いつ、どこで、どんな風に



  急に何を言い出すんだと龍麻を見た如月の目は、どちらかというと怒っていた。
「 だから」
  龍麻はそんな如月に「ああ、やっぱりな」と思いながらも、半ば投げ遣りな口調で発した台詞を繰り返した。
「 俺と初めてキスした時の事覚えてるかって言ったの」
「 何でそんな事訊くんだい」
「 忘れてそうだから」
「 ………」
「 そういう感じしたから」
  倦怠期の夫婦、もしくは恋人同士が持ち出しそうな話題をこの男に振っている事が龍麻は「一応」可笑しいと思う。一方でそれを問いただしている今の自分は結構本気で、返答如何によってはこのままここを飛び出してもいいと思っていた。
「 覚えているよ」
  そんな龍麻に対し、如月は素っ気無くだがそう答えた。如月はその時ちょうど店に入った品物を店内中央付近の棚の前まで運んできた所で、帳場に座っていた龍麻からは背を向けていた。
  龍麻はそんな如月に心内で安堵しつつ、顔は依然無表情を保ったままで「それでは」と再度問いただした。
「 じゃあ、いつ・どこで・どんな風にやったか言ってみろよ」
「 断る」
「 ……何で」
「 理由など言う必要はない」
  如月はもうちらとも龍麻の方を見なかった。黙々と作業を再開し、自分の方を見ている龍麻の存在など何とも思っていないかのようだ。
「 翡翠」
  返答などないと分かっているのに龍麻はそんな如月の名前を呼び、それから小さく眉をひそめた。
「 俺のこと嫌い?」
「 好きだよ」
「 ……何だよ、その気持ちのこもってない言い方。適当」
「 君だって適当だろ」
「 は?」
  背中を向けたままそう発した如月の意図が分からず、龍麻は素っ頓狂な声をあげた。自分の何が適当だというのだろう。本気なのだ。一応。一応本気で、龍麻は如月の気持ちを知りたいと思っている。
  自分たちの関係があまりに曖昧だから。
「 何なんだよ。俺の何が適当なわけ」
「 何もかも。人の家に勝手に上がりこんでは部屋を荒らしたいだけ荒らしていく事も、気紛れに腕を磨きに行くと言っては、独りで旧校舎に潜りこむ事も。とにかく全部さ。行方不明になった君を探すこっちは大迷惑だ」
「 なっ…何言ってんだよ、今はそんな話、全く関係ないだろ!?」
「 ………」
  忙しなく動いたり、ぴたりと止まっては品物を鑑定しているような如月の後ろ姿に龍麻は唾を飛ばし、そしてますます不機嫌になった。
「 それに何だよそれ!? 大迷惑!? だったら別に探さなければいいだけの話だろ? 誰が頼んだよそんな事っ」
「 ………誰も頼んでなんかないさ」
  如月のくぐもったような声にムキになっていた龍麻は気がつかなかった。
「 そうだろ!? それに部屋だって、そんなに俺に散らかされるのが嫌なら中へ入れなきゃいいじゃないか! 知ってるよ、村雨の事だってこの間追い出したんだろ、そんな風につまみ出せば―」
「 あいつはあの暑苦しい図体で『御門から匿え』なんてバカな事を言ってきたからな」
  棚に一通りの品を揃え終えた後、自然な動作で引き戸のある店の入口へ向かう如月。龍麻を無視する気持ちはないようだが、相変わらずちらとも視線を向けてこない。
「 翡翠…っ」
  龍麻は小さく情けない声を漏らした。いつもは自分が振り返ってその存在を確かめる相手が何だか遠い。どんどん遠ざかっていくようで、このまま店から出て行ってしまうのではないかと不安で、龍麻は思わず立ち上がった。
  こんなつもりじゃなかった。確かに今日はここへ来たはじめからどこか喧嘩腰で八つ当たり気味で。そう、八つ当たりだ。龍麻は何もしていない如月にただ自分のイライラした気持ちをぶつけ、そして甘えていた。
「 でも…俺がこんななの、お前のせいでもある…」
  扉の所で何かしている如月を見ず、俯いたまま龍麻はぽつりと言った。
  そう、いつも寄せては返す小さな細波のように胸を過ぎる不安や焦燥。
  如月はいつでも従順に自分の言う事を聞いて受け入れてくれるけれど…それが嬉しいと無条件で寄りかかってしまう事もあるけれど。
  けれど、如月はいつでも「それだけ」だから。
「 お前って…俺がやれって事しかしない…」
  龍麻は言った。
「 あの時のキスだって、俺がしろって言ったからしただろ…」
「 ………」
  この時初めて如月は振り返って龍麻を見た。龍麻は気づいていなかったが。
「 その他のいっぱいのキスだってそうだろ。俺がしろって言ってるからするだろ。俺がして欲しいって想ってるからするだろ」
「 ………だったら?」
「 !」
  如月の冷たい台詞に龍麻はぎくりと肩を揺らした。まともに如月を見られない。
  ぎゅっと拳を握り締めた。こんな最低な事を言う奴は今ここで思い切り殴っても許されるんじゃないだろうかなどと一瞬脳裏を過ぎる。
「 だから…本当は、俺の事なんかどうだっていいんだろ…」
「 ………」
