だってすきだから


―2―



  俺が犯罪者として連行されたのは、こんな山奥にどうやって造ったんだとたまげる他ない、かなり大きな寺だった。あー、こういうのは「お寺」っていうよりかは、「寺院」と呼んだ方がいいのかな。何にしても、ここへ来る前は「現実逃避」の続きで、こんな所に寺なんかあっても墓参りが大変じゃないかとかいろいろ余計な心配をしていたけど、貫禄十分なこの建物を見たら、いかな素人の俺でも、ここが由緒ある立派なお寺さんだということくらいは分かる。
  田神は俺を、妖怪じいさんが言っていた場所(だと思う)まで連れて来ると、「ここで大人しくしていろ」とだけ言い残して、そのままどこかへ行ってしまった。…迷惑かけた身でこんなこと言いたくないけど、せめて「大丈夫だからな、ヒデ。お前は俺が守る!」とか何とか、熱い台詞を投げかけてから去って行ってもらいたかった…って駄目だ! 俺、今かなりイヤな奴になってる。反省しろ、ヒデ! 田神が怒るのも無理ないんだ、ワガママ言ってんじゃねえ! 俺は田神の気持ちも考えずに1人で勝手に突っ走って、結果田神に迷惑をかけたんだ。だから、例えこんな暗い土蔵みたいな、ワケ分かんない場所に放り込まれたからって、文句なんか言っちゃいけないんだ。
  ……けど、そもそも「田神の気持ち」って何だろ。
「そうだよ、それが分かんないんだよ…。だって、何も言ってくれないんだから。それで突然消えられたんだから、そしたらフツーは追いかけるだろ」
  結局ふてくされてしまった。
  俺は自分がガキだと重々承知しつつも、むっつりとして膝を抱え、冷たい地べたの上で丸くなった。
  ここは最初に目にしてびっくりした寺院とは違う建物みたいだ。それに、ここがいかにも歴史の深そうな場所とは分かっても、よくよく見るとどこも「凄くボロイ」。そりゃあ寺だから、建物の色が剥げたところで、神社みたいに早々塗り替えなんてしないんだろうけど。
  ただ、田神がそういう場所で剣の修業をするということには、ここへ来てストンと納得した。ボロいけど、とにかくどこもかしこも広いんだ。俺が放り込まれたこの土蔵(っぽい所)も、電気も何もなくて真っ暗だからよくは分からないけど、罪人を閉じ込めておくにしてはいやに奥行きを感じる。俺は小心者だから、ここから動いて辺りを探索しようなんて気は起こさないけど、夜目にも、周辺には何かいろいろな物が置いてあるっぽいのは分かる。ということは、やっぱり物置かな。
  とにかく、ここの規模は素人目にも大きい。だから、ここって田神だけじゃなくて、たぶん、全国からいろんな猛者たちが集まる所なんじゃないかと思った。ここへ来るまでは何となくこじんまりとしたお寺を想像していたけど、恐らくここの隣にあったもっとでかい建物が「講堂」とやらで、それが道場も兼ねているんじゃないだろうか。それで、そことは別に、仏様が祭られている本殿がどこかにあるんだろう。ここへ来るまでに巨大な鐘楼があったのも目撃したし、田神みたいに修行する人やその先生たちとは別に、お寺のお坊さんなんかも結構いそうだ。
  つまり、妖怪じいさんは犯罪者の俺の処罰は「師範」という人に仰ぐと言っていたけど、実際ここで一番偉い人って、この寺院を管理しているお坊さんなんじゃないか。ん? ということは、師範イコールお坊さん? なのかな? お坊さんなのに、真剣で気に食わない人間をバッサバッサと斬り捨てるのか?…ダメだ、頭の中がぐるぐるして、まともな思考が働かない。
「はあぁ…」
  やめようと思うのにため息が止まらない。そしてこんな時なのに凄く腹が減った。いつまでここにいればいいんだろう。ていうか、せめて灯りが欲しい…だって殆ど何も見えないんだもん。怖いよ。
「もし……」
「ひゃあっ!」
  突然、後ろから肩をトンとされて、俺は飛び上がりながら悲鳴を上げた。
「はうっ!?」
  すると俺をトンした人もビクッとなって一歩後退した。俺の奇怪な叫び声がよっぽどアレだったのだろう、でも俺の驚きに比べたら何ほどのこともないと思うけど。何せこの人は、全く音も立てずに、いきなりぬうっと現れたんだから。何なの、この山の人たちは。気配を消すの、巧すぎ。
「あ…貴方どこの人ですか。ここで何してはるんです」
「えっ、あの…」
  尻もちをついたような格好のまま、俺は目をぱちぱちやって目の前の人を見上げた。
  でかい。けど、顔はそんなに…童顔というか、俺と同じくらいの十代に見えた。小坊さんのような格好をしているから、お寺の人かな。ていうか、ここは寺なんだから、そりゃお坊さんだよな。
  丸坊主の細目をしたその人は、ここの建物には全く不釣り合いな懐中電灯を持って、ちらちらと俺にその光を当ててきた。やめてくれ、眩しい。
「もしや、相部屋を厭っとった言う、西のソウさんですか。何にしろ、ここにおられるんは困りますさかい、いっぺんご自分の僧坊へお戻りください」
「や、でもあの…すみません。ボク、ここに居ろと言われまして…」
「はあ? どなたに?」
