だってばかだから2



  俺は自分がバカだという事を知っているけど、それなりのプライドくらいは持ちあわせている…と、思う。
  だから、バカだと思っている奴に「バカだ」と言われるのはフツーに腹立たしい。
「エイ。バカだよ、お前は」
  ヨシヒトは俺を心底憐れむみたいな顔でそう言った。ここで余計に腹が立つのは、こいつがただのバカってだけの存在ならいいけど、俺がつい先日までこいつと付き合っていて、でも浮気されて振られて。そのくせまだ、ちょっと、いや本当にほんのちょっとだけど、こいつに惹かれている部分があるという事だ。……こんな風に思ってしまう俺に果たしてプライドなんてあるんだろうか。
  ないかも。
「俺、今急いでいるから」
  けれど俺は今さらヨシヒトとよりを戻したいとか、また好きになってもらいたいとか、そんな事はさすがに思っちゃいない。そこまでバカにはなりたくない。ただ、早く、一刻も早く忘れたいだけ。だから、学校で顔を合わせてしまうのは仕方がないとしても、こんな風に放課後までヨシヒトと相対していたくない。俺にはもう構わないでもらいたい。以前不覚にも了承してしまった、「別れてからも良いトモダチ」という協定は、先だって田神が来た事件を契機に解消する事が出来たから。
  それなのに。ああ、それなのに。
「待てよ、エイ」
  俺の肩をぐいっと強く掴んで、ヨシヒトは先を急ごうとする俺を無理やり引き留めた。折角あの急行に乗ろうと急いで教室を出てきたのに。電車1本遅れるだけでも、予備校での熾烈な自習室席取り合戦は相当な不利になる。ヨシヒトは推薦組で一般受験の苦労を知らず予備校の何たるかが分かっていないから、こんな無神経に俺の邪魔が出来るのだ。
  ええい、そもそも俺たちは縁を切ったんじゃないか。だから、離せバカ!
  ……でも、好きだった弱みからそう強く出られない俺。情けない。ああ、間近で見るとヨシヒトの顔はホントにカッコイイなぁ。
  ――なんて事を考えている場合じゃなかった。ヨシヒトの俺を捕まえる力がさっきよりもっとずっと強くなる。凄く痛い。
「聞いているのか、エイ? 俺の顔、ちゃんと見ろよ」
  ヨシヒトは偉そうにそう命令した。付き合っている頃からヨシヒトにはこういうところが多々あった。普段は大抵優しいしにこにこしているけど、誰かが自分の中の「許せないライン」を踏んでしまうと、それが誰であれ厳しく追及してくる。俺はヨシヒトには常に気を遣っていたからあまり怒られてこなかったけど、一緒にファミレスなんかに行って苦手なニンジンを残そうとすると、母さんみたいに怖い顔をして叱ってきた事はあった。
「エイ」
  俺がそんなしょうもない思い出を反芻していると、ヨシヒトがまた呼んだ。観念してイヤイヤ顔を上げる。…と、さっき一生懸命目を逸らしていたイイ顔が間近にあってぎょっとした。嫌だな、心臓に悪い。だから見ていたくなんかないのに、ヨシヒトは俺をじいっと睨みつけていた。
「お前、田神深夜がどういう奴が知っているのか」
「え?」
  突然出てきたその名前に俺がきょとんとして聞き返すと、ヨシヒトは軽く舌打ちして先に視線を余所へ逸らした。でも、俺を押さえつけている肩への圧力は弱まらない。俺よりずっと大きなその手ががっしりと置かれていて、ホントじんじんするんですけど。ああ、しかももう次の電車が来るよ。いい加減、今度のには乗らないと。
「田神が何?」
  仕方なく会話を進めようと早口で言うと、ヨシヒトは再びキッとした目を向けて「あいつはっ」と周りがびっくりするくらいの大声を出した。
「秀陽館の田神って言ったら、2区じゃ凄く有名なんだぞ? やくざも絡めて裏で悪どい事している集団の大元締めみたいな奴だ。何でお前が、そんなのと付き合っているんだよ!?」
「田神は……俺も、最初は怖かったけど……」
  今は怖くない。むしろ今は「みんな、ちょっと秀陽を悪く言い過ぎなんじゃないか」とすら思っている。
  俺たちの地元では『1区の修學館、2区の秀陽館』って言ったら凄く有名で、知らない奴なんていない。
