛い。ずっと見ていたい」
「やっ、葉山…」
「俺が欲しい?」
「あっ…早くっ…」
  堪らないと言わんばかりに首を揺らす浅見に葉山は酷薄に笑った。
「ダメ。もっとはっきり入れてって言って? 俺のこれが欲しいって。浅見の口からもっと強請って欲しい」
「そんっ…」
「お願い。言って、浅見。俺ももう限界だから…」
  言いながら先端だけを浅見の蕾に押し当てる。浅見が反応して「あっ」と声を漏らした。葉山はそれだけで思わず達しそうになったが、必死に堪え、浅見の膝頭を抑えていた片手を動かして浅見の性器を握りこみ、きゅっと先端を擦った。
「ひあぁっ!」
「浅見、言って」
「やっ、葉や…あっ、触…ッ…」
「ごめん。余計言えないよな。うん、もうやらない。だから言って」
  浅見が再び目を開いて葉山を見つめた。瞳が潤んでいる。また泣くのかと思ったが涙は零れてこなかった。葉山はそんな浅見を見つめ返しながらもう一度辛抱強く「欲しいって言って」と頼んだ。
「…欲しい…」
  すると浅見が限りなく小さな声でそう言った。それはただのオウム返しではあったが、それでも相当恥ずかしいのだろう、浅見は何度か瞬きをしては唇を開いたり閉じたりしてから、やっとの体で声を発した。
「葉山の、欲しい…。俺の中、入れっ…ひっ…やーッ」
「…ぅ…く…ッ」
「いあぁッ!」
  結局、葉山の方が待ちきれなかった。言葉が終わる前に挿入を始め、それにより浅見は悲鳴を上げた。縛られた両腕がギシリと動く。それでも拘束は取れず、浅見は両足をばたつかせかけたが、これも葉山が両手で掴んで押さえつけた。
「あ、ひっ…んぅッ」
「もう、少し…!」
「やっ…はっ、あっ、ぁんーッ」
  葉山がぐっと腰を進めて自身の猛った雄を全て入れると、浅見は喉元をひくつかせ、苦しそうに剥き出しの胸を上下させた。そこにある両の粒もさんざっぱら葉山から舐められ、捻り潰されたせいで赤く艶めいており、見るからに憐れだ。
「浅見…!」
「ひぁっ…」
  葉山はしかし尚も深く腰を落として浅見の奥を突きまくり、その内壁を抉った。浅見の身体はその度揺さぶられ、それに応じてベッドも激しく軋んだ。
「あ、あっ」
  もう浅見は喘ぐことしかできない。葉山は浅見を喰らい、喰われる浅見は葉山の下で泣く。
「浅見…好きだ…」
  ただ、葉山は自分を支配者だとは思わない。実際、真実はまるで違う。身体を奪われているのは浅見でも、心を喰われているのは自分だと知っているから。自分は浅見に与えられ、生かされている。だからこうして抱き合っていても、泣きたいと思い、実際心内で泣いているのはこちらの方だと葉山は思う。
「あんっ、あ、やッ…!」
  浅見の唇から漏れ落ちる吐息にあわせて腰を動かす。そうして奥を突き続けながら同時に浅見のモノも慰めると、次第にその性器も快感を示して勃ち上がりを見せた。ほっとした。浅見も感じてくれている。そうならない時も多いせいか、こうして興奮してくれるのは珍しい。嬉しい。これで一緒に射精する喜びを味わえる。
「浅見…好きっ…好きだ…」
「う…っ、うん……アァッ…!」
  呼びかけると浅見は応えかけたが、葉山からの激しい動きにそれどころではなくなり、声は途切れた。
  ただ、この時はふと何事か思い立ったのか、浅見は苦しそうな顔ながら葉山を見やり、荒い息の合間に「葉山」と掠れた声で呼び返した。
「俺も好きだよ…」
  そしてそう言った。葉山は不覚にもそれで一足早くに達してしまい、その後に果てた浅見とあわせることはできなかった。
