The sacrifice of Valentine’s Day

わたあき様 作




 2月14日、バレンタイン――
 チョコレートに愛を秘めて贈る決戦日。
 佐久間にとってチョコレートは甘いか苦いか、それとも?


 卒業を控えた二月の半ば、教室は落ち着かない雰囲気に包まれていた。
 それは巣立ちを前にした不安から生じたものではない。
 製菓業界の思惑に乗せられた振りをしつつ、その実は自ら楽しんで乗りかかりに行く年に一度の大イベント、バレンタインデーへの期待がもたらしたものだった。
 そわそわと落ち着かない緊張が張り詰めて、真神學園のとあるクラスも浮き足立っている。
 その中心に据えられているのは、一番人気を誇る緋勇龍麻だった。
 教師たちの渋い顔もどこ吹く風の堂々とした態度で、机に山と詰まれたチョコレートを並べ直している。持参した紙袋はたちまち膨れ上がり、予備の袋も持ってくればよかったと呟いている。
 龍麻をうっとりと見つめる女子生徒たちに比べて、机のチョコレートを羨ましげに眺める男子生徒の目つきは澱んでいる。腹立たしい気持ちもあるが、龍麻であれば仕方ないという諦観の方が大きい。
 龍麻だからなぁ、というのは、仕方がないの枕詞のようになっていた。
 憧れるあまり遠巻きにされがちな龍麻の前へ、違うクラスの女子生徒が進み出た。
 机の上のチョコレートを一瞥して、笑いながら紙袋を差し出した。

「またたくさんもらったわねぇ」
「アン子ちゃん」

 龍麻に名前を呼ばれた女子生徒、アン子こと遠野杏子は眼鏡を押さえて笑った。
 腕には新聞部の腕章が飾られて、彼女こそ真神學園に名をはせるゴシップチェイサーでありトラブルメーカーであり、元気いっぱい恐いもの知らずの新聞部最後の砦だった。取材と称してはあちらこちらに顔を出し、事件には満遍なく首を突っ込んで引っ掻き回していくことで有名な、あまり目をつけられたくない人物である。
 しかし龍麻はアン子と仲がよく、なにかと二人して話しこんでいる。
 それが恋愛沙汰の噂にならないのは、龍麻の極端な鈍さのせいだった。
 アン子は紙袋にチョコレートをしまう龍麻の手伝いをしながら、てきばきと取材の内容を説明した。
 いわく次号の真神新聞の特集記事に、龍麻の協力を求める、というものだった。
 バレンタインデーランキングなる言葉を吐き出して、誰がもっともたくさんのチョコレートをもらったのか、その上位五名へのインタビューをしたいらしい。
 話を聞いていた龍麻は明るく笑った。

「でもそれじゃまだ僕が五位内に入るかどうか、わからないよ?」
「なに言ってんの。トップ確定じゃない」
「そうでもないよ。京一や醍醐もすごいし、小蒔もたくさんもらってたよ」
「桜井さんは私の予想では二位ね。後輩の女の子からの支持は絶大よ」

 真顔のアン子に、龍麻は声を上げて笑った。
 女子生徒であるのに、小蒔の人気は非常に高い。學園一の色男を自称する京一でさえ、小蒔の根強い人気には敵わないかもしれない。
 そうなったら京一が男泣きしそうだと言う龍麻に、アン子もくすくすと笑いをもらした。
 可愛らしくラッピングされたチョコレートをすべて紙袋に収納して、ほっと一息つく。真神學園の在校生からだけではなく、他校からもチョコレートを手渡しにやって来る女子生徒が後を絶たない。
 まだ増えるかもしれない事態に、アン子は肩を竦めた。

「これ全部食べたらお腹壊すわよ。それと手作りは何かおかしなものを混入されてるかもしれないから、思い切って捨てなさいね」
「折角作ってくれた人に悪いから、ちゃんと全部食べるよ」
「なに言ってるの。女の子は恐いんだから気をつけなさいよ。変な惚れ薬なんて混ぜられてたら、大変なことになるわよ」
「ミサちゃんじゃないから大丈夫」
「素人だから余計に恐いんじゃない」

