友だち



  俺―佐霧才蔵(さぎりさいぞう)―は犬と同じだ。卑屈な意味で言っているんじゃない。犬はいっぺん対しただけで、己と相手との力の差を見抜くことが出来るという。深夜(しんや)と初めて会った時、俺はすぐ「こいつには敵わない」って思った。俺も深夜も当時はまだ5歳かそこらで、本来なら敵うも敵わないもない。けどあの時の俺は確かにそう思ったし、その場にいた俺の親父やお袋、爺さん婆さんも同じように感じたらしい、「当主様は実に良い跡取りを得られた」と喜んでいた。深夜には幼い頃から何か常人を飲み込むオーラがあった。
  だから、だと思うが。
  あの時、俺に「仲良くしよう」と話しかけてきた深夜に、俺は家の奴ら同様、「次期ご当主様と仲良くは出来ません」と答えてしまった。
  僕は従者で、深夜様は主なのですから――と。
  5歳児とは思えない、それは今もって思い出してもかなり立派な回答と言えたが、勿論俺はそこから全てを間違えた。



                        ***



「深夜。お前、まだあの予備校行ってるのか」
  下の名前で呼び、あまつさえ呼び捨て。
  けれど俺たちは相変わらず対等じゃない。まっとうな友人関係など築けない。
「ああ。面白いからお前も来いよ。3年になってからサボってばっかじゃねえか」
  それでもあの時から俺たちは常に一緒で、ついでに小、中、高校と学校のクラスも全部同じだ。そのこともあって、周囲から見た俺たちはどこからどう見ても親友同士…らしく映るらしい。実際深夜も俺にだけは遠慮がないし、俺自身も、大概図々しい態度を取ることが多い。
  けど俺は頑固に思い続けている。
  俺の根っから染みついたこの奴隷根性を、深夜は心底軽蔑しているだろうと。
「予備校は勉強する所だと思っていたが、どうやら違うな。お前もそういうのが分かれば、あそこが楽しくなるよ」
  深夜は自販機で買ってきたジュースをわざわざコップに移して、手持ちのストローで遊びながらそう続けた。この会話はまだ終わらないのか、そう思いながらも仕方なく相手を続ける。
「俺はもう二度と行かねえったら行かねえよ。家のモンに罵られようが、お前の親父にボコられようがだ。模試で点数取っときゃいいだろ」
「まあ。けどお前、まだ根に持ってんの」
「何が」
「お前の顔見て、馬鹿みてーに悲鳴あげたお嬢様たちのことを、さ」
  ふとあの時の映像が頭に浮かんで、俺は露骨に眉をひそめた。ばかばかしい、俺はどんな珍獣なんだ。
「煩ェよ。っていうか、顔じゃねえ、頭だ。顔はそんな怖かねえだろ」
「どうだろなぁ?」
  いよいよ面白そうに惚ける深夜にむかついて、俺は「ふん」とそっぽを向いた。
  事の始まりは高校入学直後だ。それ以前は2人で同じ家庭教師に習っていたが、何を思ったのか、ある日突然深夜の親父が、「予備校へ行け」と、勝手に2人分の入会手続きを済ませてきた。深夜の親父の命令だと思い、俺も2年間は真面目に通った…が、3年の今はほとんど足を運んでいない。何故って、うちの高校では「シブ過ぎる」と絶賛され認められている俺のこのモヒカンヘアーが、良家の御子息で賑わうあの予備校では「異端」以外の何物でもないのだ。俺は俺なりのポリシーでこの髪形にしたのに、あそこのお嬢さんたちは無駄に大騒ぎして、まるで初めて見る人間のように俺を遠巻きにし、けれど「怖いもの見たさ」で写メ撮りまくり騒動を起こしてくれた。
  勿論、それによって予備校の講師陣にも総囲まれ。「明日までに必ず刈ってくること」とバリカン片手に脅された。それで、籍だけは残してあるものの、あの予備校へは模試以外で行くのをやめた。元々俺の入会だけは深夜の親父の気紛れみたいなものだったし、深夜さえ真面目に通ってくれればそれで問題はないはずだから。
  その深夜はというと、俺とは逆で、1、2年の頃はやたらとサボっていたくせに、3年の今はほとんど皆勤で予備校通いに「ハマッて」いる。一体どういう風の吹き回しなのやら。
「しかしお前、その髪型いつまで続けんの。俺は、笑えるから好きだけど」
  不意の質問に、俺はぼやけていた思考を現実に戻してから、むっとして深夜を睨んだ。
「お前、前はこの髪、カッコイイって言っていただろ」
「カッコイイよ? その証拠に、そのカッコイイ才蔵さんに憧れた、クソカワな後輩たちがみんなその髪真似してんだろ。ウケ過ぎ」
「……そうか、お前は俺をバカにしているんだな。なら、意地でもこの髪型はやめねえ」
  言いながらちらりと、俺はこの生徒会室から見下ろせる校庭に目を落とした。
  今日もその「クソカワ」な後輩たちは、健気な仔犬みてえに尻尾をフリフリ、この部屋から見える範囲までの花壇周辺を掃除している。多分、深夜か俺がそれに気づいて誉めてくれるのを待っているのだ。はっきり言って異様だ。似たようなモヒカンヘッドのニキビ面、改造制服に身を包んだデカブツの男子高校生共が、傍にバイクを無断駐車しつつ、手には竹ぼうきを握っている。この健気な姿を近隣の住民さんらも見たらいい。
