眠る楽園(後編) |
暗闇がすぐそこに迫っている。 光を拒否し黒また黒を丹念に塗り重ねて忍び寄り、俺とあの人を呑み込んでゆく。 やってみろよ。 俺は絶対に天童を護るから。 (8) 黄昏時の新宿中央公園で龍麻が呆然と立ち尽くしている。 「龍麻」 あれからアパートに戻ったものの龍麻は居なかった。 九角は一つの可能性を考えて出歩き、夕刻になってようやくここを捜し当てた。 「天童…俺…」 振り返った顏は真っ青だった。 複数の男達が地面に伏して倒れている。 龍麻は力なく口を開いた。 「この人たち…ほとんどは元から死んでたけど、そこの人は………」 「こいつ…」 二人が見た先、亡くなっているのは今朝会った男だった。 九角の躊躇を見抜いて先手を打とうとしたのだろう。 予想した通りだった。 「彼、最期にあんたのこと呼んでた。『御屋形様』って叫んだんだ。ごめん、俺はこうするしかなかった。」 返り討ちにして絶命させるしか身を護る術はなかった、と龍麻は語った。 「彼はあんたが俺の排除を命じたと言っていた。けど嘘だって分かった、天童の顏見たら。」 弱く笑って、両手で顏を覆う龍麻。 「龍麻…」 「俺は…俺は天童、前にあんたを殺した。」 手の隙間から呻くような告白が聞こえた。 「知ってる。」 「え…」 「今日思い出した。」 「そっか。だけど天童が甦って嬉しかった、それも本当なんだ。」 「分かっている…」 九角は強く龍麻を抱きしめた。 「んっ…」 唇を合わせると埃っぽい味がする。 つい今し方まで龍麻が戦っていたからだ。 先に進もうとする九角に龍麻は戸惑い、体を押し返した。 「龍麻?」 「天童、好きだよ。こんなに好きなのに、始まりはあんたを殺す所からだった。 今もこうやって鬼道衆を手にかけた。俺はやっぱり側に居るべきじゃない…」 龍麻の息は乱れ、声が震えている。 彼をじっと見ていた九角はもう一度龍麻を抱き寄せると耳元で言った。 「龍麻、お前に外法ってやつを見せてやるぜ。」 「えっ」 二人の姿は一瞬でそこから消えた。 (9) 「ここは…」 「俺の屋敷だ。ただし幻の、な。」 「幻?これが?」 二人が上がり込んでいる建物は旧家のゆかしい佇まいであり、部屋の外には遠くまで自然が拡がっている。 見晴らせば一面を風が渡り、艶やかな葉を全体に巡らせた木々のざわめきが聞こえ、咲き乱れる花の香りがした。空には月も星も出ていて風景を瑠璃色に光らせている。 「凄い。」 龍麻は圧倒された。 「今はどうなっているか分からねェが、俺が餓鬼の頃はこうだった。あの式神の真似さ。」 「真似、芙蓉の浜離宮みたいに?」 模倣だから外法、すなわち左道だと九角は笑った。 「あれは欅《けやき》、あれは楢《なら》。樫の木…そして山桜に染井吉野。どうだ、面白いか。」 「綺麗だ、すっごく。嬉しいよ。天童の心の中にこんな美しい場所があるんだな。 ね、どれが山桜…あっ…」 いつの間にか、後ろから抱き竦められていた。 「遠くの白い花が見えるか。」 囁く唇は項に落とされる。 「う…んっ…」 「あれだ。」 服の中を九角の手が割って入り、胸を探られた。 「くっ…」 突起を摘まれて、じんとした疼きが体に拡がった。 その感覚を追おうとすると、九角は空いた手でズボンのファスナーを外し龍麻のものに手を伸ばした。 「う…あっ」 さらに強い快楽に龍麻は溺れた。 彼の姿が自分から見えないせいか意識が扱かれている自身に集中し、早々に精を放ってしまう。 「ああ…あ…!」 九角はそれを待っていたかのように龍麻を裸にして、後ろを濡れた指で開けた。 「ひっ…」 彼は何度も侵入を繰り返した。奥まであらかじめ探ろうとしているらしい。 龍麻の体はどんどん火照っていく。 やがて自分からねだっていた。 「来て…天童っ」 龍麻、と吐息交じりで名前を呼び、覆いかぶさるように九角は押入ってきた。 「…ううっ」 すぐ動き始める九角。 熱く自分の中を埋め尽くす塊に龍麻はどうしても声が上がる。 「はっ…あっ…天童…」 龍麻は腕と両膝で畳を強く押し返し腰を浮かせる体勢を保っていた。 九角が再び龍麻自身を扱き始めた時は崩れそうになったが、必死で踏み止まった。 