成績



  期末テストが終了すると、歩遊たちの学校はクリスマスをはじめとした楽しい冬休みを待つだけとなるのだが、最後の最後で大半の生徒たちを憂鬱にさせる事が1つだけあった。
  それは各学年の階毎にズラリと貼り出される、成績順位表だ。

「上位100名までの公開で“下位は告知しない”とか言ってもさぁ。赤点で休み中に呼び出しの奴は結局晒されるんだから露骨だよ」
「しかも上位の奴らの隣に貼られるんだからねぇ…最悪」

  毎学期こうして大々的に成績開示される事を生徒たちの殆どは反対しているし、文句も言う。けれどこれが貼り出される日は普段遅刻ギリギリの生徒たちすら、早朝から廊下にひしめく人ごみに混じって己の名を探す。…「そうせずにはいられない」のだ。特に歩遊の学年である2年生は推薦を考える者も多いせいか、いちいち名前のある誰かの名を指摘しては、わあとかきゃあとかあちこちで色々な悲鳴が沸き起こって盛り上がる。
「…っと」
  勿論、歩遊もそんな生徒の1人だった。
  お世辞にも身長が高いとは言えない歩遊は、わいわいと群れている生徒たちを必死にかき分けながら掲示板を見上げる。それは結構至難の業なのだが、ともかくは「赤点・呼び出し」の張り紙を探さなくては気が気でない。今回は「割と出来た」と自信があるから大丈夫とは思っているのだけれど、万が一という事もある。だから結局他の生徒たち同様、成績発表は「嫌だ」けれど、見ずにもおれないから自然早起きとなる。
「あ……ないみたい」
  からかいや嘆きの声が大きい所へ流れていくと、案の定いつもの赤字で「呼び出し」という残酷な告知の張り紙が目に留まった。……が、恐れていたその場所に歩遊の名前はなかった。英語の欄にも数学の欄にも、1番失敗したと思っていた物理の欄にすら。ほうと息を吐いて、歩遊はようやく人心地ついたように辺りを見渡した。
  そうして周囲の歓声から、とりわけ明るく賑わっている方向に目を移す。

「また1、2位は瀬能と戸辺かあ」
「何なの5教科490点て。化け物か」
「物理は1番平均点も低かったのにねぇ。やっぱ瀬能クンは凄いねッ」

  男子は主に羨みと妬みを、女子は憧れの伴った甘い声で各々の感想を述べている。成績開示の日に、今回「も」ダントツで首位を守った俊史の話題が出ない事などありえない。
  歩遊はそれを慣れたように耳に入れつつも、やっぱり自分も直に確かめたくて、大勢が群がるトップ10の発表掲示板へ遠慮がちに歩を動かした。とにかく人が凄い。ふうふうと息を吐きつつ、やっとその場所へ到達すると、なるほど一際大きな字でよく知る幼馴染の名前が堂々と1位の場所に君臨していた。

(やっぱり俊ちゃんは凄い…)

  誇らしい気持ちで一杯になり、歩遊は自然頬を紅潮させた。いつも見慣れている風景だ。周りが俊史を凄い天才だと言う事にも聞き慣れてはいる。―それでも毎回その場面に遭遇すると、歩遊はまるで自分が物凄い偉業を成し遂げたかのように胸が一杯になって、嬉しい気持ちになって……その場で大声を上げたくなる。
  俊史は本当に凄いのだという事をもっともっと大勢の人に教えたくなる。

