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「それにしても、相変わらず美形ねえ、俊ちゃん。これで高校2年生? 大人びた顔しちゃってまぁ〜」 先ほどから忙しなく話し続ける歩遊の母親は、その唇から紡ぐ大半を俊史への賛辞に費やしている。彼女は俊史しか誉めない。 「歩遊から聞いたけど、この間のテストもまた学年1位だったんだって? 凄いよねえ、ホント。顔も良くて頭も良くって。おまけに生徒会役員までやってるんでしょう? 将来有望だよ〜。ねえミキさん?」 「そうだね」 対して歩遊の父親である「ミキさん」こと幹夫(ミキオ)は、生来のものもあるだろうが、基本的にはいつも妻であるこの佳代(カヨ)に押されて自然無口になってしまうらしく、先ほどから相槌か同意を示す言葉しか出さない。後はただ食事のため手にしたナイフとフォークを黙々と動かし、時折ワイングラスを傾けるのみだ。 久しぶりに再会した両親は、歩遊の目から見ても「相変わらず」であった。母は煩く、父は静か。しかしその両極端な性格が却って良いのだろう、2人は仕事で意見をぶつける事はあっても喧嘩などはめったにせず、極めてうまくやれているとの事だった。 ホテルの豪華ディナーというシチュエーションに加え、久しぶりの両親との会話。歩遊は終始落ち着きがなかった。何だか心躍る気持ちでそわそわしてしまうのだ。 通常、一般的高校生男児ならば、隣家に住む幼馴染ばかりを誉め、息子の学年「81位」の快挙については何一つとして触れない母に面白くないものを感じるだろう。仕事の話にしても、息子の歩遊にではなく、俊史にばかりぽつぽつと話して聞かせる父を見たら、「何故自分には何も教えてくれないのか」と憮然とするに違いない。 けれど歩遊はそんな僻みめいた気持ちは微塵も抱かない。 確かに、彼らが遅刻する旨を俊史にだけ連絡してきた時は多少恨めしい想いもあったけれど……、いざこうして顔を合わせてしまえば何という事もない、全てを流して喜んでしまう。それに、両親が大好きな俊史を誉めてくれるのは単純に嬉しいし、とても誇らしい。 俊史が両親と楽しそうに話してくれるのを見ると安心する。 この時間は、舞い上がるほどに楽しい。 「歩遊。デザート来たぞ」 「え? うわあ」 そうこうしている間に歩遊にとってのメインディッシュであるスペシャル仕様のクリスマスケーキが円卓の上にやってきて、それを俊史から教えてもらった歩遊は思わず感嘆の声をあげた。 「すごい!」 「ふふふ〜。でしょう? ここのシェフってフランスの超有名店で馴らした有名パティシエなんだからねえ! 大分前に予約したんだからあ!」 キラキラと目を輝かせる歩遊に佳代は満足気だ。普段から歩遊には大して興味の色を示さない「薄情」な母親だが、勿論実の息子に対し愛情が全くないわけではない。俊史の方ばかり誉めるとしても、歩遊の事とて可愛いには違いないのだ。それは父親の幹夫にしても同じ事で、自分が切り分けたいと珍しく積極的に乗り出してケーキを見つめる息子の姿に微笑ましい視線を向けている。 クリスマスイブらしく、家族揃っての至福のひと時。 キラキラと輝く色とりどりの美しいツリーを背景に、レストランではいつしかピアノの生演奏が始まり、豪華な色に更なる華を添えていた。 夢みたいだ、と歩遊は思った。 甘いケーキもおいしい食事も。 両親の笑顔も、珍しく柔らかい雰囲気を見せる俊史の姿も。 全部が全部、自分にとって愛しく大切なものばかり。 大きなガラス越しから臨める外の風景は、昼間から降り始めた粉雪が依然として静かに舞い散っている事もあり、とても神秘的で美しい。