君に遠慮されると悲しくなる
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歩遊は浴室の掃除を終わらせた後、一人悦に入っていた。 洗面台の下にある収納棚には、先ほどドラッグストアで買ってきた大量の詰め替え用洗剤が置いてある。洗濯用洗剤、浴室の掃除用洗剤。他にもキッチンやトイレ用の洗剤等、ありとあらゆる箇所を磨く為の洗剤を買ってきた。お陰で帰りは荷物が多くて、腕がじんじんと痛くなってしまった。 「でも、これだけ買えば、さすがに大丈夫だ!」 財布は寂しくなったが、気持ち自体は温かい。今回は買い物へ行く前にきちんとメモもしておいたから、買いそびれた物もないはず。きっと大丈夫だ。そもそも余分にも程があるほど買ったのだから。 「歩遊。帰ってるのか?」 その時、玄関から俊史の呼ぶ声が聞こえて、歩遊は慌てて浴室を出た。いつでも勝手に歩遊宅に出入りする俊史は、学校がない休みの日でも、こうして好きな時にやって来る。付き合う以前は、休みになる度、俊史もどこかへ行って歩遊とは会わない時もあったのに、ここ最近では昼と夜となく頻繁に現れるようになっていた。 「いるよ、ここ」 先にリビングへ入った俊史の後を追うようにして歩遊は声をあげた。くるりと振り返った俊史の顔はどことなく不機嫌だった。先ほど電話に出られなかったことと、その後送ったメールの返信が遅かったことを怒っているのかもしれないと、歩遊は途端に強張った。俊史に怒られることは慣れっこだが、別に気持ちの良いものではない。 「何買いに行ってたんだ」 「お風呂の洗剤とか」 「電話くらいすぐ出ろよ」 「うん、ごめん。でもお店の中が煩くて着信音に気づけなくて。いつも低くしているから」 「それじゃ携帯の意味ないだろ」 むすっとした俊史は、しかし怒鳴りつけるほどの怒りはなかったのか、静かな声でそう言った後、さっさとソファに腰をおろした。 歩遊は所在なくその背後に立っていたが、「何か飲む?」と訊きながら台所へ向かった。帰ってきてすぐに風呂掃除をしたから、喉が渇いていた。 「風呂の洗剤、なくなるの早くねえ? まだあると思ってたのに」 キッチンでジュースを注ぐ歩遊に声をかけながら、俊史はおもむろにテレビをつけた。特に何が見たいというものはないのか、パッパとチャンネルを変えた後、俊史は歩遊が喜びそうな動物専門チャンネルに合わせてからリモコンを置いた。 歩遊は空になったコップを置いてから、そんな俊史の傍へ寄って行って「ありがとう」と礼を言った。 「他にも何か買ったのか?」 歩遊が自分の隣に腰を落ち着けたところで、俊史は尚も訊いた。もしもこの場に戸部でもいれば、これら一連の会話に鋭いツッコミが入ったのだろうが、生憎部屋には俊史と歩遊の2人しかいない。歩遊の買った物をすべて把握しておきたい俊史のことを嗜める人間は誰一人いないのだった。 そもそも「尋問」されている歩遊当人に、その異常さへの自覚がないし。 「うん、買ったよ。他の洗剤。洗濯用とか台所用のとか」 「は? 何でそんな」 「別にまだ大丈夫な物もあったけど、ストックあった方が安心だし。買いに行こうと思い立った時にまとめて買っておいた方が楽だと思って」 それは真実に違いないが、大量ストックの理由は別にある。 歩遊は最近の俊史が相羽家に足りない物を何でもかんでも先んじて買ってしまうことを憂いていた。以前から「そんなことしないで」と頼んでいるのだが、俊史は歩遊の困惑にはまるで構わず、自分の良いようにしてしまう。