  田神が行っている秀陽館は、「大不良校」として誰もが知っている暴れん坊の巣窟だ。とにかくとんでもなくコワモテ&物騒な奴らが大勢いて、頭で考えるよりはまず先に武器が出るってのが彼らの常識だと聞いた。素手じゃなく《武器》ってところがミソだ。むしろ硬派な不良さんなんかが「タイマンで勝負しろゴラア!」なんて言った日には、嘲笑されながら集団で袋叩きに遭っちゃうらしい。
  対して、地元が誇る都内でも…というか、全国屈指の天才校・修學館は、いつでも近隣女子高生の憧れの的、偏差値70越えのエリート校だ。それで、いつも比較にも何もなりようがないのに、秀陽を揶揄する時にこの学校は持ち出される。単純に名前が似ているという事と、天と地ほども差のある学校が何だってこんな狭い地域に近設されているのかというのが人々の失笑を買うらしい。
  でも、「学歴、格差社会の歪が今まさにここに!」みたいな感じで周りがふざけているのを聞いたりすると、俺は何だか胸の奥がざわざわする。
  確かに、以前は俺も秀陽が怖かった。でも、今はそんなに悪いイメージを持っていない。
  だって友だちの田神がいる学校なんだから。
「田神はいい奴だよ」
  確かに普段は大番長らしく偉そうだけど、いざって時には優しい。俺はそれを知っている。
「もう行かなくちゃ。俺、予備校――」
「エイ! お前は騙されているんだよ!」
「ちょっ…電車が……」
「エイ! あんなのとは縁を切れ! 俺はお前の為に言っているんだ!」
「……何で?」
  思わず険しい顔になってしまったと思う。ヨシヒトの「こういうところ」を俺は理解しているつもりだけど、「俺の為」だと言うのなら、とりあえず電車に乗せてくれ、そう思う。……あー、また行ってしまった。
「もう、どうしてくれるんだよ…。今日は小テストもあるのに…」
「……あいつもいるんだろ?」
「え?」
「予備校だよ。あいつと、予備校で知り合ったんだろ?」
「何でそんな事まで知ってるんだ?」
  単純に驚いてそう聞き返すと、ヨシヒトはそんな事とでも言うような様子で、「ツテを頼って聞いた」と答えた。そうか、こいつも顔が広いから。うちの学校からもあの予備校に通っている人がいるのかもしれない。
「エイ、予備校辞めろよ」
「は?」
「今はまだ平気でも、そのうち酷い目に遭うかもしれない。な? そうならないうちに」
「あ、あのなあ、大丈夫だよ。田神は全然…」
「何でそんな事が分かる!? エイはお人よしだから、ちょっと優しくされるともうあの人いい人って思っちゃうだろ? だから、あの男の本質も見えてないんだよ!」
「……確かに俺、人を見る目はないかもしれないけど」
  じと〜っと嫌味な目をヨシヒトに向けてみたけど、さすがヨシヒト、俺のそんな視線と思いになんか気づくわけもない。いつでもマイペースな奴だから。依然として奴は田神の事で俺に憤慨し続けている。
  そもそもヨシヒトは俺の言う事なんかまともに聞かないし、俺そのものも真っ直ぐ見ちゃくれないんだ。ヨシヒトってそういう奴だもん。……でも、好きだったんだけど。
「と、とにかく、勝手な事ばっかり言うなよ。俺はお前と違って受験生だし、この時期に予備校辞めるなんて自殺行為だ。で、ホントに頼むからもう行かせてくれ!」
「嫌だ」
「嫌だっ……て、あ、あのなぁ…?」
  くらりと眩暈がする思いだったけど、ここで何と! ヨシヒトの「今の恋人」カナメが、数人の友人らとつるんで俺たちのいるホームにやって来た。あの面子は多分カナメが所属している委員の連中だ。今日は委員会活動があったから二人は一緒に帰らなかったのか。そもそも、何で俺の事をこんな風にヨシヒト一人で追ってきているのかって不思議だったんだ。これで謎が解けた。
「あれ、エイちゃん。何してんの、先に帰ったんじゃなかったの」
  けれどカナメは平然とそう言った後、いやに冷めた顔をして俺の肩を押さえつけているヨシヒトを一瞥した。その何だか凍りついた視線に「え?」と思ってヨシヒトを見たけど、こっちはカナメの方を振り返りもしない。それどころか、余所へ意識を逸らした俺を怒った目で睨みつけている。何で俺がそんな顔されないといけないんだよ〜。
「エイちゃん、ヨシヒトに絡まれてんだ。可哀想にね」
「え? あの……」
「今、エイと大事な話しているんだから。お前らはさっさと行けよ」
「言われなくてもそうする。もうお前の顔なんて見ていたくもないし」
  はい?
