―お墓参りと同じこと―
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学校帰り、歩遊は華やかな街並を横目で流し見ながらそっとため息をついた。 季節も2月を過ぎると、世の中はすっかりバレンタインムード一色である。学校もその話で持ちきりとなり、クラスの女子などは「誰にあげる」か、「どのくらいあげる」か、或いは手作りにするか、チョコ以外にも何かプレゼントをつけるか等々と……とにかく大騒ぎだ。勿論、それに一喜一憂する男子生徒達も忙しない事この上ない。 そして歩遊自身も。 本来なら、毎年バレンタインデーは心躍らせる行事の一つである。女の子からチョコが貰えるかもしれないなどと淡い期待を抱いているわけではない。単純に甘い物に目がない歩遊は、この時期ありとあらゆる店舗に並ぶ色とりどりのチョコを自分で買うのが楽しみなのだ。だから毎年この時期になると、歩遊は残ったお年玉を持ち、嬉々として地元の有名デパート店へチョコレートを漁りに繰り出す。 そして、それにはいつも俊史にも同行してもらっていた。 俊史も歩遊も、年頃の高校生が思いそうな「女の子ばかりの売り場に行くのは恥ずかしい」といった感情は何故か希薄だった。そういうところは割と無頓着というかで、「欲しい物は欲しい」と、どんなに競争の激しい売り場であろうとするりさらりと潜り込んで目的の物を買って行ける。 俊史はそういう歩遊を「食い意地だけは張っている」と半ば呆れ気味に見守るのだが、気づくとさり気なく自分も有名店の品を買っていたりして、「ついでだから」と歩遊にそのお裾分けをくれたりする。 勿論、歩遊も付き合ってもらったお礼として、俊史には自分が買ったチョコを何個か渡したりする。 それが、2人の毎年のバレンタインデーである。 「ねー。瀬能君って甘い物が苦手って本当!?」 けれどある日の昼休み、歩遊がクラスメイトの太刀川と談笑していると、同じクラスの女子が半ば悲鳴のようにそう叫ぶ声が耳に入ってきた。 「本当らしいよ。ビターなら大丈夫かもだけど…。去年とかも仕方なく受け取ったって噂あるし」 「あーそれは言えてるかも。去年、一応渡した全員から受け取ってくれてたけど、何かあんまり嬉しそうじゃなかったしねえ」 「本命がいるから、それ以外は迷惑なんじゃない?」 「それってやっぱ戸辺君!?」 「勿論!」 キャーと一斉に黄色い声をあげながら、数人の女子たちは何やら既に違う方向で盛り上がっている。 歩遊がそんな彼女たちを何となく見やっていると、「歩遊」と太刀川が探るような目を向けてきた。 「ホント?」 「えっ。な、何が?」 歩遊がそれにハッとし慌てて視線をやると、太刀川はそんな歩遊の前席の机上に乗った格好のまま、何やら考え込むように腕を組んだ。 「瀬能が甘い物苦手って話」 「あ……ううん。分からない…」 それは歩遊自身、あまり意識していない事だった。 元々俊史は昔から食べ物に関して好き嫌いを口にした事はなくて、そもそも食事というそのものに淡白なところがあった。だから歩遊自身は俊史に自分の好物や苦手な物をしっかり把握されているものの、俊史の食の嗜好については甚だ不明瞭だった。 それでも。 そう、どちらにしろ―…今年の俊史には、戸辺がいる。 (幾ら毎年あげてたからって…。そこにそういう意味がなかったからって…。迷惑、だよね) 勿論歩遊は心の中で「好きな俊史にチョコをあげる」という想いを持って毎年チョコレートをプレゼントしているが、俊史のあれに特別な意味などないだろう事は分かっているつもりだ。俊史が歩遊に施してくれるそれはいつでも「ついで」か、何らか別の理由がある時だけ。妙な勘違いをしてはいけないのだ。 「歩遊」 「えっ」 またぼうとしていた歩遊を太刀川が呼んだ。その表情はいつもの快活なそれではなくて、どことなく何かを企んでいるような、ちょっとだけ意地の悪いような色を放っていた。 「よ、耀君…?」 どうしたの、と聞こうとして、けれど歩遊がそう言う前に太刀川は口を切った。 