「田神っていう…ここへ修行に来ている奴です。あと、そいつの先生が…」
  俺がぼそぼそ答えると、でかい小坊さん…でかいのに小坊さんって何だって感じだけど、そんなこと今はどうでもいいな。とにかく、その小坊さんは、スゴク意表をつかれた顔で俺のことをまじまじと見下ろした。うぅ、針のムシロ感がびしばしする…。
「深夜さんのお知り合い? というと、道場の方ですか?」
  小坊さんがあの妖怪じいさんと同じことを訊いたので、俺はふるふると首を振った。
「違います。お…ボクはその…深夜君の、友だちなんです」
「友だち?」
「はい、そうです。……ご迷惑をお掛けしてすみません」
  いろいろなことをすっ飛ばして、俺はともかくこの人にも謝っておいた。よく分からないけど、ここにいちゃいけないってことだし、俺はこの見知らぬ小坊さんにとっても邪魔な存在なんだ。そうさ、俺はとんでもなく要らない存在、つまり害虫……いや違う、虫はこんなにスペースを取ったりしない、虫は偉大だ。どんな虫もそれぞれ、自然界で立派に生態系の一部としての役に立っているんだ。そんな彼らと愚かな俺を比べるだなんて、おこがましいぞ、ヒデ。
  そんな風にどんどんと自虐の波に飲み込まれて行く俺に、小坊さんはおっとりした口調で言った。
「深夜さんのお友だちなら、迷惑なんてことはあらしまへん。けど、ここは寒いでしょう? 奥の間で休まれますか。そこで深夜さんをお待ちになっては?」
「え…」
  何この人、スゴイ優しい。さすがは慈悲を知り、徳を積むお坊様だ。…今の俺にそういう優しさはキケンなのに。
  俺はじーんとしている自分を必死に堪えながら、またしても激しくかぶりを振った。
「でも、ここで待ってろって言われたので。ご迷惑でなければ、もう少しここに居させて下さい」
「ここで? はぁ、それはまた…何で深夜さんは、そないなこと仰ったんでしょうなぁ」
  こないな冷える場所に…という台詞だけ独り言のように呟いた小坊さんに、俺は胸がずきーんってなった。なるべく考えないようにしていた「悲しい事実」が、ちらちらと目の上らへんに降りてきたように感じたから。
  悲しい事実…それはつまり、俺が田神に嫌われているってこと。
  いつからかは分からない。けど、だからこそ田神は俺に何も言わずにここへ来て、そして連絡もくれなかったんじゃないか。俺が会いにきたことも喜ばなかったし、それどころかイラついてウザがって…。だから師匠の命令とは言え、躊躇わずに俺をこんな所へ放り込んで行ってしまった。
  …でも、それも仕方ない。俺はもともと田神に好かれるようなデキタ人間じゃないし、そもそも両想いになったのだって、俺が無理やり田神の家に押しかけて、成り行きでそうなったようなもんだし。
  だから何もショックを受ける必要なんかないんだ。そうだよ、こんなの、なるべくしてなったことじゃないか。むしろ、強引に京都受験する前に真実が分かって良かった。嫌われているのに、またしつこく追いかけたらもっともっと嫌われる。
  そんなのはイヤだ。
「大丈夫ですか?」
  小坊さんが心配そうに訊いてきた。まずいな、泣きそうになっていることに気づかれたのかも。それだけは駄目だ、ただでさえ迷惑かけているのに、さらにこんな見知らぬお坊さんまで煩わせちゃいけない。
  俺は必死に頷いて、もう放っておいて欲しいとばかりに膝を抱え直し、俯いた。
  すると小坊さんは「困りましたなぁ」と呟いて、さっと何処かへ歩いて行ったと思ったら、またすぐ戻ってきて、俺に何かを差し出した
「どうぞ。ちいとでも温まりますよ」
  小坊さんがくれたのは湯呑に入ったお湯だった。本当は受け取っちゃいけないと思ったけど、暗闇の中でゆらゆら上がる白い湯気につられて、ついその好意に甘えてしまった。腹も減っていたけど、それ以上に、ずっと喉が渇いていた。
「はあぁ…」
  お湯がこんなに美味しいなんて初めて知ったかも。お腹の底からじーんと温まるのが分かって、俺は感嘆の声を漏らした。
「これもどうぞ」
  しかも小坊さんは、よく見えるなぁと感心するくらいに、この暗い土蔵の中を自由自在に動き回り、何やらごそごそしたかと思うと、そこから暗い空間内でもくっきりと浮かびあがる、真っ白い豆大福を持ってきてくれた。
「うわあ…!」
  それを見てすぐに美味しそう、食べたい!と思ったけど、さすがにそこまで甘えちゃ駄目だろうと伸びそうになる手を抑えた…ら、小坊さんは細い目をさらに細くして笑い、「遠慮せいで」と囁いた。
「深夜さんのご友人に、無碍なことはできしまへん。それに、貴方をわざわざここへ案内したんなら、深夜さんは私がこうすることを望んどるに違いないです。ここは私の秘密んおやつ置き場ですから」
「お…おやつ置き場?」
「はい」
  にこにこして頷く小坊さんを、俺は目をぱちくりさせながら見返した。やっぱり、同じくらいの年齢だと思ったのは間違いないかもしれない。立派な身なりだし、いかにもきちんとしたお坊さんという感じだけど、こうやって笑う顔はどこか悪戯小僧に見えなくもない。