  そうすればもう誰もこの秀陽を「不良の巣窟」とは呼ばないだろう。
「悪いって。むくれるなよ、才蔵さん」
「その言い方も気分悪いんだがな」
「ところでその予備校なんだけどな。才蔵さんが一緒に来てくれないから、一人ぼっちでつまんねえだろ。だから来る者拒まずで女の子たちと遊んでいたら、この間面白いお坊ちゃんに遭ったんだよ」
「お坊ちゃん?」
  俺たちが通う秀陽館高校の近くには、全国でも指折りの進学校として有名な修學館高校だの、「理想の女子高生」が棲息するというお嬢様校、桜乃森女学園など、良家のお坊ちゃんお嬢ちゃんが通う学校が結構ある。だからその三校を繋ぐような位置にある予備校にもそういう輩が通ってくるわけだが、これまで深夜がそういった学校の連中に興味を向けたことは一度もなかった。
  だから俺は拗ねていたフリを早々やめて、いつもの社長席でふんぞり返っている深夜を振り返った。
「その坊ちゃんさ。俺が女とイタしているところをモロに見ちゃったせいで、完全に石化しちまって。しかも、俺がちょっと目だけで脅しくれてやったら、直立不動で『だだだ誰にも言いませんっ!』とかどもりながら冷や汗だらだら流してんの。ウケるだろ」
「いや、全くウケねえし、お前は予備校で何やってんだよ。いい加減にしろよな、そういう適当なことすんの。バレて親父さんに怒られるの俺なんだぞ」
「まあいいから聞けよ。そんでな、実はそいつとは前にも1度予備校の裏階段ん所で偶然会ってんだけど、そん時も俺はただそこで煙草吸ってただけなのに、それ見た瞬間、『ひっ!』って悲鳴あげたかと思ったら、もうそのすぐ後、回れ右して速攻ダッシュだよ。その動きが漫画そのものでよ。俺に因縁つけられるか、金でもむしり取られるかとか想像したのかね? ともかく、あの顔と動きにゃ笑ったなぁ」
「……だから。予備校で煙草吸うのもやめろ。ていうか、煙草自体をやめろ」
  こんな説教臭い話などしたくない。深夜だって分かっている。けど俺は、こんなナリをしていても、根本のところで深夜を「まっとうな道」に残しておかなきゃならない使命を負っている。それは佐霧家の俺の仕事なのだ。俺の家は深夜の家とは縁戚関係にあるが、実際の繋がりは「親戚」なんて生温いものじゃない。深夜の田神家が本家で、俺の佐霧家は分家。本家の人間の為に尽くすのが分家の者の使命であり、本家がやれと言ったことは必ずやる。使命を果たせない奴はクズ。――そうして、主の命は自分の命を賭してでも守るのだ。
  これを「時代錯誤の呆れた慣習」と冷笑する者は、少なくとも俺が育った環境下には一人もいなかった。
  俺と深夜は、そういうガチガチコンクリートで塗り固められた堅牢な箱の中で育ったと言っても良い。
  ただ、深夜はそういう暮らしの中でも常に泰然としていたし、いつでも涼し気な顔をしていた。そうして、「秀陽校の理事長と田神の親父が知り合い」という、たったそれだけの理由で「高校は秀陽へ行け」と決められ、そんな勝手な大人たちの期待通りに、深夜はこの崩壊しきっていた学び舎を約1か月で締めてしまった。まるで朝飯前の軽い運動のように。
  それにしても、その深夜が他人の男のことをここまで饒舌に話すのを俺はついぞ見たことがなかった。
「可愛かったな」
「は?」
  しかも深夜の話はまだ終わらなかった。
「そのお坊ちゃんのことだよ。あれは間違いなく童貞だよなぁ。開発したらどうなるのか、楽しそうだ」
「……おい。男はやめろ」
  俺が半ばヒヤヒヤした思いでそう言うと、深夜はニヤリと不敵な笑みを浮かべ「何で」と訊いた。
「何でじゃねえ。ホントは女も選んで欲しい。けど、男に走られるくれーなら、そっちは見逃すから、とにかくその坊には手を出すな」
  俺の早口が相当うざかったのだろう。深夜の唇には依然として笑みが残っていたが、その後はただストローでジュースを飲み始めて、俺の方を見向きもしなかった。また失敗したんだなというのは分かった。けど、深夜の行き過ぎたオイタを止めるのも俺の仕事だ。深夜は将来、田神家の真剣流派を継ぐ主として表の舞台に出て行く男だ。目つきも悪いし、実際あらゆる意味で手も早いから、深夜には秀陽に入る前から良からぬ噂がついて回っていたが、大抵は取るに足りぬ悪さに過ぎない。「女を食う」ところまでも、まぁ問題はあるとしても、俺の物差しではまだギリセーフだ。しかし男に走られるのはさすがに引く。困る。全てに退屈しきって諦めている深夜には極めて新鮮な遊びかもしれないが、それならまだ予備校で1回の思い出を懇願する女に優しくしてやっている方がマシだ。
  しかし後で気づいたことだが、深夜がその「お坊ちゃん」の話をして以降、あれだけお盛んだった女遊びに関する噂は、まるで聞く事がなくなっていた。