部屋に戻ったらこの風景をあの上階から眺めてみよう。きっととても綺麗だと想像しながら、歩遊は満面の笑みでその幸せな時間を謳歌した。 ただ、そんな楽しいひと時も然程長くは続かなかった。 「あ、ちょっとごめん」 4人で広いラウンジに移り、先ほど出されたケーキの残りと美味しい紅茶を楽しんでいると、不意に佳代の持つ携帯がけたたましく鳴り響いた。彼女はすぐにそれに反応して席を立ったが、咄嗟にきついものに変わった表情からして仕事先の電話である事は間違いなかった。 歩遊は途端表情を暗くした。 「まさか、こんな時間から呼び出しはないよね…?」 「あるかもな」 「えぇ…」 僅かな希望をあっさりと打ち砕くかのような父の素っ気無い返答に、歩遊は思わず不平の声をあげた。 「仕事行くの?」 「場合によってはね」 「今日はやめなよ…」 折角家族が揃ったのに。ホテルに一緒に泊まるのに。 いつもは我がままを言ったりしない。仕事の内容を詳しくは知らないけれど、長年大してお金にもならない、むしろ借金を多く抱える小さな出版社を切り盛りしている2人は、生活の為というよりは自分たちの「使命」によって動いている事を歩遊はよくよく知っていたから。 だからいつもは2人が全く家に帰ってこなくとも、息子である歩遊をまるで顧みてくれなくとも、じっと黙って我慢している。歩遊は熱心に仕事をする両親のことを心から尊敬しているのだ。 でも、今日くらい。 「父さんも、今日は歩遊といたいな」 すると歩遊の心を読んだかのように父がぼそりと口を開いた。驚いて顔を上げると、歩遊の年齢よりもやや年老いて見える父親は、顎に薄っすらと残る白い不精髭を大きな掌で撫で回した後、優しい目をして笑った。まじまじと見ると、その白いものは顎だけではない、頭髪にも随分と目立つようになっていた。いつも若々しくてとても40代には見えない俊史の父親とは大違いだ。 それでも、ゆったりとした雰囲気を醸し出すこの父の傍にいるのが歩遊は好きだった。 「歩遊は今の生活、どうだ?」 「えっ…どう…って?」 その父が突然そんな事を訊いてきたものだから歩遊は途惑った。思わずちろりと隣に座る俊史を見たが、いつもはすぐに助け舟を出す幼馴染が何故かこの時は全く知らぬフリをして紅茶の入ったカップを傾けている。食事の時、あまりにも話題の中心が自分ばかりだったから、今度は父と息子で話しでもしろと遠慮しているのかもしれなかった。 「今の生活…別に、いつもと同じだけど」 本当は色々と話したい事があったはずだが、いざ直球で訊かれると何から切り出して良いか分からなくなる。歩遊は素直に、今頭にのぼった考えを口にした。 「特に問題ないかな」 「独りの家にいて寂しくないか」 「そんなの。今さらだよ」 それは心からの気持ちだったので偽らずに歩遊は答えた。 独りで寂しくてどうしようもなかったのは、祖母が亡くなった中学3年から暫くの間だけだ。確かに誰もいない家はしんとしてガランとして、今の時期などは特に心細い気持ちもしていたが、今はもうすっかり慣れた。 それに。 「俊ちゃんが来てくれてるし」 そう、今は俊史が毎日のように食事を作りに来てくれる。 さすがに泊まるまではしないけれど、それでも大分遅くまで残ってくれて一緒に宿題をやったり、テレビを見たり。寂しい想いを感じる暇などない。 そういえばああして俊史が頻繁に家に入り浸るようになったのはいつからだっただろう。 歩遊は今さらながらその事を不思議に思った。 「この間、貴史君から聞いた。歩遊、お前、俊君に夕飯作ってもらっているんだって?」 「えっ。う、うん」 いつも父は母の佳代とは違ってとても優しい。