鈴つきリボン



「歩遊ちゃん、今年のバレンタインデーはどうするの? やっぱり身体でご奉仕?」
  意地の悪い声が頭の上から降ってきたのを受けて、歩遊はお決まりのようにびくりと身体を縮こまらせた。
「俊には毎年市販のチョコをあげているんだって? 本人が甘い物を特別好きってわけでもないのに、よくもまぁそーゆーことし続けて平気だよねえ? やっぱ歩遊ちゃんって小悪魔?」
  顔を上げなくとも分かる。こんなことを言うのは学校中、否、歩遊の生活圏内に一人しかいない。俊史のクラスメイトで尚且つ同じ生徒会に所属している、「俊史の親友」戸部優である。歩遊は今すぐにでもこの場を逃げ出したくなった……が、当然のことながらそうもいかない。この姿形こそ可憐で可愛らしい男子生徒が、実は怒らせると(いや怒らせなくとも)「大変恐ろしい」人間であることはもう重々分かっていた。
  いつもの如く放課後の図書室で俊史が来るのを待っていた歩遊は、予期せぬ来訪者にいよいよ観念し、向かっていたノートから視線を外した。
「か……身体って……意味、分かんな…いっ! 痛い痛い!」
「ふふん。そうやってとぼけても無駄だってのが、まーだ分からないのかなぁ、このおちびちゃんは」
  自分とて歩遊と大差ない小柄を有する戸部は、しかし実に余裕の体でもって歩遊の頬を容赦なくつねり上げた。歩遊はそれだけで涙目だったが、それ以上に戸部の存在そのものがコワイ。このところ「こういうこと」が本当に増えたと思う。戸部は何かというと俊史の隙をついて歩遊を構うようになり、そしてそのいずれもがこういう性質の悪いちょっかいだったから、歩遊としては毎日息つく暇もなかった。
「ほらほら、泣いたって無駄だよ、僕ってそういう顔見せられると却って余計にいじめたくなるタイプだからさ。下手に誤魔化したり逆らったりしないで素直になった方が歩遊ちゃんの身の為だよ?」
「べ、別に逆らってなんか…!」
「んじゃ正直に教えなさい。今年の俊史には何をあげるつもりなのさ? まさか芸なく今年も市販のチョコをあげてハイおしまいってつもりじゃないだろうね?」
「……それだとダメなの?」
  まさかも何も歩遊はそれ以外のことを何も考えていなかった。ようやく離されたひりひりの頬を撫でながら、未だ瞳を潤ませた歩遊は戸部を上目使いに見つめやる。
  バレンタインデーは毎年お互いが買ったチョコを交換する。それが俊史と歩遊の決まりきった、「お墓参りと同じような」恒例行事である。しかも互いに内緒で買い置いていた物をあげるといった事でもなく、一緒に同じ場所へ買いに行って、自分の要件を済ませた後で「はい、じゃあこれ」とついでのように渡し合ってそれで終わり。勿論、歩遊は俊史を好きだし、俊史とて歩遊を嫌いではないからこそ、そういう行事が成り立ち続けていたわけだけれど。
「あのね。今まではそんなんでも良かったかもしんないけど。今までと同じじゃ、そりゃあ、あんまり寂しいでしょ」
  けれど戸部はそう言ってため息をつくのである。
「寂しい?」
  思ってもみなかったことを言われて歩遊は不思議そうに首をかしげた。戸部はそんな歩遊を苦い視線で受け留めていたが、「やれやれ」と大袈裟に首を振った後、躾の行き届かない犬によくよく言い聞かせるような素振りでゆっくりと告げた。
「君たちは何? 仮にも恋人同士でしょう? しかもなりたてほやほやの!」
「…っ」
  俊史と恋人同士になったなどとは、ここにいる戸部は勿論、歩遊は誰にも言った事がない。自分自身ですら未だ実感のない事なのだ。それを、戸部は俊史から何か聞かされたのかもしれないが、こんな風に公然の事実であるように言われてしまうと、何とも恥ずかしく、居た堪れない。
  それでも戸部は歩遊への口撃をやめようとしない。
「俊ちゃんは期待していると思うなぁ、キミが何をしてくれるのかってさ」
