―ずっと眠って―


  俊史が帰りの遅い、または全く帰ってこない歩遊の両親の代わりに歩遊の家に寄り着くようになって大分経つ。俊史の家も両親共働きで息子である俊史の干渉が少ないから、それをどうこう言う者もいない。
「まったく、またこんな所で寝てやがって」
  歩遊の両親に信頼されている俊史は、この間家の合鍵を貰った。それを使って当然のように夕食後歩遊の家に上がりこむと、歩遊はリビングのカーペットの上でごろんと横になったまま眠っていた。風呂にはもう入ったのか、パジャマ姿だ。またテーブルの上にはコンビニの弁当に少しだけ手がついていた。いよいよ食事の面倒も見てやらなければいけないかもしれないと思う。放っておくといつもこんな物だけ食べて終わっているから。
「歩遊」
  小さく呼んで傍に座ったが、歩遊はびくりとも動かない。すうすうと気持ち良さそうな寝息を立てている。
「………」
  俊史はそんな歩遊の姿を黙って見つめた。眠っている歩遊にはキツイ顔を見せなくて済むから気が楽だった。別段普段とてキツイ顔など見せなければ良いようなものだが、どうにも幼少の頃から培った習性というのはなかなかに補正が効かないものらしい。それに俊史は歩遊を前にするとどうしても強い口調で責めたくなってしまうのだ。歩遊ののんびりとした態度が気が気でなかったし、こちらの心意をまるで理解していないという鈍感さが時に猛烈にイラついたから。
「……起きろよ」
  心とは正反対の事をまた小さく呟きながら、俊史は歩遊の頭をさらりと撫でた。柔らかい多少癖の混じった髪の毛が指に心地良い。くるくるとその前髪を指に絡めていじると、歩遊がくすぐったそうに少しだけ身じろいだ。
「ふ…」
  その様子がどうにも可愛らしくて、俊史は目を細めて今度はそんな歩遊のほっぺたを指でつついた。いやいやという風に歩遊はそれには寝返りを打ち、俊史から背を向ける。それが面白くなくて、俊史は半ば強引に歩遊の肩を掴むと仰向けの体勢にさせた。
  それからそっと歩遊の上にまたがるようにして覆いかぶさるとその寝顔を真正面から見下ろす。
「ん…」
  歩遊の唇が微かに揺れた。何か口元で呟いたような気もするがよく分からなかった。試しに耳元に唇を寄せて「何だ?」と訊くと、歩遊は掠れた声ながらも従順に答えた。
「シュウさん…」
「!」
  その言葉に俊史の背中がさっと凍った。
「……歩遊」
「……ん」
  自分の呼びかけに答えているのに、歩遊が夢で見ているものはあのシュウなのかと思うと俊史は怒りで鳥肌が立った。歩遊をそれこそ幼い頃から想い慈しんできたのは自分であり、あんな得体の知れないモノに歩遊の気持ちが揺れているのかと思うと我慢できなかった。
「バカが…」
  俊史はそう毒づいてから、まるで罰のように歩遊に啄ばむようなキスを与えた。何度かちゅっちゅと軽く繰り返す口付けに歩遊が「ん」と鼻から息を漏らすのが聞こえた。それでも、起きて気づかれても構わないというくらいの勢いで俊史は歩遊に何度も何度も触れるだけのキスを続けた。
「ん…んッ」
  歩遊が苦しそうに顔を背ける。その仕草にもかっとして、黙らせるように股間に手を伸ばした。
「あ…っ」
  歩遊がそれに敏感に反応を返すと、俊史はゾクリと震え、調子に乗ったように絹ごしからその愛撫を続けた。
「あっ…ぁ…んッ…」
「歩遊…っ」
「あ…俊ちゃ…ッ…?」
  すると、不意にぱちりと歩遊が目を開いた。ぎくりとして咄嗟に離れると、歩遊ははあはあと荒く息を継ぎながら、驚いたようにぱちぱちと何度か瞬きした。
「あ…?」
「………」
  事態を飲み込めていないというような歩遊に俊史はどきどきと逸る心を努めて知られないようにしながらじっとその顔を見つめた。歩遊がその視線に気づき、今度こそ面食らったようにがばりと起き上がる。
「あっ…? 俊ちゃ…!?」
「こんな所で寝るなよ。風邪引くだろ」
「あれ…? あ、何…今…」
「まだ22時だけどな。眠いなら寝ろって」
「あ、うん…。ごめん…」
  咄嗟に謝るのは歩遊の癖のようなものだ。乱れた髪の毛をそのままに、歩遊は暫しぼうと俊史を見つめ、それからはっとして「わあっ」と声を出した。
  俊史の前で熱く昂ぶった自分のモノに歩遊は今更気づいたようだった。
「な…な…」
「やらしい夢でも見てたのかよ」
「ちが…っ。ど…わっ…」
  どうにもできなくて股間を抑え狼狽する歩遊に、俊史はひどい罪悪感に苛まれながらもふいと目を逸らした。
「いいからトイレ行って来いよ」
「う、うんっ…」
「………」
  内股になりながらリビングを慌てて出て行く歩遊を俊史は表情を翳らせ見送った。
  一体いつまでこんな事を続ける気だろう、自分は。
  幼い頃から全く進歩していない。眠っている歩遊にしか優しくできない、眠っている歩遊にしか触れられない。キスなんてもう何度もした。体にも何度も触った、愛撫もした。
  それなのに自分を直視する歩遊にはいつも意地ばかり張ってしまうのだ。歩遊はあの時、確かに自分の事を好きだと言ってくれたのに。
  どうしても信じられない。今まで自分のしてきた事を思うと俊史は歩遊には嫌われて当然だと思っていたから、実は歩遊が自分に好意を寄せてくれていたなどという事は、そう簡単に受け入れる事はできなかった。本当は叫び出したいくらいに嬉しかったくせに、今イチ素直になれないのだ。
  歩遊の亡くなった祖母は「あんた達は両想いなのよ」と、事あるごとに言ってくれていたけれど。
「こんな俺じゃな…」
  俊史ははっとため息をついた後、ソファに寄りかかり呟いた。
  歩遊が好きだ。
  どうしようもないくらいに好きだった。
  けれどそれをどう表現したら良いのだろう。
「歩遊……」
  俊史は歩遊の去っていった方向を意識しながら、重いため息と共にすっと目を閉じた。