「水蜜桃」
弘樹 様 作



  昼間の蒸し暑さが幾分和らいだ夕刻の内藤新宿。
  活気溢れる宿場町の雑踏の中を、龍斗はぶらぶらと歩いていた。
  涼しい夕暮れ時の風に誘われるまま、何気なく角を曲がろうとしたそのとき。
「 ひーちゃん」
  ふいに呼び止められて振り返れば、そこには懐に片手を突っ込んで立つ男。
  見慣れた笑顔に、龍斗の表情も和らぐ。
「 京梧」
「 こんなところで会うなんて奇遇だな。もう夕飯は済んだのか?」
「 うん。今日は美里さんがお弁当差し入れしてくれたから寺で食べてきた」
「 ふーん、美里がね。ひーちゃん愛されてるからな」
「 そういうんじゃないと思うけど・・・」
  拗ねたようにぽつりと呟く京梧に、龍斗は苦笑して話題を変えた。
「 京梧は夕飯は?」
「 俺はついさっきいつもの蕎麦屋で食ってきた」
  満足そうに腹をさすって京梧は笑う。
「 ひーちゃんは散歩か?」
「 うん、風が気持ち良かったから」
「 ああ、確かに日が落ちて涼しくなったよな。俺も腹ごなしに少し歩くか。一緒に行ってもいいだろ?」
「 勿論」
  そして二人は肩を並べて歩き始めた。

「 ねえ、京梧。何かいい匂いがする」
  河原沿いの道を歩きながら、龍斗が先ほどから気になっていたことを口にした。
  風に乗って、京梧の方からほんのりと甘い香りが漂ってくるのだ。
「 へ?いい匂い?」
「 うん、何か甘い香り。またどっかの女の人と遊んで来たの?」
「 ば、馬鹿なこと言うなッ。今日は誰とも遊んでねえよ!」
「 『今日は』?」
「 う・・・いや、その、つまりだな・・・」
  龍斗の黒い瞳にじっと覗きこまれて、京梧の目が泳ぐ。
  うっかり墓穴を掘ってしまったことに気付き、額に脂汗が浮かぶ。
  その様子に、龍斗は堪え切れず吹き出した。
「 ごめん。別に責める気はないんだ。京梧が誰と遊ぼうと別に興味ないし」
「 ひーちゃん、それも冷たいぜ。ちったぁ妬いてくれてもいいだろ?」
  がっくりと肩を落として落ち込む京梧を尻目に、龍斗は首を傾げる。
「 それにしても、何の匂いだろう。白粉とは違うようだし」
「 ・・・あ、そうか」
  ふと思い当たったらしく、京梧は袖の中を探る。
「 これじゃねえか?」
  そういって取り出したのは、ほんのり紅く染まったふっくら丸い果実。
「 桃・・・」
  その実からは、確かに先ほどからの甘い香りがする。
  龍斗は顔を近づけて、その香りをいっぱいに吸い込んだ。
「 いい匂い」
「 さっき蕎麦屋で親爺さんに貰ったんだ。食うか?」
「 え、でも一個しかないんだろ?」
「 一人で食うより二人で食ったほうが美味いだろ。来いよ」
  そう言って土手を越え、河原に下りていく京梧。
  龍斗もその後に続く。

  河原に放置された倒木に並んで腰掛けると、川のせせらぎが耳に涼しい。
「 ほらよ、ひーちゃん」
  京梧は器用に桃を半分に割ると、片方を龍斗に手渡した。
「 ありがと。いただきまーす」
  礼儀正しく言って、龍斗は桃に歯を立てる。
  口の中に、甘く瑞々しい香りが広がり、龍斗の顔が幸せそうに綻ぶ。
「 おいし・・・」
「 へへっ、やっぱ旬のものってのはいいよな」
  桃を頬張る龍斗の様子を、自分の分はすでに食べ終わった京梧が楽しそうに眺める。
  龍斗の唇から滴る果汁に、京梧の中で悪戯心がむくりと頭をもたげた。
「 ひーちゃん、口の周りべたべた」
「 え?」
  言われて、龍斗が手の甲で拭おうとするより早く。
  つと伸びた京梧の指先が、龍斗の唇を拭う。
「 きょ、京梧?」
  慌てて京梧の手から逃げようとするが、手首を掴まれて引き戻される。
「 ん・・・っ」
  桃の香りのする唇が、龍斗の唇を塞ぐ。
  龍斗の唇を堪能した舌が桃の果汁を辿るように唇から顎、首筋へと移動する。
  そのくすぐるような刺激に、龍斗は身を震わせた。
「 やだっ・・・京梧!」
「 ひーちゃん・・・可愛い」
  愛しそうに囁く京梧の声にさえ、敏感に反応する自分が恥ずかしくて、龍斗は身を捩る。