「き…期待…?」
「あの人、こういうイベントごとには細かいよ。思い出してもみなさい、誕生日だクリスマスだ何だって、ことあるごとに歩遊ちゃんに貢いできたでしょ? それが今度は付き合って初めてのバレンタインだもん、これで何もないってのがおかしい。うん」
「……でも」
  そうは言っても、ではどうすれば良いのか。歩遊は単純に途方に暮れた。
  バレンタインデーと言えば好きな人にチョコをあげる日。だから歩遊は今年も俊史に自分が一番好きな店の商品を買ってそれを渡すつもりでいた。しかし戸部は「それではダメだ」と言う。つまりは、チョコをあげる以外に何かしろということなのだろうが、具体的にはどうすれば良いのか。
  確かに昨今の商業事情においては、チョコレート以外のプレゼントも献上するのがさも普通というように様々な品を宣伝している向きもあるが――。
「あのさぁ、くだらないこと考えないようにね。あいつは歩遊ちゃんから過剰に物貰っても嫌がるだけだろうから」
  しかし「その思考」は戸部によってすぐさま先読みされ、却下された。
  そして彼はありありと「俺が言いたいのはそういうことではない」という顔をして見せる。
  それで歩遊はますます困惑したのだが、物以外に何かあげるというと、何だろうか。
「ブッブー、はい、時間切れ!」
  すると戸部はぱしりと歩遊の頭を叩くと容赦なくそう言って目を吊り上げた。
「正解はカラダだよ、身体。歩遊ちゃん自身を差し出すのが一番喜ばれるに決まってんでしょ!」
「かっ…!?」
  恐らくずっと待ったところで歩遊が自分の待つ正解を出すことなど永遠にないと戸部には分かっていたのだろう。あっさりとそれを告げ、それによって絶句する歩遊の鼻先に形の良い細い指先を押し付けて戸部はふふっと笑った。
「ね? 首でも手首でもどこでもいいから。ピンクの可愛いリボンでも巻いてさ。『大好きな俊ちゃん、はいどうぞ! 僕を好きに食べて〜』ってやるんだよ? ――やらなかったらどうなるか、分かってんだろうな?」
「いっ…!?」
  今度はむぎゅっと鼻先を摘まれ、おまけに理不尽な脅迫まで受けて。
  歩遊はいよいよ言葉を失った。
  やらなかったらどうなるか――。
「そん…っ!」
  そんなこと分からない。けれど、良くないことが待っている事だけは間違いない、それは分かる。
「な、何で戸部君、そこまで…」
「だってお前ら面白いんだもーん。というわけで、これあげる」
「う!」
  それは戸部がたった今さっき冗談のように言い放った「ピンクの可愛いリボン」だった。しかも何故かご丁寧に、それには金色の小さな鈴までついている。まるで子猫につけるような。その丸い鈴は押し付けられた時にちりんと実に綺麗な音を立てた。
「う。やべ」
  不意に戸部がぶるぶると鳴った携帯を手にしてそう舌打ちした。誰かから呼ばれたのだろうか、戸部は苦笑交じりに「撤退撤退」と言うと、それきり歩遊には目もくれずに図書室を去って行ってしまった。
  その数秒後だ。まだ生徒会の用は終わっていないらしいのに俊史が「何か変わったことはなかったか」と歩遊の元を訪れたのは。
  歩遊はただぶるぶると首を横に振るよりなかった。





  そうこうしているうちにバレンタインデーの当日がやってきてしまった。
  とはいえ、その日はいつもと同じ、学校のある火曜日だ。歩遊は朝からそわそわとした想いを抱きながらも通常と同じ生活を送り、放課後も普段と変わりなく、俊史が迎えに来るのを待つ為に図書室へと向かった。
  ただしいつもと違う空気は明らかそこかしこに散らばっている。
「ねえねえ、もうあげに行った?」
「うん、もう朝のうちに! 今だと生徒会の人が代わりに受け取っちゃって直接渡せないらしいよ」