衝撃を全て受け止める為だった。 好きだから、彼が与える痛みも快感も無限に欲しいと思った。 「龍麻…」 中で大きく動きながら、耳を食まれ首に肩に噛むような口付けをされる。 背中で聞こえる彼の荒い息が、彼が龍麻によって快感を得ているのだと思えて嬉しかった。 「天童…っ」 目の先で花が舞い落ちる。 体内で熱いものが弾けるのを感じて龍麻は意識を手放した。 しばらく畳に裸でいたら寒くて、龍麻は九角に抱きついていた。 服は頭の上に転がっているから着れば良いのだけれど、今はこうして居たかった。 九角は彼も寒いのか龍麻を抱いたままでいたが、少しして体を離した。 「龍麻」 硬い声で名前を呼ばれて心臓が鳴った。 「何?」 「お前は虐げられた者たちの痛みが分かるか?」 「え…」 唐突な問い。 九角は鋭く自分を見つめている。 龍麻は考えた末、首を振った。 「俺…分かるって言えないよ。 俺の仲間は辛い思いをしてきた奴がたくさん居る。 その苦しみを分け合うのが仲間なんだろうけど、ほんとの所まで分かる訳じゃないって思うから。 …戦った相手がこんなで腹が立つか?」 聞いていた九角は笑うでも怒るでもなく静かに頷いた。 「龍麻、俺もだ。」 「!」 今度は龍麻が彼を見つめ返す番だった。 「俺は鬼道衆の頭だ。死人にしろ生者にしろ、痛みを抱える奴等が恨めしい、呪わしいって嘆くのはすぐ側で聞こえてた。けどそいつらの苦しみはそいつらにしか分からねェ…分かることが出来なかったんだ。」 「てんど…う」 「俺は……奴等と共に起こした祭が好きだった。 鬼道書を紐解き、外法を張り巡らせて東京を暗黒に染める物騒なものだが、俺達はその間だけ苦しみから解放されると信じていたからだ。 あの時流れた血、散った命は何とも思わなかった。 自分が死ぬ時でさえ『終わった』と感じた、ただそれだけだった。」 九角は淡々と述べた。 庭先を見る目と口元に微笑を浮かべている。 街角で再会した時の刺すような氣が微塵もなかった。 (この人は…) 「天童…っ」 龍麻は九角にしがみつき、自ら口付けていた。 「ふっ…う」 仲間が聞いたら恐らく賛同して貰えないような九角の言葉。 自分も全てに共感できる訳ではない。 けれどただ胸が痛くて唇を重ねた。 「龍…麻…」 九角は戸惑いながら龍麻を固く抱き返し、やがて低い声で告げた。 「今あいつらが野望を押し進めるなら、俺はそれを燃やし尽くすだけだ。 龍麻、てめェに頼みたい事がある。」 「俺に?」 九角の瞳には強い決意が浮かんでいた。 (10) 街は朝焼けに照されていた。 光るコンクリートが眩しくて無意識に目を細めて歩く九角の前に、鬼道衆が歩み寄った。 無論昨日とは別の男である。 深々と挨拶を済ませ彼は辺りを見回した。 「緋勇龍麻は…」 「家に帰してきた。」 「では別れは済ませられたのですね。」 男はあからさまにほっとした表情を見せた。 「………鬼道書は残っているか。」 「!は、はい。来たる日の為密かに保持してあります。」 「屋敷に戻る。儀式の準備を始めろ。」 「ではすぐにでも贄を用意させます。」 「要らん。俺の家を血で染めるな。陰の氣を集めろ。恨み、憎しみ…鬼道衆には容易い仕事だろう。」 「はっ…」 九角の強気な笑みが頼もしく、男は背中に高揚の震えを覚えた。 (11) 三日後。 龍麻は仲間を連れて九角家の敷地に入った。 屋敷は大きく、その先が山さえ含んだ自然の庭になっているのも幻で見たそのままだった。 しかし龍麻にはあの時よりくすんで見える気がした。 「龍麻。君、本当にこれで良いの?」 景色に行っていた意識を壬生に引き戻され、仲間達の視線は一斉に龍麻に注がれた。 「ああ。」 龍麻は真っ直ぐな瞳で頷く。 「ならばさっさと始めようか。」 壬生は溜めもなく身構えて、眼前に迫っていた化け物を倒した。 「同感だ。こう数が多くては時間を掛けられない。」 如月も懐から出した短刀を抜き、近くの鬼に斬り掛かる。 「鬼道衆自体は十数名。ですが鬼道で甦った死者に、召喚された魔物までいますからね。」 御門が扇子で口元を覆う。 