「 美味い桃だったな」
「 馬、鹿・・・」
  やっと解放されて、龍斗は京梧を睨む。
  しかし、蕩け切った視線では全然威力がなく、京梧は楽しそうに笑う。
「 へへっ、ごちそうさま」
「 手を洗わなきゃ・・・」
  ふらつきながら立ち上がった龍斗だったが、その手首をぐいと引かれる。
「 京梧?」
  そのまま無言で引き寄せられたかと思うと。
「 ひゃッ・・・」
  ぺろりと、京梧の舌が龍斗の指を舐めた。
「 ちょ、ちょっと京梧・・・!」
  驚いて手を引こうとする龍斗だったが、思いの他強く握られていてびくともしない。
「 あッ、やだっ・・・」
  京梧の唇が龍斗の指を包み、舌先が指をくすぐる。
  指先から指の股へ、手の平へ。
  徐々に移動する刺激を、龍斗は唇を噛んで必死に耐える。
「 ・・・・・・ッ」
  龍斗が抵抗できないのをいいことに、京梧の動きはどんどんエスカレートする。
  果汁の伝った跡を辿り、京梧の舌が手首から肘の方へ移動を始めたとき。
  ついに龍斗の忍耐が限界を越えた。
「 は―――ッ!!」
  渾身の力で京梧の手を振り解き、思い切りその頭を拳骨で殴りつける。
「 ッ・・・!いい加減にしろ!!」
「 いってぇ。へへっ、甘かったぜ、ひーちゃん」
  頭をさすりながら、それでもなお余裕で笑う京梧を、龍斗は肩で荒い息をしたまま睨みつける。
「 ・・・馬鹿ッ」
  目元を赤く染めて睨まれても、誘っているとしか思えないのだが。
  そんなことを言ったら確実にもう一発殴られると思い、京梧は辛うじて口には出さなかった。
  ―――のだが。

  あまりに龍斗の様子が可愛くて嬉しくて、つい。
「 ひーちゃん、結構感じてたよな。割と良かっただろ?」
「 ―――!!」
「 へへへっ、そっか。それじゃ、続きは寺に帰ってから―――」
「 うわーん、京梧の馬鹿ーッ!」
  泣きながら龍斗の放った黄龍が、見事に京梧を直撃した。

  その日、京梧が龍泉寺に無事帰れたかどうかは定かではない。



<完>

■管理人コメント■
2人で夕涼みをしながら歩く光景が目に浮かぶようです…。既にこの時点で私の中の脳内では様々な妄想が爆発(早ッ)。しかしそんな興奮読者とは相反して、落ち着いた様子で歩くこの2人…京梧と龍斗の間には、既に喩えようのないお互いへの想いが交わされているように思えます。京梧からする甘い匂いに「女の人と会ってきた?」なんて茶化す龍斗も半分は嫉妬、半分は自分を想っているってのを知っていてからかう…って感じで、またそれに焦る京梧の様子も微笑ましいです(悦)。そして桃を半分こして食べる2人がまた…それに乗じて龍斗にちょっかい(笑)出す京梧もまた…!弘樹さんとこの龍斗はすごく純粋無垢な感じがするのですが、京梧もそんな龍斗が可愛くって堪らないから、こんな事しちゃうんでしょうね。もっとやれ、京梧(命令か)。…最後は、でもやっぱり「強い」ひーちゃんにやられちゃった京梧。でもこんな関係は京梧と龍斗ならでは!こちら、当サイトの4万お祝いにと弘樹さんが下さった私のイチオシ梧主でした。弘樹さん、甘さいっぱいの梧主をありがとうございました!