「えー、最悪じゃん! でも優先輩だと、朝の時間帯でもファンクラブの人がきっちり取り締まっちゃって全然近寄れなかったって!」
「うっわ。あの人たち本当偉そうだよねえ! 私らなんてただの純粋なファンってだけなんだから、チョコくらい好きに渡させてくれたっていいのに!」
「ねー!」
  ぱたぱたと忙しなく廊下を行き交う下級生たちのこんな会話を、歩遊は今日一日で何度も耳にした。同じ学年ならともかく、1年生らにしてみれば自分たちの教室がある場所と2学年のそれとが大分離れているというだけで大きなハンディらしい。「憧れの瀬能先輩と戸部先輩」にチョコレートを手渡すことは大変な一大事業のようで、始終あちこちから落ち着かず忙しない様子が見受けられた。……因みに上級の3年生らは「放課後になればなるほど渡しづらくなる」ことを熟知しており、朝から校門前や昇降口で待ち構える者が多かった。しかもその3年は、既に入試期間中で自由登校扱い、普段は出席する者も少ない。にも関わらずあの騒ぎとは、それだけ俊史と戸部の人気というかカリスマ性は尋常のものではないという事だ。
  ――その2人が「アツアツカップル」というまことしやかな噂こそが、一層多感な女子生徒(時に男子生徒)らの熱狂度を上げているとも言えるが……。
(今日……一緒に帰らない方がいいかも…)
  色めきたつ女子生徒たちをかわすようにして図書室に滑り込んだ歩遊はいつもの席に腰を押し付けた後、何ともなしにそう思った。俊史は特に何も言わなかったから当然のようにここへ来てしまったが、帰りとてきっとまだ落ち着かない状態だろう。そんな時に俊史の横を自分などが歩いていたらどうだろうか。折角遅くまで待っていた彼女たちも嫌な想いをするのではないだろうか。歩遊自身、俊史にはまだチョコを渡せていないが、自分は家に帰ってからだって幾らでも渡すチャンスがある。
  それに……。
(まだ……どうしたらいいか分からないのに……)
  カバンの奥に眠っている戸部から渡された鈴つきリボンを意識して歩遊の気持ちはどんよりと重くなった。
  身体。
  思わずあの別荘地での出来事が脳裏を過ぎって歩遊はぶるぶると首を振った。それでも首筋から熱が火照り、顔が赤くなったことが容易に分かった。
  歩遊はあれ以来、俊史からの求めに一度も応じられていない。俊史の父や歩遊の母による「干渉」が強くなり、自宅で2人きりになる機会が減ったというのもその理由の一つだが、最大の原因は歩遊にある。俊史が何度かそういうことを仕掛けてきても歩遊はことごとく拒絶の態度を取ってそれから逃げ回っていたのだ。
  恋人同士のはずなのに。
(だって……分かんないんだ。自分でも。気づくと嫌だって思っちゃうんだ……)
  歩遊は俊史のものであり、歩遊は俊史が好きである。それを認め、自覚して。あの別荘では俊史を自分から受け入れたこともあったのに。
  いざ光の差す《日常》の世界に戻ってしまうと、歩遊はどうしても俊史の欲求をすんなり受け入れる事が出来なくなってしまった。どうしてもあの最初に起きた、とても恐ろしく痛かった事が強烈に浮かんでは消えて。
(でも……俊ちゃんが好きだ……)
  それは間違いのないことだ。歩遊は大きなため息をついた後、ぐったりしたように机の上に突っ伏した。俊史が好きだから俊史に嫌われるのが一番怖い。思えば、戸部が画策したデートを誘うに至るまでの時も、俊史から玄関先で求められて嫌がった事で酷く険悪になりかけた。
  ただ俊史の方は、何故かあれ以来、無理に歩遊の身体を欲しがる所作も見せなくなったように思う。
「俊ちゃん……」
「何だ?」
「わっ!?」
  何となく呼ぶと、すぐに頭の上から返答するその声が聞こえた。驚いてがばりと顔を上げると、そこには怪訝な顔をした俊史の姿があり、既に鞄も肩に提げた状態で歩遊を見やっていた。
「寝ていたのか。……具合でも悪いのか?」