  俺が状況を掴めずにぽかんとしていると、カナメがどこか高飛車な女王様みたいな顔でハンと鼻を鳴らした。
「あのね、エイちゃん。俺たち昨日、正式に別れたから」
「え?」
「だから、より戻したいならそうしてもいいよ? ああでも、エイちゃんはもうそんな気ないよね。だって、あの田神深夜だっけ? 秀陽の。あんな凄い男と付き合っているんだもんね?」
「え? いや、その」
「田神クンってカッコいいよね。喧嘩もめちゃくちゃ強いらしいじゃない。まぁ、そうじゃなくちゃ、あの学校でトップなんて張れないだろうけど」
「カナメ! 早く行けよ!」
「僕に命令するな。……フン、行こ」
  カナメは激昂したようなヨシヒトに自分も負けず劣らずな殺気立った眼で返すと、後は友だちかと思っていたけど、単に取り巻きみたいな連中をひきつれて、俺がさっきから乗りたいと思っている電車に乗って行ってしまった。何てこった……。
  というか、二人が別れたって、何で? 
  田神も「あいつらそのうち別れる」と言っていたけど、本当にその通りになっている。
「な、何で別れたの?」
  別にもう関係ない事じゃないか。
  そう思ったのに、俺はついつい質問してしまった。まさか先日、田神がヨシヒトを簡単に締め上げたりしたから、あのアッサリなやられ具合にカナメが失望したとか? 今も強い田神を凄いみたいに言っていたし。いやいや、幾ら何でも、そんな事くらいで別れないよなあ、だって田神にやられたヨシヒトをカナメはあんな心配そうな様子で呼んでいたんだもん。うん、そんなわけはない。
  じゃあヨシヒトがカナメを振ったとか。でも、カナメの様子を見るに、あいつが振られたって感じもしないし。
  というか、クラスメイトの恋人関係に下種な勘繰りって良くないだろ。うん、こんなの良くないよ。俺、反省。
「もう好きじゃないから」
「え」
  聞くのは止めようと思った直後、ヨシヒトが答えた。
  俺がボー然として見上げると、ヨシヒトは強い眼差しで繰り返した。
「カナメの事は、もう好きじゃないんだ。だから別れた」
「………」
  胸がズキズキと痛んだ。今はカナメの話をしているのに。ヨシヒトが「カナメをもう好きじゃなくなった」から別れたって、そんなの、俺には関係ない。
  関係ない話をされただけなのに、でも胸は痛んだ。
  だって、そう言われたら普通に思っちゃうよ。
  そうか、俺の時も「そういう気持ち」になったから、あんな風にあっさり別れてくれって言ったんだなって。
  そんなの、分かっていたけどさ。
「カナメにもそう言われたし。お互い了承の上だよ」
  俺にはそんな事どうでも良かった。ヨシヒトのおまけみたいに付け加えられた台詞なんて、ホントにいよいよ俺には関係ない。いい加減、俺はこんな風に弱々しくヨシヒトに捕まっている自分にむかついてきた。何で俺はこんな所にいつまでもいるんだ。俺は早く予備校へ行って、自習室の良い席を取って、今日の小テストの為の準備をしなくちゃならないんだ。点数を田神と競っていて、負けた方がいつも帰りに寄るファーストフード店で好きなセットを奢る約束をしている。いつまでもこんな所で油を売っていたら田神に負けちゃう。あいつ、全然勉強しているところ見ないけど、あれで結構頭いいんだ。今日日の不良のトップは、きっと多少おつむも良くないと集団を掌握しきれないんだろうな。
「エイ!?」
  俺が思い切って力任せにヨシヒトの手を振り払うと、ヨシヒトがびっくりした声を上げた。構うもんか。ホントはこの顔に猛烈弱いから挫けそうではあるけど、いつだってヨシヒトの言いなりだったエイはもうここにはいないんだ。俺はヒデヤスだ。ふよふよ意志なく漂うエイは卒業したのさ。
「さよなら、ヨシヒト」
「エイ…ッ」
「もう構わないで。俺たち、もう関係ない」
「エイ、俺は…っ」
「心配なんか余計なお世話だよ。俺たちもう、友だちでも何でもないんだから」
「エイ……」
  言い過ぎたかな。酷いかな。結構冷たい言い方かな。
  言い放った瞬間、俺の中で物凄い後悔が渦巻いたけど、出した言葉はもう元には戻らない。怯んだようなヨシヒトに思い切り心が揺らいだけど、俺はそれを振り切るようにしてもう何本目の電車か分からない、新たにやってきたそれに飛び乗った。
  ヨシヒトは追ってこなかった。





「やっぱ殺すしかないんじゃないの」
  それでもって、この男。