  それでもそう言ってもらえたことに堪らなく感動して。
「浅見…っ」
  葉山は身体を屈めると無理に浅見に近づき、その息も絶え絶えな唇を貪った。浅見は足を折り曲げられた格好で酷く苦しそうだ。呼吸も止められてしまった。それでも葉山に吸われる唇を自ら突き出し、口を開いた。それからふと微笑みもした。そのあまりの素直さと寛容さには、さすがの葉山にも戸惑いが増した。
「どうしたの…今日…なんか…」
  だからさすがに怖くなってそう訊いた。別に疑問に思う必要などない、思ったとしても口に出すなどバカのすることだ、そうも思ったのに。折角浅見が受け入れてくれているのだから、それで良いはず。余計なことは言うなと、確かにもう一人の自分は警告したのに。
  それなのに。
「…なに?」
  訊かれた方の浅見も最初は何を言われたのかよく分かっていない顔を見せた。ただ、急に殊勝となった葉山が身体を離して俯くと、ややあって「あぁ」と得心し、口元を綻ばせた。
「俺はいつもと同じつもりだったけど、何か違うように見えた?」
「そう言うわけじゃないけど…。でも、こんなにさせてくれて」
「こんなにって」
「無理させたのに」
「うん。縛られても何も言わなくて?」
「……ごめん。取る」
  苦笑混じりのその言葉に決まりが悪くなり、葉山はシャツで縛っていたそれを解くと、謝るようにそこを撫でた。
  浅見は自由になった両手に少しだけ嘆息したが、ゆっくり腕を下げた後は「別にいいよ」と言った。
「葉山がそうしたかったんなら、俺はいいよ。別に平気。縛りでもしないと、俺が殴ってくるとでも思ったんでしょ」
「…何だよそれ…。浅見が俺を殴るわけないし」
「じゃあ今度は俺が聞き返すけど、それなら何で縛ったの」
  今日別に喧嘩もした覚えないのに、と。浅見は目を閉じながら落ち着いた口調でそう言った。
「………」
  確かにそうだと葉山も思う。どうしてだろう。結局そこの疑問に戻る。しかし特に何事もない、むしろ穏やかに言葉をかわして、いつものようにこの部屋へ戻った。戻ってこられたのだ。唯一、何かあったとすれば、今日は浅見の姉・光から「今夜は絶対に陽一を帰せ」と言われていて、それを葉山も「2人きりになるため」了承せざるを得なかったから、そこは面白くないと思っていた、けれど。
  けれどそれでも、今日は自分の言う通りにしてくれた浅見に感謝こそすれ、イライラした気持ちは特段抱いていなかったし、むしろあの公園で互いに好きだと言い合えて気持ちも驚くほど落ち着いていたのだ。
  それにも関わらず、こんな風に抱いてしまったのは。
「浅見がどこかへ行ったら嫌だと思って。怖くて」
  葉山は正直に答えた。声に出すとなるほど、それしかないと自身でも納得できた。そうだ、浅見を逃がしたくないから。己の懐にいる時とて、むしろ尚さら、縛ってでも離れないようにしたい。勝手でも何でも、そうせずにはいられないのだ。
「俺がどこかへ?」
  それに対して浅見はやや目を見開いて投げられた言葉を反芻した。それからようやっとと言う風に上体を起こし、それを手伝う葉山と面と向かった。葉山は距離が近くなって気まずい気持ちが増した。バカなことを口走ったとは分かっていたし、結局はこういう言葉で浅見に甘えていると自覚もしていたから。
  それでも、「そんなわけないよ」とか、「大丈夫だよ」と言ってくれる浅見を期待して、こんなずるい言葉を発してしまった。