「そっ、そんなことないよ。でも何で…」
  いつもより早いじゃないかと思った歩遊は、しかし俊史の「今日はもう終わりだ」という声で開いていた口を閉じた。
「煩くて生徒会の仕事どころじゃない。優の奴も昼過ぎには帰った」
「え? そう…なの?」
「俺たちも帰るぞ。今なら大丈夫だ、俺がここにいるとは思われていないから…」
「そ……」
  そんなことどうやってと思ったが、俊史が急かすようだったので歩遊は慌てて立ち上がった。モタモタしていると怒られるのは付き合うようになった今とて何ら変わりはない。急いでノートを鞄につめこみ、椅子を引いて立ち上がったところで、けれど歩遊は俊史に腕を強く掴まれた。
「いっ…」
  それがあまりに強かったので思わず顔をしかめたのだが、間近に迫った俊史の顔がいやに不機嫌に思えた為に、歩遊はぎくりと動きを止めた。
「お前。貰ってないだろうな」
  そしてさらに、その低い声。やっぱり怒っていると思って歩遊は忽ち身体を竦めた。
「貰うって何を…?」
「太刀川のバカだ。あいつがお前に何か寄越してないかって訊いてんだ」
「な、何も貰ってないよ…」
  そもそも今日は耀とろくに話もしていない。俊史や戸部と同様、耀も朝からたくさんの女子生徒らに囲まれて大騒ぎだった。確かに一時、耀とは同じチョコ好き仲間として互いのお気に入りを買って交換しようなどとほのぼのとした会話も交わしていたが、事前にそれを察知した俊史によってその約束自体反故にされた。だから耀には何も貰っていないし、歩遊もあげていない。
「それならいい」
  歩遊の返答に俊史は偉そうにそう言うと、後はここが学校であることも構わず歩遊の唇に自らのそれを重ねた。
「……っ」
  それはあまりに自然であまりにあっという間の出来事だった為に、歩遊も身構える余裕すらなかった。しかもその傲慢さを感じさせる口づけは歩遊が驚き身体を震わせたのを境にますます激しくなった。何度も繰り返し唇を重ねられ、身を引こうとすれば舌を差し入れられて口腔内までまさぐられる。既に腰を抱かれ頬も撫でるようにではあったが片手で押さえられて身動きが取れない。誰かに見られたらどうしよう、歩遊は頭の片隅でそれを考えて余計に恐ろしくなったが、その真意を読み取るように俊史は尚窘めるような口づけを続けた。
  ようやく離してもらえたと思った時には歩遊の唇は熟れたように赤く、艶やかに濡れていた。
「俊ちゃん……」
「誰も来ないな。……来たって良かったんだ」
「えっ……」
「お前がそういう顔をするから」
  どういう顔と、問う間もなかった。俊史は最近本当にこういう、歩遊が分からない言い回しをすることが増えた。しかも答えをくれないまま歩遊に背中を向ける。よく分からないが怒らせたのだろうかと歩遊は慌ててその後を追おうとしたが、焦ったせいで手にしたと思ったはずの鞄をそのまま椅子から落とし、ついでに中の物もあっという間に全て床にぶちまけてしまう。
「あっ…!」
「……何やってんだ」
  俊史が振り返って呆れたような声を出した。それでもそのお陰で俊史の足を止めることはできた。歩遊は「ごめんっ」と謝りながらも急いで屈みこんで鞄から出てしまった物をかき集め、それを再び中へ入れようとした。
  ちりん。
  けれど、その時。
「あ」
「何だそれ」
  急いでかき集めた時、手に触れたそれが「僕はここにいるよ」とでも言うようにその音でもって自己主張した。歩遊はすぐにはっとしてそれを手に取ろうとしたが、それを見咎めた俊史の方が早かった。
「鈴…?」
「あの!」
  屈みこんだ俊史にそれを取られ、歩遊はあっという間に赤面した。殆ど条件反射でそれを取り返そうとするも、余計不審に思われてかわされてしまう。
  そして露骨に不可解な顔を向けられた。
「何だよ、これ?」
「な、何でもない」
