廻(めぐ)り逢い



  眩しい。
  龍麻は片手を額にかざし、キラリと照りつける明るい日差しに目を細めた。
「 外出たの…久しぶりなのかな…」
  他人事のように呟いてみた後、越してきたばかりの見慣れぬ街並をゆっくりとした速度で歩き始める。
  10分歩いては休憩。休憩してはまた10分歩く。
  龍麻は先ほどからそんな事をかれこれ数時間も続けていた。誰かが傍で見ていたらどれだけ身体の弱い人なのだろうと心配したかもしれないが、幸いな事に龍麻は1人だ。気遣う人間など誰もいない。
  ここ、東京にやって来てからまだ数日。
  知り合いが皆無というわけではないが、それでも龍麻は孤独だった。それは慣れてしまった事だからもう寂しいとは思わないけれど、それにしてもここへ来てからのこの身体の変化にはどう対処して良いのか分からないと思う。
  どうしたことか、どことなく身体がだるかった。
「 嫌な感じだ…」
  何かが自分の背中に訴えかけている。それは分かるのだけれど、それが「何」なのか、その正体が龍麻にはまだ分からなかった。正直、自分がこの街で何をすれば良いのか、それ自体ハッキリと分かっているわけでもない。それでも生まれる前からの決め事のように、当然の事のようにこの街にはやって来てしまった。
  明日から顔を出す事になっている新しい高校―真神学園―への転入手続きはもうとうに済ませてある。当面不自由しないだけの金も、生活に必要な家具や食材も新しい住処に揃っている。
  何もかも揃っている。準備万端だ。
  だから別段外へ出る理由などなかったのだ。幾ら天気が良いと言っても、こんなに気だるい思いをするなら、死んだように眠り続けていれば良かったと思う。
「 どうして出てきちゃったんだ…」
  頭の中だけで吐いた言葉のつもりがつい表に漏れてしまい、龍麻はすぐさま閉口した。
「 あ……」
  それでもようやく辿り着いた「その場所」に、龍麻は足元だけ見ていた顔を上げてはっとした。
  花園神社。
「 ああ…これか」
  これが自分を呼んでいたのか。
  重苦しい身体、眠れない不安定な精神を何とかなだめすかせて出て来た理由。
  何処かから誘うように「ここへ来い」と命じていた気配。
  空気。
  元々特異体質なので何が自分を呼ぼうと驚かない龍麻だが、建造物に引き寄せられて来たのは初めてかもしれなかった。
「 今更神頼みでもないんだけどなぁ…」
  喧騒とした街並の中、背の高いビル群の隙間で何とかその存在を主張している真っ赤な鳥居。それを潜り抜け、龍麻はまた誰に言うでもなく呟いた。
  この街で何が起きるかなど分からない。それでもここで起きる何かを止めるのがどうやら自分の仕事らしい。それをしないと解放してもらえないようだし、そもそも人と若干異なる力を秘めたこの身体も、その為に用意されたもののようだ。だから、憂鬱ではあるが仕方がない、腹を括ろうと龍麻は思っていた。
  思っていたはずなのに。
「 どうしてこんな所に」
  昼間でも木々に囲まれ意外に暗い細い道。境内に向かいながら龍麻は再度呟いた。
  どうして訪れたこともない、名前も初めて聞いたようなここにやって来てしまったのだろう。悶々と頭の中でそれについての答えを探すうち、一つだけ思い当たる事にぶち当たって龍麻は顔をしかめた。
  もしかすると期待していたのかもしれない。
「 バカバカしい…」
  しかし龍麻はすぐにその考えを振り払うと吐き捨てるようにそう言った。そしてぴたりと立ち止まり、意を決したようにまた声を出す。
「 やっぱり」
「 帰るのかい」
「 わっ!!」
  くるりと踵を返し元来た道を戻ろうとして、龍麻はその突然の問いかけに声を上げた。
「 び、びっくりした…!」
「 すまない」
  一体いつから自分の背後に立っていたのか。
  振り返った先、すぐ目の前にはさらりとした黒髪を有した青年が立っていた。随分と毅然とした風貌で一見すると大人びて見えるが、実年齢は龍麻と同じ高校生のようだ。何処の高校かは定かでないが、ブレザーにネクタイをしている。すらりと細身のその青年は、しかしそれほど長身ではない龍麻よりはやや背が高かった。
