慣れない頃は彼の望む事が何なのか分からなかった。
  一体何を期待しているのだろう。笑わない、喋らない。いつも何か言いた気にこちらを見てくるだけ。
  正直言ってそういうのは嫌いだ。鬱陶しいんだ。


「 ………翡翠」


  それなのに、いつも。
  いつもいつもいつも。


「 ………翡翠」


  あの唇が戦慄いてそう呼ぶと、いつもこの手を差し出していた。


  抱擁



  龍麻が<如月骨董品店>の店先にぼうとして突っ立っていたのは、ちょうど如月が学校へ行こうと外へ出た時のことだった。
「 どうしたんだい、こんな朝早くから」
  自分に何も告げず唐突に訪問してくる龍麻など珍しくも何ともない。大した事ではない、と如月は思う。
「 いつもいきなりだね」
  それでも、全く驚かないと言えば嘘になった。如月にとってこの緋勇龍麻は特別な存在だし、そんな彼が今にも倒れそうな顔で現れれば多少なりとも面食らうのは当然だった。
「 何かあったのかい」
  だから蒼白な龍麻に対し、如月はなるべく優しい口調で訊いた。何となく返って来る答えを予想できないわけではなかったが、それでも今日の龍麻の機嫌がどのくらいなのかという参考くらいにはなるから。今日はどう答えるだろうかと如月は表情を消したまま相手の反応を待った。
「 …………」
  すると当の龍麻はそんな如月の顔にゆらりと視線向け、やがてぽつりと言葉を吐いた。
「 煩いな…」
  それはとても毒のこもった声だった。





  いつもの和室に通してお茶を出す。
「 何か欲しい物、あるかい」
  しかし如月がそう声を掛けても龍麻は何も言おうとしなかった。その他にも二つ三つ語りかけてみたが駄目だった。それもいつもの事ではあったが、ここまで無反応だとさすがの如月も多少焦れた気持ちになった。勿論、いつもの無機的な表情を崩しはしなかったが。
  龍麻に弱いところを見せてはいけない。
  如月は随分と前からそれだけは心に決めていた。
「 ……話したくないのなら別にいいさ」
  だからと言ってただ甘やかすのも癪に触る。向こうが刺々しい態度でいるのならそれは尚更だった。
  如月は龍麻に働きかけるのをあっさり放棄すると、あとは知らぬフリをして誤魔化すように外の庭へと視線を変えた。


  どうせ龍麻の方から折れてくるさ。


「 なぁ……」
  その読みはいつだって当たっているのだ。
「 なぁってば…」
  一体どれだけの時間お互いに黙りこくっていたのだろうか、龍麻がようやく口を開いたのは、如月が店の帳簿を取り出してそれに目を落とし始めた矢先の事だった。いつもより少し遅かったかなと思った。
「 何だい?」
  人に学校を休ませ、ここに来た理由も言わず、どことなくぶっきらぼうな様子だった龍麻。ようやっと口を開いたとしても、すぐに許す気持ちにはなれない。如月は顔を上げず、わざと帳簿に目を落としたまま素っ気無く返事をした。
「 ……っ!」
  案の定目の前のテーブル越し、壁に寄りかかったまま如月を見ていた龍麻はみるみるむっとした顔になり、怒ったようになって言った。
「 ……こっち向けよっ」
「 ………」
  いばっている割にこういう時はとても儚気なんだ。
  そう思いながら如月が言われた通りに視線を向けると、やはりそこには今にも崩れ落ちそうな龍麻の姿があった。
「 ……どうした」
「 ………」
  言う通りにしたのに後の言葉を続けない龍麻。如月が助け舟を出すようにして声を出すと、龍麻はますます崩れ落ちそうな顔をしてからふいと視線を横にずらした。
  そうして、小さな声で。
「 ……苦しい……」
  龍麻は言った。
「 ………」
  黙ったまま眉をひそめると、龍麻はそんな如月の顔を見てますます苦痛に歪んだ顔をした。
  いつでも龍麻はそうだった。
  戦いの時は決して見せない、仲間たちと群れている時は決して感じさせない。
  緋勇龍麻という人間は元来とても弱くて、寂しがり屋で。それでも誰かに依存する事を恐ろしいほどに嫌悪している。その矛盾を自分で知っていて苦しんでいる。いつだったかそんな龍麻の内面を感じとってしまった時、如月は確かに「しまった」と感じたのだ。
  囚われてしまったと思った。そして向こうにも感付かれた。
「 ……龍麻」
  余計な思考を停止させ、首を振った。
「 龍麻」
  そしてもう一度名前を呼んで、如月は目の前の主に視線を送った。呼ばれた龍麻の方は一瞬だけきっとした目を向けた…が、それもすぐに大人しいものになると、また火の消えたようにしんとなって膝を抱え、俯いた。
  ああ、やっぱりだ。そう思ったが黙っていた。龍麻が何か言い出しそうだと思ったから。
「 苦しいって…言ってんだろ…ッ」
「 …………」
  案の定、一間隔後、龍麻はぽつりと痛みの種を吐いた。
「 痛い……」
「 …………」
「 また…くだらない考えが頭の中ぐるぐるしてる。痛いんだよ、翡翠……」
「 ……そうか」
  何だ、やっぱりいつもと同じじゃないか。
  助けを求めに来ただけじゃないか。
  冷めた考えが脳裏をよぎったが、如月は一方でその龍麻の胸の痛みが自分だけのものになればいい、と酷薄なことを考えてもいた。

  従う身。
  関係ない。
  従わせたい。

「 龍麻」
  呼ぶと今度はびくりと肩先が震えるのが見えた。怯えているのか、今言った台詞を後悔しているのか。いずれにしろ如月はそんな龍麻の顔をじっと見つめたまますっと片手を差し出した。
「 痛みを消すなんて簡単だ。そういう事なら早く言えよ」
「 ………翡翠」
「 来い、龍麻」
「 ………」
  そっと近づく龍麻を強引に引き寄せ、如月はそのまま龍麻の頭を抱えるようにして抱きしめた。
  そうして髪の毛に軽いキスを降らせると、言い聞かせるような口調で言った。
「 どうだ、簡単だろ」
  だから時々龍麻を馬鹿だと思う。
  たったこれだけ。こうして互いの温度を感じあうだけで良いのに。
  前からそう言っているのに。
「 煩い…」
  押し付けられた先、それでも頬が紅潮しているのは見えた。
  如月はそんな龍麻をもう一度強く抱きしめると、その案外と小さな身体をひどく愛しく想い、またそう感じてしまう自分に密かに動揺して、それら全ての感情を誤魔化すように目を閉じた。

  いつからだろう、感情を抑える術などとっくに失ってしまっていた。



<完>





■後記…私の理想の如主は「弱い主とクールな従者」でしょうか。龍麻は基本的にいっつもいろいろな事でうじうじ鬱々と悩んでいます。如月はそれを知っているけれど、普段はあんまり甘やかさない。でも究極のところではべた甘やかしって感じで(何それ)。どっちかってーとプラトニックでもいいんですが。でもとにかく何も言わずとも分かり合う2人ってのがいいです。