 危機感のない龍麻に、アン子は大袈裟に息をつき両手を挙げた。
 その仕種に龍麻は笑みをもらして、大丈夫だよと繰り返した。
 なおもアン子が忠告しようとした、そのときである。
 横合いからするりと白い手が伸びたかと思うと、チョコレートを詰めこんだ紙袋を取り上げてしまった。
 アン子であればいざしらず、武術の心得もある龍麻にまったく気配もさせずに近づいた人物など、そうそういるものではない。
 何者かと見上げた先に佇んでいたのは、満面に菩薩の笑みを浮かべる美里葵だった。
 顔は笑っても目は笑っていない。
 底光りしている目が恐い。

「忠告は素直に聞くものよ、龍麻」
「美里さん、大丈夫だよ」
「だめよ龍麻。こういうものはね」

 目の前で行われた暴挙に、アン子はあんぐりと口を開いた。
 美里は取りあげた紙袋を、そのままなんのためらいもなく窓の外へとぶん投げたのだ。
 捨てるというよりは、遠投である。
 華奢でか弱く儚げな美里のどこにそんな膂力があったのか、アン子のみならずクラスメイトの全員が言葉もなく見つめている。
 しかしそれだけでは終わらない。
 美里はくるりと優雅に踵を返して、窓へ向かうと静かに両手を広げた。
 グラウンドへ落下していくチョコレートを見つめると、秘しておくべきはずの人ならざる力を使ったのだ。

「ジハード」

 美里の声に応えた天使たちが降臨し、浄化の炎がチョコレートたちを焼き尽くす。それは文字通りの意味をもって行われ、焼かれたチョコレートはたちまち炭化し灰塵と帰した。
 はらはらと風に流されて飛び散る灰すら、追加の炎で残らずすべて消し飛ばされている。
 踊る天使たちは満足したかのように天上へ引き返してゆくも、その姿はどう見ても天使ではない。どちらかといえば魔族の眷属と呼ぶに相応しい。
 うふふと笑う美里の背中が黒い。
 一連の流れるような動作に、止める隙などはなかった。
 しんと静まり返る教室に、のんびりとした龍麻の声が響き渡った。

「だめだよ美里さん、そんなことしちゃ……みんなに謝ってこなくちゃ」
「大丈夫よ龍麻。チョコレートを渡した身の程知らずたちは今頃……うふふ」

 ――今頃どうなったんだ!?

 クラスの誰もがつっこみたくてたまらない一言は、振り向いた美里の視線で封殺された。
 龍麻が転校して来るまでは守ってあげたい女子生徒不動の第一位を誇っていた美里だが、恋は盲目、人を変えるとはよく言ったもので、その面影はもうさっぱりと消え失せた。
 いまや敵にまわしたくない恐い人不動の第一位である。

「さあ龍麻、これでもうあなたは私だけのもの!」

 とっておきの笑顔を向ける美里だったが、残念ながら龍麻の視線はまったくの別方向へ注がれていた。
 教室の隅にいた佐久間が、突如として龍麻のそばへやって来たのだ。
 龍麻を気に入らないと公言して憚らない乱暴者の少年が、仏頂面で近づいて来るのだから、何が起きるのかを想像するに難くない。
 少しずつ遠巻きにして距離を置くクラスメイトたちと、緊張しながらも一歩も退く気配を見せないアン子と、じっと見据える美里に囲まれても龍麻はまだ笑顔だった。
 いつもと同じ無邪気な笑顔が、佐久間へ向けられている。

「どうしたの?」
「あのよ」

 アン子が口を挟もうとするのを視線だけで黙らせて、佐久間はポケットを探った。
 ナイフでも出すつもりかと、クラスメイトの誰かが小さな悲鳴を上げた。
 それでも龍麻は動じることなく、にこにことしながら佐久間の行動を待った。
 そして佐久間の手のひらに小さな包みが握られたのを見て、探るような目つきで彼を眺める。
 龍麻の大きな目が、少しだけ笑っていた。

「これ、やるよ」
「チョコレート?」
「ああ」
「え、いいよ別に?」

 男同士なんだしと続ける龍麻に、佐久間は返す言葉もない。
 彼にしては思い切っての行動だったのだろうが、確かに男同士でチョコレートを贈るのはおかしなことだ。
 だが龍麻に関しては、同性からのプレゼントも多い。
 本人がそれを知っているかどうかは別にして、あからさまな下心を含んでのプレゼントもあった。
 そうさせるだけのなにかが、龍麻にはあったのだ。