「歩遊ってさ。瀬能にチョコレートあげたりするの?」 「えっ…」 「いやぁ…何か。そういう事するのかなって思って」 「な、なんで…?」 「何となく」 そんな気がしただけ、と言う太刀川は、けれどその「予想」の答えを知りたくて堪らないという顔をしてニヤリと笑った。 「べ、別に…」 歩遊はすっかり困って下を向いたものの、その途端、また遠くの方から女子たちの声が聞こえてきた。 「ねー、でもさ。瀬能君、戸辺君から貰うんなら、マジで私たちのチョコなんか邪魔かなあ? お返しとか、考えるのも大変かもだし」 「そうだよねー、あんまりうざいとかって思われるのもねー」 「相手いる人にあげてもねー」 俊史は毎年女の子から、いや実は男からもそれなりの数のチョコレートを貰ってくるが、いつもいつもそれを歩遊にひけらかしては「迷惑だ」と確かに言っていた。面倒臭いし、お前は気楽でいいよななんて言われて、バカにしたように笑われた。 歩遊はその度俊史は凄いなと思いつつ、それでも自分も俊史にはチョコをあげたいと思っているから―……。 だから、実際毎年恒例のデパートに付き合ってもらえるかと訊いて頷いて貰えると、とても嬉しくてほっとしてしまって、いつも俊史の「迷惑」には考えが及ばなくなってしまった。 それで、そのまま俊史に「はい」と自分からのチョコレートを渡していた。 (でも今年は……やっぱりもう、止めようかな) もう以前よりもずっと、歩遊は俊史の事を好きになってしまっている。毎年あげている「好き」の気持ちよりも大きくて特別なものになっている以上、そしてそんな俊史に戸辺という存在がいる以上、自分はもう幾ら幼馴染とはいえ勝手な我がままをしてはいけないと思った。 「なー歩遊。俺はね、甘い物大好きだよ?」 その時、何を思ったのか太刀川が突然そんな事を言った。歩遊がえっと思って再び俯けていた顔を上げると、太刀川はにっと軽快な笑みを浮かべて楽しそうに笑った。 「だから。この時期は実は凄い楽しみ。俺、結構自分で買っちゃったりするもん。うまそうなの見つけると」 「えっ」 太刀川なら自分で買わずとも、「耀ファンクラブ」を名乗る女の子たちからたくさん貰えるだろうに。 歩遊が意外だという顔をして黙っていると、太刀川は「それに姉ちゃんに頼まれるし」とわざと苦い顔をしておどけて見せた。 「うちの姉貴、この時期は大抵去年と違う彼氏になってるんだけどさー。その彼氏が喜びそうな物どれだと思うっつって俺を無理矢理売り場とかへ連れて行くんだよ。ホント迷惑な話」 「へえ…そうなんだ」 それでも姉弟で売り場へ行くというのもまた楽しそうだなと一人っ子の歩遊は思ってしまう。そう、何にしろあのバレンタインデー特設会場というのは、本当に面白い所なのだ。だから歩遊は単純にあの雰囲気が好きだし、誰かの為に一生懸命品物を見ている人々と自分が混ざるあの瞬間も好きだと思っている。 「でも楽しいよね」 だから思わずそう言ってしまったのだが、すると太刀川は途端ぱっと明るい顔をすると「じゃあさ」と弾んだ声で言った。 「今年は交換こしようか!? 俺が買ってきたのと、歩遊が買ってきたの」 「えっ……」 「歩遊がどーゆーの選ぶか興味あるし」 「………」 それは俊史と歩遊が毎年やっている特別な行事。 歩遊はそれを咄嗟に思いながら、けれどそれでも、それ程悩まずに頷いていた。 「うん。いいよ」 「ホント?」 「うん。あの…実は僕も、毎年買いに行ってるんだ。美味しいの、いっぱい売ってるし」 「ははは! 知ってるよ。だからこの話したんだもん」 「え?」 「歩遊が有名店の穴場商品とか詳しいってさ。俺、これでも瀬能とは違う情報網持ってんだぜ?」 「え、え?」 それは一体どういう情報網……とは、思いつつも、そこで午後の授業の予鈴がなり、そのままその話は終わってしまった。 太刀川とチョコの交換をする。それはそれで、またとても楽しそうだとは思うけれど。 (特別な意味なんかないもんな…。