君が自由になれたなら 「 ねえひーちゃん、知ってた? 昨日って如月クンの誕生日だったんだって」 「 へえ…?」 朝方、校門の前で龍麻に挨拶をしてきた同級の桜井は、いつもの元気いっぱいの口調で真っ先にそんなことを言った。 「 弓道部の後輩でね、王蘭に友達がいる子がいて聞いたんだ! 昨日はとにかく大変だったらしいよー」 「 大変って?」 既に秋口に入り、こんな晴天でもやや肌寒い。龍麻はくしゅんと小さくくしゃみをしてから、隣を歩く桜井に何となく言葉を返した。桜井は寒さで背中を丸めている龍麻とは対照的に、ややもするとスキップをするような足取りでてくてくと歩を進めている。そんな桜井は昇降口に差し掛かった所で「古典的だけどさあ」と自分たちの下駄箱を指差して言った。 「 入りきらないほどのプレゼントがぎっしりでしょ。教室に入ったら入ったで、クラスメイトからもそりゃあ激しいおめでとう攻撃! 休み時間は後輩とかも集まってきて、とにかくモテモテだったって」 「 ……誰が?」 「 誰がっ…て。だからあ、如月クンがだよ!」 ひーちゃん、キミ、人の話を聞いている? 桜井は呆れたようにそう言ってから「仕方ないなあ」というように両手を腰にあて、龍麻にふくれっ面をして見せた。 「 あのね、ひーちゃん。寒いのも分かるし、眠いのも分かるけどね。ちょっとばかしノリ悪いんじゃない? せっかくひーちゃんが面白がると思って話してあげてるのにさあ」 桜井のいばった様子に龍麻は上履きに履き替えながら胡散臭そうな目を向けた。 「 何で俺が人のモテモテ話を聞いて面白がらなきゃならないんだよ」 「 え〜? 面白いじゃん。あの如月クンがだよ? 女の子に囲まれてキャーキャー言われて。きっと不機嫌な顔したり困った顔したりしたんだろうしさあ。そんなの想像したらさ、何かやっぱり楽しいじゃん!」 「 桜井はいい性格してるよ……」 「 あ! 何だよひーちゃん、その言い方!」 「 ………モテモテか」 「 へへへ」 ぽつりとつぶやいた龍麻に桜井は途端に破顔すると、ずいっと顔を近づけて、からかうような笑いを見せた。そうして龍麻の嫌そうにする顔には構わず、尚も可笑しそうに続けた。 「 ひーちゃん。ヤキモチやいてるでしょ」 「 なに…それ……」 眉をひそめる龍麻に桜井はたたみ掛けるように言った。 「 だってさ、ひーちゃんって如月クンの事になると顔つき変わるもん。あのねえ、何ていうかね、子供みたいな可愛い顔!」 「 さく……」 こんなかったるい朝に、この人は自分とどんな会話をしたいのだろうか。 龍麻が困ったようにその場に立ち止まっていると、桜井は「隠しても駄目だよ」といばって言い放ち、後を続けた。 「 ボクには分かってるんだよ、ひーちゃん。照れなくてもいいよ。大体そんなこと、もう皆知ってるよ? 勿論、如月クンだって知ってるよ」 「 だから何が…」 「 だから!」 桜井はびしりと龍麻の鼻先を指差すときっぱりと言った。 「 ひーちゃんが如月クンの前では甘えん坊さんになるってことをだよ」 「 桜井、何そ……」 「 まあまあ。そういうわけだからさ。どうせ知らなかったんでしょ、誕生日。1日くらい遅れたって大した事はないから、今日は放課後、お店に行きなよ」 「 ……行ってどうするの」 抵抗するのはやめて龍麻が素直にそう訊くと、桜井は苦笑してから首を左右に振った。 「 どうもしなくていいよ。ただおめでとうって言えばいいんだよ。如月クンだって喜ぶよ」 「 …………」 龍麻が憮然としたまま固まっていると、桜井は勝手知ったるような顔をしてから再びにっこりと笑った。 「 まあ、さ。手持ち無沙汰なら何かあげてもいいんじゃない? ね、ひーちゃん、いつもお世話してもらってるでしょ」 「 ………」 その言い方。 そう言う桜井の方こそ、自分の世話焼き母さんみたいだ。 そう思ったけれど、龍麻はそう感じてしまった自分自身に気恥ずかしさを感じ、わざとむっつり黙りこんだ。 