龍麻達の前には大勢の敵が居た。 「皆、頼んだよ。」 龍麻は全ての仲間に促すと敵の群れに飛び込んでいった。 御門が制御する式神が化け物の相手をしている。 如月は龍麻と共に敵陣深く潜り込み、外法を使う数人の術者を狙う。 壬生はそれ以外の鬼道衆に対峙し攻撃を加える。 他の仲間は御門や壬生を援護していた。 勢力は均衡、人数の少なさを考えれば寧ろ龍麻達が優勢だった。 だがその時龍麻を衝撃波が襲う。 (今のは鬼道閃…) かわして見れば、日本刀を手にした九角が立っていた。 「天童!」 九角は笑いながら数匹の鬼をその場に発現させた。 「まだこんなもんじゃねェぜ。精々俺を楽しませろよ。」 彼と配下はさらに魔物の数を増やし、圧され気味だった鬼道衆が奮い立つ。 ある者は御屋形様がいる限り自分達は負けないと叫んだ。 「それは困る。」 如月は僅かな隙をぬって九角に近付き、刃を合わせていた。 「飛水の末裔だってな、お前。」 「何故龍麻を巻き込んだ。彼は四月から新しい生活が待っているんだ。」 「龍麻龍麻とてめェ、一体あいつの何なんだ。」 「龍麻は僕が護る。自分で決めたんだ。」 「フン、俺もてめェで決めてるから譲れるもんじゃないぜ。」 「如月!」 龍麻が短く叫ぶ。 「承知してるよ龍麻、僕の役割は。…聞いておきたかっただけだ。」 如月は場を離れた。 「くっ…」 鬼道衆の一人が悔しそうに立っていた。 彼は如月の技で影を縫われ、かろうじて体を支えているだけの状態だった。 (飛水影縫いに、今緋勇が向こうで放ったのは混乱をきたす螺旋掌…相手を一撃で倒す壬生紅葉の技といい、奴等はなぜ止めをささない?) 男は先程からそれを考えていた。 龍麻達は鬼や死者、魔物は容赦なく消滅させている。 (これではまるで…) 最後の術者が龍麻に倒されたのを見て九角が呟いた。 「龍麻、今だ。」 「分かった。」 「九角…様!?」 龍麻は秘拳・黄龍を発動させて、化け物達を全て吹き飛ばしたのだった。 (12) 「御屋形様、何故です。」 妖が消えてみれば生きた人間、すなわち鬼道衆はほんの一握りだった。 よろよろと立ち上がる者、動けずにうずくまる者、皆信じられない思いで自分たちの頭目を見た。 九角は自分たちを煽っておいて、龍麻達に一気に粉砕させたのだ。 「あれを見ろ。」 彼が刀で示す先には地面の脇を小さく清水が流れ、花が落ちていた。 「あの花は彼岸まで流れていくだろう。 だが俺は生きている。 俺はずっと考えていた。今さらこの地を地獄に落とす必要があるのか、とな。」 「我らが先祖よりの至願ではありませんか!甦って命が惜しくなったのですか?」 唖然とする鬼道衆。 「そうじゃねェ。けど………俺が今ここに立っている意味は俺が考える。誰の指図も受けない。」 静かな口調、烈しい目で九角は語った。 「では御屋形様、始めから我らを欺いていたのですか。」 「あなたが裏切るなんて…っ」 男が一人、短刀を抜いて斬り掛かる。 いち早く練った氣を放ち、それを制したのは龍麻だった。 「貴様っ、貴様のせいで御屋形様は変わってしまったんだ!」 「何血迷ってるんだ!天童あっての祭だろうっ。」 刀を叩き落とし、龍麻は叫んだ。 「欺いてなんかいない、天童はあんた達と起こした祭が好きだったって言った。 だから今回もあんた達をただ止めるんじゃなく最後までやらせようとしたんじゃないか!」 「祭…我らと御屋形様の…」 龍麻の言葉で、虚ろな彼らの目に生気が垣間見えた。 「野望を『燃やし尽くす』と彼は言ったそうですね。だから龍麻も私達も乗ったのですよ。」 「単純に殺めるより余程大変なんだけどね。」 御門が言い、壬生が軽く息をついた。 「御屋形様、我らとてあなたが居たから…九角家の望みだったから東京を…」 肩を落とす鬼道衆を九角は見回した。 「俺の望み…俺はてめェらが考えるような望みとやらは、黄泉路に置いてきちまったようだ。 かつての俺は短く生きると決めていた。 あの戦い限りで消え、例え時の彼方に忘れ去られても悔いはなかった。それでも…」 ―――俺は…俺は天童、前にあんたを殺した。 