「 俺が情緒不安定だと困るもんな…。部屋を荒らされて黙ってるのも、行方知れずになった時必死になって探すのも…したくもないのに無理やりキスするのも全部…この土地を護る為だろ」
「 ……龍麻」
「 それがお前の使命だもんな」
「 龍麻。店を閉めた」
  突然如月が言った。
「 え?」
  龍麻が驚いて顔を上げると、如月はひどく真面目な顔をして真っ直ぐな視線を寄越してきた。
「 翡―…」
  そうして半ば狼狽したような龍麻には構わず、すたすたと歩み寄ると、そのまま帳場にダンと勢い良く片手をついた。
「 ……っ」
「 そういう風に試され続けるとさすがに時々腹が立つ」
「 え……」
「 でも、悪くはない」
「 翡…んっ…」
  後頭部をぐいと片手で掴まれ引き寄せられ、龍麻はそのまま如月に口づけされた。その不意打ちのようなキスは、驚きはしたけれど、やはり熱くて苦しくて舞い上がりそうになるくらい嬉しかった。如月の唇がこちらの意向を確かめてくるように角度を変え何度も深く折り重なってくると、それだけで龍麻の胸の奥は言いようもない安堵感に包まれた。
「 ………」
  暫くしてその熱が去ると、龍麻はゆっくりと閉じていた目を開いた。
  如月がじっとこちらを見つめていた。
「 ……翡翠」
「 今日はどうしたんだい」
「 ……別に」
  ふてくされたようにして顔を逸らすと、如月はそんな龍麻の頬を指先でさらりと撫でた後、はっとため息をついた。
「 確かに僕は君がやれと言った事ばかりするさ。でもそれは、たまたま僕自身もやりたいと思っていた事なんだって風には思わないのか」
「 そ、そんな事思うわけないだろ」
「 ………」
「 それに…迷惑って」
「 キスの事は言ってない。僕が言ってる迷惑は、君が僕の気持ちを確かめる為にする悪戯の事だ」
「 な…何だよそれ」
「 だから言ってるだろう。最近特に酷い。部屋を荒らす、行方知れずになる。少なくとも姿を消す方はもう少し控えてくれ」
  眉をひそめて言い含めるように言う如月の顔を龍麻はまじまじと見つめた。
  いつでも冷静で取り乱したところがなく、如月は常に同じ。どんなに龍麻がそんな如月を困らせようと四苦八苦しても一向に表情を変えない。それが更に龍麻の不安を煽ると言う事に、この男は全く気がつかないのだろうか。
  でも、一応。
「 一応は…心配してくれてる?」
「 何が」
「 俺が消えると」
「 心配してなかったら探さないし、どうでもいい奴をこんな風に構ったりしない。龍麻、僕って人間は基本的に人付き合いは苦手だし嫌いなんだよ。でも君は別だ。そんな事、もう何回言わせる気だい」
「 何回言われても疑いたくなるんだから仕方ないだろ」
「 ………」
「 今日だってさ…」
「 何だ」
「 橘さんと仲良さそうに話してた」
「 ………何だって?」
  龍麻のその突然の告白に如月は途端目を丸くした。
  相手のその反応に龍麻は思い切り赤面した。
「 だから…翡翠はやっぱりノーマルなんだろうなって。俺に付き合ってるだけなんだろうなって……思った」
「 ………それは、もしかしなくてもヤキモチかい」
「 そうだよ」
「 随分…はっきりと認めるんだな」
「 悪い?」
「 いや」
  如月は唇にふっと軽い笑みを零すと、照れ隠しでむっとしているような龍麻に「参った」と自らの黒髪をかきあげた。苦笑しているようなその表情は、どことなく嬉しそうでもあった。
  あれ、いつも無表情ばかりなのに。
「 翡翠…?」
  龍麻が不思議そうに顔を上げると、如月が言った。
「 店を閉めたって言っただろ。行こう」
「 どこへ?」
「 奥の間だよ。そこで言うよ。いつ、どこで、どんな風に君に初めてキスしたか」
  如月は龍麻の腕を掴み、半ば強引に自分の元へ引き寄せると、その掴んだ手に改めて力を込めた。
「 いっ…翡翠…!?」
「 僕は照れ屋なんだ、こんな所では言えないね。どうする」
「 何だよ…そこで俺に何する気…?」
「 君がしろって言う事じゃない。僕がしたいと思う事さ」
  事もなげに言って如月は笑った。いやに強気なその態度に龍麻は多少怯みながらも、けれどその腕の痛みが決して嫌な痛みでない事にはもうとっくに気づいていた。
「 ………翡翠」
  龍麻は傍に立つ如月の身体に腕を取られた状態のままこつんと頭ごとすり寄った。嬉しくて安心で、先刻までの不安が嘘のように消えていた。
  だから龍麻は小さく言った。

「 それたぶん…俺もしたいって思う事だよ」



<完>





■後記…あ〜…何なんでしょう。よく分からない話になってしまいました(汗)。ただ単に勝手にやってなさいバカっぷるみたいなのを書こうと思って、でもあんまりすんごいラブいちゃっぷりにはなってない感じになっちゃって…。あ、でもなってるかな(どっちだ)。とにかく、私の中の如主像はこんな感じで。如月は偉そうですけど、所詮は龍麻の虜なのです。