繰り返しの中で
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「歩遊、何してるんだ?」 一緒に下校した後、自宅で着替えてから当然のように歩遊の家へあがりこんだ俊史は、いつも鈍くさい幼馴染がリビングのソファで背中を丸め何やら格闘している姿に首をかしげた。 ただ、徐々に近づき、本人の回答を得る前にその謎はあっさり解ける。 テーブルには長方形の裁縫箱がどんと置いてあり、ぎこちない手つきで針に糸を通そうとしている歩遊の姿が。手には登校用の白いワイシャツが握られていた。 「ボタン取れたのか」 「うん。知らない間に1個なくなってて」 俊史を見上げて歩遊はどこかバツが悪そうにふにゃりと笑った。 俊史はだらしないことが好きではない。部屋が汚いのも我慢がならないし、食後もろくに休むことなく、すぐに水道の蛇口を捻って片付けを始める。だから当然、こういった普段から身につける物に対してもいろいろと口煩い。歩遊にはそれがよく分かっているから、また怒られると思ったのだろう、最初から丸まっていた背中をより小さくして俯いた。 「……ふうん」 それで俊史も無駄な小言を発するのはやめた。第一、ボタンが取れたのは不可抗力だろう。それくらいで怒る方がどうかしている。……歩遊のその態度を見なければ、きっと厭味の一つも言ってしまっただろうけれど。 「お前、裁縫なんて出来んの」 「ボタンつけくらい出来るよ。前、お母さんに教わったし」 「ホントかよ?」 釈然としない気持ちながら横に座り、俊史は暫くの間、未だ懸命に小さな針と細い糸を持って「第一段階」をクリアしようと躍起になっている歩遊を見つめた。もどかしい。歩遊はいつだって何だって下手くそで、やることが遅かった。裁縫なぞ小学校の家庭科で雑巾を縫ったところを見たのが最後だと思う。歩遊の「あの」母親が息子にボタンつけを教えたというのも甚だ信じ難い。家のことなどこれまで一度として真剣にやった試しがない、あの女性は「育児放棄」保護者の代表格みたいな人物なのだ。あんな親でよくも歩遊がこうも曲がらず育ってきたなと、俊史は「仮保護者」として常々感心しているのだが、勿論それを実際本人に告げたことはない。 それはともかく、いつまで経っても針に糸すら通せない歩遊を横目に、俊史はつい「やってやろうか」と口を開こうとして、しかしぐっと押し黙った。 こういうところが「駄目」なのだとは、自分とてよく分かっている。 あの腹の立つ太刀川耀や、親友の戸部から言われるまでもない。俊史は歩遊に対していつでも度が過ぎる「構い方」をしていた。何故って、俊史は歩遊のことなら何でもやってしまいたくなるのだ。それは歩遊に対する想いが強くなればなるほど酷くなっていて、普通ならば成長と共になくなっていくであろうそうした過干渉が、高校に上がってからは逆に一層異常なものになった。 そして2年の冬を迎え、「一応」、「恋人同士」になってからは……、本当に俊史自身でも分かっていることではあるが、「見境がなくなってしまった」。 食事も一緒なら登下校も一緒。故に歩遊の小遣いの使い方だって知っているし、そもそも歩遊が普段身に着けたり使っている物は俊史が一切合財管理し、決めている。歩遊の生活パターンも、起きる時間から寝る時間まで把握済みだ。その他、歩遊が授業で使っているノートの中身すら分かっているのだから、これを異常と言わずして何と言うのか。 「しかも、歩遊ちゃんがイレギュラーなことして、俊が知らないことがあったりすると烈火の如く怒るわけでしょ。いやぁ歩遊ちゃん、よくこんなストーカー夫みたいな奴と一緒で平気でいられるわ。ある意味尊敬」 ここ数日の間で、戸部から茶化されて俊史が一番むっとしたのが、この「ストーカー夫」なる呼び方だった。戸部は友人として忌憚ない意見を聞かせてくれる貴重な存在だと頭では分かっているが、とにかく口が悪い。何故こんな腹黒男が「可愛い」などと周囲からちやほやされているのか、俊史は本気で理解に苦しむことがある。 ……とはいえ、そんな友人のからかいを全面的に否定できない自分がいるのも事実なわけで。 要はこの歪んだ関係が、今の「うまい進展を望めない」ことに繋がっているのではないかと、この頃の俊史は真剣に歩遊への己のあり方について考え始めていたのだった。 だから、本当に小さなことではあるけれど、俊史は隣で必死に裁縫を試みている歩遊に、「トロくせーな、俺がやってやる、貸せ!」という一言を寸でのところで抑え込んだ。 「おかしいな…。あとちょっとなのになぁ…」 「出来ないなら糸通し使えばいいだろが…」 「何?」 「べっ……別に」 思わず呟いた独り言を歩遊に拾われて、俊史はふいと横を向いてごまかした。それくらいのアドバイスは許される気もしたが、口出しとて干渉の一つには違いない。 それにしても糸を針に通すだけの作業に何十分かけるつもりなのだろうか。元々気が長い方だとは知っていたが、普通ならこれだけやって出来ないのならば、苛立ったりもどかしそうな顔をしても良さそうなものなのに。別段悔しそうな顔も見せずに不思議そうにそれらと格闘している歩遊は、俊史には不可解な生き物以外の何者でもなかった。 (もしかして、こいつの周りだけ別時間が流れてんじゃねえの……) まじまじと歩遊を見つめながら俊史はそんなことを想って秘かにため息をついた。 実際、そうかもしれない。 俊史にとって歩遊に「恋愛対象としての瀬能俊史」を意識させるまでの時間は、途方もなく長いものに思えた。 けれど歩遊にはきっとそうではない。あの別荘地で、俊史が歩遊に身体の関係を強要したこととて、俊史にとっては当然でいっそ遅いくらいだったものが、歩遊にしてみればとんでもなく性急で唐突な「事件」だったに違いない。 結局その「ボタンのかけ間違い」のせいで、あれ以降、「恋人同士」にはなったらしいが、俊史は歩遊を抱くことが出来ていない。必要以上に警戒され、脅えられている。 (くそっ…何でこんな…隣にいるのに…) けれど俊史がそうして悶々としているのとは裏腹に。 「できたぁ!」 歩遊が急に嬉しそうな声をあげて指に摘まんだ針を少しだけ掲げて見せた。 白い糸がようやく針の穴を通ったらしい。俊史にとっては本当にどうでもいい光景だったが、歩遊の笑顔は単純に嬉しかったので、無感動ながらも気づけば「良かったな」と返していた。 「うん。あー、これだけに20分もかかっちゃったよ。長かったあ」 歩遊が時計を見ながら苦笑いをした。 俊史はそれに怪訝な想いがして首をかしげた。 「お前…時間計ってたの?」 「ん? そんな正確に見ていたわけじゃないけど、ここに座った大体の時間は覚えていたから。俊ちゃんが来た時も時計見たし」 「ふうん…。で、長いと思ってたんだ?」 「え?」 俊史の問いに今度は歩遊が不思議そうな顔をした。 俊史はそんな歩遊をまじまじと見つめ返しながら、「そういう風に見えなかったから」と正直に告げた。 「そういう風って?」 「別に時間なんか気にしてないように見えたってことだよ。お前って気が長いだろ。俺は見ていて、たったそんだけにどんだけ時間かけてんだって思っていたけど、お前はそういうことを感じないタイプだと思ってたから」 「えぇ…そん、なこと、ないよ…? 僕、別にそんな気だって長い方じゃないと思う。根気ないもの」 「はぁ? どこがだよ…何にでも、いつもすげー時間かけてやるだろ」 「それは単に僕が鈍臭いからで…。それを良いとは思っていないよ」 「………」 何だか意外な気がして俊史は思わず黙り込んだ。 歩遊は決まり悪そうに俯いていたが、俊史の反応がないことに焦ったのか自分が続ける。 「僕、いつも何するのも遅いし、それで俊ちゃんにも迷惑かけるから、なるべくなら何でももっと早く出来たらいいなって思う。こういうのもそうだけど、ご飯食べるのとか、学校行く支度とか。宿題とかも。……遅い自分だと、自分でも嫌になるよ」 「べ…つに、飯食うのなんて、ゆっくりでいいんだよ…!」 歩遊が落ち込んでいるのじゃないかと思い、俊史は少しだけどきりとした。