「俺がどこかへ行くかもって、それはそうでしょ。いつまでも葉山みたいな奴と一緒にいられるわけないし」

  しかし浅見の返してきた言葉は。
「……え?」
  一瞬何を言われているのか分からなかった。だから間の抜けた聞き返しでフリーズしたのだが、浅見はそんな葉山を見て軽やかに笑うと平静に繰り返した。
「葉山とずっと一緒にいるなんて無理だよ。俺、昨日も言ったじゃないか、怖いって。ちゃんと言った。なのに葉山はいつも聞いてくれない、俺の言うことを」
「浅見…?」
「今日はお別れだから最後にサービスしただけだよ。でももうこれでホントに終わり。葉山とは終わりだよ。――さよなら」
「浅…っ…」
  叫びかけて、突然目の前が真っ暗になった。浅見の微笑みは脳裏にくっきりと刻み込まれたが。嘘だろう、何を。言われたことに思考が追いつかず、けれど確実に絶望して、葉山は冷たい水の中に全身を叩きつけられたような強い衝撃を受け、文字通り、その場で卒倒した。
「――…ッ!」
  そして直後、本当に暗く密やかな水の底へ落ちていく感覚を味わい、息も出来なくなり、視界も閉ざされた。

「はッ…!?」

  その暗闇にいたのは一瞬か、それとも数時間ほどの長さだったのか。
  痙攣したように身体がひきつり、その反動で葉山は目を開いた。まだ暗い。けれどその闇を強引に切り裂いて身体を動かすと、葉山は息を吸い込む為、何度も口をぱくぱくと開けた。
  それから思う。ここは何処だ。水の中ではないようだけれど、しかしやはりとても暗い。
「葉山、どうしたの」
「……っ!?」
  ぎょっとして声の方を見ると、そこには同じように驚いた顔をしてこちらを見上げる浅見の姿があった。葉山はドキンと心臓を高鳴らせ、それから今いる自分、その場所、そしてもう一度傍の浅見を見つめた。チクタクと時計の針の動く音が耳に響いた。いつもの見慣れた風景。ここは葉山自身の寝室、ベッドの上だ。
「急に叫ぶからびっくりした…。どうしたの。変な夢でも見た…?」
「夢…?」
「うん…。大丈夫?」
「………あぁ」
  夢なのか。本当だろうかともう一度まじまじと掌を見つめ、それを試すように握りしめてみた。感覚がある。夢なのか。恐ろしくリアルだった気がするけれど、それは先刻、浅見と実際にここで抱き合った経緯があったからか。
  けれど。
「浅見…俺……」
「ん…?」
  上体を起こしたきりボーッとする葉山に、浅見もまたゆるりと身体を寄せて顔を覗きこんできた。葉山はそんな浅見をちらりと見て、さり気なく、互いがまだ裸であることを確認した。やはり今晩ここで浅見を抱いたことは間違いない。記憶があやふやだけれど、その覚えはある。今日は何月何日だったか。そもそも、どうしてこの部屋で一緒に眠ることになったのだったか。
「本当に大丈夫? 具合悪いとか…」
  浅見が心配そうに額に手を当ててきた。葉山はそれにされるがままとなっていたがすぐにその手を掴み、それをまじまじと見やった。別段痛々しい痕があるわけではない。けれどシャツで縛っただけだから、単にそういう跡がつかないだけかも。
「俺……今日、浅見のこと縛った?」
  だから我慢できずに訊いてみると、浅見は思い切り面食らったような様子で身体を揺らし、「ええ?」と聞き返して首をかしげた。
「どうしたの葉山」
「記憶が…変だから。俺、浅見のこと縛ってヤった? 本当のこと教えて」
「本当のことって…。いや縛ってないよ。何? そういう夢を見ていたわけ」
「……たぶん」
「多分って。何それ。怖いな」
  浅見は明らか引いたような態度を示したが、葉山の混乱には笑って見せてから柔らかな口調で答えた。
「縛られてないよ、大丈夫。大体、俺、怒るよ? もし葉山がそんなことしてきたら」
「浅見、全然嫌がってなくて、怒らないから変だなとは思ったんだ。けど、あまりに良いようにさせてくれるから……かなり、気持ち良くて」
「……それって暗に、そういうプレイさせてくれって言ってる?」
  浅見が警戒したように訊いてきたので、葉山は慌てて首を振り、「そういうつもりで言ったんじゃない」と真面目に返した。
  すると浅見はそれにほっとしたようになってまた笑った。
「それならいいけど。……でも、今日だって散々ヤッたのに、その後またそういう夢見るって、葉山、体力あり過ぎ」
「体力の問題なのか…そういうのって」
「じゃあどういう問題?」
「精力があり過ぎるとか…」
「同じようなことだろ」
  あははと軽く笑い、浅見は葉山の手の甲をぽんぽんと二度叩いた。
  そうされて葉山はようやく安心し、すると性懲りもなく、またじわじわと「浅見を抱きたい」などと思ってしまった。
「浅見」
  だからそれを示すように唇を寄せ、キスをねだった。浅見がそれをおとなしく受け入れてくれるものだから、葉山はさらに調子にのり、口づけをしながら浅見の胸を指先で撫でた。
「ちょっ…葉山」
「したい。駄目? 今度は夢じゃないと思いたいから」
「夢じゃないよ…ちょっ…そこ触ら…っ」
  乳首を執拗に摘む葉山を浅見は恥ずかしがってやめさせようとした。さすがに夢ではない浅見は全て従順とはいかないようだ。おとなしいだけだと不安なくせに、いざ逆らわれると厄介に思う。葉山はそんな自分の性質の悪さを自覚しつつも、やはり縛ってしまおうかなどと考えてしまった。
  ところがそう思った瞬間。
「えっ…」
  両腕が硬い銀の鎖のようなもので突然ギュッと拘束された。それは何の前触れもなく、いきなり目前に現れたのだ。
「な…っ」
  ひどく重い鉄の塊。幾重にも絡まり合った銀のそれは容赦なく葉山の手首をきつく縛り上げ、これ以上浅見に触れることはおろか、腕を上げることすらできないようにしてしまった。
「お前って本当にどうしようもない。縛られるのはお前の方」
「浅…っ」
「本当にいい加減にしろよ、もう」
  驚愕したまま顔を上げると、浅見が心底軽蔑したような目で見ており、それからとんと胸を押してきた。
「がっ…」
  浅見の力とは思えない。あり得ないと思うほどの力がそこに掛けられ、葉山は車に撥ねられたかのような勢いで背後へ吹っ飛んだ。しかもベッドから落ちる、そう思ったがそうはならず、そのまま下へ下へと身体は落ち込んでいった。奈落の底へ向かうようだ。見慣れた寝室にいたはずなのにガラリと景色が変わり、そこは断崖絶壁となる。あぁ何だ、これもまた夢なのか、と。さすがに今度はすぐさま察したが、しかし気づいたのに目覚めることができない。まだまだどんどん下へ落ちていく。何なのだろう、この絶望感、悪夢の連続帯は? 頭の隅でそんなことを冷静に思いつつ、このまま永遠に自分を忌み嫌う浅見を見ては暗闇に突き落とされることが繰り返されたらどうなるのか、正常を保っていられるだろうかと強烈な不安に苛まれた。
  しかし葉山は自分でそれをどうにもできない。
  何と酷い夜なのだ。

