「白雨」 |
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柚樹翔 様 作
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喧騒に、背を向けて。 角をひとつ曲がると、周囲の時の流れとは無縁に在るような路地に出て。 別な空間に誘われたような、心持ちになる。 いつもなら、その雰囲気を楽しみながらゆっくりと歩むのだけれど。 天候がそれを許さない。 突然降り出した雨は、水桶を引っくり返したような、とでも表現したくなるような勢いで。 一向に止む気配を見せず。 傘を持たずに出てきた僕は、さして時間もかからずにすっかり雨に濡れてしまった。 折りたたみ傘の準備くらいしてから出て来れば少しはましだったかと後悔するけれども、どうしようもない。 唯一の救いは、目的地にかなり近づいているということだろうか・・・・・・。 所々に出来た水溜まりにも構うことなく、僕は足を急がせた。 足を止めたのは、歴史を感じさせる佇まいをした店の前。 店の名前は────「如月骨董品店」。 「やっと、着いた・・・・・・」 知らず、安堵のため息が零れる。 ・・・どうぞ、いてくれますように。 独りごちて、店の引き戸に手を掛ける。 扉は、カラカラと音を立てて難なく開いた。 「いらっしゃい・・・・・・龍麻!?」 珍しくも驚いた表情を晒している恋人に、 「こんにちは、翡翠」 僕はにっこりと微笑んで見せたのだった。 「翡翠、お風呂ありがとうね・・・・・・あれ?」 いつものように、居間に足を踏み入れたのだが。 予想に反して、誰もいない。 家具類の他には、座卓の上に割と薄めの文庫本が1冊あるきり。 彼が何を読んでいるのかと興味を引かれて、手に取ってみる。 「あ・・・・・・」 前漢時代の、異民族に捕らわれた将軍とその友人の話や、「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」のために人食い虎になってしまった男の話。 知っている、自分の好きな作品達────── 突然、ぱたん、と襖の閉まる音がした。 作品世界から現実へと、引き戻される。 顔を上げると、翡翠が二人分のお茶を運んできたところだった。 「ごめん、本勝手に読んじゃって・・・」 「ああ、別に構わないよ。・・・さあ、冷めないうちにどうぞ」 「ありがとう」 差し出された湯呑みを受け取って、口に運ぶ。 翡翠の煎れてくれるお茶は美味しい。 同じ葉を使い、同じように煎れたとしても、僕ではこのような味は出せないだろう。 この場所を訪う目的の一つに、翡翠の煎れてくれるお茶があることは否めない。 「龍麻」 「んー?」 湯呑みを傾けながら、翡翠の方へ視線を向ける。 「君が突然来た理由をまだ聞いていなかったね」 「・・・・・・!」 できれば訊いて欲しくなかった話題を、何の心の準備もしていなかったところに振られて。 思わずむせてしまう。 「大丈夫かい?」 背中をさすってくれる翡翠に、涙目になりながらうなずいて見せる。 「も・・・だいじょぶ・・・・・・・。ごめんね」 咳も何とかおさまって。 ああ苦しかった、とふうっと息を吐いたところで、自分がむせた原因を思い出す。 ・・・・・・どうしよう。 言いたくない。 別に何かやましいことがあるわけではなくて。 単に正直に言うのが恥ずかしいだけなのだが。 ごまかす・・・というのは、彼に対しては通用しないことは判っているから。 結局、言うしかないんだよなあ・・・・・・ 「・・・翡翠」 「何だい?」 「さっきの質問の答え、なんだけどさ・・・・・・」 「さっきの、って・・・」 「どうしてここに突然来たのか、ってやつ」 翡翠の方をなるべく見ないようにして、言葉を続ける。 「・・・翡翠に逢いたかったから。それだけッ」 ぶっきらぼうに言い捨てた瞬間、躰を引き寄せられた。 「嬉しいことを言ってくれるね・・・」 耳元で囁かれて。 かかる吐息に身を竦ませる。 追い打ちをかけるかのように、耳朶を甘噛みされ。 「・・・ちょ・・・ひすい・・・ッ!」 翡翠の躰を押し返そうとした手も、上げかけた抗議の声も。 易々と封じられた。 確かな意志を持って素肌の上を辿る翡翠の指や唇が、容赦なく身の内の熱を煽る。 零れる甘い吐息を、抑えられない。 憑かれたように、彼の名ばかりを呼んで。 僕は、彼の背中に爪を立てんばかりにすがりつくことしかできなかった──── |
<完> |
■管理人コメント■ 雨に降られながら龍麻が訪れた場所は、如月骨董品店。 お互い好きあっているのは分かっているのに、どことなく遠慮がちの龍麻。 如月が読んでいる本は何なのだろうと興味引かれる龍麻。 如月が淹れたお茶が好きだと思っている龍麻。 ……… 。い、愛しすぎ…っ。 そして「会いたかったから来た」と素直に告白する龍麻を、ちょっとクールな如月が引き寄せ…! ああ、もう何と言ったら良いのやら(萌)!読んでいるこちらまで胸がきゅんとなってしまいます! こちら、相互リンク先「蒼天工房」の柚樹翔様が、日常に疲れている(笑)私に贈って下さった夢の如主でございます。 柚樹さん、如主メインの当サイトに強力な作品を下さってどうもありがとうございました! |