桜井に言われたからだと心に言い聞かせて、放課後、龍麻は大きく一呼吸をした後、如月骨董品店の戸口をガラリと開けた。 「 ん…龍麻か。いらっしゃい」 如月はいつものように制服姿のまま、もう仕事に入っているようだった。或いは制服に着替えたものの、そのまま学校には行かなかったのかもしれない。そんな事を考えながら、龍麻は店に来る前に手に入れてきた小さな箱を握り直してから如月がいる店の奥へ進んだ。 「 今日は1人かい?」 顔を上げずに如月は龍麻に訊いた。何か大事な書き物をしている最中のようだ。龍麻は生返事をしてから相手の邪魔にならないようにその横を通り過ぎると、そのまま奥の部屋へと勝手に足を踏み入れた。 如月は何も言わなかった。いつもの事だからだ。1人で来る時、龍麻が如月のいる領域に入りこむこと。 「 区切りがついたらお茶を淹れるから待っていてくれ」 やはり振り返らずに如月は龍麻にそう声を投げかけた。龍麻はまたしても声になるかならないかのような声で生返事をし、そのまま奥の客間へと進んだ。 いつもと変わらないじゃないか。 何となくそんな風に思った。 「 龍麻」 それから30分ほどして部屋にやってきた如月は、客間で1人紅茶を啜っている龍麻に何度か瞬きをしてから驚いたような声を出した。 「 それ、自分で淹れたのかい」 「 うん」 「 紅茶の在り処なんかよく分かったね」 「 うん」 「 ……それは?」 自分の目の前に座る如月を意識しつつ、龍麻は紅茶の横にどんと置いてある大きなショートケーキを示されて再度「うん」と応えた。返事になっていないなとは思ったが、とりあえずは箱に残っているもう1つのショートケーキを如月の前に差し出した。 「 僕のもあるのかい?」 「 うん。翡翠の為に買ってきた」 何故かまともに如月の方を見られず、龍麻はただぶっきらぼうにそう言い、「割と美味いよ」と付け足した。恐らく如月はケーキなどという甘ったるい物はそれほど好きではないだろう。それが分かっていながら、それでも龍麻は箱から出したケーキを半ば強引に「食べろよ」と言って如月の前へ再度ぐいと押しやった。 如月は相変わらず感情の見えない顔で黙っていた。 しかしやがて。 「 ありがとう」 素っ気無くではあったが、如月はそう言った。 「 え」 龍麻は唖然として、そう言った如月を目を見開いて眺めやった。 そして次にはもう訊いてしまっていた。 「 何で?」 「 何で…とは?」 「 翡翠、別にケーキなんて好きじゃないだろ?」 「 好きじゃないと思ったのに買ってきたのか?」 実に嫌そうな顔をして如月はそう言い返してきたが、龍麻の方はただもう構わずに「いいから答えろよ」と偉そうに切り替えした。 「 俺、知らなかったから。翡翠、昨日誕生日だったんだろ」 「 そうらしいね」 「 だからケーキだろ」 「 何が」 「 誕生日には、ケーキだろ」 今ひとつ返答に鈍さを感じて、龍麻はイラついたように言った。 「 そうなのかい? ……まあ、どうでもいいけどね」 しかし如月の方は依然として静かなまま、ただ平然としていた。それからケーキに目を落とし、傍にあった皿にそれを乗せる。 「 せっかく龍麻が買ってきてくれたんだから、食べるよ」 しかし本当に興味がないのだろう、如月のその台詞は明らかに義理っぽく聞こえ、それを確信した龍麻はすっかり気分を害してむっとした顔をして見せた。本来ならば好きでもないものを買ってこられて怒る権利があるのは如月のような気もしたが。 「 いいよ、好きじゃないなら」 それでも妙に間が持たないような気がして龍麻は腹を立てたようにそう言い捨てた。 「 嫌いじゃないよ」 「 いいよ、食うなよ。俺が食べるから」 「 龍麻にはそれがあるだろ」 「 2つ食べるから」 「 ………何を怒ってるんだい」 まくしたてる龍麻に如月が辟易したように言った。呆れられている。いつもは鈍い龍麻でも容易に分かって、その相手の態度に鼻白んだ。 「 せっかく買ってきたのに、翡翠、嬉しそうじゃないから」 「 そんなことはないよ」 「 俺、帰る」 「 龍麻」 不意にそんな事を言って立ち上がった龍麻に、如月はいよいよ眉をひそめて責めるような声色を出した。 