  その小坊さんは、その後、「大福だけじゃ何なんで」と、俺に握り飯と温かい味噌汁、それに毛布や布団まで差し入れにきてくれた。お陰で俺は田神が戻ってくるまでの間、飢えることも寒さで凍え死ぬこともなかった。よくよく見ると、土蔵と思ったそこは、俺が座り込んでいたすぐ数歩先にきちんと畳が敷かれていて、感じていたほど広くはなかったけど、人1人が休むには十分過ぎるスペースもあった。だから、最初こそ「いつ処分が下されるのか」とドキドキしていた俺も、そこへ上がって小坊さんが貸してくれた毛布にくるまると、あっという間に眠ってしまった。
  眠っている間は気楽だから良い。全部忘れられるし、都合の良い夢を見られることもある。夢の中での田神は凄く優しくて、俺にいっぱいキスしてくれるし、頭も撫でてくれる。同じ年の奴に頭を撫でられて喜ぶなんて、フツーならありえないかもしれない。けど、俺は田神にそうされるのが好きだった。田神の笑顔が見られるし、田神に心から愛されているって感じられたから。
「ヒデ」
  だから、本当はこのまま起きたくなんかなかった。
「ヒデ、起きろ」
  そのままふわふわした頭の中で幻の田神を追っていた方が楽しいに決まっている。
  悲しみのない世界にずっといたかったのに、でも、そんな俺の身体を揺さぶって平和な眠りを妨げてきたのは、誰あろう、田神だった。
「あー…」
  俺は無理やり起こされて愚図る駄々っ子のように「まだ起きたくない」と片腕で顔を隠し、低く唸った。…もしも寝ぼけていなかったら、「田神に悪いことをした」と反省していた身だし、すぐ飛び起きたに違いない。
  でも俺は険しい山登りでくたくただったし、精神的ダメージもでかかったし、すぐに意識をしゃんとすることができなかった。田神が俺の肩の辺りを再度揺さぶってきたのは分かったけど、俺は頑として目を開けなかった。
  もしかして怖くて開けられなかったのかもしれないけど。我ながらよく分からない。
「眠いのか」
  すると田神がどこか諦めたようにそう言った。囁くような小さな声だ。あれ、もしかすると無理に起こす気がないのかな。そこに田神の優しさを感じて、俺は現金にも少しだけ薄目を開いた。そして一度それをやると、段々と頭がはっきりしてきて、そうだった、俺は呑気に寝ている場合じゃなかったし、こんな風に駄々をこねる資格もない、犯罪者なのだということを思い出した。
  途端、俺の身体はぶるりと震えた。
「寒いか」
  すると田神が勘違いしてそう訊いた。俺は咄嗟に首を振り、ようやく今度ははっきりと目を開いて――そこで、ぎょっとして飛び起きた。
「たっ…どうしたそれ!?」
「別に何でもない。それより、ヤストモは飯を食わせてくれたか」
「誰、ヤストモって!? そんなことより、その傷――!」
  俺の目の前に現れた田神は口の端が切れて腫れていたし、目の上にも痣みたいな赤黒い傷があった。もしかすると顔だけじゃないかもしれない、田神の和装姿は最初に会った時とは変わって今は綺麗なものになっていたけど、この姿を見るに、誰かにひどい暴力を振るわれたのは明らかだった。
  俺は一気に血の気が引く思いがして、成す術もなく、かと言って何も出来ずじっとしているのは耐えられなくて、田神の両腕を擦るようにして、上から下からガン見した。それをしている最中も泣きそうだったけど。
  ただそんな俺に反して、田神は至って静かだった。そして俺の手を掴み直すと「しっ」と言って、ちょっと気にした風に後ろを見た。
「声は抑えろ。もうみんな寝てる」
「でも田神が…っ!」
「大したことない。それより、飯は食ったのか。ヤストモが来ただろ。細目のでかい男」
「あ、ああ…あの人…。うん。食べ物くれて、この毛布も運んできてくれた」
「そうか」
「あの人、田神の友だち…?」
  俺がそろりと訊くと、田神はぴくりと眉を動かして「いや」と否定した。
「あいつはここの坊主見習い。うちがあいつの実家の寺に世話になっているから、昔からの顔見知りではあるけど、そんだけだ」
「……そうなんだ」
  それにしちゃ、あの人は俺が田神の友だちってだけで凄く親切にしてくれたけどな。だから、ただの知り合いのわけはないと思ったけど、俺如きがそんなこといちいち詮索しちゃいけないし、それに今は何より田神の傷が心配だ。
「それ…本当に大丈夫か?」
「いつものことだから、ヒデは気にすんな」
  目元の傷に触ろうとする俺に田神はそう言って、俺の手を掴んだ。…そうだよな、傷に触られたら痛いから嫌だよな。
  …それとも、俺だから触れられたくないのかな。
「田神…ごめん…」
「何でヒデが謝るんだ」
  すぐに田神はそう言ったけど、俺はどんどん胸が痛くなったから、それを忘れようと思って早口になった。
「だってだっ…俺のせいで、田神、お師匠さんに怒られたんだろ。それ、俺のせいだろ」
「違うって言ってんだろ。それより、家には連絡がいくように頼んでおいたからな」