  悪の顔に酔いしれている田神深夜だ。顎を少し上げたような実に偉そうな態度で、奴は今日一連の出来事をひとしきり聞いた後、ニヤ〜っと笑い、そう言った。あまりに物騒な台詞だ。第一、こいつが言うと何やら洒落にならない。
「殺さなくていい。それって犯罪だよ」
「バレないようにやってやるよ」
「ハイッ、冗談そこまで! 笑えないから! ホントに! お願いします!」
  俺が心の底からそう願って深く頭を下げると……というか、もうテーブルに頭をごつんとぶつけて土下座するくらいの勢いで頼みこむと、田神は物凄く面白いものを見たというような顔でケラケラと笑った。あ、こいつはやっぱり俺をからかっていたんだと気付いたのはその時で、俺はゆっくり顔を上げると露骨にむっとし唇を尖らせた。
「田神〜」
「まったくヒデは可愛いな。いつもどんだけ笑わせてくれるんだ」
「俺は真剣に悩んでお前に…」
「ああ、そうだったな、悪い悪い。何せお前、この手の話を出来る奴が俺しかいないんだもんなぁ。トモダチいないから」
「くっ…」
  俺は自分がゲイだって事をヨシヒトと付き合うようになるまで、本当に卑屈なくらい気にして引け目に感じていた。だからどうしても同年代とうまく付き合えなくて、それどころか妙に意識すらしてしまって、うまい気の利いた話ってやつが出来なかった。自分で言うのも何だけど、それほど悪い人間だとは思っていないし、人に併せるのも流されるのも巧いから誰彼嫌われるって事はないけど、本当に田神みたいにここまでぶっちゃけた話が出来る奴は学校にいない。恋人だったヨシヒトなんか、好き過ぎて絶対嫌われたくなかったから余計に気を遣ってロクに自分を出せなかったと思うし。
「お前なぁ、流されるってのは、そりゃ特技じゃねーんだよ。恥だ、恥」
  俺が自己アピールよろしく、その長所かもって思っていた事を告げたら、田神は思い切りバカにしたような顔を向けて唇の端をくいと上げた。嫌味な笑みだ。しかし、こいつはきっと天性の大番長なんだろう、どこか人の上に立つ風格ってやつがあるので、そういう事をされても気弱な俺はされて当然みたいに項垂れてしまう。
「そんなんだから、あのバカ男にいつまでも付け込まれるんだ。何だって? 今度は『お前の為に言っている』だぁ? はぁ、次から次へと、俺の怒りの琴線に触れるのが巧い男だぜ」
「凄いだろヨシヒトって」
「そんな事でお前が得意気に自慢すんじゃねえ」
「うっ」
  二の句が継げられずに俺が口を閉ざすと、田神はますます呆れたというような顔で、俺が奢ってやったセットの1つ、コーラをずずずと音を立てて飲み干した。そう、ヨシヒトのせいでやっぱり今日の小テストは田神に負けてしまった。というか、田神どころか、恐らくあのクラスで「3点」なんて惨めな点を取ったのは俺くらいだ。先生もさすがに授業後俺の傍に寄ってきて、「この時期にあれはないだろ」って眉をひそめて肩を叩いて出て行った。今日、ヨシヒトが俺をぐっと掴んでいた方の肩を。
「で。ヒデは、これからどうするんだ?」
  黙りこんでいる俺に田神が訊いた。
「どうって?」
「予備校辞めんの?」
「や、辞めるわけ、ないだろ? 今日だってはっきり言ってやったんだ! 俺は! ヨシヒトに! さよならって! もう関係ないからって!」
「……泣きそうな顔で言ってんじゃねえよ」
「なっ、泣いてないっつの!」
「まだ好きなのか?」
「は、はぁ? す、す、好きなわけ…っ」
「アホだな」
  田神は両肩を竦めると、俺の相手に疲れたように背中を仰け反らせ、ソファ席でふんぞり返った。いつも思うけど、何でいつも田神がソファ席で、俺が堅い椅子の席なんだよ。不公平だよ。たまには譲れよ。
「おいヒデ」
「ひっ、ごめん!」
「あん? ……何びびってんだよ」
「だ、だって今、凄く迫力ある眼……」
「気にすんな。これで通常の十分の一だ」
「こえぇ…。どんな学校生活送ってんだぁ……」
  田神のさらりとした台詞に俺は心底震えながら、それでももう大分慣れたこの田神という男に少しだけ茶化すような言い方をして場の空気を和らげようとした。
「やっぱり田神は大番長だな」
「またそれか。じゃあお前も、ヨシヒトの言う事が本当だと思ってんのかよ」
「え? そ、そんなわけはないよっ」
  けれど俺の悪ふざけは完全に空回ってしまった。
  田神は少しだけ怒った風に言った。
「ヨシヒトから俺には近づくなって言われて。危険だって言われて、お前実際どう思ったんだ。あのバカの事をまだ好きなんだろ?」