おっとりとしていて歩遊を責める事などめったにないし、俊史との比較もしない。 だからこの時の父の言葉にドキリとして、歩遊は自然身体を硬くした。 「普段の服装まで俊君に面倒見てもらっていると聞いたよ。まさか洗濯までしてもらっているって事はないだろうね?」 「えっ…えっと…」 「洗濯も掃除も、それに食事の後片付けだって歩遊が自分でやっていますよ」 さらりと俊史が間に入ってそう答えた。歩遊が慌てて俊史を見ると、俊史は依然として視線は歩遊たちの方に寄越さず、カップを手にしたまま平然と静かにしている。 それでも歩遊が自分の行動で責められると思ったのか、俊史はカップを置くと幹夫に向き直って人好きのする笑顔を浮かべた。 「俺、料理をするのはいいんですけど、後片付けが苦手だから。その点、歩遊がそれ全部やってくれるから助かります」 「俊ちゃ…」 実は後片付けとて、殆ど俊史がやってくれている。「お前はトロイから手伝わなくていい」とむしろ邪険にされてしまうので、歩遊がやっている事と言えば、せいぜいが茶碗を流しまで運ぶ程度だ。 歩遊が焦って口をぱくぱくさせているのにも構わず、俊史は平然として尚もスラリと嘘をついた。 「親父、ミキさんに何か変な事言いました? あの人、この間も酔っ払って歩遊んとこ行ったと思ったら、無駄に歩遊に抱きついて離れなかったり、真面目に性質悪いですよ。自分の親ながら恥ずかしいです。ミキさんから締めて下さい。あいつ、最近本気で調子乗ってるんで」 「そ……!」 確かに「抱っこ」はされたが、別に酔っ払ってはいなかった。 俊史の父・貴史はよく歩遊を気に掛けてくれてとても優しいし、調子に乗っているだの何だの、そんな事は断じてないのに、俊史はわざわざ自分の父親を貶める事を言う。しかもそれは今だけの話ではない。しょっちゅうだ。 しかしそれは違うと抗議しようとしたところですかさず俊史から睨まれたものだから、歩遊は反射的に黙りこんでしまった。 「……分かった。その点は私からしっかりと問い詰めておく事にしよう」 すると幹夫は幹夫で、俊史を無条件で信じているのか、或いは別の考えでもあるのか。 実にあっさりとその嘘に頷き、再び柔和な笑みを浮かべながら、弾力のあるソファにどっかりと背中を預けた。それから「やれやれ」と首を横に振る。 「何にしろ、俊君には迷惑を掛けるな」 「いいえ、全然」 「今度また少し手伝ってもらいたい事があるんで、事務所に来てくれよ。母さんも俊君が来ると俄然張り切るんでね」 「分かりました」 「……ただ、歩遊の事は――」 けれど幹夫が少し言い淀みながらも何かを伝えかけた時。 遠くで電話を掛けていた佳代が手を挙げながら近づいてきた。やはり仕事のようだ、タクシーを頼んだと外を指差しながらジェスチャーする彼女に、幹夫も黙って頷き、ゆったりと立ち上がった。もう出しかけた言葉を続ける気はないらしい。露骨にがっかりした顔を見せる歩遊の頭をぽんぽんと叩いて、幹夫は「歩遊」と優しく笑んで「悪いな」と謝った。 そうして次に俊史を見やる。その表情からは何も読み取れなかったのだが。 幹夫は淡々とした様子でさらりと言った。 「いつもこんなんじゃ、俊君にも何も言う資格はないな」 「……言ってもいいですよ」 「いや。また今度にしよう」 「お父さん…?」 何か含むような言い方をする父と、それに対して実に真面目な顔をしている俊史。食事の時にはまるで感じられなかった異質なその空気に、歩遊は怪訝な顔をして眉をひそめた。 しかし歩遊が何かを問い質そうとした時には、父・幹夫は既に元の温和な顔に戻っていた。 「歩遊。さっき着ていたコート。とても似合っていたよ」 「え」 「お父さん達のプレゼントは部屋に運ばせてあるからね。