「え?」
  俺が驚くと、田神は咎めるように眉をひそめた。
「書き置きがあったって、いきなり“京都行く”だけじゃ訳分かんねぇだろ。1人息子が家出したって、親父さん、絶対心配してるぞ」
「そんな…俺、家出なんてつもりじゃ」
「お前がそのつもりでなくても、親父さんはそう思うかもしれないってことだ」
「でも連絡が行くようにって…?」
  電話してくれたってことかな。いきなり見知らぬ人が「息子さんはうちの寺に泊まっていますから」って言っても、それこそ驚かれる気もするが。
「ここには電話なんかねェよ。勿論、携帯も繋がらねぇ。だから夜道に慣れた奴に頼んで、麓まで行ってもらった」
  すると俺の思考を読んだ田神がすかさずそう言った。俺はそれだけで「え、え、誰?」と戸惑ったのだが、田神は「誰でもいい」と一蹴だ。
「とにかく、そういうわけだから、親父さんのことはひとまず心配しなくていい」
「別に家の心配はしてなかったんだけど…」
「しろよ」
  田神はますますむっとしたようになって、俺の髪の毛をぐしゃぐしゃに掻き混ぜた。ただでさえ横になっていてボサボサだったその髪は、田神によってさらにめちゃくちゃなことになった…と、思う。
  けど、俺が今気にすべきなのは、髪型じゃない。目の前の田神だけだ。
「田神…怒ってる?」
「誰に? お前に?」
「もちろん…」
  俺以外に誰がいるんだって感じだけど、田神が急くように訊いてくるんで、俺は律儀に頷いた。だって、田神は声こそ静かな感じだけど、やっぱり全身からイライラモードっていうか、怒ってる感じがひしひしと伝わってきたから。やっぱり俺のこと嫌いなんだって思うと落ち込む。そういえば、もう年って明けたんだろうな。知らない間に年明けしていて、しかも新年早々フラれるって。何ともむごい話だ…。
「ヒデ」
  すると田神はまたダダ漏れな俺の真意を汲み取ったのだろう、いやに大きなため息をついた。そして俺がそれだけでまた泣きそうになると、今度は俺の頬を冷たい手のひらで何度もぺちぺちたたいてから、撫でてきた。俺はそれにびっくりして目を見張った。
  田神の手が冷たかったからっていうのもあるけど、その仕草が凄く優しかったから。
「前にも言っただろ。お前にキレる要素なんて一個もない。俺がお前にむかつくわけない」
「……本当に? でも……」
  ずっと不機嫌な顔しているし、俺がこうして会いに来ても愛想ないし。いや、ありがたい霊山とやらに無断で来ちゃったんだ。やっちゃいけないことをしたっていうのは分かっているけど。
「いきなり連絡なしで行っちゃうから…。俺、迷惑かけたし、悪いことしちゃったって今は反省しているけど、田神、俺のこと嫌いになったのか? 俺がこの犯罪をやらかす前から、もうすでに愛想尽かしてた? だっ、だって、そうじゃなきゃ、急に消えちゃうなんておかしいよ」
「………そうだよな」
  かなりの間があった後、田神がぼそりと返した。らしくもない、凄く自信なさ気な声だ。
  だから俺は余計不安になって、ますます早口になった。
「そうだろ? 変だよ。だって俺たちこ、恋び…と、同士、なのに。付き合おうってなったばっかなのに。佐霧さんは最初、田神がすぐに帰れないなら、田神の力じゃどうにもならないことが起きているのかも、だったらお前が掻っ攫いに行けばって言ったんだ。その後、でも師匠さんがクレイジーな人だから、やっぱ行くのは勧めないって反対もしてきてさ、ちょっと混乱したけど。でも、だから年賀状書くって嘘言って、とりあえず住所聴き出したんだ。だって俺、もう待ってられなかった。掻っ攫ううんぬんはともかく、田神が帰ってこられないなら、俺から会いに行きたいって思ったんだ。だって俺は田神を追いかけるって決めたんだから」
「ヒデ」
「だって俺は、田神が好きだから」
  気づいたら俺は白い息をはーは―出しながら田神に2回目の告白をしていた。嫌われちゃったかもとか思っておきながら、よくもまあ図々しく言えるよ。でも、どうせフラれるならもう一回はっきり告って玉砕した方が男らしいと思う。つまりこれって、自己満足?
  ――で、俺に告白された田神の方は……。
  やっぱり、全然嬉しそうじゃなかった。俺のこと見ないで、畳の目なんか凝視して、難しい顔してる。ああ嫌だ。これは、「いかに相手を傷つけずにフることができるか」を考えている色男の顔だ、間違いない。田神って口は悪いけど、基本自分を好いてくれる人間には優しいと思う。だって予備校でオイタしていた時も、あんなにとっかえひっかえ女の子とエッチしていた(と思う)のに、想われていた女の子たちから恨まれるとか泣かれるとかのトラブルなんか一切なかったもん。皆、納得して、割り切って、田神と付き合えていた。田神が事前にちゃんとそれを言っていたからっていうのもあるだろうけど、きっとこいつは上手いんだろうな、後腐れなく人と別れるのが。
  でも俺はどうかな。田神を憎んだりはできないだろうけど、びーびー泣いて「別れたくない」とかは言いそう。まさに今はそれを口走りそうな5秒前って感じだ。