「何でもないことあるか。明らかにおかしいだろ、こんなもん何に使うんだ?」
「……っ」
  俊史に嘘はつけない。かと言って本当のことを言うのも憚られる。恥ずかしいし、第一自分の気持ちだって定まっていないのに。
  俊史を好きなのは本当。自分は「俊史のモノ」なのだからと思う気持ちもあるのだけれど。
「おい歩遊」
「う」
  けれど当然のことながら俊史は待ってくれない。うじうじとした歩遊に苛立ちが募ったように剣のある声が降りかかる。歩遊はそれでびくんとして思い切り俯き、蚊の鳴くような声で「……プレゼント」と呟いた。
「プレゼント? 何の?」
「バレンタインデーの…」
「……誰にあてたものだ」
  一瞬の間があった。俊史はどこか躊躇ったような声でそう言い、依然として言い淀む歩遊に焦れたように声を荒げた。
「誰にあげる用のだって訊いてんだ!」
「そ! そんなの俊ちゃんに! き……決まってるよ……」
「俺…?」
  歩遊は尚も下を向いたままそう答えたが、見なくともそれによって俊史の怒りの気配が消えたのは分かった。ちろりと顔を上げると、俊史は案の定平静な表情に戻っており、それでも何か腑に落ちないという風で手の中の鈴つきリボンを握り直した。
「俺にって。どうせお前のくれるもんなんて一昨日のあれだろ? もう包装されてたじゃねーか。何でわざわざリボンだけ買う?」
  一昨日のというのは、有名洋菓子店が居並ぶ「デパ地下」へ行って買ってきた品のことだ。歩遊は小学生の頃から、バレンタインデーと言えば俊史に付き添ってもらって自分好みのチョコレートを買い漁りに出かけるのが常だった。だから今年も俊史と一緒に自分用のと俊史の物を買っていた。その場で交換しても良かったのだが、俊史が「火曜日にな」と当然のように言うからまだ渡していなかった。なるほど確かに、俊史は戸部の言うように「イベントごとを大切にする」類の人間なのかもしれない。
  それはともかく。
  だからというかで、俊史は自分が歩遊から貰えるチョコレートが何かはもう分かっていた。だからいきなり中味のないリボン……何故かそれには鈴がついている……だけが出てきても、不審に思うのはごく当然のことなのだった。
「えっと……あのチョコとは別に……」
「別?」
「チョコだけじゃ……それじゃ、いつもと同じだからって」
「は? ……誰かがそう言ったのか。優だな」
「………」
  あっという間にバレる。歩遊は項垂れながら、それでもそろりと俊史の顔色を窺った。
「俊ちゃん…。もし僕がチョコ以外の物をあげたら、俊ちゃんは嬉しい?」
「……別に。どうでもいい」
「どう…でも、いい?」
  くぐもった声でそう返されて歩遊は驚いて目を見開いたが、俊史はふっとため息を吐いた後、手元のリボンを遊ばせながら呟くように応えた。
「大してカネ持ってもいないお前から無駄に施されても却って気持ち悪いしな。お前は変な気を遣わなくていいんだよ。第一、優から言われたからそうしようなんて気分悪いだろうが。お前の意志でそうしたんだって言うならともかく」
「そりゃ……戸部君に言われたから気づいたんだけど。でも……でも、本当にそうかなって思ったから」
「何が」
「いつもと同じじゃ…このままじゃ、ダメかなって。折角……つ、付き合うようになったのに」
「……へえ。お前、俺たちが付き合っているなんて自覚、あったんだ?」
「え…」
  意地悪く言われて歩遊はざっと蒼褪めたが、俊史は構わなかった。心持ち不愉快になっていたのかもしれない。求めようとすると歩遊は頑なに拒む。それでいて自分たちは「付き合っている」などと言い、戸部に言われたせいで何か「チョコレート以外の物」もあげた方がいいかと迷う歩遊。
  ただでさえずっと溜めていた鬱屈がどうしても頭をもたげてしまう。
  こんなピンクのリボン。おかしな鈴までついている。こんな悪趣味な物で包まれたプレゼントなど欲しいものかと思うのだ。