  その青年は龍麻をじっと見やったまま悪びれる様子もなく言った。
「 驚かすつもりはなかった。後ろを歩いていたら君の独り言が聞こえたから」
「 あ…ああ、別に…」
  そうは言いつつもどきどきと逸る心臓を片手で抑えながら龍麻は焦ったように息を吐いた。
  後ろを取られたのは久々だった。
  具合の悪い証拠だろう。
「 具合でも悪いのかい」
  すると龍麻のその心根を読んだのか、青年はすかさずそう言ってやや眉をひそめた。どことなく憮然とした顔ではあるが、どうやら心配してくれているようだ。龍麻は見知らぬ青年に気遣われるのが嫌で慌ててかぶりを振った。
「 何でもないんだ。本当に…大した事はないから」
「 そうか。だが君は憑かれやすいから気をつけた方がいい」
「 え…?」
  青年の不意の発言に龍麻はぎくりとして自然身構えた。
  相手は相変わらず無機的な顔をして龍麻のことを見やっている。探るようにという程ではないが、それでもこちらの動向を伺い見ているのは明らかだった。
  途端、龍麻は不快な気持ちがして顔を背けた。
  今更「何に」憑かれやすいのかなどと聞き返すつもりはない。
「 そういう事言うって事は、多分俺と同類の人だよね?」
  言った後は身体も背け、龍麻は道を外れて傍の大木に身を寄せると疲れたようにそこに体重をかけた。この体勢なら身体も休ませる事ができるし青年に背を向ける事もできるし一石二鳥だった。
  自分なりに落ち着ける位置を獲得してから龍麻は言った。
「 何か見えたみたいだけど気にしないでよ。俺、本当ヘンなの寄ってくるのは慣れてるしさ。今日はちょっと疲れただけなんだ。だから…」
「 今日だけかい?」
  一歩、また二歩と青年が自分に近づいてくるのが背中越し龍麻には分かった。
  恐らく、悪い人間ではない。それは目を見て何となくだが龍麻にも分かった。それほど多くの人間に接してきたわけではないから、実は善人と悪人の区別をつける自信などないが、それでも直感でそれだけは分かっていた。
  この青年は敵ではない。
  けれど。
「 俺には近づかない方がいいよ」
  背中を向けたまま龍麻はわざと明るい声で言った。
  期待したのがまずかった。誰かに「逢いたい」などと甘ったれた事を思ってしまったのがいけなかった。
  この青年は多少人にない力を感じる能力があるようだから、ここにいる自分に気づいて引き寄せられてしまったのだろう。それだけを思い、龍麻は心の中で舌打ちした。
  この人にしてみれば、迷惑もいいところだ。
「 ここへはいつ来たんだ?」
  それでもそんな龍麻の気持ちにはお構いなしに青年はそんな事を訊ねてきた。もうすぐ傍まで来ている。すぐ後ろに立っている青年を意識しながら龍麻は尚も軽い調子で答えた。
「 つい数日前だよ。俺、この新宿にある真神学園に転校して来たんだ。今日は周辺を軽く下見するつもりがさ…ちょっとだけ具合悪くなって―」
「 ここへ来てからだろう?」
「 え?」
「 具合が悪くなったのがさ」
「 あ…ああ、そうだけど。だけど俺、別に大した事ないし、こんなの―」
  しかし押し出すように出していた龍麻の言葉を青年はいとも簡単に消し去ってしまった。
  その凛としたよく通る声で。
「 龍麻」
「 ………え?」
  空耳だろうかと思った瞬間、もう肩を掴まれていた。
「 な…っ?」
「 来たのなら、何故真っ先に僕の所へ来なかった?」
「 は、はあ…?」
「 それとも、やはり僕から訪ねないとまずかったのかな。しかし如何な僕でも氣を抑えた君を早々に見つける事なんてできるわけがない。いつだって僕は君が呼んでくれないと動けない立場にあるんだからね」
「 な…何、言ってんだ…?」
  しかし疑問の声を出した瞬間、龍麻は振り向きざま掴まれていた肩を今度は両方ぎゅっと強く掴まれた。
「 痛…ッ」
「 ひどいな。もしかして…忘れてるのか」
「 だ…一体何を…」
  顔を寄せられ、真摯な目を向けられて龍麻は声を失った。
  どうやら相手はこちらの事を知っているようだ。しかし自分は知らない。忘れてしまうくらい昔の、小さい頃にでも会った相手なのだろうか。
「 俺……」
「 君が来るのを待ってたよ、龍麻」