それに、俊ちゃんとは、今年はもうやらないんだし……止めるんだし) そんな事を思いながら、歩遊はふっとため息をつき、午後の授業のノートを机の上に出した。 「歩遊。お前、気が早いな」 そんな事があった日の夜。 いつものように歩遊の家に夕食のおかずを持ってやってきた俊史は、生徒会の仕事は疲れると愚痴りながらまずはリビングのソファに腰を下ろした。 そうして自分の買ってきた物をあたふたと台所へ運ぶ歩遊の背に、俊史はどこか意地の悪い声で言ったのだ。テーブルの上に置いてあった何枚かのちらしを掲げて。 「これ。今年はいつもの所へは行かないのか?」 それは例年歩遊が俊史に付き添ってもらうデパート以外の店が出したバレンタインデー用の広告だった。俊史は気が早いなどと言っているが、もう2月だ。何処の店も集客に必死なのは明白で、歩遊がいつも行くデパート内の有名店舗以外にも、近隣の個人洋菓子店はこのようなちらしを多く街角で配布していた。 今年は俊史といつものデパートへ行く気のない歩遊は、だからそこかしこで配っていたちらしを何となく貰っては、耀の為のチョコレートはこれらのうち何処かから買おうと考えていた。 何だか自分の分は買う気が失せていた。 「いつも色んな店をいっぺんに覗けるから、あのデパートがいいって言ってただろ」 しかしそんな歩遊の気持ちを知らない俊史は不思議そうだ。しかも歩遊の「研究熱心」さに呆れているようではあるが、どことなく機嫌も良い。今日は良い事があったのかなどと歩遊は心の中で思っていたが、よせばいいのに余計な事を口にしてしまった。 「俊ちゃんは…戸辺君にあげたりするの。その…チョコ」 「はあ? ……まあ、あいつが欲しがればな」 俊史は一瞬白けた声を出したものの、歩遊の質問には何事か考えた挙句そう答えた。 それからまたいつもの厭味っぽい口調で続ける。 「そういやあいつも張り切ってたよ。お前と違って料理とか得意だしさ。自分でオリジナルの作ってみようかななんて言ってたぜ?」 「そう…なんだ」 「お前もあいつくらいとまでは言わなくとも、ちっとは自分で作ってみようとかは思わないわけ? 俺、毎年お前から貰ってるけど、手作りって一回もないよな。毎年あんな煩ェとこ付き合ってやってんのに」 「………」 「……ま、不器用なお前にそんなもん期待しても無駄だと思うけど」 「うん……僕は……作っても、まずくなっちゃうから……」 「……そうだな。不味いもん貰っても迷惑なだけだしな」 「うん……」 自然声がくぐもってしまったが、幸い俊史とは距離があった為落ち込んだ顔は見せずに済んだ。 しかしやはり。戸辺は俊史にチョコレートをあげるのだし、俊史もそれに対して「当然」と思っていて、それが嬉しいのだなと思った。 加えて、自分とのあの買い物はやはり「仕方なく」だったのだと。 「歩遊」 しかしその時、しょんぼりと猫背になる歩遊に俊史が凛とした声を掛けてきた。歩遊の顔が見えなくてもどこか暗い様子は感じ取ったのかもしれない。不審な顔を向けながら手にしたちらしをひらりと振る。 「―で、結局違う店に行くのか? 何処狙いなんだよ、今年は?」 「……あ」 慌てて振り返り、歩遊はそんな俊史に困ったような顔を向けた。確かにこの時期にはもう大体「一番のお目当て」は決めていて、バレンタインデー前の休日には俊史にどこそこのこれが一番食べてみたいと言う話を嬉々としてしていた。 何も知らずにただはしゃいで。 けれど今年は俊史にその話は一切していない。まだきちんと「今年も一緒に行って」との誘いも掛けていなかった。 俊史がついてきてくれるのはもう何だか毎年の決まり事のようになっていたから、特別それを意識していたわけでもないのだが。 「……何呆けてんだよ」 黙り込む歩遊に俊史が「おや」という顔を見せた。 「行く所。まだ決めてないのか?」 「う、うん。今日貰ってきたし、そのちらし……」 「珍しいな。欲しいなら全部買えばいいだろ」 「………」 「金、足りないのか?」 