―ライバル?―


  歩遊は「苛められている」とまではいかなくとも、クラス内では明らかに「浮いている」存在だった。元々が照れ屋で臆病な上に、幼少時より幼馴染の俊史によって洗脳された「自分は駄目な奴」という自信のなさが、歩遊を1人の殻に閉じ込めさせていた。
  また、クラス内でも歩遊は「あの」瀬能俊史に「いつもバカにされている奴」というマイナスなイメージが強かったから、ただでさえ常に下を向いてうじうじとしているような歩遊に敢えて近づこうとする者も皆無だった。
  その風向きが少しばかり変わったのは、歩遊が初めて俊史と別々のクラスになった高校2年の夏前だ。
  新しいクラスになっても歩遊の性格や評判が変わるわけはないから、早々すぐに新しい友人など出来るわけはなかったのだが、シュウという不思議な青年との出会いを通して少しだけ明るさを取り戻していた歩遊は、自身でも分かるほどに珍しく心が安定していて、実に穏やかな気持ちで日々を送れていた。俊史が「あの事件」以降、歩遊に少しばかり親切になっていたのも、好材料のひとつだった。
  そしてそんな歩遊をずっと見ていた人間が他にもいた。
「相羽!」
「え…?」
  放課後、いつものように俊史を待つ為図書室へ移動しようかどうしようか考えている歩遊にその声は掛けられた。
「太刀川(たちかわ)君…」
「おい、いつも『耀(よう)』でいいって言ってんだろ」
「あ…う、うん…」
  歩遊の前の席の机に寄りかかるようにして耀と名乗ったクラスメイトはにっと白い歯を見せて笑った。こざっぱりとした短髪の耀は背も高く身体つきも細身の割に肩幅などはがっしりしていて、如何にも健康優良児という風体をしていた。また彼は学級委員長こそしていないが、文化祭実行委員や体育祭時の応援団長など、いわゆる「お祭り」的な行事には絶対に引っ張り出される文字通り「みんなの人気者」だった。
  そんな耀は相手がクラスの外れ者である歩遊だろうが誰だろうが、いつでも分け隔てなく接してくる気持ちの良い男子生徒なのだ。
「帰んのか? 俺もなんだけど。なら一緒に帰んない?」
「え?」
  そんな台詞をクラスメイトに言われた事がただの一度もない歩遊は、驚きのあまり暫し自席の前でボー然と立ち尽くしてしまった。
  耀は歩遊とは出席番号が前後で近い為、元々同じクラスになったはじめの頃からよく気を遣って話し掛けてくれていた…が、いつでも周りに人が絶えない彼が歩遊を誘ってきたのはこれが初めてだった。それに耀は部活に入っているからこんなに早く帰る事など有り得ないのに。
「どした? 嫌か?」
  何も答えない歩遊に耀が少しだけ困ったような顔をした。
「耀ー。帰ろうぜー」
  その時、教室の入口からいつもの仲間たちが声を掛けてきた。耀と同じサッカー部の男子連中だ。今日は練習がないのだろうか、そんな事をぼんやりと考えている歩遊に、しかし耀は顔だけ廊下の方へ向けてあっさりと言った。
「俺、今日はパス! 先帰っていいよ!」
「えー何で」
「マック寄って帰ろうぜー。カンジのおごりでさあ」
「何で俺だよ!」
「ははは」
  仲間たちのおちゃらけたような会話に愛想良く笑った耀は、それでも寄りかからせた腰を浮かせようとはしなかった。軽く腕組をしたそれを解く事もなく、「とにかく今日はパスなんだよ」とつれない返事だ。
「………」
  珍しく付き合いの悪い友人に多少不服めいた顔をしつつも去って行く彼らを歩遊が目で追っていると、耀は声色を変えて言った。
「つーわけで、一緒に帰ってくんなきゃ俺1人なんだけど」
「あ…」
「な。かえろ」
「なん…」
  何故と問いかけようとして、けれど歩遊は口を噤んでしまった。
  理由なら分かる。新しいクラスになっていい加減何ヶ月か経とうというのに、一向にクラスの中に溶け込めない歩遊。もうすぐ体育祭もあるし、その中心人物の耀としては少しでも歩遊をクラスの輪の中へ引っ張り込む算段なのだろう。
  ただその割に、耀があのサッカー部の仲間たちも交えて一緒に帰ろうと言い出さなかった事は、意外だったが歩遊には幸いだった。あんなに大勢と一緒に歩いたら萎縮して仕方がない。
  いや、どちらにしろ一緒に帰る事はできないわけだが。
「あの…」
「ん?」
「あの、ごめん。僕、まだ…帰れないんだ」
「何で?」
  何故かこの時の耀は歩遊に「何故」と訊きつつも、別段驚いた顔はしていなかった。どこか訳知り顔のように単調に問い質すその様子はいっそ不自然だった。