                        ***



「お前は剣より“拳”の方が向いている。無理にここへ来る必要はない」

  拳(こぶし)を閃かせそう言った深夜は、その当時、まだ中学生にもなっていなかった。
「ここを継ぐのは俺なのだから、お前は好きでもないことに時間をかけるな」
  そう言い放つあいつはおよそ小学生らしくなかった。いわゆる武士の時代ってやつには、こういうガキもたくさんいたのかもしれない。けど、現代を生きるただの小学生である俺には、深夜みたいな奴はただただ「驚異」の存在で、決して同じ年の「友人」なんかではなかった。――もっとも、田神が掲げる真剣流派の担い手として鍛錬することは佐霧の重要な務めの一つなのだから、辞めろと言われてそう簡単に辞められるわけもない。「次期当主に愛想を尽かされたのか」と、その時は両親、祖父母から大目玉を喰らっただけで、その後も俺は田神の道場には通い続けた。
  そうこうしているうちに、深夜との付き合いも軽く13年だ。

「なぁ。お前だって別に興味なんかねえだろう。何でそんな真面目にやれる?」

  中学に上がってから暫くして、一度だけ深夜にそう訊ねたことがあった。その年、俺はちょうど可愛い反抗期のようなものに突入していて、学校をサボったり、近隣の高校生と喧嘩したりとヤンチャなことをしでかしていた。だから当然の如く、そういった悪さが露見する度に自分の親父や深夜の親父にもぶん殴られたが、何をしてもとにかく怒りが収まらないって感じで、とにかくめちゃくちゃやったものだ。深夜には会いたかったし、その頃にはすでに生活の一部になっていた道場通いだけは惰性で続けていたのだが、その両極端な生活を繰り返す中で、ガキの頃からただ淡々と当主の言いなりになって剣を振るい、勉強し、礼儀作法を身に着けて行く「大人」な深夜が、俺には我慢ならなくなっていた。深夜は友人であって友人ではない。その遠慮があって今まで黙っていたことだったが、それでもあの時は遂に我慢が出来なくなって、そう口走ってしまった。
  しかし遂にキレるかと思った深夜は、やはりいつもと変わらぬまま、いつもの薄い笑みを張り着かせるばかりだった。