後で見ておきなさい」 「お父さ――」 「もうやんなっちゃうわ、いつでも急なんだから! 歩遊、俊ちゃん、ごめんねえ!」 言いかけた歩遊に母親の佳代が割って入り、「すぐに戻らなきゃ」と息せき切って言ってきた。そんな佳代は、しかしもうコートも羽織り、何故かきっちりと化粧までし直している。見た目ボーイッシュで普段は不精な感じの母親だが、仕事の時はいつでも素早く「よそゆき」に戻る。それが彼女のポリシーらしい。 「明日も無理だから、ディズニーランドは俊ちゃんと2人で行ってね。ごめんね、お正月は帰れるようにするから。御節、もう予約してあるし」 「お母さん…」 「もう〜! そんな泣きそうな顔しないでよー。お母さんだって今日は歩遊と親子水入らずって思ってたんだからぁ。でもしょうがないよ、これがお母さんたちの人生だもん。ね?」 「う、うん…」 物凄い勢いで何だか無理矢理の説得をされ、歩遊は流されるままに頷いた。思うに、歩遊が何でもかんでも自分の言いたい事を言えずに力なく頷くようになってしまったのは、どうにも俊史1人だけのせいではないのかもしれない。 そんな嵐のような佳代は短く赤茶けた髪の毛をしきりに撫で付けながら、相変わらずの早口で今度は俊史に向かって口を開いた。 「俊ちゃん、プレゼントの事、ミキさんから聞いた? 歩遊のと一緒に俊ちゃんのもあるからね。良かったら使って? それから、また事務所手伝いに来てね!」 「はい、分かりました。プレゼント、ありがとうございます」 丁寧に礼を言う俊史に佳代は嬉しそうに笑って手を振った。 「ああ、いいのいいの。うちの歩遊だってどうせ貴さんから色々貰うんだろうから。何か家に送ってくれてるらしいわよ? 歩遊、あんた後でちゃんとお礼しておきなさいよ! えーと、あとね、あとね――」 携帯をパタパタと開いたり閉じたりと忙しない動作をしながら、しかし佳代はこれが最後とばかりにびしりと突然俊史を指差し、急に嗜めるような眼差しを向けて言った。 「俊ちゃん、あんまり歩遊のこと甘やかさないでねっ。歩遊を可愛がってくれるのはありがたいし嬉しいけど、自分の事は自分でやらせてちょうだい。歩遊、あんたもねえ、パンツくらい自分で買いなさいよ!?」 「えっ」 「ミキさんから聞いたと思うけど!」 「その話はしかけてやめた」 ぼそりと言った幹夫の言葉に、しかしこの時は歩遊だけでなく俊史もまともな返答が出来ずにいた。 そうこうしている間に、2人はさっさと身支度を整えて去って行く。 「じゃーねー! またね、メリークリスマス! 良い夜を!」 「お、お母さ…」 にこにことしてホテルを後にする母親と、背中を丸めながらゆっくりとその後について行く父親。歩遊はただボー然としてそんな2人を見送る事しか出来なかった。 「あの野郎、余計なこと吹き込みやがって……」 そんな中、俊史はぼそりと陰の篭もった声を零したが、多少焦った心持ちでいたその時の歩遊には何も聞き取れなかった。 両親は、自分たちのおかしな共同生活について、本当はもっと何か言いたい事があったのかもしれない―…。歩遊の胸にはそんな想いがぽつんと残った。 「あれ…」 ふと意識が戻った時、歩遊は「ここってどこだっけ?」と思った後、ハッとして上体を起こした。 折角今夜は豪華なホテルで一泊出来るのだから目一杯夜更かししようと思っていたのに、いつの間にか眠ってしまったらしい。両親が仕事に行ってしまった事は残念だったが、豪勢なディナーにケーキまでたくさんたいらげて歩遊は満腹だった。おまけに部屋に備え付けてあるジャグジーに夢中になって長く風呂に浸かっていたものだから、その後はもうすっかり睡眠モードだったのだ。