「お前…あいつらの事、どう思ってるんだよ」
「え…?」
  ベッドに戻って布団を掛け直した歩遊に俊史は思わず訊いていた。もうこれ以上は揉めたくないのに。もう止めようと思っているのに。
「え、じゃねえよ。太刀川や香月のバカの事を…どう思ってるのかって訊いてんだよ」
「ど、どうって…」
  俊史の質問の意を汲みかねているのだろう、歩遊は思い切り途惑いの色を含ませてから、それでも遠慮がちに答えた。
「耀君は友達で…先輩は、先輩、だよ」
「………」
「あっ…先輩は…昔、遊んだ事がある人だから…ちょっと、友達でも、あるけど」
「何だよそれ。意味分かんねえ」
「………」
「あんな奴。ちょっとしかいなかっただろ」
  俊史と歩遊は互いがずっと一緒だったから、基本的に「友人」や「知り合い」は一緒であり、共通している。けれど本当に幼い頃、磯城(しき)山という子どもたちの遊び場だった小さな裏山では、一時歩遊だけの友達がいた。それがシュウだ。
  彼は学区も違い、俊史らとの遊び仲間ではなかったが、歩遊が孤立し、俊史を待つ為に山の奥まった大樹の傍にいる時には何故か必ずフラリと現れ、泣きべそをかく歩遊と共に楽しくお喋りをしていた仲らしかった。
  そんな存在がいたという事を後に知らされただけで、当時の俊史は胸が引き裂かれん程の衝撃を受けたし、怒りを感じたのだが―…、当のシュウが間もなく家庭の事情とやらで海外へ越してしまったので、そのある種危険な感情は俊史の中でも無事消化されていた…はずだった。
  けれどどんな因果か、二人が無事「両想い」となって、「付き合い」を開始し出したあたりから、この男はまた俊史たちの間をうろちょろするようになったのだ。
「俊ちゃんは、先輩たちが嫌いなの」
「…っ」
  また気持ちが他所へ飛んでいた。
  歩遊の言葉に俊史は意表をつかれ、一瞬返答が遅れた。けれど歩遊はそれを自分の質問に対する肯定と受け取ったのか、掛け布団の上でぎゅっと拳を握りしめて俯いた。
「『別に話してもいい』って言っても…一緒にいると、怒るし」
「……怒ってねえよ」
  あまり妬きもちをやくのもみっともないと思って、最近では耀や香月との会話を黙認していた俊史なのだが……だからこそ、この時の歩遊の台詞にはカチンときた。
「別に、それを責めてないだろうが。お前が今日したバカな事を怒ってんだろ。現に今だって熱が―」
「熱なんかないよ」
「………」
  すぐさま反論してきた歩遊にまた俊史の胸の中がチリチリと燻り始めた。やめろ、もうやめておけ。もうそのくらいにしておかないと、また俺は耐え切れなくなる―。
  そう思いながら、それでも俊史は自分に逆らおうとしている歩遊から目が離せなかった。
  その瞬間は酷く怖いものなのに。
「全然…平気、だよ。俊ちゃんは僕を、子ども扱いし過ぎだよ。僕だって…自分で、考えて…行動、してるんだから」
「何だよ……」
「僕が決めてやった事なんだから。そんなに怒らなくても、いいじゃないか」
「テメエ…」
「あっ!」
  俊史が「テメエ」と言ったら危険信号。
  それは俊史自身よりも被害者である歩遊の方がよくよく分かっている事である。だからあれだけ珍しく、それこそ雪が降るのではないかという程に長い台詞で俊史に抵抗を示した歩遊は、俊史のぼそりと呟いたその「単語」だけで、忽ち大きな白旗を揚げた。
「ご、ごめん! 僕…っ。ごめん!」
「………」
「俊ちゃん心配してくれたのに! なのにっ。ご、ご、ごめんっ、でも僕…!」
「『でも』とか言ってる時点で、反省なんかしてねーんだろッ!」
「ひっ」
  俊史の怒声に歩遊は小さな悲鳴を上げた。逃げる場所もないのにベッドの上でじりと身じろぎし、それから力なく掛け布団を両手で握りしめる。
「バカ!」
  その所作にすらイライラして、俊史は何の意味も意図もなくその掛け布団をバッと取り上げ、そのままの勢いでそれを自分の足元に投げ捨てた。
「あっ…」
「熱なんかないんだろ? 寝てなくても平気なんだろ? だったら、もう、こんな物、いらないだろうが!」
「ご、ご、ごめ…」
「聞き飽きてんだよ、お前のその言葉は!」
  小さな唇を戦慄かせ、瞳に涙を滲ませている歩遊の姿は、本当に無力な草食動物のようだと思った。
  苛めなくても、責めなくても、歩遊はもう自分に抗う力を残していない。これ以上やっても傷つけるだけだ。
  それなのに。二人は恋人同士のはずなのに。
「何かっていうと、へこへこ低姿勢で謝ってりゃ済むと思いやがって…。お前のそういうところが、俺は前からむかついてしょうがなかったんだよ!」
「…っ」
「お前が俺を好きだと言ったから! 言っただろ? だから! 腐れ縁だし、仕方なく面倒見てやってたんだろうが! 面倒臭いお前なんかの面倒を、だ! お前なんかと知り合いにならなきゃ、俺はこんな気持ちにならなくても済んだのに!」
  どうしたのだろう、アクセルを踏み過ぎたのだろうか。ブレーキが利かない。
  歩遊の方も驚きで声を出せず、俊史の癇癪に射抜かれて殺されて。
  つっと涙を落としている。零している。それは頬を伝うでもなく、小さな透明の丸い粒となって、面白いようにぼたぼたと下方へ落ちていた。
  それはやっぱり綺麗だと俊史は思った。
  それなのに、言ってしまった。

「お前なんかと関わり合いになったから、俺はこんなに面倒なんだ!」

  こんなはずじゃなかったのに。
  遂に耐え切れなくなった歩遊が、それこそ何年ぶりかくらいにわんわんと声を大にして泣き始めてから。
  俊史はようやく、己の中の暴走を鎮める事が出来た。
  それはもうかなり、手遅れだったのだけれど




「長過ぎる日帰り旅行」より一部抜粋