「た、田神…?」
  田神が俺の学校に来て一悶着あってから、まだ数日しか経っていない。
  でも何だかそれ以降、俺がヨシヒトの話題を持ち出すと、田神はこれまで以上に不機嫌な態度を示すようになった。「実際に会って本当に嫌な奴だと分かったから」腹が立つとの事だったけど。
  でも俺は田神にしかヨシヒトの話が出来ないし、ヨシヒトはヨシヒトで何故かあの日からカナメそっちのけで俺の事ばかり構って話しかけてくるようになっていたから、どうしても話題にせずにはいられなかったんだ。それで今日の事も包み隠さず全部話してしまった。
「あの…」
  でも、田神が俺のせいで不愉快になるのは嫌だ。「もう関係ない」のに、ヨシヒトの事を話すべきじゃなかった。それに確かに、今日の話は余計に無神経だった。
「ごめん…」
  だから俺は素直に謝る事にした。
  すると田神はすうと目を細めて、「何が」とぞんざいに聞き返した。
「いや、幾ら何でもこんな話、田神本人に聞かせるなんて非常識だと今さら気づいた。そりゃ、自分が極悪人みたいに言われているのが分かったら面白くないよな」
「あん? そっちかよ。けどそんなの、お前だってしょっちゅう俺を、大不良校の大番長とか言ってバカにしてんじゃねえか。現に今だって言っただろ」
「俺のはもう愛嬌で言ってたんだよ」
「何だそりゃ。意味分かんねえ」
「……っていうか、そういう言われ方って嫌だったのか。俺、確かにお前から『大番長とか呼んでんな』って注意されていたけど、何回も言ってもお前結構笑っていたし、俺もだから冗談のつもりで使ってたんだけど……悪い」
「……どうもヒデは反省する方向がことごとく間違ってんだよな」
  はあ〜あ、と大袈裟にため息をついた田神は、軽く首も振った後、何故かいつもの笑顔に戻った。何だ、良かった。機嫌は直ったみたいだ。俺の謝罪はどうやら見当違いらしいが、それでも田神がこういう顔をしてくれるなら、多分大丈夫だ。ほっとした。
  俺は田神に嫌われたくない。田神は俺にとってとても大切な友だちなんだ。
「田神、それでさっきの話だけど。俺は確かにお前を大番長って言っていたけど、ヨシヒトが言うような危険な奴だなんて思ってないし、周囲の噂だって全然信じてないよ」
「周囲の噂って」
「え、だから…。しゅ、秀陽の、凄い噂、とか」
「どんな」
「えっ。だ、だから、目があっただけで警棒使ってタコ殴りとか…、やくざさんと親密なお付き合いがあるとか…」
「俺がその悪党どもを束ねる総元締めだとか?」
「そ、それは……実際……どう、なの?」
「教えねえ」
  フンと田神はそっぽを向いた後、ひゅいと腕を伸ばして俺のコーラを奪った。「あっ」と思ったけど、何かまた悪い事言っちゃった手前抵抗出来ず、俺は仕方なく黙りこくった。
  予備校が終わるのはいつも遅い時間だけど、その後寄るこのファーストフード店はいつでも俺たちと同じくらいの高校生や仕事帰りの大人とかで賑わっている。今も俺たちがちょっと黙っただけで周囲のわいわいがやがや騒ぎ立てる声がよく聞こえて、明る過ぎる照明とも併せてちょっとだけ頭がくらくらした。疲れているのかもしれない。昨日も遅くまで近代史の暗記に時間かけまくっていたし。
「あ、田神クンじゃん! 久しぶりぃ!」
  その時、不意に俺たちのいる席にわらわらっと数人の女子高生たちが甲高い声と共にやって来て周りを取り囲んだ。俺は素でびびった。だって女の子たちはいわゆる「ギャル」ってやつで、みんなバッサバサのまつ毛に目の周りが真っ黒で、髪の毛なんてどんなお貴族様なんだ?ってほど、金髪とか茶髪が皆一様にモリモリ盛り上がってて(あれは地毛なのか?)凄く長い! そう、一言で言えば、ゴージャス! スカートも絶対見えるだろって位に短いし。俺は女の子にただでさえ耐性がないし苦手だから、こんなド迫力の女子高生が近くに数人もいるって言うだけで心内穏やかじゃなくなってしまった。
「何してんのぉ?」
  そのうちの一人が田神に親し気に話しかけた。その他の子たちも「秀陽の田神クンじゃん!」とか、「本物だよ、カッコイイ!」とか。あの〜、それって本人に絶対聞こえるように言っているよね?ってな感じの声量で喚き立てていた。
「見て分かんない? 飯食ってだべってんの。塾の帰り」
  田神が軽く笑ってそう言うと、何故か俺の後ろにいた女の子たちはきゃあと黄色い声を上げた。何か今、田神は変わった事を言ったのか?