キングサイズのベッドにふざけてダイブした後の記憶がない。 「俊ちゃん…?」 傍にいるはずの幼馴染の名を呼んで、歩遊はきょろきょととあたりを見回した。 ベッド脇の小さなランプが微かに灯っているものの、室内は暗い。それでも俊史の気配がないのは容易に分かり、少しだけ開かれたドアの向こうから明るい光が漏れている事から、俊史が隣室にいるだろう事だけ予想出来た。 歩遊はベッドを下り立って俊史の元へ向かった。室内は暖かく、身に付けている物が持参してきたパジャマだけに裸足でも、全く寒くない。 「俊ちゃん」 何度か目を擦りながら広い空間へ戻ると、俊史は大きな窓ガラスの縁に腰をおろして外の夜景に目をやっていた。 「起きたのかよ」 そうして歩遊がこちらへ近づいてくるのにやや驚いたような顔を向けた後、何故かふいと視線を逸らして黙りこくった。 「……? うん、ごめん」 「何で謝んだ」 「だって…DVD一緒に観ようって言ってたのに。僕、知らない間に寝ちゃって」 「別にいい」 俊史は素っ気無く返事をした後、またやや俯きがちになって外へと目を向けた。 「……?」 夜中だからこんなに静かなのだろうか。そんな俊史の態度に不審なものを感じながら、それでも歩遊は自らも俊史の隣に膝をついて、ガラス窓の向こうに広がる夜景に「わあ」と感嘆の声をあげ、そこへへばりつくようにして両手をついた。 「凄いね! 綺麗だね! あちこちライトアップされてる!」 「クリスマス仕様だよな。電気勿体ねえ…」 「そんな…。きょ、今日くらい、いいんじゃない?」 興をそがれるような事を言われて歩遊は少しだけがっくりときたが、それでも外の景色からは目を逸らせない。このホテルの部屋に入って外を見た時もその絶景には感動したが、夜は夜で特別にライトアップされた海岸沿いと、その周辺に広がるビル群や人口森林に縁取られた明かりが美しく、素直に感動してしまう。海を停泊する大型船にも細かい装飾が施されていて、遠目からも鮮やかだ。もう大分遅い時間だろうが、こんなに素晴らしい夜景を楽しめるのならば、きっと街下はまだ多くの人でごった返しているに違いない。その賑やかで楽しそうな情景は歩遊にも容易に想像出来た。 「外、行きたいな。凄いよね、近くで見たらもっと――」 「バカ、こんな時間に外なんか出たら、お前なんか一発で風邪引く。まだ雪もちらついてんのに」 「でも…」 「諦めろ。ここからでも十分見てられんだろ」 「うん…」 俊史が駄目と言ったら絶対に駄目だ。残念な気持ちを必死で抑えながら、それでも歩遊は外の景色にじっとした視線を向け続けた。あれだけ眠かったのに、もうすっかり冴えている。むしろうっかり寝てしまった数時間が酷く勿体無いもののように思えた。 「俊ちゃん、ずっと見てたの、外?」 はしゃいで横にいる俊史に問うと、当の幼馴染は全く興味がないように「ああ」と言ったきり、また意味もなく足元を見つめてしまった。 「……? どうしたの?」 やはりどこか様子が変だ。歩遊がいよいよ不思議になって首をかしげると、俊史は眉をひそめて「何でもない」とぶっきらぼうに答えた後、不意に立ち上がってソファの方へ移動してしまった。 「あ……」 何か怒らせるような事を言ったのだろうか。それとも、やはり勝手に眠ってしまったのがいけなかったのだろうか? 歩遊は途端不安な気持ちになり、慌てて俊史の後を追った。折角クリスマスを一緒に過ごしているのに、1人放っておかれたらそれはつまらないだろう。歩遊は慌てて俊史の傍へ行って謝った。 「ご、ごめん。DVD観ようって…ゲームもしようって僕から言ってたのに、寝ちゃって」 「さっきも言ったろ。