「…………あぁ最低」

  だから次に目が覚めた時、葉山はすぐにそう呟いた。
  目覚めた場所は薄暗いが灯りのあるリビング。パソコンの液晶はまだ煌々と光を灯しており、うたた寝してから然程経っていないのが分かった。作業をしていてそのまま意識を失ったのか。眠りの浅い状態でとんでもない悪夢を二度も見るとは。
  辺りを見回したが、そこに浅見の姿はなかった。当然だ、そう、今日は浅見と「健全に」別れて終わったのだから。光に呼び出されて浅見に会えたは良いものの、今日は「絶対に帰る」ことを約束させられた上で、少し2人きりになれただけ。しかし本当はそれができただけでも御の字だったのだ。そうできたのも浅見のお陰だ。浅見は葉山の自分勝手な我がままを聞いて付き合ってくれた。そしてあの公園で将来のことをよく考えて欲しいと再度頼んできた。いい奴。本当にいい奴なのだ、浅見は。浅見のことを好きだと葉山は思う。
「あー…」
  それでも今夜、独りでここにいたくはなかった。葉山は無意味に呻いた。きつい。今のこの状況が。浅見を連れて帰りたかった。浅見と一緒にいたいのだ。本当に、一刻も早く一緒に暮らしたい。そうすればこんな夢は見なくて済むし、見苦しくもPCのデータに落とし込んだ浅見の姿を見て慰められる必要もなくなるのに。
「浅見に会いたい」
  口に出すと耐えられなくなって、葉山はもう反射的にスマホのボタンを押していた。ちらりと壁にかかった時計を見て、3時をゆうに回っていることも確認したのに、とにかく声を聞かねば死んでしまうと思った。迷惑電話もいいところだ、またあの高校時代のとんでもない自分に逆戻りするのか。いや、いっそあの頃よりも悪化の一途を辿っている。浅見への依存が病的に過ぎる。抑えることができない。