「やだぁ、まだ塾とか通ってたのぉ。あははは、それすんごいウケるんだけどぉ!」
  しかし最初に田神に話しかけた一番度胸のあるっぽい子はそう甲高く笑った後、「必要ないじゃーん」と言いながらどすんと田神の横に座り込んだ。……おい、これってもしかして一緒にトークタイムとかに突入なわけか? それなら俺は絶対先に帰りたい。絶対無理! こんな子たちと一緒にお喋りなんかできない! 田神はそのうち一夫多妻制の国に行くような奴だからむしろ喜んでウェルカム状態だろうけど、俺は無理だ! 
  かと言って、田神にすり寄るようにして話し出した子を遮り、「じゃあ俺はお先に」なんて言うタイミングは見つけられない。何てダメな俺。
「それにしてもぉ、田神クン、その髪型いつまで続けんのー? それヤバ過ぎるよぉ、前髪揃え過ぎぃ!」
  田神の坊ちゃん頭を本人の目の前で貶すとは命知らずな…。でも俺は結構このままでもいいと思うんだけど。髪型ってやつはホントに微妙で、これがもし今の「良家のご子息」みたいな切り揃えられた髪じゃなく、ほんの数ミリでもざっくばらんな短めの前髪にしちゃったら――。
  こいつの迫力満点な眼光はより恐ろしく、目も当てられないものになるのは火を見るより明らかだった。まだこの「お上品な前髪」だからこそ、その不穏さが隠されているってもんだ。
「えー、でも今のままでも十分カッコいいよぉ」
「うん、あたしもそう思う!」
  すると俺の横にいた女の子たちが田神を擁護するように次々とそう言った。まぁ俺の考えと同じっていうよりは、少しでも田神を誉めてポイントを稼ごうって感じに思えたが。というか、やっぱりこいつってモテるんだ。予備校で付き合っている女の子たちはみんな真面目とかお嬢様っぽいのが多いけど、ギャルもお手のものなのか。さすがは大不良校の……って、この言い方は、もうまずいかな。田神が嫌がるから。
「ま、何でもいいけどさ。今日は俺、こいつと話してるから、また今度な?」
  好き勝手にわいわいと話し始めていた女の子たちを遮るようにして、唐突に田神がそう言った。俺は思わずぎょっとしてそう言った田神をまじまじと見やってしまったが、田神の方もそんな俺を見てニヤニヤしている。こいつはもうとっくに、俺が背中に悪い汗をかいている事に気づいていたらしい。ったく、面白がって引き延ばしていたのかよ。
「えー何で? なら一緒にお話しようよぉ!」
「そうだよー、折角久しぶりに会えたのにぃ!」
「ねえ、一緒でもいいよね? ね? そこの人っ!」
「えっ」
  いきなり俺に話を振ってきたのは、一番まつ毛が長くて一番カールが半端ない子。つーか、制服を着ているはずなのに、何でそんな「キワドイ」んですかアナタは…。もう寒い季節になろうってんだから、その白いシャツもちゃんと上までボタン留めて、胸元も無駄に強調させるのはやめて下さい。あ、何かちらっと見えた、あれって見せ着って言うんだっけ? やっぱり女の子って苦手だ……。
「お前らがどっか行かないなら、俺らが帰るよ。行こうぜ、ヒデ」
「え?」
「え! 何でー!」
「田神クン、冷たーい」
「ほら、行くぜ」
  背後で女の子たちがぶうぶう文句を言ったり嘆き悲しんだりしていたが、田神は我関せずって感じで俺の肘を捕まえて無理やり立たせると、そのままずんずん歩いて行って店を出た。俺は勿論ありがたかったけど、さすがに引っ張られた腕が痛かったから抗議すると、田神は店を出て暫く離れた所になってようやくその手を放してくれた。
「痛いよもう…何すんだよ」
「助けてやったんだろ? 女ダメじゃんお前」
「そうだけど…。けど、こんな無理やり引っ張んなくてもさ」
  ひりひりする腕を大袈裟に擦って見せたけど、田神はふんとそっぽを向いた後、すたすたと先を歩き出した。あれ、また機嫌が悪くなっていると思って俺は慌てて後を追い、恐る恐るその背中に語りかけた。
「あ、あのさ。お前は良かったの?」
「あぁ? 何が」
「女の子たち置いてきちゃって」
「めんどくせえ。あんなの相手出来るか」
「ええ…。でもお前なら、多分十人くらいまでなら一気でも大丈夫だろ。わはは。お前女の子大好きだし」
「……ヒデ」
  はあとため息をついた後、田神は急にぴたりと足を止めた。何も考えないでただ後ろをついていたから、俺はその背にもろ顔をぶつけてしまった。
  ……が、「いてえ」と情けない声を出したそんな俺に、田神は振り向きざま憮然とした声を出した。
