擬態



「 捕まえた」
「 捕まえられた」
「 龍麻」
「 怒らないって約束だろ!」
「 ………」

  もう一体何度、こんな事を繰り返しただろう。





  龍麻が夜中にフラフラと人気のない神社や森林、時には郊外の山の中にまで出掛けるようになったのは、夏も過ぎた秋口の頃だった。
  当初は如月も龍麻の異変に気づかなかった。
  龍麻は時折不意に陰鬱な態度を取り、意味もなく我がままになったり無性に甘えてきたりという事があったが、それでも己の立場はわきまえているのか、単独で無茶をしたり意味不明な行動を取るというような事はなかった。
  ただ、龍麻は週の後半になると決まって「そろそろヤバイ」というような事をつぶやいた。如月が何に対してそうなのかと問い詰めても、龍麻はただ「ヤバイものはヤバイ」と言うだけで、具体的な事は何も言おうとしなかった。
  そして、そう言った日の夜はやはり不意に姿を消す事が多くなった。
  だからその夜も。
「 だから君はどうして黙って1人でこんな所をウロウロするんだ」
「 知らないよ」
  今日はまだ山奥に行かれないだけマシだったかと思いながら、それでも龍麻がふらりと出掛けて迷いこんだその場所に如月は頭を抱えた。都心の外れ、公道の脇に広がる雑木林はこの時間でなくとも嫌な氣が辺りに充満していた。
「 1人でこんな時間にこんな所で…敵に襲われたらどうするつもりだ」
「 殺す」
「 ……龍麻」
  こういう風に言う時の龍麻は真剣に陰傾向に入っていて、確かにある意味「ヤバイ」だろうというのが如月にも分かる。
  それでも彼の氣はどことなく弱々しく頼りなく、とても1人でも安心とは言い難かった。
  如月は傍の木の根に座り込んでいる龍麻に片手を差し出した。
「 ともかくは帰ろう。こんな所にいつまでもいたら風邪を引く」
「 なあ、翡翠は」
  しかし龍麻は立ち上がる気など全くないのか、ただ静かな目をして自分を迎えにきた如月のことを見上げた。
  そして心底不思議そうな声で言った。
「 どうしていつも俺のいる所が分かる?」
「 何だって?」
「 俺、誰にも何も言わないで突然いなくなるのに。どうしていつも。いつもいつもいつも、ヤバイと思った時にちゃんと迎えに来てくれるんだ? しかも俺…こんななのに」
「 こんな、とは何だ?」
「 ………偽っている」
「 何のことだ」
「 ……何でもないよ。とにかく答えて。何で俺の居場所が分かるんだ」
「 そんなことも…」
  分からないのかと言おうとした言葉も、怒りの為かすぐに出す事ができなかった。
「 分からない」
  けれど先の言葉を読んだのだろう、龍麻はあっさりとそう言い放ち、ふいといじけたようにそっぽを向いた。その態度に多少むっとしたものの、如月は龍麻にこちらを向かせる術などもう容易に心得ていたから、一体どうしてやろうかとただ意地悪く心の中で考えた。
  龍麻は突き放せば、すぐに泣きそうな顔になる。
  そんな事はもう当に分かっていたから。
「 ……龍麻。どうでもいいが、帰らないのか」
「 ……翡翠、答えてくれない」
  びくりと肩を震わせつつもそう言ってきた龍麻に、如月は興味のないような声を返した。
「 知らないよ。自分で考えろよ、それくらい」
  如月は尚も冷たく言い放ち、それからわざと自分も龍麻から視線を逸らした。こんなに心配をさせて、こちらだってこれくらいはしてもいいだろうという気持ちがあった。
「 ……翡翠」
  すると案の定、主…龍麻は実に儚い声で従者…如月に向かって口を開いた。
「 そんな風に…意地悪言うなよ…。俺には翡翠しかいないんだから…」
「 ………」
  いつからか、自覚していた。
「 翡翠しかいないんだから…」
  この力強くも壊れやすい存在を護る事こそが、自分の生まれてきた理由。
  それを理解した時、如月は喜びと内から沸き出てくる高揚感とでどうにかなりそうになった。それを、その感情を表に出してはいけないだなんて、我が祖父ながらひどい事を言ってくれたものだと如月は半ば真剣に恨みの言葉を唱えたほどだ。
  そんな自分に気づきもせずに、この存在は、龍麻は言うのだ。
「 翡翠」
  龍麻は言う。
「 翡翠が迎えに来てくれると信じてるから、俺はこうやって痛みに耐えてる。俺はこうやってほんの時々吐き出しながら、こうやって頑張ってるんじゃないか」
「 …………」
「 分かるかよ、翡翠?」
「 龍麻」
  分かる、と言えばきっと龍麻は怒るだろう。実際、自分はまだ分かったつもりになっているだけかもしれないと如月は自身でも思う。そう思ってしまう己に表情を曇らせながらも、しかし如月は目の前で項垂れる龍麻から目を離せなかった。
「 俺、翡翠を呼んでる…いつも。俺は辛抱していつもいつも…姿を変えているんだから。たまにはさ…こうやって息を抜かないと…さ…」
「 分かったよ」
「 何が…分かったんだよ」
  ああ、やはり気分を害してしまった。むうとして顔を上げた龍麻に、如月は苦笑交じりの顔をしてからすっと傍に近寄った。
「 ああ、悪かった。しかし…飛ばしすぎると息が切れるとは、いつも言っているだろう?」
「 ………」
「 君こそ分かっているのかい、龍麻?」
「 分かってる。俺はさ…ちっぽけな存在なんだよ、翡翠」
「 知っているさ、そんな事」
  如月は龍麻の為にそう嘘をつき、そっと傍に屈みこむと、小さくなっている主の肩先に自らが着ていた上着を脱いでかけてやった。


  生きる為に姿を変えているという、この得体の知れない生き物が。


「 龍麻……」
  一体どんな姿に変わろうとも、自分はきっと見つけられる。この主が自分を呼んでくれる声が聞こえるから。
「 龍麻…。僕はいつだって君を見つけるよ」
  如月がきっぱりとそう言うと、黙り込んでいた龍麻はこつんと身を寄せてきて、それからこくりと頷いた。
  ああ、気配が消えている。
  危うげな龍麻の氣がまた遠くの方へ去って行くのを如月は己の肌を通してじくじくと感じとった。



<完>





■後記…陰に入る龍麻。いつも無理して生きてるからねー。