そんな事どうでもいい」 「でも…怒ってるよね?」 「別に」 素っ気無い。歩遊は余計困ってしまい、その場でオロオロと身体を揺らした。この部屋へ来るまではまだこんな風ではなかったはず。やはり歩遊がうっかり眠ってしまってから俊史の機嫌は下降したのだ。 「別に、怒ってない」 けれど俊史も歩遊の泣き出しそうな顔にようやく息を吐き、首を振った。それから何ともなしに歩遊の手を取って隣に座らせ、握ったその指先を眺めながら「怒ってない」と繰り返す。 「でも…」 「ちょっと考え事してただけだ。別にお前に怒ってなんかいない」 「本当?」 「ホントだよ」 「じゃあ…考え事って何?」 「………」 歩遊が訊ねると、俊史はぴたりと歩遊の指先をいじっていた手を止め、急に凝固したように身体の動き全部を止めた。それに歩遊がドキンとして自らも身体を震わせると、俊史はそれに自分こそが驚いたという風になって顔を上げた。 そうして暫く、2人は黙って見つめ合った。 「俊ちゃ…」 堪らなくなって先に声を出したのは歩遊だ。 やっぱり俊史は何か隠している。それに、考え事というのも絶対自分と関わる事だ、それは瞬時に分かった。 それで不意に両親が何やら含みのあるような物言いをして去っていった事を思い出してはっとする。 「あ、あのさ…。お母さんたちが言った事、考えてた?」 「は…? 何でだ…」 その発言に俊史は虚を突かれたような顔をした。それで歩遊も「ああこれは違うのか」と思ったのだが、今さら引き返すのもと思い、途惑いがちに口を開いた。 「あのさ…。お母さんたち、俊ちゃんが僕にしてくれてる事、あんまり良く思ってなかったみたいだし…。単に僕が俊ちゃんに頼ってばっかりで迷惑掛けてるだけなのにさ…。それで…何か、気分悪くしたかなって」 「関係ねえよ…」 「そ、そう、なの…?」 「あんなの。前から言われてた事だし。あんまお前の事構い過ぎるなって。ミキさん達はお前が自分で何もできなくなる事を心配してんだろ」 「そ…そうなんだ…」 どうでもいいが、何故俊史は先ほどから自分の手をずっと握っているのだろう? それが途端気になりだして、歩遊はどもりながらさり気なく手を引こうとした。 いつでも歩遊はこの手を取ってくれる俊史を頼ってきた。それを当然のようにしてきた。その手は時に厳しいけれど、でも温かくて安心できる、絶対のものだ。歩遊にとって大き過ぎる存在。 けれど確かに、それにずっと依存し続けるのはいけないと思う。 俊史とて言っていたではないか。自分たちがいつまで一緒にいられるか考えろと。もう少し俊史との事を考えろと。 甘えてばかりいては駄目なのだ。 「僕も…もっとちゃんとしないと、いけないよね」 だから歩遊はそう言ったのだが、俊史はそれに対して眉間の皺を深くしただけだった。一体お前は何を見当違いな発言をしているのだと言わんばかりの顔で。 それでも歩遊は負けじと続けた。 「俊ちゃんにはいっぱい迷惑掛けてるからさ…。だから僕も、来年はもう少し自分の事は自分で出来るように頑張るよ」 「……何で急にそんな話になるんだよ」 「え? だって俊ちゃんに迷惑掛けたり…困らせたりしたくないし…」 「だから俺は……別にそんな事考えてたんじゃない……」 珍しく気弱な声を出した俊史は、けれど急に苦しそうな顔を閃かせたかと思うと、すっと顔を寄せて歩遊に唇を近づけた。 「あ…」 キスされるんだ、と思った瞬間、予想通り俊史の唇は歩遊のそれを捉えた。 「……っ」 こうして俺たちは何度もしているだろう、こうしてキスをしているだろう、と。 夕食前に俊史は確かにそう言っていた。