「俊ちゃん……」
  そんな俊史の真意を歩遊は珍しく敏感に悟った。俊史が怒っている。それはそうだろう、恋人らしいところの全然ない自分。それでいてチョコレート以外の物もあげた方がいいかなんて本人に訊いて、しかもそのきっかけを作ったのは戸部という第三者の意見からで。居た堪れなくなり、歩遊はそっと俊史から鈴つきリボンを取り返した。今度は俊史もそれをかわそうとはしなかった。
  当然だ、元より要らない物なのだから。
「さっさと片付けろよ」
  残りの散らばった物もしまうように急かし、俊史は先に立ち上がった。歩遊は機械的に頷き、全てのものを鞄に収め直すと、未だ手にしていたリボンを最後に鞄の中へ押し込んだ。ちりんと音が鳴って、歩遊はそれにぴくりと耳を震わせた。
「今日は裏門から帰るぞ」
  俊史はもうそんな歩遊を見ていなかった。けれど図書室を去る間際、ふと思い出したように「それで?」と、どこか皮肉めいた声を出す。
「別にいらねーけど、お前、それで俺に何をくれるつもりだったんだ?」
  廊下は意外にも人通りが全くなかった。辺りの様子を窺いながら俊史はなるべく速足で進み、歩遊がきちんとついてきているか確認しつつ尚も話しかけた。
「何か考えてはいたんだろ? けど物がないところを見ると、まだ買ってないんだよな?」
「うん…。別に買う物じゃないから…」
  とぼとぼと後をついて歩く歩遊がそう答えるのを俊史は少しだけ不思議に思い、尚ちらりと振り返った。
「買う物じゃない? 何だよ、それ。元から家にある物とか?」
「うん…」
「はっ……超手抜き。ま、さっきも言ったけど、別にお前から無駄なカネ取りたいとは思わないから、いいけどな」
「うん…」
「で? あの趣味の悪いリボンで何を包むつもりだったんだよ?」
「……僕」
  歩遊のぼそりと発せられたその言葉の意味を俊史は最初全く理解できないようだった。

「…………は?」

  だから大分経った後で酷く間の抜けた返答を返したのだが、歩遊はそんな俊史に気づいた風もなく、ただ足を前へ動かして歩き続けていた。そうしているうちに思わず立ち止まった俊史すら抜かしていたのだがそれすら気づかず、歩遊はただ昇降口のある階下へと向かって歩を進めた。
  何だか心底落ち込んでいたのだ。
「戸部君は手でも首でもどこでもいいから、僕の身体のどこかにあれをつけて俊ちゃんにあげろって言ったんだけど…。僕、どうしていか分からなくて…やっぱり怖かったし。でも、俊ちゃんに何かしたいって思ったのも本当なんだ。本当だよ? でも……確かにそうだよね、調子がいいよね、こんなの。ごめん、俊ちゃん…」
「そん…っ……おい、歩遊――」
「もう言わない…。今度はちゃんと、自分で考えて、ちゃんと考えたら言うようにするから…」
  歩遊は淡々とそう続けた。俊史の声は聞こえなかった。一人でそこまで結論を出すと、さらにスタスタと足を速めて出口へ向かう。自分の考えていた事も、リボンを前に俊史との交わりを想像していた事も、とても恥ずかしくて堪らなかったから。
  だから歩遊はすっかりボー然として立ち尽くしてしまった俊史が、「今度っていつだよ…」と呟いたのも分からなかった。
  宙をかくように歩遊を掴みかけて失敗し、それによりこれ以上ないほどにがっくりきていた俊史の姿も。歩遊には見えていなかった。

  帰宅後の2人は例年通りチョコレートを交換し、その日のうちにそれを食べた。

  けれどその後、俊史が決まり悪そうに「折角貰ったもんなんだからつけてみろよ」とあの鈴つきリボンのことをけしかけてみても歩遊は絶対それに乗らなかったし、結局それは未使用のまま、戸部の元へ返却されることとなった。
  ――それでも何故か戸部からのお仕置きを歩遊が受けることはなかったのだけれど。