「俺もヒデが好きだ」
  ただ、俺が泣こうかなって思った寸前、田神がそう言った。俺がえっとなって、いつの間にか俯けていた顔を上げると、すでに田神も俺を見ていた。凄く真剣な目だった。嘘を言っている風には見えない。本気で、誠意を持って言ってくれているっていうのが凄く分かった。
  ところが、俺がそれを喜んでいいのかと僅かな希望を見出した瞬間、田神の口が「けど…」って言ったのを俺は見逃さなかった。
「そうなんだ!」
  だから瞬間、俺は今までの人生で一番の情報処理能力を発揮して、物凄いスピードで田神のその言葉を俺の声でかぶしてやった。
「じゃあ、やっぱり今回の一連のことは俺のただの誤解なんだ、良かった。そうだよな、ここへ来て分かったけど、電話もない、携帯も繋がらないんじゃ、無理にここへ連れて来られちゃったら、連絡なんか取りようないもんな。なら仕方ないよ、仕方ない理由があったんだから、俺も田神のこと、怒らないでいてあげるよ」
「ヒデ」
「あとさ、あの妖怪じいさんは田神が山おりるの駄目とか言ってたけど、高校は卒業しなきゃいけないんだから、3学期になったら、いったんは東京戻るだろ。そしたらまた会えるよな。だから、それまでは寂しいけど、俺も我慢するよ。受験もあるし、センター試験なんてもうすぐだしさ」
「ヒデ」
「あ、受験のことは俺が1人で何とかするし。ヨシヒトはうざいけど、もう一度ちゃんと話してみる。もういい加減、俺たちのこと気にするのやめてくれって。それに勿論、父さんにも話す。京都行きたいって気持ち、分かってもらえるように話してみるよ。父さんって元々そんな分からず屋じゃないし、大丈夫だと思うんだよな。そしたら京都の大学を受験してさ、俺も4月からは田神がいるここの近くに――」
「こっちに来るのはやめろって言おうと思ってた」
「やだ!」
  無理に喋り倒そうとする俺に、今度は田神がかぶしてきてそう言った…から、俺はほぼ反射的に叫んでしまった。それで田神はまたさっと眉をひそめたけど、そういう顔をしたいのは俺の方だと思った。
  田神はひどい。
「…うぅ〜っ!」
  だから俺は田神の胸にパンチした。へなへなよぼよぼの、まるで力のないパンチだったけど。
  田神はそれを無抵抗で受け入れた。それも俺の癇に障った。でももう何も言えない。本当はいろいろ言いたかったけど、今さら登山の汗が大量に目から落ちてくるから、それを拭うので手いっぱいだ。汗臭い男はみっともない。だから汗はこまめに拭わなきゃ。
「ヒデ、ごめんな」
  そしたら、いきなり田神が謝った。今まで聞いたこともない、凄くしゅんとした声で。
「……っ」
  俺はまたまた頭に来て、鼻から出てきた汗も手のひらでごしごしやりながら、声にならない声で抵抗した。
「るさい…っ」
「ヒデを泣かすなんて最低だな、俺は」
「…ぅだっ。そうだよっ。ひどいよ、田神はっ」
「うん」
「うんじゃない!」
「ヒデ」
  田神が俺の頭をまるごと抱きかかえるみたいにして引き寄せてきた。今頃ハグか。こんなの遅い、遅過ぎる。こんなもので許されるわけはない。
「うぐーっ」
  でも俺は田神にひっしとしがみついて、ぐりぐり田神の胸に顔を擦りつけた。こうなったら目と鼻の汗も擦りつけてやる。それくらい、俺はやっても良いはずだ。そういう権利がある。俺のこと好きと言うくせに、「けど」なんて付け足して、俺に京都へ来ちゃ駄目だって言うし、殊勝に謝るし。田神はいつだって不敵で無敵で、余裕な感じで笑っているのが似合うのに。何でこんなションボリして、自分のこと最低って言って、俺のこと遠ざけようとするんだ。
  そのくせ、こんな風に抱きしめてくるんだ。
「お前は分かんなかったと思うけど」
  どれくらい抱き合ったのか分からないけど、暫くしたら田神が言った。
「お前がいきなり家に来て、俺を好きだと言った時な……自分でも呆れるくらい、浮かれた。あの時は、すっげえ嬉しかった」
  俺がぬうっと顔を上げると、田神は上から俺を見つめ返して、困ったように笑った。
「ヒデがいてくれんなら俺は無敵だ。何でもできる気がしたし…実際、ヒデのお陰でできるようになったこともある」
「え…何?」
「例えば、あの妖怪ジジイから1本とるとかだな」
「え? 妖怪ジジイって…今日一緒にいた、あの先生?」
「ああ」
  田神、俺が心の中で呼んでいたあだ名のこと、何で分かったんだろう。正確に言えばジジイ、じゃなくて、妖怪じいさん、だけど。
  ……じゃなくて。
「いや、でも…それに俺って関係ある?」
「大ありだ。お陰で明日は一緒に下山できる」
「えっ!?」
  俺は今度こそ大きな声を出してしまった。
  何だかよく分からないけど、田神と一緒に帰れるらしい? それってどういうことだ。妖怪じいさんは田神が山を下りるのは駄目だと言っていた。俺のことも許さないって。それが何で?
  あ、もしかして「1本取った」ってやつで、何かが免除されたのか!?
