「余韻」
友円ジョニー 様



  とんとんとん。
  軽く戸を叩く音に、奈涸は帳簿から顔を上げた。
  すぐにからからと音を立てて少しだけ開いた戸の隙間から、狸の面が覗く。
  それは首を傾げたように傾いた形で宙に浮き、くりくりとした両眼でしっかりと奈涸の位置を捉えているようだった。
  奈涸はすぐに察しをつけて相好を崩した。
「 緋勇」
  その声に狸の面は引っ込められ、変わりに顔を覗かせたのは奈涸の良く知る人物である。
  頭に被った黒い頭巾を解くと、微かに頭を下げた。
「 こんばんは」
  彼、緋勇龍斗は奈涸の正面に立つと、徐に何かを彼の目の前に差し出す。
  それは水飴を鳥の形に細工したもので、彼がそれを食べているところを奈涸は一度目にしたことがある。
「 お土産に羊羹もあります」
「 ……ゆっくりしている時間はあるのか?緋勇」
  彼は答えず、奈涸の側にしゃがみ込むとその手を取った。
  細く長い指がゆっくりと手の甲を滑る。
  奈涸はその白い手を捕らえた。
  小指を口に含み、根元から舐めあげると彼はゆっくりと息を吐いた。
  そして小さな声で呟く。
「 いけません」
  奈涸は緋勇を引き寄せて唇を合わせた。
  緋勇は少し慌てたように体を離し、尚も引き寄せようとする奈涸の手から逃れると、懐に閉まっておいた狸の面を取り出して自分の顔に合わせた。
「 誘われたかと思ったが」
「 俺は誰も誘ったりはしませんよ。あなたの手が綺麗なので、少し触りたくなっただけです」
  少しくぐもった言い訳のような言葉が面の下から流れ出る。
  奈涸は少し眉を顰める。
「 君のする事はいちいち誤解を招く」
  実は、奈涸は緋勇が何故自分の元を訪れたのか知っていた。
  しかし彼の望みを易々とかなえてやる事はあまり自分にとっては気持ちのよいことではない。
  彼が自ら己の意思をはっきりと示さぬのなら、奈涸は自分の意志にしたがって彼を犯してしまおうかと考えていた。
  だがその目論みも、彼の様子を見ていて萎れてしまう程度の想いでしかなかったが。
「 俺は、君の仲間たちのいう所では敵であるはずだが?」
「 俺には敵などいません」
  緋勇は思いのほかはっきりと返した。
  さすがに驚いて目をむいた奈涸は、隠されてしまった彼の表情を見たくなって面に手を触れる。
  しかしその手は緋勇にしっかりと捕まり降ろされてしまった。
「 君は俺に会う所を、仲間には知られたくなかった筈だ」
  奈涸は苛立ちに任せ、彼の肩に掛かった黒い頭巾を取り上げた。緋勇の肩は少しも揺るぎはしなかったが。
「 そうですね。とても疚しい気持ちからあなたの元を訪れたから」
  面の下で、緋勇は笑ったような気がした。
  奈涸はため息をついて、彼のくれた飴をちろりと舐めた。
「 甘いな」
「 甘いでしょう?」
  くすくすと笑う声。
  奈涸はもう一度ため息を吐き出す。
「 俺は教えられん。何一つ。君はそれを承知のくせに、何故俺の元を訪れるんだ」
「 あなたからはあの人の匂いがします」
  奈涸はきつく目を閉じた。痛むこめかみを抑え、薄く目を開く。
  視線の先で狸の面は同じ顔を保っていた。
「 君は残酷だな。俺の気持ちを知っていながら」
「 さあ」
  緋勇はまた笑った。小刻みに肩を揺らして。
「 俺に抱かれる気があるか?」
  奈涸はそれをためしに言ってみただけだったのだが、緋勇は思っても見なかった反応を返した。
「 それも……悪くはないですね」
  彼の方がよほど鬼のようだと奈涸は思ったが、それを口には出さずにようやく笑った。
「 悪くないね」
  面を持った手を捕らえ、奈涸は覗いた唇にまた口付ける。
  緋勇はもう抵抗しなかった。



<完>

■管理人コメント■
重厚な小説です。1場面1場面に痺れます。2人の間には実に静かな時間が流れているように感じます。でも、それは決してゆったりとした甘いものではなくて、とても残酷なもの…。誘っているようで、決して奈涸を受け入れようとしない龍斗は掴み所のない雰囲気を纏ってはいますが、自分の心を見透かされないよう面を被るところなどを見ると…弱い存在なのかな?とも感じました。そしてかなり痛い感情で奈涸が属している側の「誰か」を想っている龍斗…(相手はやっぱり御屋形様?)。その事を知りつつ、敢えて龍斗を抱こうとする奈涸…。何だか物悲しい。でも多分、2人の間にしか分からないお互いへの「想い」も確実に存在しているはず。… こちら、当サイトの1周年記念にと戴いた、何とジョニーさん初の外法帖SS!ジョニーズ・コレクション館を誇る我がサイト、実は小説貰ったのは初めてです。めっさ嬉しい(笑)。ジョニーさん、どうもありがとうございました!