「 …………」 ああ、本当に子供だ。 「 龍麻」 「 …………」 如月のこんな声1つでびくびくして動けなくなっている。 龍麻はそんな事を思いながら、立ち上がったものの再びすとんと腰を下ろし、テーブルの上にあるケーキをじっと見つめた。一体何をしに来たのだろう、何ともなしにそんな事を思った。 「 龍麻」 如月が呼んだ。もう怒った声ではない。龍麻は少しだけほっとして顔を上げた。 こちらを見つめてくる視線が痛い。けれど、嬉しい。 だから言った。 「 ……今日、桜井に聞いたんだ。翡翠が昨日、誕生日だったって」 「 ああ」 「 何かしてあげなって言うから…。だから…」 「 だから、ケーキかい?」 「 別に……」 「 龍麻」 如月はもう一度ただ優しく呼んで、それからすっくと立ち上がると龍麻のすぐ傍にまで来て屈みこんだ。龍麻が驚いて身体を固くすると、如月ははっと嘆息した。 「 別に何もしないよ」 「 な…にが」 「 緊張しただろ」 「 してないよ」 「 したよ」 「 してない!」 ムキになってきっと顔を上げた瞬間、いやに真面目な顔が飛び込んできて、龍麻は再び慌てて顔を逸らした。けれど途端に腕を掴まれその行為を諌められたので、龍麻は「何だよ!」と怒鳴ってその手を振り払おうとした…が、如月はそれをよしとしなかった。 如月は頑として言った。 「 君以外、見ていないよ」 「 何…だよ…っ」 どきんと心臓が飛び上がるのを隠すように、龍麻は精一杯虚勢を張って如月を睨みつけた。如月はまるで動じなかったが。 「 桜井さんが何を言ったのか知らないけど、龍麻に怒られるような事は何もしていない。誰が僕の誕生日を祝おうが物をくれようが、僕には関係ないよ。龍麻が怒る事でもないよ」 「 お、俺がいつそんな事言っ…」 「 今日は来た時から怒っていたから、何事かと思ったよ」 仕方ないな。 「 ………っ」 如月の苦笑したような顔が飛び込んできて、龍麻はぐっと息を呑んだ。それから不意に泣き出したくなり、龍麻はばっと俯いてそのまま如月の胸に倒れこんだ。 「 翡翠…俺の為に生まれたって言ったから…」 「 言ったよ」 「 なのに俺、お前が生まれた日知らなかったし。俺の知らない他人はお前の事知ってた」 「 くだらないよ。どうでもいいんだよ、龍麻。そんなこと」 「 どうでもよくないよ」 「 ………」 「 どうでもよくないんだよ」 「 ……龍麻」 「 何で俺が知らないで、何で俺は知らない誰かがお前を祝った後に、こんなもん…こんなケーキとかをさ…やらないといけないんだよ」 「 は……」 呆れたのか、嘲笑か。 如月が微かに笑ったような気がして、龍麻はいよいよ頭に血がのぼった。 朝方、寝ぼけた耳に突然言われた如月の誕生日。桜井よりも近い位置にいる、ましてや桜井の後輩の友人とやらより更に自分は如月翡翠という人間に近いところにいて、誰にも入れない絆があって。 それなのに。何とつまらない話を聞いてしまったのだろうか。 「 龍麻」 いじけたような龍麻に如月が再度呼びかけた。それでも龍麻はそれに答えたくなくてわざとその声を無視すると、自分こそがお前を呼ぶのだと言わんばかりの顔をして言った。 「 翡翠」 そうして龍麻はきっぱりとした声でそう名を呼んでから、すっと顔をあげ挑むように唇を如月のそれに近づけた。 「 ……なぁ」 それでも自分からはしたくない。至近距離にまでいって動きを止めると、望み通り如月が続きを補うようにしてそっと龍麻のそれを捕らえてきた。 「 ………」 こうやって触れあう事が好きだ。 「 ………誰かとした?」 だからもう訊いていた。 「 ん……」 「 翡翠…俺以外としたことある? 俺以外としたい?」 「 ………」 如月は答えなかった。 言葉を出すのも腹立たしいというような雰囲気が伝わってきたし、龍麻もその点で言えば馬鹿馬鹿しい事を言ってしまった自覚があったが、それでも止める事はできなかった。 