「あんたねぇ、今まで散々なことしておいてチョコレートって」

 呆れるアン子に龍麻が笑う。
 いつもであれば言葉だけでなく暴力も辞さずアン子へ突っかかっていくだろうに、今日の佐久間はしょげかえっている。
 当たり前といえば当たり前だが、それだけ龍麻に拒絶されたことのダメージが大きかったのだ。
 龍麻は笑いながら、佐久間の差し出したチョコレートの包みに手を伸ばした。
 そっとその手のひらからチョコレートを拾い上げて、器用な指先でラッピングを解いていく。
 ありふれたチョコレートの塊を、龍麻はひょいと口へ放りこんだ。

「美味しい」
「え、ちょっと、龍麻それ食べちゃったの??」
「だって他のはみんな捨てられちゃったし。ありがとう、佐久間くん」

 人畜無害の微笑が、佐久間にだけ向けられる。
 それをどう捕らえていいのかわからずに、美里は硬直していた。
 真神の聖女と呼ばれた美少女が、まるで鏡を見たメドゥーサのように立ち尽くしている。
 その隙に龍麻は学生鞄を持って立ち上がると、佐久間の手をとり歩き出した。

「今日はなにも持ってきてないから、今からチョコを買いに行こうよ」
「いや、俺はいい」
「もらったらちゃんとお返ししなくちゃ。それとも、僕からのはいらない?」
「いる、いるに決まってる!」
「だったら行こう。じゃあね、アン子ちゃん美里さん」

 手を振りながら教室を出て行く龍麻を、アン子は声もなく見送った。
 隣には佐久間である。
 あの、佐久間である。
 よりにもよって、佐久間である。
 龍麻と佐久間が仲良く手をつないでチョコレート売り場へ行くなど、誰がそんなバレンタインデーを想像しただろう。
 スクープであることには違いないのだが、アン子は写真を撮る気になどなれなかった。
 なにせ教室には、石化から解放されつつある聖女が、地の底から湧き出るような笑い声をもらしているのだ。
 このままですむとは思えない。
 すまされるわけがない。
 巻きこまれる前にさっさと退散しようと決めたアン子の襟首を、美里はがっちりと掴んだ。
 やはり目は笑っていなかった。

「遠野さん」
「はいっ」
「次号の真神新聞の特集って、なんだったかしら?」
「バレンタインデーのランキングだけど……」
「そう。じゃあそれ、差し替えてちょうだい」
「え? 特集記事を? なにに?」
「もちろん、血のバレンタインデー生贄は佐久間、によ」

 アン子は見た。
 しかし見なければよかったと、心の底から思った。
 世の中には真実であったとても、見てはならないものが存在する。
 そのことをアン子はしっかりと胸に刻むことになった。
 そこには真神の聖女から、地獄の魔女へ変貌した美里がいた。
 彼女は両手を空に向けて差し伸べると、呪文のようなものを唱えてなにかと交信しだしている。
 時折物騒な単語が混じっていることに、アン子は気付かなかったと言い訳して耳を塞いだ。
 阿鼻叫喚の召喚が行われたのは、言うまでもない。


 この後、佐久間がどんな目に遭ったのか、その詳細が語られることはついになかった。
 しかし最後に見た彼の顔には、龍麻とチョコレートを交換したという充実感から得た喜びの表情が浮かんでいたという。




<了>

■管理人コメント■
佐久間主大好きな魔人ファンの皆さん!やってきましたわたあき様の名刀・佐久間主!
…数ある魔人サイトの中でも、佐久間主をキラキラムード満載な企画の剣風代表に据え置くサイトさんはナマケモノ苑様しかいないと言い切ります(どちらかでやられていたら是非教えて欲しー!わたあき様と共に喜び勇んで飛んでいきます^^;)。
佐久間主はふとした時に猛烈読みたくなっても他カプと違ってなかなかすぐ読むって事は出来ないですよね。なので、今回欲望の赴くままにリクエストさせて頂いたのですが…ああ私の求める佐久間主がここに!って感じです!
何かこの話、最終的には美里主になるんじゃないか?という気もしないではないですが(遠投する美里様ににやけが止まらない・笑)、お返しいらないの?と可愛く聞いちゃうひーちゃんに、すかさず「いる!いるに決まってる!」と必死こく佐久間、愛しくて可笑しくてしょーがないです。やっぱり佐久間主はこうでなくっちゃ!
わたぽん、幸せなバレンタインデーネタの佐久間主をどうもありがとうございました!


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