  しかし「1本」ってのは、やっぱり剣道でいう面とか小手とか、そういうののことだろうか。
「先生なんだから、妖怪じいさんって強いんじゃないの? つまり、それってもしかしなくてもスゴイこと、だよな? あっ、だからその傷か!?」
「これは…まぁ、そうだな」
「え、でも、えっ…? 田神が妖怪じいさんから1本取れたら、俺は無罪になって、田神も一緒に山を下りられるのか?」
「まぁ俺は送るだけだ。冬休みはこっちにいなきゃいけないから、ヒデが新幹線乗るのを見届けたら、またここへ戻る」
「……あ。そうなんだ」
  やっぱりそうなんだ。冬休みはもう一緒にいられないんだ。がっかりしちゃいけないんだろうけど、やっぱりがっかりだ。
  だって、初詣は? 一緒に合格祈願してもらって、おみくじ引いて、お守りも買いたかった。クリスマスも一緒にいられなかったのに、受験前のこの時期に息抜きデートも出来ないなんて。
「ヒデ」
  俺のそのガッカリを余裕で見て取ったんだろう、田神が申し訳なさそうに殊勝な目をした。
「俺は、どうしたってあの家からは出られない」
  でもきっぱりと言った台詞はそれ。俺がじっと田神を見ると、田神は俺の額を撫でてくれた。
「それをとことんまで悲観したこともない。ガキん頃からいろんなもんを押し付けられて、めんどくせーなと思ったことはあるけど、それならそれで楽勝じゃねーかって舐めてたとこもある。テメエでいろいろ考えなくて済むんだから、ラクチンだろ」
「……そうなのか?」
「俺は怠け者だからな」
  本気なのか冗談なのか、今イチ分からない表情で田神は答えた。
「才蔵は真面目な奴だから、今でもいろいろ抗ってる。だから、お前を使ってこういうこともする。けど俺は、あいつが考えているような大層なもんじゃねェから。不満だの何だの、そういう感情も湧きにくいっていうかな。そういう風に育てられちまったせいかもしれねーけど」
「………」
  俺は田神の言うことを一生懸命聴いた。ばかだから、ちゃんと聴かないと大切なことを取り零してしまう。
  その上で、俺は田神に訊いてみた。
「それってつまり……田神は、家を継ぐことは、押しつけられたことだけど、そんなに嫌じゃないってことか?」
「嫌じゃないな」
  田神は即答した。
「けど、好きだとも思えない。要は、普通だな」
「普通?」
「何も感じないことに近いかもしれない」
「………これは、ちょっと難しい話だな」
  俺の困ったような言い方に、田神は優しい目をして笑った。
「いや、単純だろ。俺はロクでもねぇ奴ってことだ。本当、クソだな。つまんねぇ人生」
「……つまんねぇって…何だよ」
  これには、俺は何だか直ちにモヤッとした。それをうまく表現できなかったから、田神のセリフを繰り返しただけだけど。
  そんな俺に田神は続けた。
「それでな。ここへ来たら、ふっと我に返ったわけだ。散々浮かれやがって、テメエ、そんなつまんねえ人生に、ヒデみたいなイイ奴を……巻き込む気かって」
「え」
  何それ。
  一体どういうことなんだ、田神君。ちょっと意味が分からないんですけど、ばかな俺にもちゃんと分かるように、もっと噛み砕いて言ってくれないかな。
  田神君の「つまんねえ人生」に俺を巻きこめないって、つまりはどういうことなんだ?さっき俺のこと好きって言ったじゃんか。あとたった今、俺のことイイ奴だって。嬉しいな。じゃ、ねーよ、そんな言葉は要らない。だってつまり、そういうこと言うってことはつまり。
  田神は、俺と別れる気なのか。
「……何を」
  俺はカーッと頭に血がのぼった。俺は、普段からそんなに怒る方じゃない。元々親密な人間関係を忌避して生きてきたこともあるけど、生来から争いごとは好まない性質だ。多少相手から嫌だなって思うことをされても、我慢してぐっとこらえる。その性格は、ヨシヒトに浮気されて、その浮気相手と一緒に下校しようなんてふざけたことを言われた時にも見事に発揮された。
  でも、今はあの時の比じゃない。俺自身、戸惑うくらいに身体が熱い。それでいて、冷たい。
  自分自身を抑えられない。
「田神は……」
  そうか。
  田神はヨシヒトよりも、俺よりも。
  それ以上の――。
「大馬鹿だッ!!」
「ばっ…叫ぶな!」
  田神がぎょっとして俺を抑えつけようとした。けど俺はそれに余計逆らって田神を振り払うと、勢いのまま立ち上がり、鼻息荒く田神のことを見下ろした。またじんわりと出てきた目の汗は、この際気づかぬフリをした。
「そういうの、カッコイイとか思ってんだろ!?」
  静かにしろと言われたのに、真夜中なのに、俺は怒鳴らずにはいられなかった。
「俺は田神の家のことは分からないっ。いや、前より全く無知ってことはないよ、分かってきたこともあるし、これからもっと分かりたいって思ってる! でも田神は、俺のそういうのは迷惑なんだ!? 俺のことイイ奴とか適当言って無駄に持ち上げて、そっから俺のことフっちゃうんだ!?」
「ヒデ、頼むから静かにしてくれ」
「嫌だ!」
  俺は地団太踏んでから、さらに田神を睨みつけた。勢いって素晴らしい。何でも出来る気がしてくるし、怖いはずなのにいっそ止まる方が怖いみたいな感覚に陥る。