歩遊はその言葉をぼんやりと思い浮かべながら、何度も離れては重ねられる俊史からの口づけを甘んじて受け入れた。恥ずかしくて目を開けている事はできなかったが、ちゅっちゅと音を立てて繰り返されるそれは心地良くて胸がドキドキして、自然歩遊の頬を熱くさせた。 「歩遊」 そうして俊史がそっと囁いてきたその声にゾクリと身体が震えた。 「あ…」 自分のその身体の変化に怖くなって目を開くと、間近にいた俊史とばっちりと目があった。 俊史は歩遊のどんな些細な動きも見逃さないとばかりに鋭い眼光をちらつかせたまま、今度はずっと握っていた歩遊の指先に唇をつけた。 「しゅ…俊ちゃん…?」 呼びかけたが返事はない。俊史は歩遊の指先を1本1本舐めるようにして丁寧なキスをし始めた。自然カッと赤面し、歩遊は何とかその手を引こうとしたが無理だった。俊史の所作が妙に艶っぽくて、とても綺麗で。自分も目を離せないのだけれど、どうして良いか分からなくてパニックになる。 俊史が度々仕掛けてくる、「こういう事」が歩遊には分からない。 キスは嬉しいけれど、とても怖い気持ちもあるから。 「歩遊」 けれどそうこうしているうちに俊史は更に歩遊に接近し、もう一度と言う風に口づけをしてきた。歩遊がぎゅっと目を瞑ってそれを受け入れると、俊史は急に立ち上がり、すかさず歩遊を軽々と抱え上げて、先刻まで歩遊が眠っていた隣室へと歩いて行った。 「しゅ…俊ちゃん…?」 キングサイズのベッドに寝かされ、上から覆い被さるように俊史に見下ろされて、歩遊は心臓が破れるくらいにその鼓動を早めた。俊史がいつもと違う。目が爛々としていて、どこか殺気立っていて。それでいて、キスはあんなにも優しい。 でも、やはりどこかいつもと違う。 「どうしたの…どうしたの…」 何か言って欲しくて歩遊は訊いた。けれど俊史は答えず、歩遊の頬にキスを落とし、それからこめかみの辺りに舐るよう舌を這わせた後、歩遊の身体をまさぐりながら首筋にも噛み付くようなキスを仕掛けてきた。 「いっ…」 悲鳴にも似た声をあげると、俊史がぴたりと止まった。それでも歩遊の身体から離れる事はしない。それどころか動きを再開し、歩遊のパジャマを引きちぎらん程の勢いで乱暴に左右に開くと中のシャツもたくしあげて、露になった歩遊の胸に口を寄せ、そこにもキスを落としてきた。 「ひっ…」 乳首を吸われるようにして噛まれ、歩遊はぴくんと背中を逸らせた。俊史が何をしているのか分からない。がくがくと震えが走り、歩遊は固まって動けなくなった身体を小刻みにぶるぶると震わせながら、ただ必死に俊史を見つめようとした。 「俊ちゃん…」 「……あのまま眠っていたら、しなかった」 「や…やめ…」 ちゅくちゅくと胸を吸われる。その合間合間にそんな事を言われて、歩遊はただ混乱した。 胸が熱い。身体中が燃えるようだった。 「けど、お前はバカみたいに無防備で。ミキさんたちだって俺を牽制はするくせに、平気で二人きりにさせる。何なんだ……バカにされてんのか、俺は」 「何…? 何、俊ちゃん、やめ……」 「考えろって言っただろ」 「え」 「俺のこと。考えろって言っただろ」 ふと顔を上げた俊史に睨みつけられて歩遊はごくりと唾を飲み込んだ。だから考えてる。考えようとしているところだった。それなのに突然こんな事になってしまって、俊史に裸にされて、胸にキスまでされて。 自分の身体はとんでもなく火照っている。 「ど…どうし…俊ちゃ……僕っ」 「………分かんないか。身体はこんなでも?」 「や…ひぁっ」 不意に股間を握られて歩遊は思い切り声をあげた。あわあわと唇だけが開くが、まともな声は出ない。ただ「いや」に近い空気音だけが外に漏れて、けれどそれに反して身体は熱くて。 