  勿論、歩遊はそんな事には気づいていないが。
「あのさ…待ってるから…」
「誰を?」
「え…。あの、瀬能君…」
  こんな事をバラしても大丈夫だろうかと、歩遊は少しだけ心配だった。1年の秋から生徒会副会長をしている俊史はいつも大体放課後は生徒会の仕事がある。それも大分遅くまでこなしているようだから、歩遊と一緒に帰る時は大抵生徒の数もまばらだった。だから、同じ生徒会の人間である戸辺や他の役員には2人が一緒に帰っている事は知られているかもしれないが、クラスの人間にこれを知っている者はあまりいないと思われた。
  だから不安だったのだ。
「知ってるよ」
  けれど耀はあっさりとそう言った。驚き顔を上げる歩遊を楽しそうに見つめる。
「知ってるって言ったの。最近よく1組の瀬能と帰ってるなぁって思ってた。けどさ、あいつは今日も生徒会で遅くまで居残りだろ?」
「う、うん」
「だったら先帰ってもいいんじゃない? そんな毎日律儀に待たなくてもさ。その間、暇だろ?」
「別に…そんな事は…」
「一緒に帰りたいの?」
「え」
「だから。瀬能と」
  耀は言いながら、ふっと顔を下に向けて、唇にはまだ笑みを残したままさり気ない調子で続けた。
「俺、前から思ってたんだ。相羽、瀬能とは昔馴染みみたいだけど、親友って感じではないよな」
「………」
「はっきり言ってバカにされてんだろ。見下されてる」
「………」
「傍から見てすげー分かるよ、それ。他の奴らだってそう思ってるよ。あいつ、一応このガッコん中じゃかなり発言権あるっていうか、どっかカリスマみたいなとこあるじゃん。だからそんな奴に冷たくされてる相羽はどうしたって立場悪い。でもお前はただあいつに大人しく従ってるしさ。何なんだろうなって思ってた」
「………」
「平気なの。相羽は」
「何が…」
「何がって。ああいう態度取られてさ。無理やり待たされて一緒帰っても楽しくないだろ? お前、もうちょっとあいつから距離取ったら?」
「別に無理やりなんかじゃないよ」
  これだけははっきり言わねばと思い、歩遊はしっかと顔を上げて耀を見つめた。俊史に「これからは帰りは俺を待て」と言われた時、それがたとえ幼馴染ゆえの面倒見の良さだったとしても何でも、歩遊には嬉しかったのだ。
  だからこそ、本当はシュウにもう一度会いたいのも我慢して磯城山にも行っていない。
「でも対等じゃない」
「え…」
「全然対等じゃねーよ、お前ら」
「な、何で…っ」
  そんな事、耀には関係ないではないか。
  さすがの歩遊もむっとした。生来のものなのだろうが、耀の時としてお節介というか過剰な干渉は歩遊には苦痛でしかなかった。
  それが何だかひどい同情のような気がして。
「……なあ」
  言葉には出さずとも歩遊の気持ちが分かったのだろうか。耀は多少がっかりしたような顔をして項垂れた後、組んでいた腕を解いてそのやり場のない両の拳をぱちんと叩いた。それで歩遊がびくりとすると、すぐに慌てて笑顔を見せたが。
「悪い。何かうるせーよな俺。ごめんな」
「……いいよ」
  カバンを肩に掛けて教室を出ようとする歩遊に、けれど耀はここで初めて切羽詰まったような顔を見せた。
「あのさ、相羽…っ」
「……?」
  歩遊がくるりと振り返ってその顔を見ると、目の前の耀は困ったように一瞬だけ躊躇してから、やがて制服の尻ポケットから携帯を取り出し、言った。
「相羽のさ。携帯の番号とメルアド…教えて」
「え?」
「駄目?」
「う、ううん…」
  忙しい両親に高校入学の時に買ってもらった携帯は、殆ど使われる事なくいつもカバンの奥底に眠っていた。誰も歩遊に番号を訊いてくれた事などない。せいぜい俊史が「使い走りに使うから」と無理やり取り上げて番号を自分の携帯に入れたくらいで。
  その俊史だって滅多に携帯に掛けてくる事などない。
  少しだけ胸が逸って、歩遊は慌ててカバンからそれを取り出した。
「カッコいいじゃん」
  購入して1年以上経ち、既に旧式になってしまっている歩遊のメタリックブルーの携帯を耀は誉めた。使い方が分からないと言うと何故か嬉しそうに笑い、「貸して」と言って俊史がやったように番号を勝手に見て自分のものに登録していた。
「俺、前からさ。お前ともっと話したいって思ってたんだよ」
  携帯を返しながら耀が言った。
  歩遊が何とも答えられずにいると耀は笑った。