「龍麻、俺を思い出しているお前を見て悪くないと思った。」 そう言って九角は龍麻を見た。 告白に対して彼が覚えたのは復讐の殺意ではなく愛おしさだった。 「天童、ありがとう。」 龍麻は今度こそ泣きそうになるのを堪えて笑顔を見せた。 九角は鬼道衆を振り返る。 「だから俺は歴史の闇に捨て置かれたお前らに一生向き合ってやる。 まだ暴れ足りないというなら戦うがいい。 九桐でも風祭でもあるいは那智でも、好きな奴等と組め。 だが、俺を倒してからだ。俺一人倒せない奴が東京壊滅など唱えるんじゃねえ!」 鬼道衆達は九角の剣幕に呑まれ沈黙した。 彼らはやがて屋敷に引き上げてゆく。 その内の一人、比較的年老いた男が龍麻に歩み寄ってきた。 「緋勇龍麻。我らはお前が憎い。御屋形様が甦った今でも傍らにお前が立つのは許せない。」 「!」 龍麻は覚悟していたこととはいえ胸が鋭く痛む。 「しかしあの方の気高さはどうだ。あれはまさに御屋形様のご気性そのものだ。 我らがもし御屋形様に報復を強要していたらあの方は何か別のモノに成り果てていたやも知れぬ。 お前がお側に居て良かったのかもしれない、とも考えるのだ…」 「あ…」 男は複雑な苦渋の色を顏に浮かべたまま去っていった。 龍麻は全員の様子を黙って見ている九角に声を掛けた。 「良かったな。鬼道衆を失わずに済んで。」 「…それだけじゃない。俺が俺のままでいられたのも、お前のお陰だ。」 「天童…」 「龍麻、俺はこの先お前と一緒には行けない。」 「え?」 (今なんて言った…?) 龍麻は思わず聞き返す。 「俺達が集めた陰氣はあれだけじゃない。放っておけば人を狂わせるか、鬼の形を取るかもしれない。 俺はそれを昇華させながら鬼道衆とここに残る。」 「だったら俺もやる。」 自分の声は震えていた。たぶん血の気がなくなって青ざめている。 でも九角は。 さっき言葉と共に微笑んだと思ったのに、今はもう龍麻に背を向けてどんな顏をしているのか分からない。 「駄目だ。これは俺達鬼道衆がやらないと意味がねェんだ。」 「嫌だ!」 「止すんだ龍麻。彼は自分と君のために線を引いたんだよ。」 壬生が宥めるように言った。 「最初からここまで考えてたってことか。」 握った手が白くなる。 九角は動かなかった。 「無理だ。あんたも俺も、光が闇を求めて闇が光を求めるように魅かれ合ってる。 俺達は…天童と俺は離れてはいられないよ。」 龍麻は彼の背中に必死に呼びかけた。 「………あの幻を俺はまだ消してない。」 掠れた声を吐出して、少しだけ九角の肩が揺れた。 「え?」 「新月の夜、ここに来い。連れていってやる。」 ざっ。 地面を強く蹴って九角は歩き出した。 「行く、会いに行くよ俺…っ」 胸に手を当てて叫ぶ龍麻。 温かくて、脈打っている。 九角は振り向かないが柔らかく手を振った。 ああ、自分も彼も生きている。 呟いて龍麻は微笑んだ。 |
<終わり> |
■管理人コメント■ 魔人の小説を読んでうるうるきたのは本当に久しぶりでした。私が求めて止まなかった九角主の理想形が今まさにここに…。元々私が九角主にハマッたのは湯葉様の九角主「15」がきっかけだったのですが、正直あんな最高傑作が出ちゃうと読む方は舌が肥えてしまって、ちょっとやそっとの九主じゃーそうそうお腹いっぱいにはならなくなってしまうのです(何様)。でも!でもこの九主は素晴らしい〜。「お前は虐げられた者たちの痛みが分かるか?」と龍麻に問うた天童。そしてその問いに自分の精一杯の言葉で答える龍麻。今回の大好きなシーンの一つです。相手の気持ちを全部分かる事はできない、でも「奴等と起こした祭が好きだった」という天童。そんな天童を見つめる龍麻。2人は立場は光と闇だけれど、こんなに近い感情で結ばれている。だからたとえ互いが違う道を歩むとしても、2人はいつも同じ所を見て歩いて行くんだなぁと思いました。悦。/当サイトの5万HITお祝いと言う事でこんな素敵な頂き物をしてしまった私…。後日「夕輝屋」様ではこの作品についての解説がアップされるとの事です。何はともあれ、湯葉様、素敵な作品をどうもありがとうございました! |