『葉山…?』

  何度目かのコールの後、浅見の寝ぼけたような声がやってきた。その声を聞いて葉山は途端にほっとした。こんな非常識な時間にかけているのに浅見は怒っていない。ただどうしたのかと心配してくれている、そんな声。だからかもしれない、葉山は取り繕うのも一切忘れて、「嫌な夢見た」と訴えた。

『嫌な夢…? どんな?』

  事態も分からないだろうに、浅見はそう言って葉山を気遣う風を見せた。その声をもっとよく聞きたいと思い、葉山は耳を押し当てながら「うん」と答え、「浅見の夢で、スゴイ怖い夢だった」と急くように伝えた。

『……俺が出て来た嫌で怖い夢って、結構きつい報告なんだけど』
「俺のこと嫌いだって」

  葉山が伝えると、暫しの沈黙の後、『俺、今日、好きって言わなかったっけ?』と多少腹を立てたような浅見の声が返ってきた。
  そして浅見は続けた。

『あんな人気のある公園で告白大会みたいになって、知らない人たちに拍手までされてさ。かなり恥ずかしかったのに』
「後悔してる? 人前で俺のこと好きなんて言って」
『…んー』

  やや考えるような、それは最初間延びした声だけだったが、スマホに耳を澄ませる葉山の緊張がすぐに伝わったのか、浅見は比較的早くに答えを寄越した。

『恥ずかしかったけど、後悔はしてないよ。むしろちゃんと言えて良かったって思った。葉山も喜んでくれたみたいだし』
「…うん。あれは嬉しかった。相当」
『ふっ……でしょ? なのにさぁ、何でよりにもよって、そういうことがあったその日に嫌な夢なんて見るんだよ?』
「浅見に会いたい」

  間髪入れずに葉山は言った。そして「今から会いに行っていい?」と続けた。続けてしまった。浅見は何と答えるだろう、いい加減にしろ、甘えるな、鬱陶しいと言うだろうか。先刻、夢で見た冷たい浅見を思い出すと震えてしまう。
  しかし「リアル」の浅見は。

『…分かった。じゃあ、待ってる』

  数秒の間こそあったものの、浅見はそう言った。そうして、家族を起こしたくないから近くなったら連絡して、大通りまで出て行くからとまで付け加えて。
「……30分で行く」
  バイクで飛ばせばそれくらいで行けるだろう。葉山は上着を羽織りながらもう電話は切っていた。最後の台詞は浅見に届かなかったかもしれない。けれど待っていると言ってくれたのだから、まぁ大丈夫だろう。
「ホント、やばい奴」
  自分自身にツッコミを入れながら葉山はアパートの階段を早足で駆け下りた。まだ外はどっぷりと暗い。この行為が常識の枠内かと言ったら、お世辞にもそうとは言い難い。しかし言っていること、やっていることが鬱陶しくても病的でも何でも、最早構ってはいられない。そうしなければやっていられないのだから、今はもうこのまま走り続けるしかない。この不安な気持ちは本当の浅見を見て、実際に触れるまで払拭されることはないのだから。
「これがまた夢でも永遠に繰り返すだけだ」
  葉山は浅見のあの柔らかい笑顔を想いながらさっとバイクに跨った。未だ深い夜だというのに、エンジンをかけた時はもうその闇を感じることはなかった。