歩遊の自己嫌悪は今に始まったことではないが、それもこれも普段から何でもすぐに怒鳴りちらしてきた自分に多大な責任があることは俊史にも分かっている。確かに、ドンくさい歩遊にイライラすることは多々あるのだが、だからといって味わうように自分の作った食事を「美味しい」と食べてくれる歩遊や、忘れ物がないよう几帳面に荷物を確認する歩遊、丁寧に宿題をやる歩遊の姿を見るのはとても好きだった。 きっと、「きびきびした歩遊」など可愛くも何ともないだろう、そう思う。 そう、だからこういう時の「もどかしい」気持ちも、本当は歩遊の行動が遅いことが原因ではないのだ。 ただ単に、俊史が手を出したくて堪らなくなるから。 自分が「重症」だから。 「それ…裁縫だって、急いでやって指に針でも刺したら大変だろ。お前はドジも多いんだから、いつもみたいに丁寧過ぎるくらいがちょうどいいんだよ」 「でも俊ちゃん…そこで見ていてイライラしない? 自分ならもっと早く出来るのにって」 「別に…」 まさに先刻思っていたことをズバリ言い当てられてぎくりとしたが、とりあえずしらばっくれる。 そうして俊史は不意に堪らなくなって、歩遊からシャツと針を取り上げた。 「あ」 「それより、キスさせろ」 「え」 取り上げた物をそのまま投げ捨てて、俊史は歩遊の手首を掴んだままその華奢な身体をソファに押し倒した。 それからちゅっと1つ口づけて、歩遊を間近でじろりと見据える。 「さっきから待ってんだよ。終わるまではやらないでいてやろうかとも思ったけど、この調子じゃいつ終わるか分かんないだろ」 「じゃあやっぱり…イライラしてた?」 俊史からのキスに最初こそ戸惑った顔をしていた歩遊は、それでもされること自体にはいい加減慣れたのだろう、ぱちぱちと瞬きしながら自分も俊史を見返しそっと訊ねた。 「してねーよ。ただ…俺とお前じゃ、流れる時間が違うと思っていたから」 「え…?」 「けど、そうでもないみたいなこと聞いたから、ちょっと混乱してる」 「俊ちゃん…? ……ん」 もう一度唇を合わせて歩遊の言葉を封じた俊史は、何度か啄むように歩遊の口を食むと、最後にぺろりと舐めあげて歩遊の鼻先をきゅっと摘まんだ。 「ん!」 可愛い声をあげた歩遊に思わず笑みが零れる。いや、歩遊に触れられてやっと安心したと言うべきか。 それにしても。 「お前も、肝心なところで“そういう風”に思えればいいのにな」 「え?」 「……何でもねーよ」 言いながら再びキスをし、俊史は戯れに歩遊のシャツの中に片手を差し入れた。 「ひっ…」 案の上、歩遊はそれにこれでもかという程の恐怖反応を示して背中を跳ねさせたので――俊史は大きなため息を零しそうになるのをとりあえず堪え、「やんねーよ」と手を戻し、歩遊の頭を撫でてやった。 「お前が嫌がることはやらない。……待っていてやるから」 「俊ちゃん…」 「でも、キスはするからな?」 俊史がそれだけはきっぱり言って再び唇を奪うと、歩遊は暫し黙りこくっていたものの……やがて泣きそうな顔で笑顔を作り、「うん」と頷いた。 「ありがとう俊ちゃん」 「……別に」 改めて礼を言われた俊史の方は「あーあ」と思わずにいられない。 それでも歩遊がとりあえずでも笑ったので、焦燥を感じる反面酷く安堵もした。結局俊史にとってこんな歩遊でも歩遊が全てで、どうしても失いたくないのはこの歩遊だけだった。 「なあ」 だからそれを再確認してしまうと、俊史はもう殆ど条件反射のように言っていた。 「やっぱりボタン、俺につけさせろ。お前のやるの見ているのは、俺には苦行」 「え。でも」 「でもじゃねーよ。お前は俺のやり方見て覚えろ」 「う……うん」 歩遊は納得しかねるようだったが、上から威圧的に物を言われてこちらもまた反射的に頷いた。 結局、同じことの繰り返し。 それでも俊史は「これは俺のものなのだ」と確信しながら、もう一度、歩遊に覆いかぶさって確かめるようにその小さな唇を深く吸った。 |
了
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