「相羽は俺の周りにいないタイプだし。そもそも俺と正反対の奴だし。けどさ、何話していいか分からなくてあんま話し掛けられなかった」
  どう答えて良いか分からず途惑う歩遊に、耀は畳み掛けるように言った。
「今度からさ、歩遊って呼んでいいか?」
「え…?」
「可愛い名前だよな。俺、好き」
「……か、可愛いって……」
「あ! や、嫌だったか? ごめんなっ。けど前から思っててさ」
「あっ…。べ、別にいいよ。僕、この名前…」
  何故か猛烈に慌てたようになる耀に歩遊も焦って早口になった。
  そして何だか無我夢中で喋っていた。
「自分でもこの名前気に入ってるんだ。死んだおばあちゃんがさ、くれた名前だから」
「……へえ。そうなんだ」
「うん。勉強なんか出来なくていいから、楽しく遊べる子になれって。それから、しっかり歩いて行ける子になれって」
「………」
「あは…。その割に全然そんなになってないけど」
「……んなの。これからそうなればいいじゃん?」
「うん…」
「ははっ」
  妙に落ち込んだようになる歩遊を耀は元気づけるようにして笑った。
「俺はてっきり遊び歩いちゃう不良にでもなれって意味があんのかと思ったよ」
「そ、そんなわけないよ…っ」
「ははっ。だよなー」
「……ふふ」
  陽気に笑う耀の笑顔につられ、歩遊もようやくほっとして笑った。
  眩し過ぎる耀は時に歩遊には苦手にも感じられたけれど、やっぱりクラスの人気者は違うなと思った。こんな風に自分が誰かと仲良く話せるなんて、驚きだ。全部耀のお陰だと思った。

「歩遊!」

  けれど2人の間に流れたその穏やかな空気を切り裂くようにして。
「あ…」
「瀬能…」
  歩遊と耀が同時に声のした方向へと目をやった。
  いつからいたのか、カバンを肩から下げた俊史が内で静かに怒っているような迫力ある雰囲気を漂わせて教室の入口付近に立っていた。
「俊ちゃん…?」
  どうしたのだろう、まだ帰る時間ではないはずなのに。偶々通りかかったのだろうか。歩遊が途惑ったようにその場に佇んでいると、まくしたてるように俊史がキツイ声を発した。
「何してんだ。帰るぞ」
「え、でも…」
「歩遊!」
「わ、分かった…!」
  その、「つべこべ言わずに従え」といういつもの態度に歩遊はびくんと震え、すぐさま廊下へ向けて小走りに駆けた。何故だか分からないけれど俊史が不機嫌だ。きっと自分が何かやらかしたせいだろうが、これ以上怒って欲しくなかった。
「歩遊」
  けれど、そんな歩遊が俊史の元に辿り着いたその時だった。
「歩遊。じゃあ、また明日な!」
「あ…」
  慌てて振り返ると、そこには未だ窓際近くに立った耀が明るい顔をして手を挙げていた。思わず歩遊にも笑みが戻り、「うん」と頷くと耀はもっと嬉しそうな顔をした。
「今夜さ、メールするな!」
「え…う、うんっ」
「歩遊もくれな!」
「うん」
「歩遊!!」
「あっ!!」
  しかし2人の会話はここまでだった。
「俊ちゃ…っ!? 痛っ…」
  突然歩遊の手首を掴んだ俊史が有無を言わせぬ動作で歩き始めたのだ。ぐいぐいと歩遊を引っ張り、廊下に出るとそのままわき目もふらずに階下の昇降口へと向かう。歩遊はただそんな俊史に翻弄され、半ば絶句したままその怒りに満ちた背中を見つめた。
「俊ちゃん…?」
「……っだ、あいつ…!」
「え?」
「何なんだあいつは!!」
「え…太刀川君…?」
「知ってんだよそんな事はっ。お前のクラスでいつも目立ってる奴だろ!!」
「………」
  階段の所でも俊史は乱暴だった。歩遊は転がり落ちそうになるのじゃないかと気が気ではなく、必死に足をもつれさせないようにしながら俊史に引かれるまま前へ進んだ。
  だから俊史に怒っている理由をどうしても訊けなかった。
「…っざけやがって、何がメールだ…! 下心丸見えの顔してよ!」
「わっ…俊ちゃ、待っ…」
「お前もお前だ! あんなのと嬉しそうに喋ってんじゃねーよ!」
「え? あ、待ってよ危なっ…」
「帰ったら携帯見せろ、歩遊! 俺の知らない間に…くそっ!」
  ぶつぶつと低い声で、けれど吐き出すように声を荒げる俊史に歩遊は答えられなかった。
  ただじんじんと痛い手首と急な足元にだけ注意を払い、歩遊は必死に俊史に従った。

  歩遊が「家に帰ったら俊ちゃんにやっとできそうな友達…太刀川君の話をしよう」などと呑気に考え始めたのは、校門を出て暫くしてからの事だった。