「大体おかしいだろ! 俺のこと好きとか言っておいて、お前はその、好きでも嫌いでもない、普通とか言っちゃってる家の方を優先するのか!? 何だそれ!? 何、意味分かんないし! ああ、実はあれか!? 俺を好きって言ったのが嘘で、俺なんかホントは普通の域にもいない、どっか圏外の、ワケ分かんない範囲にいる害虫なんだ!?」
「がっ…害虫って何だよ!?」
「あ、間違えた! 害虫って言うのは虫に失礼だから、そう思うのはやめようってさっき思ったんだったっ。そうじゃなくって、つまり俺はただの犯罪者だ! 田神に迷惑かけて足を引っ張る犯罪者! 愚民!」
「ヒデ、ちょっと落ち着け…」
「落ち着けるわけないだろ!」
  俺はがばっと田神に近づいて、その胸倉を掴んでやった。俺の凄みを分からせてやろうと思ったからだけど、田神の度アップを見たら内心ではもうびびった。田神は俺の剣幕に、驚いてはいるようだけど怖がっちゃいないし、力関係でいったらやっぱり俺の方が余裕で下位だ。そんなこと分かり切っている。
  それでも、俺は田神に教えてやらなくちゃならない。
「つまんない人生とか言うなッ!」
  しかもあんな諦めた風に笑ってさ。
「いくら俺が愚民で、田神がデキる奴でも、しっ…失礼だろ!? いやっ、俺だけじゃない、他の、佐霧さんとか、あのモヒカン軍団とか、予備校の女子や街のギャル…っ。とにかく、田神を好きだって言って慕ってくれている人たち皆に対して失礼だ!」
  田神はあの怖い目つきで俺のことを凝視していた。めちゃくちゃ怖い。
  しかし俺も男だ。言うときゃ言うぜ。
「田神は自分だけを馬鹿にしたつもりかもしれないけど、ち、違うと思うっ。現に俺はっ…た、田神のさっきの言葉を聞いて! 自分が! 何か分かんないけど、田神がそう思うのスゴイ嫌だって感じて凄く…凄く、胸が痛んだ!」
「悪い」
「反省はやっ!」
  なにその軽さ。
  思わずがくっときて、俺は田神の胸倉を掴んだまま項垂れた。
  けど田神も適当な気持ちからすぐに謝ったわけじゃなくて、本当に悪いと思ったから咄嗟に口に出たみたいで、俺にされるがままの状態でもう一度「ごめん」と繰り返した。
  だから俺はそんな田神を見上げる為にそろりと顔を向けた。
  そしたら田神が無表情で訊いてきた。
「ヒデは、今ので俺のこと嫌いになったか?」
「きっ…嫌いだったら、こんな怒らない!」
  あっ、もしかして。俺を怒らせて穏便に別れるつもりでこんなこと言ったのか? だったらひどい。それこそ泣いちゃうぞ、俺は。
「あのな、ヒデ」
  すると田神はそんな俺の思考もまた読んだ上で、凄く困った風になりながら、ぐいと顔を寄せた。
  そして俺があっと思った瞬間に、素早く俺にちゅーをした。一瞬の、それはサラッと触れるだけのやつだったけど、田神との本当に久しぶりのキスだった。
「俺が言う順番を間違えたよな」
  俺がそのキスにちょっとボーッとしていると、田神が言った。
「俺はヒデのことが好きでたまんないから、例えお前が俺を嫌いになっても、お前を手放したくない」
「えっ」
「あん時は、才蔵からの伝言が突然届いて焦ってたし、妖怪ジジイがお前の奇声を聞いて何事かって一緒に来たから言えなかった。けど、俺に会う為だけにいきなりこんな所まで来ちまうとか…ホントありえねぇだろ。そんなありえねぇことあっさりやっちまうヒデを見た時、本気で……猛烈に好きだと思った」
  え。
  えーと、つまりそれって?
「あ…あっさりなんかじゃないよ。すげえ苦労したよ?」
  あ、違う。今俺が言いたいのはそうじゃなくて。
「死ぬかと思ったし。途中で水もなくなるしさ。日は暮れるし、ホントやべーって思ったよ」
  それも違う、これじゃただの愚痴じゃないか。
  けど、気持ちと口が噛み合わない俺に、田神は「そうだよな」なんて頷いてくれて、俺のほっぺたを撫でてくれた。
「けど、ヒデは来てくれた」
  そして田神は笑った。
「だから死ぬほど嬉しかった。それこそ、思いきり叫び出したいくらいだった」
「……なら叫べば良かったのに」
「そうだな。そうすりゃ良かったな」
  それでなと、田神はやっといつもの余裕な感じになって、俺の両手にかけられた拘束を解いてきた。ああ俺はまだ田神の胸元を掴んでいたみたい。すっかり忘れてた。
「ヒデ。お前を見た瞬間、俺はこっちへ来て我に返ったと思ったことなんか全部吹っ飛んだ。ホント、一瞬でだぜ。我ながら笑った。確かに、一番の馬鹿は俺だ。一度でもヒデから離れようと思うなんてな」
「…今はもう…思ってない?」
  恐る恐る訊く俺の頬をしきりに撫でながら田神は頷いた。
「ない。なくなったんだ、ヒデを見て」
「ホントに? 別れない?」
「ない。けど、ここへ来た時、1度でもそう思っちまったのも事実だ。……俺を許してくれるか、ヒデ?」
「………」
  それは許せないけど、許すしかないよ。だって好きだから。俺は田神にベタ惚れだから、俺こそが田神から離れられない。何があっても田神を手放せないんだから、許せと言われたら頷くしかないじゃないか。
  でも、そんな好きな恋人をこんなに泣かせたんだから、ちょっとは我がままを言ってもいいかな?