否、通常ならば自腹を切って人の家の消耗品を買い込むなどおかしいのだが、どうやら俊史にとってそれは至極当たり前のことなのだ。 ただ歩遊にその「常識」は理解し難いので、毎回「申し訳ない」としか思えず、だからこそややこしい問題となってしまう。 「これで俊ちゃんに迷惑かけることもないし」 だから歩遊はそのもう1つの理由も衒いなく話して得意気に笑ったのだが、当然の如く、俊史がそれを喜ぶわけはなかった。 「……何だよそれ」 あからさまにむっとし、それからおもむろに立ち上がると、俊史は洗面所の方へ歩いて行った。 そしてその約1分後に全速力で戻ってきて、「歩遊!!」と耳がキンと鳴り響くほどの怒鳴り声をあげた。 「ひえっ!?」 「おっまえ、何考えてんだ!? 何だあの数は!?」 「な、な、何って!?」 「バカ! あんなに買い込むやつがあるか! パンパンじゃねーか、入り切れてねーし!」 「あ、うん。でも横に置いておいても、そんな邪魔じゃな…」 「そういう問題じゃねえ! くだんねえ無駄遣いすんなって言ってんだ!」 「む、無駄遣いじゃないよ! だってそのうち使うものだし!」 「必要な時に必要なだけ買えばいいんだよ!」 このバカな頭には脳みそが入っていないのか!?と。 そこまで言わなくてもいいだろうというような暴言を発しながら、俊史は歩遊の頭を両手でむんずと掴み、乱暴にがくがくと動かした。激しく頭を揺さぶられて、歩遊はそれだけで目が回る想いだったのだが、今回は自分の正当性に揺るぎないものを感じていたから、割とすぐに言い返せた。 「だだ、だって! いっぱい買っておかないと、俊ちゃんがすぐに買っちゃうでしょ!? だから!」 「は!?」 「俊ちゃんが! いっつも先に買っちゃうから! だってうちの物なのにさ! そんなの悪いから、だからこうしておけば、俊ちゃんにお金使わせなくていいと思って!」 「な…にを、言ってやがる…」 「だってそうなんだ…! しかも俊ちゃん、買った後、お金受け取ってくれないし…。前から言っているけど、悪過ぎるよ。うちで使うものでしょ。それを俊ちゃんがお金出すのはおかしいよ」 「……だから俺だって前から言っているだろう。俺だって、お前んちの風呂使うことあるし、食事なんかこっちで取ってるんだから、洗剤買うのなんて当たり前だ。食費だって」 「食費だって全部俊ちゃん持ちじゃん。この際だから、このこともちゃんと話し合おうよ」 「何だよ、このことって」 珍しく歩遊がきちんと自己主張しているからだろうか、或いは自らが不利だと分かっているのか。俊史の勢いは弱まった。声は小さくなり、歩遊を睨むのはやめて再びソファへ腰をおろす。 歩遊はそれを見て、横向きながら自らもソファに座り直して、俊史を見つめた。 「月にかかる食費計算してさ…。2人で平等に出し合いたい」 「………」 「消耗品も、そりゃ俊ちゃんがそう言うなら、偶に払ってもらうのに甘えたりもしたいけど、いつもは嫌だよ。そんなにしてもらえない」 「何で」 「え? 何が」 あまりに素早く聞き返されたので、歩遊はぴたりと止まって瞬きした。 すると俊史もどこか爛とした眼で歩遊を見返し、再度訊き返した。 「何でそんなしてもらえないとかって思うんだ」 「だ…って、そんなの。当たり前だよ。だって僕ら、家族じゃないし」 言った後、歩遊自身でその台詞に「あれ」と違和感を抱いたが、一度出した言葉は戻らない。 案の定、それを俊史に拾われた。 「俺たちは他人か?」 「たっ…他人じゃない! 血縁関係はないけど、俊ちゃんとはずっと小さい時から一緒だし、家族より家族みたいなところあるし……と、僕は思ってるんだけど…」 「俺も」 「え」 「俺もそう思ってる」 きっぱりと言う俊史に、歩遊は瞬間、胸が熱くなった。