「この俺を真面目と思う、お前こそが真面目だよ」

  …確かに、深夜は俺の知らない所で、いろいろ悪いこともしていた…およそ「真面目」というだけの男ではなかった。それは後で知ることになる。
  しかしその時は謎かけのような返しにただ頭に来たし、けれどそれが「真実」だとも直感で分かっていたから、俺は結局深夜に降参する他なかった。それに寂しかった。深夜はもう俺にキレることはないのかもしれない。俺などこいつにとっては取るに足りぬ者だから。友だちになろうと言われた5歳の頃、次期当主様にそのようなことは出来ませんと馬鹿正直に答えた、同じく5歳の時の俺。あの時から、もうとっくに俺たちの間にはかくかくとした段差が出来上がっていて、それは決して平らには戻らない類のものになり果てていた。
  それなのに、一時の荒ぶった気持ちで深夜に当たるなどどうかしていた。
  以降、俺は道場から足が遠のき、代わりに拳の道を究めるべく、別の道場に入り浸って「佐霧家始まって以来の黒い羊」と煙たがられた。ヤケクソに頭もわざとモヒカンにして一線を画すと、大人たちは呆れ、詰り、やがて俺を相手にしなくなった。
  ただそれに反して、深夜は何故か「見直したぞ」と言って少しだけまた俺に目をかけてくれるようになった。俺にはそれが何よりの褒美だ。俺は剣では寄り添えないが、別の部分で深夜の右腕になりたい。そういう気持ちが固まってきたのがその頃で、そうなると次期当主に認められた俺は、やがて再び佐霧の中でも迎え入れられるようになった。
  もっとも、佐霧の家などもうどうでもいいのだ。俺が従うのは深夜だけだから。



                        ***



  深夜が「お坊ちゃん」の話を2度目にしたのは、夏休みも終わって暫く経った頃だ。
  その時のあいつは大層機嫌が悪くて、普段の仲間も誰も近づけなかった。深夜は無闇に後輩を締める男ではないが、この学校を1か月で支配した「事実」は殊の外学校の連中を恐れさせていたし、実際怒ったら何もしていなくとも顔を見るだけで怖かったから、誰もその不機嫌の理由を問いただそうとはしなかった。
  それが坊ちゃんのせいだとは、俺も予想もしなかった。
「あいつ童貞じゃなかった」
「……何の話だ?」
  唐突に始まったその会話は夕暮れの生徒会室で行われた。深夜は、自ら選んだ直属の舎弟すら全て追い払い、俺と2人だけになったその場所で淡々と、しかし思い切りぶすくれた顔で初めにそう切り出したのだ。
「知れば知るほどバカな奴だとは思ったけどな。本気でバカ過ぎて、バカな奴にとっ捕まって、とっくにお手付き喰らってやがった。しかも相手の男は二股だぜ。ヒデみたいな奴に二股かけるってどういう男だ。今すぐ殺しにいきてえ」
「おい! 何の話だって訊いてるだろ!?」
  興奮した深夜を見るのは本当に久しぶりだった。いつも余裕ぶっているのに、まくしたてるようにぺらぺらと訳の分からない話をする。俺の方まで急いた気持ちがして、思わず声が荒くなった。モヒカンの先も揺れた。
「だから。ヒデの話だ」
「ヒデって誰だ」
「予備校のお坊ちゃんだよ。前に話しただろ」
「……ああ」
「あいつ、俺にようやく慣れて…いや、慣れてはいないな、やっぱり時々びびった顔しているから。けど基本的に会話に飢えているのか、訊くと何でも話しやがる。それはそれで素直だし、必死に話すところは可愛いが、内容がホントにロクでもねえ。あいつみたいなの、放っておいたら本気で危ない。俺がちゃんと見ていてやんないと、今後もバカな男に騙されて泣く思いするのは確実だ」
「……お前が見ていてやんないとって、そりゃ何だ」
  俺が努めて冷静に聞き返すと、深夜はここで初めて俺を見た。
  実に不思議そうな顔で。
「何だって、何だよ?」
「何だよじゃねえ。そいつは赤の他人だろ。何でお前が面倒みる必要がある」
「ヒデは赤の他人じゃねえ。友だちだ」
「は…?」
「って、ヒデが言ってた」
「あん!?」
  訳が分からずまた俺は声が飛んだ。
  しかし深夜は構わずに続けた。
「あのバカ、俺のこと“友だち”だってよ。初めて出来た友だちだとか言ってたな。馬鹿じゃねえ? 思わず笑ったよ」
「……………」
  確かにそう言う深夜は笑っていたが、それはどう見ても相手を嘲笑する類のものではなかった。
  よくよく聞いてみると、ヒデなる人物は昔から男しか好きになれない「秘密」のせいで、これまでまともな人間関係を築くことが出来なかったらしい。深夜の見立てでは、ヒデは穏やかな性格だし面白いし、基本おひとよしな為、決して友だちを作れないタイプではないとのことだ。実際、深夜同様、ヒデに好感を持っている奴は多いのに、ヒデの方が勝手に自分のコンプレックスに押し潰されて「友だち」を作れずにいただけのようで――。
  それが、そんなヒデが何故深夜とはすぐに打ち解けて、「田神は俺の初めての友だち」などと言ったのかは……深夜の話だけでは、俺には……分かるけれど、分かりたくない、というところか。