「でも2位の戸辺クンも凄いよね」

  その時、歩遊の隣に立っていた女子が一緒に成績表を見に来た友人にそう言った。
「瀬能クンは別格としてもさぁ、戸辺クンもいつも2位だし。やっぱりあれかな、2人で勉強したりしてんのかな」
「そうじゃない? 戸辺クン、中学は普通の公立だったって言ってたし、元からそんな出来る方じゃないはずだからさ。絶対瀬能クンが教えてるんだよッ」
「もー! いいよねえ、あの2人! 並んでいるの見ると、ホント目の保養だもん!」
「ねー!!」
  きゃあきゃあと黄色い声をあげて興奮する女子たちの声が耳にじんと響き、歩遊は急に居た堪れなくなって、こそこそとその場を離れた。これも昨年から聞き慣れた会話の1つではあるけれど、やっぱり少し胸が痛い。
  戸辺は外部組だけれど、1年の後半から格段に成績を上げて、いつの間にか俊史と肩を並べるほど優秀な生徒の1人となった。元々成績上位の人間は高校受験を経験している外部組の方が多いのだが、近隣からも比較的評判の高い歩遊たちの私立校は幼い頃から英才教育を受けている者も少なくないので、外部組=余所者への当たりは強い。…そんな中で戸辺の存在は俊史とはまた違った意味で、生徒たちの羨望の的なのだった。
(2人で勉強…してるのかなぁ)
  女子たちが噂していた内容を何となく頭の片隅で反復しながら、歩遊はぼんやりとそんな事を考えた。…普通に俊史の生活サイクルを考えていけば、彼が歩遊と戸辺、どちらに多く比重をかけているかは分かりそうなものなのだけれど。
「ふーゆっ」
  もっとも、その思考も殆ど一瞬で終わった。
  ぽんと肩を叩かれて振り返ると、同じクラスの太刀川耀が未だ部活の練習用ジャージ姿でにかりと白い歯を覗かせていた。
「耀君…おはよう」
「うっす。歩遊、早いなー。やっぱり今日はこれの日だもんなぁ、歩遊も成績気になった?」
「うん」
  成績表を顎だけで指し示す耀に歩遊は苦笑し頷いてから、「でも」とすぐさま言葉を続けた。
「赤点のところに名前なかった。今回はセーフだったみたいでほっとしたよ」
「はぁ? 何だよ、そんな事心配してたのか?」
  耀は歩遊の発言に心底意外だという顔をしてから、ぐいと歩遊の手首を掴んで教室とは反対の方向へ歩き出した。
「耀君?」
  歩遊がそれに途惑って声を出すと、耀は「いいからいいから」と笑いながら更に足を速める。もうすぐ朝のHRが始まるのに、どうしたというのだろう。
「ほら」
  けれど耀が見せたかったものが歩遊にもすぐに分かった。廊下に張り出されている成績発表の白い模造紙。俊史や戸辺らが載っていた上位とは反対側の、100位近辺の名前が連なるその場所にそれはあった。
  「相羽歩遊」の名前。
「え…ええ?」
「な! 赤点どころか、入賞者だっての!」
  とんとんと耀が指で指し示している場所。歩遊はぐいと前進してもう一度よく見ようとそこに顔を近づけた。間違いない、「相羽歩遊」。いつも圏外どころか赤点の有無を気にしていたのに、今回は何と「81位」という場所に名前があったのだ。
「す、凄い…」
「まあ当たり前っちゃ当たり前、だけどな」
「え?」
  耀が両手を頭の後ろにやりながらとぼけたように言う。歩遊が不思議そうに首をかしげると、耀は本当に分からない?という顔をしながら苦笑した。
「だってさー。歩遊、夏休みの間は勿論、2学期に入ってからだってずっと図書室で勉強してたじゃん。あのバカを待つ為とは言え」
「あ…」
「そんな毎日きっちり勉強してたら、そりゃ成績だって上がるって」
「………」
  な?と耀は笑いながら歩遊の顔を覗きこんだ。歩遊はそれに反射的に頷いたものの、友人にそう指摘されて初めて、「そう言われれば、最近じゃすっかり勉強する癖がついていたなあ」という事に気がついた。
「そっかぁ…」
「ん?」
  納得したように呟いた声を耀が拾ってきたので、歩遊は慌てて首を振った。
「ううん、何でもない。なら俊……瀬能君のお陰だなと思って」
「はあ!? ……ったく、歩遊は人が良過ぎるんだからなぁ。けどまあ、そんなところが可愛いんだけど」
「えぇ…? あ、わっ」
  くしゃくしゃと髪の毛をまさぐられ撫でつけられて、歩遊は思い切り途惑って身体を前のめりにした。耀は体育会系なだけにスキンシップも何だか豪快で、いつも翻弄されてしまう。

  ―…ただ、歩遊は驚くだけだけれど、「もう一方の人間」にしてみたら、耀のそういう過剰な接近は十二分に「憎悪」の対象なわけで。

「いって!」
  今回はその怒りの声は聞こえなかったけれど、代わりとでも言うように耀の抗議の混じった痛みを訴える声は大きく響いた。歩遊が慌てて顔を上げると、そこにはもう当然のように俊史がいて、彼は周囲を凍りつかせるような冷徹で、静かな怒りを湛えたような眼で耀を睨みつけていた。
「いってぇなぁ…! 相変わらず無茶苦茶だっての、お前は!」
  耀もいい加減慣れてはいるのだろうが、毎回俊史に攻撃されてしまうところを見ると警戒心は薄いのかもしれない。歩遊を触った手をいつもの如く叩かれたか何かしたようで、大袈裟に飛び退って俊史と距離を取りつつ、非難めいた目を向けている。
「あ…」
  けれど歩遊の方はその「いつもの光景」に、困るよりも先に固まった。
  先刻まではただ俊史のトップに胸を躍らせ、自分の成績にも浮かれていたけれど……、いざ俊史を前にしてみたら、急に心臓が跳ね上がり、途端鼓動が早鐘を打ち始めてしまったのだ。
(ど、どうしよう…。やっぱり変だ…)
  変化は俊史の父親が帰ってきた、あの日だ。あれから何だかおかしくなったと思う。俊史にキスをされて、自分でも然程弄らない部分に触れられて。あの熱っぽい眼を向けられ「歩遊」と呼ばれたあの場面を思い浮かべてしまうと、何だかもう駄目だった。急に身体中が熱くなるし、俊史をまともに見ていられなくなる。どうして良いか分からなくなる。