「そ、そんな事ないよ」 違う方向に勘違いしている俊史に歩遊は慌てて首を振り、それからまた誤魔化すように背中を向けた。わざと買い物袋をがさがさとやって品物を取り出し、必要な物を冷蔵庫にしまう。 するとまた俊史が棘のある言葉を投げてきた。 「どうでもいいけど、行くならさっさと決めておけよ。俺だってどこの休日空けておいてもいいってわけじゃないんだからな。当然ついてくるみたいに思われるのは迷惑だぜ」 「あ……っ」 俊史のそれに歩遊は弾かれたように顔を上げた。 今年は誘っていないけれど、やはり俊史の方も「毎年の慣例行事」という事で、自分に付き合ってはくれるつもりらしい。 俊史は自分の為に時間を取ってくれるつもりなのだ。 今年はもういいときちんと言わなければ。 「あ、あの……俊、ちゃん」 気が急いたせいもあり、歩遊は自分の考えがきちんとまとまらないうちに焦って声をあげた。 「何だよ」 そうとは知らない俊史は怪訝な顔をして視線をキッチンにいる歩遊へと移す。 歩遊はその射るような強い眼差しからは目を逸らして、オドオドと口を開いた。 「あの…あの、今年は、いいんだ。付き合ってくれなくて」 「は?」 「だから…っ。あの、いつもの、デパート。一緒に行ってくれなくて、いいよ…」 そもそももう子どもではないのだし、毎年一緒にチョコレートを買いに行くのだって、今思えばおかしな話だ。元はと言えば歩遊たちがもっと小さい頃、歩遊が美味しそうなチョコがたくさん売っているから買いに行きたいと言った時、忙しい両親の代わりに「お前1人であんな戦場へ行くのは心配だから」と言ってくれたのは俊史だった。あれは小学校の高学年にあがったばかりの頃だったろうか? いずれにしろ、それを機に歩遊はいつも俊史についてきてもらうのが当然となっていて、俊史も仕方ないと言いつつ、ついていくのが習慣化していて――。 「……何だよ。今年はやっぱり近場のこういう店に行く事にしたとか?」 俊史が面白くなさそうに言うと、歩遊はハッと我に返り、慌てたようにふるふると首を振った。 「ううん、それはまだ決めてない。あっ、でも…多分そうなると思う」 「ふうん」 どこか釈然としないものを感じたようだが、俊史は暫し黙ってそれ以上は何も言おうとしなかった。 ただ、その後夕飯の支度を始めて一緒に食卓についた頃には、何故か俊史の機嫌は最高潮に悪くなっていた。 家にやってきた時には、明るい様子だったのに。 「………」 しんとした食卓を2人きりで囲むのは息苦しい。かと言って自分から声を掛けられない歩遊は、思い余って気を紛らわせる為にテレビをつける事にした。 《ご覧下さい、もう街はバレンタインムード一色です!》 「……っ」 しかし何というタイミングだろうか。ブラウン管の向こうのリポーターは嬉々として明るい街並の向こうに広がる甘い特設会場を指し示し、今年の流行はどうだとか、最高金額のチョコレートはダイヤよりも高いんだとか、半ば興奮したようにぺらぺらとハイテンションで喋りまくっていた。 「……煩ぇ番組」 ぼそりと俊史が呟いた瞬間、だから歩遊は慌ててテレビのスイッチを消した。 再びしん、とした空気が部屋の中に充満する。 「あ、あの…」 「歩遊」 けれどそれを何とか打開しようと口を開きかけた歩遊に、逆に俊史の方が言葉を出した。 そしてばしりと手にしていた箸をテーブルに置き、真っ直ぐとした視線を向けてくる。 「何でだ」 「え…?」 「何で今年は一人で買いに行くって決めた?」 「え…何でって…」 「何で店変える? いつものあそこなら大体の有名店は網羅されてるだろ。……何考えてる?」 「な、何って…。別に、何も」 思い切り嘘である。 どうしてか歩遊の「異変」は俊史にはすぐにバレてしまう。普通に考えればいつものデパートに行かないとか、今年は俊史についていってもらわなくてもいいとか、歩遊がそう言ったところで勘繰られるいわれは全くないだろう。大体にして俊史とて毎年面倒だと言っているのだ。今年は遂に付き合わなくて良くなったと、ラッキーと喜んで放っておけばいい話ではないか。 