以前から俊史は、近所の人々やその他の大人が、2人を「兄弟みたい」或いは「兄弟?」と感想を漏らすことに、あからさまな嫌悪を示してきた。俺たちは家族じゃない、兄弟でもない。そんな風に言われるのは不本意だと。俊史は折に触れそうした態度を隠さず取って来た。 だから歩遊としては、そのことを寂しく思っていた。確かに事実として2人は家族ではないけれど、ちっとも家にいない両親よりも俊史の方がよほど近い存在である認識があったから。 だから話の流れ上とは言え、自分自身で「家族でない」と言ったことに歩遊は違和感を持ったわけで、それをすぐさま俊史が否定してくれたのは嬉しかった。 「お前はホントに分かりやすいな」 すると俊史が不意にそう言って息を吐いた。 そうして「え」と戸惑う歩遊を後目に、先ほど乱暴に扱った頭をぐりぐりと大きな掌で撫でつけて、「だから」と先を続けた。 「互いに遠慮する仲じゃないって思ってんだから、洗剤のひとつふたつでグダグダ言うな。申し訳ないとか悪いとか…お前のそういう発言、こっちは聞かされる度にイライラするんだ」 「ご、ごめん! で…でも、だって…本当にそう思うから」 「だから、他人じゃねーんだろ?」 「親しき仲にも礼儀ありって言わない?」 「礼儀?」 ハッと鼻で嘲笑い、俊史はおもむろに歩遊の身体を片腕だけで引き寄せた。歩遊はそれに思い切り意表をつかれ、体勢を崩したまま俊史の胸に顔をぶつけた。 俊史はそんな歩遊にまるで構わず、唇を寄せるとその額に許可のないキスをした。 「俊、ちゃん…?」 歩遊がやっと顔を上げると、俊史はすでに落ち着き払った顔をしていた。そしてその静かな様子のまま、今度は歩遊の唇に自らのそれを重ねた。 それから言った。 「お前の指図は受けない」 きっぱりとした宣言。俊史の眼は不敵だった。 「俺はいいようにする。俺が何を買おうと俺の勝手だ」 「でも…」 「でもじゃねーよ」 「でも! せ、洗剤はもういっぱい買ったから、当分は買えないから!」 「ふっ…何だその勝ち誇ったような顔」 「別にそういうわけじゃ…っ」 「まぁいい。それはじゃあ、買わないでおいてやる」 「それは?」 「まだいろいろあんだろ。……お前は金のかかる恋人だからな」 「えっ!」 突然聞き慣れない単語を使われて歩遊は絶句した。――そう、自分たちは幼馴染という枠を飛び越えて、今では「付き合って」いる。だかられっきとした「恋人」同士だ。それは間違いないけれど。 「他にもかけられるところはある」 「何っ…。ぼ、僕、何も要らないから…!」 「へーえ? そういえばさっき、“エステラ”のケーキ買ってきてやったけど」 「!!!」 それは歩遊が大好きなケーキ屋の名前だった。思わず目を輝かせると、俊史はしてやったりと言った風に口元を綻ばせて、恐らくは生徒会の仲間たちが見たらさぞかし驚くだろう笑顔を閃かせた。 そうして再度歩遊を両腕で抱きしめた後。 「可愛い顔してんじゃねーよ」 これまた珍しく、俊史は歩遊をそんな風に誉めて、未だ自分の懐から脱出できない歩遊にキスの嵐を降らせまくった。 「俊ちゃん…」 結局、歩遊は俊史とまともな話し合いを持てなかった。おまけに大好きなケーキが目の前に来たとあっては、まんまとそれにつられて終わり。相羽家における家計の実権を握るのはいつだって俊史で、それはまだ当分続くことが確定的となった。 |
了
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