「お前は、俺って人間を一体何だと思ってんだ?」
「え? 何って…?」
「何か色々誤解してねえ?」
「誤解?」
  ワケが分からずにきょとんとすると、田神はすっと眉をひそめてまた不機嫌な顔になった。どうも今日の俺は田神の地雷を踏んでばかりのようだ。でも何が原因なのか分からない。田神が女の子を好きなのは自他共に認めるところだし、実際あいつは女の子には優しい。ヨシヒトの事は「殺す」とか言うし、男には本当容赦のない奴だけど、女に優しくするのは田神もモットーだって前に自分で言っていた。
  大体、「一気に十人」なんて俺のセリフ、あんなの余裕で冗談じゃないか。
「あ、もしかして俺の下手な冗談が通じなかったのか?」
「違う」
「じゃあ何で怒ってんだよ」
「……別に怒ってない。ただお前は少しバカだから、真剣に相手していると偶にイライラする事がある」
「…………」
  俺は自分がバカだって事を知っている。でも、田神に面と向かってそういう風に言われると、やっぱりショックだな。他の奴とかに言われても多分平気だけど、田神に言われると堪える。
「……悪い。八つ当たりだ」
  けれど俺が謝る前に田神がそう言って俺に謝った。また俺が泣きそうな顔でもしていたんだろうか。俺がヨシヒトの事で泣いた時、田神は「俺の方こそ参った」って言って、本当に困った顔をした。こいつは基本的に優しいから、誰かが泣くのに弱いんだ。きっとこう見えて案外情に脆い奴なんだと思う。だから俺の事もこれだけたくさん助けてくれるし、バカでイライラするけど、放っておけないと話も聞いてくれる。
  俺は田神に甘えていたのか。
「ヒデ。また明日な」
  何も返さない俺に苦笑して、田神はそう言うと軽く片手を挙げて去って行った。悠々と歩いて行くその後ろ姿を俺は暫くぼけっとしながら見送った。田神が振り返らないかなとちょっと思ったけど、あいつは一度もそうしなかった。





  それから一週間。田神が予備校に来なくなった。携帯にも掛けたけど全然繋がらないし、あいつからも連絡がない。「また明日な」って言ったのに来ないなんて、何かあったのかと俺はいよいよ心配になった。
  悶々としている間、相も変わらずヨシヒトは俺に付きまとって田神に会っているのか、どうしても予備校を辞める気はないのか、ないのなら違う所へ変えろなんて言って、違う塾のパンフレットを山ほど持ってきたりしたけど、俺はその一切に聞く耳を持たなかった。
  とにかく田神が心配だったんだ。
  もしかして集団リンチとかに遭ったんだろうか。いつもいばっているから、下克上か何かが起きて後輩たちから袋叩きに遭ったとか? 俺の悪い想像は次から次へと湧いて出て、それが限界を超えた時、もう気づいたら秀陽の門の前にまで来てしまっていた。

  大不良校。泣く子も黙り、大人も震え上がる悪の巣窟。

  その割に、門構えは割と普通だった。もう校門の時点で凄いスプレーアートとかされまくっていて、校庭にもバイクが走り回っていて、校舎の窓ガラスも割れまくっているかと思っていたのに。
  ひよひよと呑気な鳥の鳴き声が聞こえる。校門のすぐ内側に結構木が植えられているから、鳥がたくさん住みついているのかもしれない。
  関係者以外立ち入り禁止。
  校門の所には当然のようにそう書いてあったけど、扉が開いていたから、俺はその呑気な鳥の声を耳にしながらすんなりと中へ入りこんだ。下校途中の学生が何人か不審な顔をして俺のことを見て行ったけど、誰もインネンをつけてきたりはしない。もしも不良の1人がそうしてきたら、大番長の田神は何処かと訊くつもりだったのに、当てが外れた。
  誰にも話しかけられないまま校舎の前にまで来て、開け広げの昇降口から中を覗いた。ここにもやっぱり人がたくさんいて、違う学校の制服を着た俺に奇異の目を向けてくる。でも、そんなの知るか。俺は田神を探しに来たんだ。
「あんた、ヒデじゃねえの」
  その時、俺にいきなりそう言って声を掛けてきた奴がいた。俺が黙ってそちらを向くと、これはびっくり、モヒカンヘアーの長身男が俺を半分据わった目で見下ろしていた。ごくりと唾を飲みこんだまま、俺は一瞬後ずさった。何で俺のことを知っているのかとか、田神は何処かとか訊けなかった。モヒカンが単純に物凄く怖かった。絶対ベロにピアスとかしてるよこいつ!