けれどきっと俊史は自分が落ち込んでしまっている事に気づいているのだ。だからこんな風に訊いてくるのだ……と、歩遊は素直にイイ方向へ解釈した。 「あの…」 だから観念して正直に言う事にした。 「別に何考えてるってわけでもない、けど…。もう、迷惑かなって思って」 「何が」 「だから…毎年、俊ちゃんにあそこの特設売り場に付き合ってもらうの…。もう悪いなって思って。あんな混んでる所、俊ちゃんにも迷惑だろうし、だから今年は――」 「それで今年からは自分一人でチョコ漁りか?」 「う、うん……それに」 「何だよ」 素早く詰問してくる俊史にびくんとなりながら歩遊は姿勢を正した。 「その…毎年、俊ちゃんについでって言ってチョコ貰ってたけど、それも迷惑だからもうやめた方がいいかなって。だって俊ちゃんは戸辺君から貰うんだし……それなのに僕にくれるなんて」 「義理だろ。ついでだろ、そんなの」 妙に早口にそう答える俊史に傷つきながら、それでも歩遊は頷いた。 「うん。でも、それでも悪いよ」 「……だからお前も、もう俺にやるのはやめるって?」 「え…っ。あ、あの……うん。もう、やめるね」 「………」 「今年からはもう俊ちゃんにチョコあげるのやめる…今までごめん」 「何だそれ……」 「だって…俊ちゃん、甘い物嫌いなのに――」 「煩ェ!」 「!」 突然大声をあげた俊史に歩遊は思い切り身体を震わせた。何だか先ほどよりも更に怒りが燃え上がっているようだ。 やや頬を上気させ、何か言いたいのに言えない、俊史はそんな顔をしていた。 そして何を思ったのか俊史は、半ば興奮したように実に突拍子もない言葉を投げつけた。 「墓参りと同じようなもんだろ、こんなん!」 「は、墓参り…?」 歩遊がぽかんとして口を開きっぱなしにすると、俊史は自棄になったように叫んだ。 「ああ、そうだよ! 俺はな、てっきり今年もまたお前に付き合うもんだとばっかり思ってたんだよ! 墓参りみたいに毎年やる決まりきった行事だったからな! それをお前は、何をいきなり人の意向も聞かずに勝手にやめるとか言ってんだよ!?」 「だ、だって…戸辺君、が……」 「あいつの事なんか今はどうだっていいんだよ! 今はお前だろうが! お前は、一体どういうつもりで毎年俺にあれを贈ってた!?」 「あ、あれ?」 「チョコだ、バカ!」 「そ、それは……」 好きだからに決まっている。 歩遊は俊史の事が大好きだ。とても怖くて横暴な幼馴染だけれど、生まれた時にはもう隣にいて、それから当然のようにずっと一緒だった。横にいてくれないと寂しいし、不安だ。本当はこれからもいつも変わらず傍にいて欲しいと思っている。 別に友達でなくてもいいから。苦労を掛ける、腐れ縁の幼馴染という立ち位置でもいいから。 「僕は…でも、俊ちゃんの迷惑に、なりたくなくて…」 「誰が迷惑だなんて言ったよ!?」 「い、いつも言ってるよ…」 珍しく素早いツッコミを入れる歩遊に俊史は途端「ぐっ」となって声を詰まらせた。 けれどバツが悪そうにそっぽを向いた後、ぼそぼそとらしくもない低声で抵抗する。 「違うだろ…。迷惑って言ってんのは…お前がくれるチョコに対してじゃない」 「………じゃあ何」 「あのバカみたいに混んでる人の群れの事だよ。疲れるだろ、あんな所で揉まれてたら」 「だから、もう」 「煩い、聞けバカ! けどな、別に、買いに行くこと自体は………迷惑じゃない」 「………」 「でなかったら毎年行くかよ」 「……本当に?」 「ああ」 「でも僕……」 俊史がそこで戸辺の為に買うチョコレートなど見たくない。折角一緒に出かけているのに、そんな悲しい場面を見せられて、自分には「戸辺の為に買ったついで」なんて言われておこぼれを貰うのは。 今までとは訳が違う。それは堪らなく悲しい事だと思った。 「………毎年買ってんのは、お前と親戚のガキだけだ。今年もそうだ」 「え?」 ふと言われて歩遊が驚いて目を見開くと、俊史は心底決まり悪そうに、けれど揺らぎのない瞳を向けて言った。 