「 だ、誰…?」
「 君に従う者」
「 え?」
  ますます言われている意味が分からず龍麻は眉をひそめた。
  それでも青年は構わず龍麻を見つめたまま言った。
「 君を護る者だよ。……龍麻」
「 え…あ……」
  相手の言う言葉を考えようとした瞬間、不意に重なってきた唇に龍麻は完全に動きを止められてしまった。
「 ………」
  触れられただけの口づけ。
「 な……」
  それでも龍麻は目を見開いたまま自分にそうしてきた青年を凝視し、それから徐々に身体全身を燃やしてくるような熱の塊に翻弄されカッと顔を赤くした。
  他人と触れ合った事などないのに。
「 龍麻」
「 な…何、するんだよ…?」
「 いつもしてただろう?」
「 え?」
  何を言ってるんだ。
  しかし、龍麻が咄嗟にそう言おうとした、その時―。
  不意に。
「 あ―…っ!」
  龍麻は思わず声をあげ、勝手知ったるような顔をしている相手の顔をまじまじと見つめた。
「 ………」
  出逢った事はない。今日初めて出逢ったのだ。顔も声も、名前すら知らない。そのはずだ。
  けれど。
「 ……逢って」
「 逢ってるよ。僕は覚えている。夢から覚めても忘れない。君の顔も、君の名前も。……訊いたからね」
「 ………」
「 でも君は僕の名前を訊かなかった。見ようともしなかっただろう。自分と遊べと言ってくるのはいつも君の方なのに」
「 ………あの」
「 キスだってしただろう?」
「 そ、それは…っ!」
  どもりながらも龍麻が抗議の声をあげようとすると、先刻まで無表情だった青年の顔がふっと緩められた。
「 ……っ!」
  途端、龍麻は思い出した。
  ああ、そういえばこいつは自分に対して何か「してやったり」と思った時にだけ、こんな風にして笑っていたのだ。いつもこちらには従順なくせに、いざというと強引で自信満々で。
  それでも優しくて。
「 ………何だか」
  不意に懐かしい気持ちがじわじわと龍麻の胸を締め付けた。
  幼い頃からずっと、孤独で寂しさに打ち震えていた夜、彼は確かにいてくれた。
  夢の中で。
「 ひ、久し、ぶり……」
「 そうだね」
  龍麻が言うと青年はここで完全に満足したようになって微笑した。
「 龍麻。如月翡翠だよ」
  そして青年はそう言った。
「 え?」
  龍麻が乾いたような茫然とした声で反射的に問い返すと、青年は再度笑った。
「 僕の名前さ」
「 ……如月、翡翠」
「 そうだ」
  そうして青年―如月―は、未だ意識のハッキリしていないような戸惑い気味の龍麻の前髪にそっと優しく触れてきた。
「 あ……」
  長く細い指が戯れのように自分の髪の毛を掠めていく。それを心地良いと思いながら、一方で龍麻は未だ信じられない気持ちで目の前の相手をただ眺めやった。
「 翡翠…」
  だから龍麻はもう一度、今度は確認するように如月の名前を呼んでみた。
「 翡翠」
「 ああ。いるよ」
「 ………」
  その如月のしっかりとした返答を黙って聞きながら、龍麻はここでようやく「ああそうだったのか」と得心した。
  身体が重かったのはこの街に来て使命を果たす、その重責による所為だと思っていた。しかしそれはどうやら完全な見当違いだったらしい。
「 やっと…逢えたな」
  龍麻が少しだけ緊張した面持ちでそう言うと、如月は「ああ」と短く答え、また笑った。そしてもう一度、今度は龍麻の額に唇を落としてきた。今度は龍麻も驚かなかった。

  身体が求めていたもの。外へ出た理由。
  それはこの街にずっと置きざりにしていた彼を探す為だったのだ。

「 すっとする……」
  龍麻は如月に触れられ静かになっていく自らの気持ちに安堵し、ゆっくりと目を閉じた。



<完>





■後記…サイト3周年記念として、久々に龍麻が転校してきたばっかの頃を書いてみました。初心に返ろうという意味も込めて。でも既に如月と龍麻はできていたりします。あまりにも固い絆で結ばれていたため、逢う前から仲良しさんだったんですねー。如月は龍麻がやってくるのをずーっと待ち焦がれていたわけです。それこそ生まれた時から(ヲイ)。いやー宿星ネタってのは本当萌えますな!