「なあ。ヒデじゃねえの」
  そのモヒカンが俺に再度訊いてきた。明らか「逃げんじゃねえよ」って顔してる。俺はヒッと心の中で悲鳴を漏らしたが、何とかこくりと頷けた。
「やっぱヒデか。来るの遅ェよ」
  しかしモヒカンは俺の無言の返答に平然としてそう返すと、「来な」と顎をしゃくって先を歩き出し、ご丁寧に昇降口の傍にあった段ボールから客人用のスリッパを出して「これ履けよ」と言ってくれた。
  俺は素直にそれに従った。
「深夜。ヒデが来たぜ」
  そうしてモヒカンは二階の奥にある「生徒会室」と書かれたプレートの部屋に俺を連れて行って、ドアを開けた瞬間そう告げた。俺はただただ驚いて声を失っていたけど、中から「知ってるよ、ここから見えた」という田神の声を聞いた時には、もう勢いのままモヒカンを押しのけて中に飛び込んでしまった。
「ヒデ」
  俺が部屋に入ってすぐ声のする方を見ると、くるりと回転式の椅子が動いて、その社長みたいな豪華な椅子に収まっていた田神が、これまた本当の社長みたいなふんぞり返った態度で「遅いんだよ」とモヒカンと同じ台詞を吐いた。
「遅いって…」
  俺がただ何となくその単語を繰り返すと田神はただ静かな様子で、不意に背後へ視線を向けて目を窄めた。すると後ろにいたモヒカンが「じゃあな」とドアを閉め、その場から消えた。出て行けって合図だったのか。納得しながらもすぐにもう一度田神を見ると、田神も暫くそんな俺を見てから、あの初めて会った時と同じ不遜な笑みを浮かべた。
  そして言った。
「自分から来たな」
「え」
「大不良校に」
「あ……うん」
  俺が何となく頷くと田神はまた笑って、不意に窓の外へと目を移した。
「怖かった?」
「ちょっと…。でも、普通だった」
「そりゃそうだ」
  田神は答えた後、おもむろに腕を伸ばして「ヒデ」と俺を呼んだ。俺は意味も分からないまま、でもその声に何だか逆らえなくてふらふらと田神のその手に向かって近づいた。
  だからすぐ目の前にまで来て、田神がいきなり俺を掴んで引き寄せた時には思い切り面喰らってしまった。
「わっ…!?」
「ヒデ。俺に会いたかった?」
「う、うん…?」
  いきなり膝の上に乗せられてびっくりした。でも、聞かれた事にはすぐに答えられた。ちょっと疑問形になっちゃったけど。
  でも、だって、そりゃそうだろ。会いたくなきゃ来ないよ。
  殆ど衝動で来ちゃったんだよ。
「だって、だってさ」
「うん」
  田神が優しく返してきた。だから俺は声が出しやすくなってすぐに続けた。
「田神、急にいなくなるから」
「うん」
「連絡取れないし」
「うん」
「そ、それで……俺、お前と全然喋れなくて」
「泣くなよ、ヒデ」
  田神が言った。俺は泣いてない。俺が最近泣いたのは、後にも先にもあのファーストフード店で、田神の前でやらかした一度だけだ。ヨシヒトが凄く好きだったから。ヨシヒトとのあの別れ方があんまりで、それでもうどうしようもなかったから。
  今は………。
「ヒデ。俺に会えなくて辛かっただろ?」
「……うん」
  そりゃあどうしようもなかった。
  そうだ。
  俺は本当に、どうしようもなかったんだ。
「会いたかったよ」
  だから正直に肯定したら、田神はくっと喉の奥で笑った。そうして本当に自然な感じで、俺の唇に自分のそれをひっつけた。
  田神とした、それはあの日以来のキスだった。
「俺もだよ」
  そうして田神はいともたやすくそう言うと、「それって何でだろうな?」と俺を試すみたいに訊いた。ぎらぎらした眼だ。お前のその眼は怖いんだよ、何も考えられなくなるから。でも、文句の言葉は出なかった。田神に問われた事を考えてみていたから。
  でも、そんなの分からないよ。
  だからその思いのままただ見つめ返すと、田神は自分こそが困ったというような顔をしてから、もう一度俺に口づけた。また意表をつかれびっくりしたから、そのキスのすぐ後で俺は「あわ」と変な声を出してしまった。
「バカ」
  すると田神は俺の頭を軽く叩いて、その後その手を額に持っていきながらふうと天を仰いだ。ホント、「参った」って感じで。
「……どうしようもねェな」
  それで直後、ただそれだけを言った。