「毎年俺に美味いの送って寄越せって言ってくる従妹の生意気なガキだよ。知ってるだろお前も」 「あ……美保ちゃん…? 確か小学生の……」 「あいつは田舎もんのくせにブランド志向だけは強いからな」 物怖じしない利発な態度は俊史にそっくりだと、一度会った時に思った記憶がある。おしゃまな小学生の姿を遥か彼方の記憶から呼び起こしながら、歩遊は暫しきょとんとしていた。 あの小さな女の子にあげる為に俊史は毎年チョコレートを買っていたのか。 そして、後は自分にだけだと言う。 戸辺は? 「あいつはチョコなんて食わねーよ。……多分な」 甘いもんが嫌いなんだからと俊史は言い、それからふいと横を向く。 「けど俺は……そこまで嫌いじゃない。毎年食ってただろ、お前からのは」 「……うん」 そういえばそうだ。 毎年たくさんの女の子たちから食べきれない程のチョコレートを貰って、俊史はそれを自分では処理しきれずに毎年無慈悲に処分するか両親の職場で配らせるかしていたはずだ。 でも、歩遊があげたものはいつも歩遊の目の前で食べていた。 どうして気づかなかったのだろうと思う。 「…じゃあ…今年も俊ちゃんに、あげてもいいの…?」 恐る恐る訊くと、ここで俊史はようやっと安堵したような顔を見せ、怒りの色を顔から消した。 「お前がやりたいってなら勝手にすればいいだろ」 そしてそんな風に言う。 「……うん」 けれど歩遊にはそれだけでもう十分だった。たちまち霧がかかっていたような視界がパッと晴れ、気持ちもさっと快くなる。 「じゃあ僕……やっぱり、いつものデパートに行きたい」 「……何くだらない遠慮してたんだ、お前は」 それで俊史もほっとしたように少しだけ笑い、それからはたと思い出したように問い質した。 「それにしてもお前。落ち込んでた割には、一人で食う為だけの店を探すのにあんな熱心なのかよ。ちらしまで集めて」 「あ、うん。あそこに行かない代わりにどこか美味しそうな所はないかと思って。自分一人でわざわざあのデパートに行く気はしないけど、でも折角美味しいのを探してきてもらえるのに――」 「誰に?」 「え? 耀君」 何の警戒心もなく歩遊は答えた。とにかく嬉しくて嬉しくて、歩遊は目も見えずにはしゃいでいたから。 「……太刀川が何だって?」 途端暗い声を出す俊史に歩遊はまだ気づかない。それどころか、あの時は然程楽しくもないと思っていた企画が急に色を帯びてきたように感じて、歩遊は笑った。 「うん。耀君も僕と同じで、色んな有名店のチョコを買うのが好きなんだって。だから今年はお互いに珍しい所のを買って、交換こしようかって話してたんだ。でも僕、今年はあのデパート行く気がしてなかったから、この近くの何処かで――」 「………」 「……俊ちゃん?」 歩遊はおめでたい事にまだ気づいていなかった。 ただ歩遊が鈍いのは決して歩遊のせいだけではないというか、そもそもこんな風に育てたのは傲慢で勝手で果てしなく不器用なこの俊史なわけで。 「俊ちゃん…? どうしたの?」 「…………」 黙りこくる俊史に歩遊がしきりと心配そうに物を訊ねる。…もっとも、それに対して俊史が沈黙しているのは本当に僅かな間だった。 この数秒後、歩遊は例によって烈火のごとく俊史に叱り飛ばされ、そして太刀川との約束を反故にしろとさんざ迫られる事になる。 そしてその日一晩、これでもかという程罵倒され泣かされた歩遊は、翌日言い過ぎたと反省する俊史(でも決して口にはしない)から、さり気なく手製のスイーツを貰うのだった。 もっともその話は、また別の機会に。 |
了 |
※注※ この作品はイベントものの特別SSとした都合上、高校2年2月近辺の出来事となっていますが、そうすると下部連載の時間軸と矛盾が生じてしまいます。…というわけで、バレンタインのお話ではあるのですが、実際は9〜10月あたりの出来事と思っていただけるとありがたいです。歩遊たちのいる世界ではきっと秋を2月と呼び、秋にバレンタインデーがあるのです(爆)。 |