  それで歩遊はここ数日、実は俊史とまともな会話が出来ずに、ほとほと困り果てていたのだ。 
  そして何故か俊史の方も、あれ以来歩遊に触れてはこない。

「お前こそ、いい加減学習しろ」
  それでも俊史は「いつものように」、歩遊を構う耀の所にやってきて耀を攻撃し、威嚇し、今ではもう歩遊を己の後ろに隠すようにして立っている。歩遊は見上げるように顔を上げてその凛々しい後ろ姿を見つめた。どくどくと心臓はまだ落ち着かずに速いテンポで脈打っている。顔が赤くなっていないかが気になった。
「こいつに近づくなって言ったはずだ」
  俊史の言葉に耀はフンと鼻を鳴らした。
「だから、それが無茶だって言うんだ。歩遊は俺の友達だ。大体、何でお前がそんな事言うわけ?」
「……言う権利があるからだ」
「はぁ? ったく、頭いいくせに、実はバカだよな、お前……」
  訳が分からんとぶつぶつと呟いた耀は、それでもどうにか俊史の能面を崩したいのか、からかうように言葉を投げた。
「お前ってあれだろ。この成績の良さとかもさ、歩遊に凄いって言われた後、『こんなの大した事ない』っていう一言を言う為だけに、陰で必死に勉強してるだろ」
「……バカじゃないのか」
「むかっ。何だよ、図星のくせによ!」
  2人の遣り取りも気になったけれど、歩遊はただ俊史の背中を見つめていた。俊史はこちらをちらとも見ようとしない。ただ歩遊の目の前に立ちふさがって、友人である耀の姿が見えないようにしている。
  そう、俊史はいつもそうしてきた。
  どうしてだろうと思う。
「まったく、お前の努力には一応頭が下がるけどさ。けど、その性格の悪さだけは救いようがないよな」
  耀はまだ俊史に食い下がる。それでも俊史も一歩も引かなかった。
「頭の足りないお前よりはマシだ。いいから、もう行けよ」
「歩遊は? 歩遊だって俺と同じクラスだし、もうHR始まるんだから、歩遊も解放しろよ」
「お前が先に行け」
「だからっ。その命令口調が頭にくるんだっての! ……って、うお!? 何だ何だお前らは!?」
  耀の攻撃的な口調が一転、突如として途惑いの含んだ色に変わったのは、言い合いを始めてから3分も経たない時だ。
  歩遊も耀の異変にはっとしてひょいと顔を覗かせると、俊史の身体の向こう側では如何にも「怪しい」光景が繰り広げられていた。
  にこにことして害のない様子ながら、見慣れたクラスメイト数名―そしてその中には生徒会の一員である者もいた―が、がっちりと耀を左右からガードし、その両腕を捕まえて引きずるようにクラスへ連れて行こうとしているのだ。耀は「瀬能のグルかお前らっ」と訳の分からない事を叫んでいたけれど、歩遊には意味が分からなかった。
  そうして直後に予鈴も鳴り、いつの間にやらあれほど廊下にいた生徒の群れもまばらになっている。
「歩遊」
「あっ…」
  びくりとして思わず身体を震わすと、俊史はそれに露骨に眉をひそめた後、敢えてさっと距離を取って視線まで逸らした。歩遊はそれでまたズキンと胸が痛くなったのだけれど、俊史の方はそれよりもどこか苦痛に滲んだような目をしてぼそりと言った。
「凄いな。初めてランク入りした」
「え…あ……」
  自分の成績の事を言われていると分かって、歩遊は目を見開いた。
「う、うんっ」
  それから慌てて頷き、自分も掲示板の方を見ながら必死に言葉を継いだ。
「そ、そう…っ。ぼ、僕、初めて…す、凄く嬉しくて、その…」
  俊史のお陰だから「ありがとう」と言わなければ。 
  けれど歩遊がたどたどしく口を開くのを、俊史が素早く制して自分の声で掻き消してしまう。
「けど、この位で調子に乗るなよ。81位なんて、所詮中の上だろ」
「え…」
「大体この成績は俺が試験のヤマを教えてやったからこそだ。自分の実力だなんていう、みっともない勘違いだけはするな。お前なんてまだまだ駄目なんだから」
「……うん」
  別に調子に乗ったりはしていない。確かに浮かれはしたけれど、俊史への恩も忘れているつもりはないし。
「そうだよね」
  それでも歩遊は礼を言うタイミングをすっかり逸してしまい、しゅんと項垂れて黙りこくった。
  すると俊史はそんな歩遊をちらと見下ろしてからまた一層不愉快そうな顔になるとくるりと踵を返し、一言だけ投げ捨てるように言い放った。
「冬休みも勉強させるからな。……お前は俺と同じ大学に行かせるんだから」
  歩遊が何かを言う前に、俊史はもう先を行ってしまった。やっぱりどこかぎこちないし、気まずい。
「……同じ、大学」
  それでもそう言われた言葉を繰り返し、歩遊はそっと再び掲示板に書かれた自分の名前を見つめた。
  81位と1位では、まだ全然差がある。絶対に無理だと思う。それでも同じ大学に来いと言われる事は嫌じゃないし……むしろ、嬉しい。
「頑張れる、かな…?」
  俊史の事を考えると胸が痛いし、「変」になるのだけれど。
  それでも、歩遊は俊史とこれからも一緒にいたいと思った。俊史が望んでくれるのなら、尚更。



 









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