  友だち。
  しかも初めての。

「それで…お前、どうするんだ。いや、どうもしねえな。ともかく殺しはまずいから――」
「お前何言ってんだ?」
  テンパりながら呟き始めた俺に、深夜が薄笑いを浮かべて言った。
  俺は思わずカッとして、「とぼけんじゃねえ」と言い返した。
「そのお友だちのヒデの為に、相手の…何だ、二股野郎か? そいつを殺したいって、今言っただろ」
「言った。いいだろ?」
「いいわけねーだろ。第一、ヒデって奴もそれを望んでいるのか」
「いや。それだけはやめてくれって頭下げられたよ。またその言い方がバカ丸出しで可愛かった」
「なあ!」
  お前、もうそのふざけた話はやめろと、俺はまた間違った方向へ行きそうになった。
「才蔵」
  けれど深夜が先に、それを止めた。
「ヒデの奴、俺を友だちとか抜かしながら、一方で未だに“大不良校の大番長様”なんて肩書きで俺を見てびびってやがる。それはそれで面白いから放っておいたところもあるが、そろそろ分からせた方がいいかもしれない。だから、ヒデがここへ来るまで放置するから、来た時は頼むな」
「何を頼むんだ」
「テメエで考えろよ」
「…………」
  嫌だ。
  真っ先にそう答えたかったが、次に飛び出した言葉は全然違うものだった。俺はこの時、俺自身のことを全くコントロール出来ていなかったようだ。
「……ヒデに分からせた方がいいと言いながら、本当に分かった方がいいのはお前の方なんじゃねえの」
「何それ?」
  深夜が面白そうに目を光らせた。しまったと思ったが、もう遅い。だから正直にそのまま突っ走った。
「本気なのか」
「ああ、そういう意味での“分かる”か? さあ、まだ分かんねーな。けど今んとこ、結構本気かも。だからさ、お前は俺の味方になれよ? もし本気が持続したら、その後いろいろ厄介だろ」
「そんなこと言っている時点で、もう十分本気じゃねえか」
「違うよ。俺は気が早いだけだ。あくまでも、念のためだ」
  深夜はきっぱりとそう言って、「何せ」とどこを見ているのか、天井を仰ぎながらも目線は遥か遠くへやって独りごちた。
「俺は5歳であの家に連れてこられて、その後はジェットコースターの人生だ。ぐずぐずしていたらまたあの親父に先手を取られちまう。俺が跡を継ぐまであともう何年かかかるだろうから、それまでが勝負だな」
「………」
  別に何らかの返しを求められていないと感じたから、俺は何も言わなかった。どうせ俺は深夜が予想し得る以上のことは出来やしない。深夜もそんなには俺に期待していない。
  ただ、味方でいろと言われるくらいには、まだ俺たちは繋がっている。
  友だちではない関係で。
「けどお前、自分の気持ちもそうだが、まずヒデをその気にさせるのが先じゃねえの」
  だからその時はそんな軽口だけで済ませて、俺はわざとらしく視線を深夜と同じ天井へ向けた。深夜はそのことに気づいたようだ、すっと顔を下げて俺の方を見ると、「それもそうだな」と応え、けれどすぐに「でもまあ、大丈夫だ」とぞんざいに返した。
「何が大丈夫なんだ」
「あいつは俺を好きになるよ。多分な」
「友だち、なんじゃねえの?」
「それはヒデが言っていることで、俺が思っていることじゃねえ。第一」

  俺には友だちってもんは作らない方が良いようだから。

「深夜……やっぱきついな、お前」
  まるで試すように言われたその台詞に、俺は思わずそう零してしまった。本当に偶の攻撃ではあるが、5歳の時の古傷を抉られるのは堪らない。そうか、無駄に「友だち」なんて単語を掘り返した俺がまた失敗したからか。それがこの仕打ちか?けど、その言葉を最初に出してきたのは深夜であり、「ヒデ」だ。
  ヒデ。どんな奴かは知らないが、近いうちに顔を合わせておく必要があるだろう。
  何せヒデが深夜にとって今後どう関わって行くかで、俺にも大きな問題だから。
「ははっ」
  するとそんな「作戦」を練っている俺の考えなどとうにお見通しなのだろう、深夜は心底可笑しそうに笑い、「才蔵」とまた俺を呼んだ。
  そして。
「お前は本当に真面目だな」
「……っ」
  何とか言い返したかったが、それも叶わぬ夢だ。
  だから俺はせいぜい「煩ェよ!」と悪態だけついて、不真面目な深夜が予備校へ通う原因となった「ヒデ」を、近いうち必ず見に行こうと改めて決意した。