どうして。分からない。俊史が何をしたいのか分からない。 「やだ…やだ、こんな……」 「何で。俺に触られるの、嫌か」 それでも、俊史はもう歩遊のパジャマズボンも足首までずり下ろし、歩遊の性器を下着の上からまさぐった。 「やっ」 歩遊は堪らずぶわりと泣き出して、あの時と同じようにいやだと、やめてと、ただ懇願した。 分からない。俊史とこういう事をするのは、分からない。 「ひっ…い…しゅ、俊ちゃん……俊ちゃ……」 「いやか……」 「やだ…あっ…いや、だ……」 「………」 「やだ……」 とにかくゆるゆると首を横に振った。あっという間に頬は涙で濡れていた。 それでも歩遊はあがくように俊史の腕をがつりと掴み、何度も首を振っては「いやだ」と繰り返した。怖い。この先が怖い。どうなってしまうのか恐ろしい。 「………っ」 爛々とした俊史の眼は、歩遊を捉えて離さなかった。ぼろぼろと涙を落とす歩遊に何度も押し潰すような口づけがなされる。歩遊はそれに必死に答えながら、それでも唇が離された時は「いやだ」と言った。 俊史が「嫌」なわけはない。俊史のことは大好きだ。 でも、何だかこれは違う気がする、と。思ってしまった。 その時、不意に外から携帯の音が鳴り響いた。 「!」 二人同時にそれにびくりとして、お互いに動きが止まった。歩遊は涙で泣き腫らした目をして俊史を見つめ、俊史は俊史で酷く驚愕したような顔をしていたが、それでも歩遊を拘束したまま暫しその場を動こうとはしなかった。 それでも携帯は鳴り止まない。 「……くそっ!」 すると俊史が怒ったように声を出し、そうして歩遊から離れた。歩遊は慌てて自分も起き上がり、パジャマの裾をきっちりとあわせるようにして裸になっていた胸を隠した。俊史にキスをされて舐め上げられた乳首がじくじくとしていた。下着が少し濡れてしまった事も恥ずかしくて堪らなかった。 「……分かってますよ」 隣室の向こうでは俊史が電話で誰かと話していた。歩遊がよろよろと近づいてそんな俊史を見やると、俊史は電話を切った後、はっとして歩遊を見つめ、それから決まり悪そうにしながらも「来いよ」と手を伸ばした。 「………」 歩遊は黙ってそれに従った。 「電話…誰…?」 近づいた途端きゅっと強く抱きしめられて、歩遊は一瞬息を詰まらせた。それでも何とか訊くと、俊史は「お前の親」とだけ答えた。 「え…?」 「ちゃんと寝てるかって。うぜェんだよ、ちくしょう。反対なら預けてんじゃねェよ…!」 「俊ちゃん…?」 「……っ。何でもない。もうしない」 「………」 「お前が嫌がる事はしない…」 そう言って俊史は歩遊の髪の毛に優しいキスを落とし、またぎゅっと抱きしめた。歩遊はそんな俊史の胸に顔を押し付けたまま、ドキドキする心臓の音が俊史に聞こえやしないかとそれが心配だった。 「俊ちゃん…」 ああいうのは怖いけれど、でも、これは好きなのだ。 それを伝えて良いのか悪いのか、歩遊には判断がつかなかった。 だからどこか悲痛な様子で自分を抱きしめ続ける俊史にただ抱かれながら、歩遊はそっと俊史の背に自分の手を回した。 「俊ちゃん……」 そのかすれたような声は、しかし俊史にも届いたようだ。俊史はぴくと反応を返した後、今度は歩遊の額にキスを落とし、それから「悪かった」と謝った。 俊史が歩遊に謝るなど、本当にどれくらいぶりだろうか。 歩遊はそれに途惑いながらも、それでもその時は「僕もごめん」とだけ答えた。 |
了 |
歩遊の両親はホテルの部屋に盗聴器でも仕掛けてんのか(笑)?
俊史の気持ちには理解を示しつつ、でも複雑…ってところでしょうか。
これでもホントにゆっくりと近づいてます〜…たぶん(ヲイ)。