「ちゅ……ちゅーしてくれたら、許す」
「…はぁ?」
「なっ! 何だよ、そのバカにしたような反応ッ! や、やなのか!?」
  自分でも顔が赤くなるのが分かった。しかし、いくら何でも「はぁ?」はないだろ。
  そしたら田神は、俺の非難する目を見て苦笑した。
「いや、嫌なわけねーし。ただ、そんなん俺に甘過ぎじゃねえ?と思って」
「そ、そんなことないぞ。だって、ここ修行場だろ!? 神聖なお寺さんだろ!? そんな所で、そ、不埒な、不純異性交遊とかしたら、バチが当たるかもしれない! そーゆーリスクを負えって言ってるわけだから、俺は!」
  最早自分でも何をまくしたててんのか謎過ぎた。ちゅーを催促した恥ずかしい自分をごまかしたかったし、田神が平然としてるのも癪に触ったし。
  しかし、よく考えたら、俺たち「異性」じゃないし、ましてや「不純」でもないよな。そうだよ、そんな言葉は全く似合わない。
  俺たちほど純粋な愛に包まれている恋人同士がいるだろうか。たぶん、そこらじゅうにいるだろうが、でも、そん中でも、きっと俺たちが一番だ。
「ヒデ。じゃあ、もうしていいか?」
「へ?」
  不意に田神が俺に軽いデコピンをした。びっくりすると、どんどん田神が近づいてきて。
「早くヒデにちゅーしたいんだけど、何か考えてるみたいだから待ってた。それとも焦らしてんの? それが俺への罰とか?」
「ちっ、違うよ! 俺も早くちゅーしたい!」
「だっ…から、声でけぇ…!」
「だって!」
  ちゅーしたくないわけがない。さっきちょっとしてもらったけど、あんなんじゃ足りない。むしろその為に俺はここにいると言っても過言ではない。自分で神聖なるお寺とか何とか口にはしたけど、俺はもう本心ではいっぱいいっぱいなんだからな。 
  本当は、田神とちゅー以上のことだってしたいんだ。

「ネズミのおしゃべりはこちらですか」

  ……けど。
  ああ、けど、やっぱりそこはまだダメだよね、分かっていたさ。
「いい加減にお休みなさい。修学旅行ではありませんよ」
「誰…」
「しっ…!」
  田神に訊こうとしたら、すかさず口を押さえられてしまった。
  俺たちの折角のムードは、その突然の声の主によって思い切り壊されてしまった。
  俺の声がでか過ぎたせいだけど…。ただ、お寺の人だろうか、その謎の人は、特に扉を開けて入ってくるでもなく、優しい声でちょっと注意しただけだったから、小心な俺でも不思議と焦る気持ちは湧かなかった。いつもだったら、今の会話聞かれていたらどうしようとか、無罪になった身とはいえ油断ならないとか思ったはずなのにな。たぶん、それくらい、今の声の人には安心な感じがしたんだろう。謎な人を安心っていうのも矛盾しているかもしれないけど。
「……今のは、あの妖怪ジイイよりも強力な妖怪だ」
  けど、随分と俺の口を押さえ続けていた田神が、やっと離してくれたと思った矢先にそう言った。
「あいつから、明日は寺の人間が起き出す前に下山しろって言われてる。だからヒデも、もう寝ろ」
「えっ…」
  ってゆーか、じゃあ「ちゅー」は?
  なんか田神が変だ。俺は全然危機感を抱かなかったけど、田神はまるで逆みたい。まだ扉の方を気にして、気配を探ってる。あの妖怪じいさんより強力ってことは、つまり今の人が田神のお師匠さんなのか。随分若い声だったけど、師範になるのに年齢とか関係ないのかな。
  まぁそれはともかく、さすがの田神も、先生の息がかかった所じゃ俺にちゅーするのは気が引けるってことか。予備校じゃあんな大胆なことしていたくせに、ちゅーの一つも出来ないなんてさ。ちぇっ。
「…分かったよ。ったく!」
  すると、俺の心の声を正確に読み取ったらしい田神が、何だかやっつけみたいな態度で俺に性急なちゅーをした。たったの一回だけ。
  そして、珍しく不貞腐れたみたいに「妖怪の結界内じゃ集中できないだろ」とか呟いた。
「結界って…」
  でも俺はその台詞に思わず笑ってしまった。
「凄いな。本当にここは、異界なんだな?」
  それで頭にのぼった感想そのままを言ったら、田神は一瞬だけ眉をひそめてから、肩の力を抜いて「そうだな」と同意した。同意して、「だから色々惑わされるし、馬鹿にもなる」と続けて。
「…それでも、いつかはあいつも倒す。だからヒデ」
  田神は俺をぎゅうっと抱きしめて、それから耳元で、「俺の力になってくれるか」と殊勝に頼んだ。
「……当然」
  だから俺もぎゅうっとし返して、あまり動く余地のない田神の懐で頷いた。
  どんな強大な妖怪だろうが鬼だろうが、それは勿論立ち向かえる。当たり前だ。俺だって田神を守ることくらいできる。田神に抱きしめられるのが大好きな俺だけど、その田神に頼られたい想いだって人一倍だ。
  だから、今はそれが叶ったみたいで嬉しい。しかもそのお陰で、今、俺は心から、「俺たちって付き合ってるんだ」って思えた。それに俺も、「田神がいれば無敵だ」って思えた。
  冷え冷えとしているはずの真っ暗な寺の一室が、今はこんなにも暖かく感じる。もう何時間か後にはまた田神と別れなきゃいけない。
  でも、今度は焦らず待てそうだ。
「なぁでも…とりあえず、帰る前に、ちょっとだけでも初詣したい」
  これって今年初のワガママってやつかな。
  そう思いながらも呟いてみて、そうっと顔を上げてみると――どうやら願いは叶えられそうだ、田神の顔を見て、俺は自然と笑顔になった。
  そうして、残りあと数時間の逢瀬を刻みこむため、俺は田神に全力で擦り寄ることに専心した。