「 キスだけじゃなくてもっと他の事もしたいと思うか? 俺、つまんないだろ。ちっともやらせないしさ」 「 ………」 「 やらせてやろうか。誕生日だもんな。よくあるだろ、そういうの」 如月はやはり声を出さなかった。ただそういう龍麻をじっと見つめるだけで。 それによって龍麻は余計にムキになった。 「 男同士だってできるって知ってるんだ」 本当は。 「 そもそもおかしいだろ、俺たち。こうやってしょっちゅうチューしてさ。それでいて後は何もしないなんておかしいだろ」 本当は、ずっと前から思っていたんだ。 「 なあ、思うだろ。しようか。させてやってもいいよ」 「 そうかい」 ようやく如月は声を出した。やや疲弊したような声だったが構わないと思った。 「 そうだよ。そもそも翡翠だっていけないんだよ。もっと強引にしてくれても良かったんだ。何で? 俺が逃げるから遠慮してた?」 「 そうかもしれないね……」 「 じゃあ俺がいいって言ったらやるんだ? そうなんだ?」 「 ああ…そうだな」 一瞬の間の後、如月はいやにぴんと張り詰めたようなよく通る声でそう言った。 そして。 「 龍麻の許可がもらえるなら喜んで」 「 ………」 龍麻はそう言った如月から目を逸らせず、けれど居た堪れなくて、ズクズクと痛む胸を意識しながらぐっと唇を噛んだ。如月はここにいる。弱い自分から一時も目を逸らさず、傍にいる。それはとても頼りになる氣だけれど、温かく嬉しいものなのだけれど、それでもその時の龍麻には何だか無性に苦しいものに思えた。 「 ………嘘だ」 だから。 「 嘘つき」 龍麻はぽつりとつぶやくと、どんと如月の胸を叩いた。それからどんどんと更に二度、三度と叩いて龍麻は如月の胸元を見やった。顔は上げられなかったから。 ああ、何なんだ。この不毛な会話は。 「 ………何で」 俺はいつもお前に甘えて、やっぱりただこうやって寄りかかるだけでズルイ奴なんだ。 「 ……なのに何で翡翠は…こんな優しいんだ…」 「 僕の台詞だよ、龍麻」 すると如月は龍麻のその言葉に遂に大きく息を吐き出すと、おもむろにその腕を差し出した。 「 あ……?」 そして如月は意表をつかれている龍麻の身体をぎゅっと強く抱きしめると、茫然とする相手の耳元にそっと唇を押し当て囁いた。 「 龍麻。何か特別な日が来たからって僕は何も変わらないし。何も心配する事なんかないんだ」 「 翡…」 「 それに。セックスがしたかったらそのうちしてあげるよ。本当に龍麻がしたいって思ったら」 「 な…何だよそれ…!」 「 ほら。分かっていないじゃないか。だから分かってからでいいよ」 君はまだ自分の事で精一杯だろ。 如月は暗にそう言い、それから再び龍麻の髪の毛に静かなキスを1つ落とした。 「 ………」 キスはいっぱいするけれど、いつもここまで。 それはまだ成長しきれない自分に対する思いやりなんだろうか。龍麻はぼんやりとそんな事を考えながら、ああやっぱり駄目だったと思った。 誕生日なのに。如月が生まれてきてくれた大事な日を祝おうというのに、結局自分は今日も彼に甘えてしまった。 「 翡翠……大好きだ」 ではせめて今日くらいは素直になろう。そう思って必死にそんな事を言った。 すると。 「 嬉しい事を言ってくれるね」 如月はどことなく楽しそうな声でそう言い、小さく笑った。そうして龍麻の髪の毛をさらりと撫でると「気づいていないと思うから言うけど、僕もだよ」と律儀に返してきた。 「 ……うん」 それで龍麻もようやくほうっと安心し、自分を抱き寄せてくれる如月に再度擦り寄るようにして身体を寄せた。とくんと聞こえる如月の心臓の鼓動。それをもっと近くに聞きたくて、龍麻は目をつむるとしんと耳を澄ませて押し黙った。 今は、今だけは、如月のこの温度は自分だけのものなのだと思った。 |
<完> |
■後記…身体の繋がりより精神的繋がりを求める傾向にあるのは、うちの龍麻の特徴です。如月氏には申し訳ないんですが(苦労性なのが板についてるなあ・笑)。 |